第一章3 『デリス通りにて』
「なあおい、フィオ」
ソイルは魔導具の露店に狙いを定めて、飛び出そうとしている小さな背に向かって声をかけた。
「呼んだ?」
「露店巡りも別に良いけど、なんつーかな。他になにか目的はないのか? それとも本当にただの観光なだけか?」
ソイルの問いかけに、フィオはくるりと目を回したあと、ハッとしたように口元に手をあてた。
「わ、忘れてた。しまった……どうしよう。私、そう。待ち合わせしてるの。今からでも間に合うかな……」
「おいおい。大丈夫なのかよ?」
「大丈夫だとは思うんだけど……。ねえ、デリス通りってここからだと遠い?」
デリス通り。表通りとは違い、どちらかというとキナ臭い通りだった。
「そうだな。それなりには歩くが、近道、というか裏道を使えばその半分くらいの時間でいける」
「本当!? お願い、ソイル! 私をそこまで連れてって! 大事なことなの!」
「それはまあ、良いけど……。血相変えるほど大事なことなら、露店なんか見てる場合じゃなかったろ」
「う。楽しくってつい、ね……。ここの露店通りは、ゼルドアに来たらずっと行ってみたいと思ってたから」
胸の前で両手の指をくるくると回すくらいには、フィオは反省しているようだった。もちろん、ソイルに彼女を咎めるつもりなど初めからないのだが。
「そもそもだけど、私がギルドまで行ったのって誰かに道案内を頼もうと思ったからなの。そしたらソイルを見つけて。今に至るわけ」
フィオが大事な用件とやらに遅れそうになっているのは、間接的にはソイルのせいでもあるようだった。
「じゃあ、さっさと行こう。俺までフィオの待ち人にどやされる羽目になっちまうからな」
「ありがとう。 あ、じゃあこれは依頼ってことになると思うから、報酬はきちんお支払いします」
「報酬って……。いらねえよ、道案内くらいで」
ソイルは断ったが、フィオは譲らなかった。
「だめ。ソイルはゼルドアギルドに所属してる冒険者なんでしょう? あ、違ったらごめんなさい」
ソイルはフィオと出会うまえのギルドでの一連の流れを思い出し、ガシガシと頭を掻いた。
「一応はな。そうだけど」
まだソイルの名前がギルドの冒険者名簿に載っていれば、という注釈は付くが。
「やっぱりそうなんだ。じゃあなおさらきちんとしないと。ソイル・ラガマフィンさんに依頼します。私をデリス通りまで案内して下さい。報酬は――200ディールでどう?」
ソイルは思わずポカンと口を開けた。
「あ、あれ? ちょっと高すぎた?」
小首を傾げるフィオに、ソイルはなんと答えたら良いのか迷った末に、
「いや。その逆だ」
と、呆れたように答えた。
◆
「えっとソイル、さん。ごめんなさい、私貧乏で……」
「急にさん付けするなよ。しおらしくなりすぎて戸惑うわ。別に良いって。金のない人間からふんだくるほど、あこぎじゃない」
がっくりと肩を落として歩くフィオに対して、ソイルは言った。
「それよりも、たった200ディールぽっち握りしめて、天下のゼルドアギルドへ乗り込もうとした胆力に敬服するよ」
その名の通りゼルドアに拠点を置くゼルドアギルド。魔物討伐から探し物までなんでもござれ。登録している冒険者や傭兵の数も多く、マナディールでも三本の指に入るほどの由緒ある冒険者ギルドだ。AランクやSランクの実力者も多数抱えており、料金の高さでも知られている。
「む。しょうがないじゃない。 ギルドに何かを頼むなんて初めてで、そもそも行ったことだってなかったし……」
フィオの外見を見るに、ギルドへ行ったことがないというのはさほど不思議な話ではない。冒険者ギルドなどほとんど化け物と荒くれものの巣窟だ。まともなのも多少はいるものの、割合でいえば少ない。余談ではあるが、そんな連中を相手に日々対等に張り合っているミントは、本当にすごいやつだとソイルは思う。
「ギルドで道案内を依頼するときの相場って、だいたいどのくらいなの?」
「条件や場所にもよるから一概には言えねえけど。そうだな、最低でもこのくらいじゃないか?」
そう言って、ソイルは指を四本立ててみせる。
「よ、よんせん!? ちょっと、それはいくらなんでも!」
