第二章15 『その刹那に』
「そ、ソイル! いい加減に――」
さすがに見かねたのか、フィオがソイルをたしなめようとしたとき、
「はは、はははっ! なるほど。それほどまでにおっしゃるのならば、これ以上、若者たちへ老骨が忠言じみたことを言うのは野暮というものですな」
アードキルは楽しそうに笑い、ソイルを見て言った。ほんのわずかに、アードキルがファーガスに対して目配せをしたことも見逃さなかった。
「ラガマフィン殿の肝の座り方には、感服いたしました。さすがは冒険者、といったところでしょうか。私は職業柄これまでたくさんの方とお会いしてきましたが、ここまで素直にモノを言われる方とは、いやはや……。フィオン様が差し支えないのであれば、私としてはラガマフィン殿にも、この場で聞いて頂いても良いかと存じます」
「す、すみませんおじさま……。私としても、というより、私としては、ソイルさんへこの場から退出をお願いしようかと思っていたのですが――」
そこまで言って、フィオはソイルを見た。ソイルもフィオを見た。
「俺はここが良い。てこでも動かないぜ」
「と、言っているので……。ソイルさんを巻き込みたくはなかったのですが、私が言ってもたぶん、このひとには無理です……。け、決して悪い人ではないので。おじさまのご厚情に感謝いたします」
ソイルの隣に寄り添うように立ち、フィオはアードキルに向かって頭を下げた。その姿はまるで、近所の壁に粗相をした、出来の悪い息子の代わりに謝る母親のようだった。
「なんか、俺、駄々っ子みたいな扱いされてないか?」
「みたい、じゃなくて、徹頭徹尾そのものなのよ……。急にどうしちゃったのかはわからないけど、ここ居ても良いから、その……私の隣に……。だから、終わるまで大人しくしててよね」
「わかった。さっきも言ったけど余計な口出しはしない。そっちの黒いお兄さん同じように、俺のことは帽子掛けか何かとでも思ってくれ」
まったくあらぬ方向から、間接的に侮辱されたファーガスだったが、アードキルのそばに控えたまま、相変わらず微動だにしていなかった。さすがは彫像の本職といったところだろう。
「はいはい……。もうなんでもいいわよ。でも、少しだけ気持ちが楽になった。だから、そこだけはお礼を言っておくわ、ありがとう」
フィオはふっと息を漏らすように笑ってから、アードキルの方を見た。
始まるということだ。
アードキルとの一連のやり取りのあと、フィオは言った。
「それでは簡潔に申し上げます。おじさまのお心遣いには、心より感謝しています。しかし、私は王位継承権を放棄するつもりはありません」
◆
――王位継承権。
アードキルとの間で繰り広げられる舌戦。明かされるのは、フィオの意志と覚悟。
現在のマナディールにおいては、王を除けば最高権力とでも言うべき、王太子アンガスに対して、あなたは間違っていると彼女は突きつける。そして、フィオがその道を行こうとしているのは、彼女が王様になりたいからというわけではない。
こんなはずじゃなかった。
好きでこんな場所にいるんじゃない。
もっと違う生き方を望めたら良かった。
強い弱いも、老いも若いも関係なく、これらは人間ならば、程度の差はあれ誰しも一度は考えることだ。フィオは超人などではない。パン屋が腰や腕の痛みと引き換えに、人々にパンを作り続けるように。冒険者が自身の危険と引き換えに、魔物やダンジョンに挑むように。
フィオは自身の全てと引き換えに、戦争そのものを終わらせ、マナディールとエクイデム。二つの国で暮らす全ての人を助けたいと願っている。この小さな身体で、ときに立ち止まりながらも、ときに座り込みながらも、それでも立ち上がり、彼女は前に進もうとしている。
そんなフィオの隣で、ソイルもまた決意を新たにしていた。
たとえ今日がどんなに首尾よく運んだとして――フィオを救うことが出来たとしても――繰り返しが起これば全てはなかったことになる。フィオとの出会いも、彼女を守るための戦いも、全てゼロからやり直しということになる。
だが、それがどうした。
これから何度繰り返すことになろうとも。必