腰に手をあてて抗議するフィオに、千じゃなくて、万だとソイルは言い放つ。フィオはそれきり黙ってしまった。
「わざわざギルドに道案内なんかを依頼してくるやつの仕事には、道中の護衛も含まれるんだよ。言いたいことはわかるけど、ゼルドアギルドじゃそのくらいだ」
「だって。じゃあ、ただの道案内なら?」
「そんな依頼はそもそも受けてもらえない。よっぽど金払いが良いか、太客からの依頼なら考慮はされるだろうが。もしフィオがギルドにいって、200ディールで道案内をお願いします。なんて言ったとしたら、全員から大笑いされてたと思うぞ」
ソイルはすこし意地悪を言ったが、
「じゃあ、やっぱり私にとってソイルと出会えたのは良いことだったのね」
フィオの無邪気な笑みに、きれいにやり返されてしまった。
「私、エルレからゼルドアへ来たんだけど、家を出たときには20万ディールくらい持ってたの。そこからまあ、いろいろあって……」
「エルレか、そらまた田舎だ。しかし、すごい額だな。いったい何に使ったんだ?」
「う。言わない。だってこの話の流れだと、ソイルにすっごく怒られそうだって直感が告げてるもの」
わけのわからないことをいうフィオから、ソイルは金の使い道を半ば無理やり聞き出した。フィオ曰く、物乞いを中心に、老若男女を問わず、生活に困っていそうな人間を見かけるたびに金を渡しまくったというのだ。ソイルは一瞬、目の前が白くなるような気がした。
「ま、まあ。金の使い道はもちろんフィオの自由だし、俺がとやかく言うことじゃねーが……。乞食を装う悪人も中にはいるから、次からはもうちっと考えた方が良い」
「う、うん。ありがとう、気を付ける。はぁ、もうちょっと早くソイルに会えてたら良かったのに」
ソイルも同じようなことを思った。金をふんだくれたかもしれないと考えたからではなかった。フィオの優しさが悪人の酒代に変わったかもしれないと思うと、虫唾が走ったのだ。はて、俺はこんなことを考える人間だったかと、自分でも不思議に思いながら。
それにしても。彼女は何者なんだ?
さきほどの露店での反応や、これまでの言動の節々。くわえて金に対する執着心の無さ。今はすこし凝りているようだが。ソイルは虎の子の200ディールを指先でさすりながら歩くフィオを横目で見た。
浮世離れしているというか、世間知らずというか。良い家の出であることはほとんど確実だろう。しかし、貴族にしては驕ったようなところがまったくない。
もちろん全ての貴族が、庶民を石ころ程度にしか思っていないというつもりはない。しかし、これまでソイルが出会ってきた上流階級だという連中は、着ている衣服は立派だが、中身はマネキンと変わらない。飢えた野良犬ほどの慈悲も持ち合わせていない奴らばかりだった。
「あ、そうだ。用事が終わったら、さっきの果物屋さんまで行ってメロヌ買わない?」
フィオからは尊大な様子も、その気配すらまるで感じないのだ。本来なら歓迎すべきことだろうが……。君はいったい何者なんだと、直接正体を訊けば話は早い。しかし。
「それを二人で食べるの。ねえ、良いでしょう? そのくらいの時間なら、あると思うし」
上目遣いにソイルの顔を覗き込んでくるフィオを見ると、その問い投げることをためらってしまう。
「あーまあ……。別に良いぜ。おもいっきし営業妨害しちまってたし、詫びにでもいくか」
そう、気にしすぎることもないだろう。これが終わったあとは、おそらくフィオとは会うことはないのだ。どこか風変りな少女と、ただの道案内。それだけの関係性でしかない。正体にしても、これから向かう先で明らかになるかもしれないのだから。
ソイルは前方に目をやった。デリス通りが見えてきた。
◆
デリス通りは、盗人通りとも呼ばれるほどに治安の良い場所ではなかった。道の石畳はほとんどが剥がれかけ、大小のゴミが散乱している。通りに面している住居の壁は、そこかしこが落書きと汚物で賑わっている。道端には黒ずんだ木製の椅子がいくつか並べられていた。
「ねえ、ソイル。あの人大丈夫なの? 寝てるだけ?」
フィオが小声で尋ねた。ソイルはそちらに目をやる。初老の男性が椅子にもたれかかるように座り、半開きの口から涎を垂らしている。虚空に向けられている濁った瞳は、ここではないどこかの世界を見ていた。
「寝てるのか起きてるか、それは俺にもわからない。たぶん誰にもわからないし、本人だってわかっちゃいない。たぶんクスリだ」
「そう……」
フィオは呟き、それ以上は何も聞いてこなかった。通りに入ってからしばらく、フィオの口数は明らかに減っていた。 転がった酒瓶から漂う安いアルコールの匂いと、生ごみの腐敗臭が混じって甲乙しがたい匂いがあたりに漂っている。穴のような住居の窓からは、得体のしれない住人たちの視線を感じ続けていた。
出会ったばかりのソイルでさえ思うこと。この場所とフィオとでは、持っているものの性質があまりにも違い過ぎるのだ。
そうなると、誰がどんな目的でフィオをこんな所に呼び出したのかが気になる。待ち合わせに適した場所など、それこそ無数にあるはずなのに。
「なあ。訊いていいものかどうかわからないけど、待ち合わせしてるやつっていうのは、フィオの知ってる人なのか?」
「それは大丈夫。私の父の――元部下ってことになるのかな。でも、幼いころからとても良くしてもらっていたの。血は繋がっていないけど、私は叔父みたいに思ってる。いろんな事情もあって、会うのは数年ぶりなんだけどね」
フィオの声音はどこか抑揚を欠いたものだった。それはこの場所のせいなのか、違う理由なのかはわからない。とはいえ、知っている人物に会うというのなら、そこまで警戒する必要はないだろう。幼少のころからの付き合いだというならなおさら。
ひとくちにデリス通りといっても、実際はかなりの広さになる。いったいどこで待ち合わせているのか、フィオからはデリス通りまで案内しろとしか言われていない。ソイルは疑問をフィオに尋ねてみたが、彼女の返答は「デリス通りまで来たら、迎えがくるからすぐにわかるって言ってた」というものだった。
フィオの言葉の意味はすぐにわかった。なんの前触れも気配もなく、路地から鎧に身を包んだ人物が現れたのだ。闇夜が人の形を模しているのかと錯覚するほどに、冷たく、鋭利な黒の甲冑。
「――お迎えに上がりました、フィオン様。あちらでアードキル様がお待ちになっております」
「ありがとう。あなたの名前は?」
「……僭越ながら、黒鉄に身を包んだものに名はありません。我らは王家が所有する剣の一振り。ただそれだけのモノだとお考え下さい」
そう言って、黒い騎士はフィオに対して恭しく頭を下げた。
甲冑に描かれている銀の紋章はたしか王家のものだったはず。比較的都会であるゼルドアへ長らく住んでいるソイルも、王家の上級騎士というものは見たことがあったが、それらとはまったく存在の根本を異にするような。
ソイルは努めて冷静を装いながらも、自然と身体が震えるような感覚を止めることが出来なかった。
「わかった。案内してちょうだい」
そんな黒騎士に対しフィオはまったくの対等に。いや、黒騎士の応対だけをみるならば、完全に自分よりも上位の存在に接しているときのものだ。
「……フィオン様。その者は?」
「この方はソイル・ラガマフィンさん。私をここまで案内してくれたの」
黒騎士は兜越しに、ソイルの姿をじっと見た。
「ソイル。もし、もし良かったらなんだけど。一緒についてきてくれない、かな。もちろん近くで待っててくれるだけで良い。無理は言わない。終わったらさっきの露店まで行くから、そこで待っていてくれても――」
ソイルは思う。ここまできても相変わらず謎は解けるばかりか、深まる一方だ。面倒ごとには首を突っ込まないで生きてきたし、それはソイルなりの、生きのびるための処世術だった。これまでは。
「わかった。行くよ」
ソイルは頷く。
「え、本当に? 良いの?」
「ああ。もしかしたらフィオのおじさんが、謝礼をくれるかもしれないしな」
「後半さえなかったら、ちょっと格好良かったのにな」
フィオはそう言って、どこかほころんだ表情を見せた。
「あ。というわけなんだけど、ソイル、じゃない。ソイルさんを連れていってもいい? やっぱりだめ?」
「――問題ないでしょう。では」
ありがとうと口にしたフィオの言葉には応えず、黒騎士は先導するように歩き出した。ソイルとフィオは一度顔を見合わせ、それから後に続いた。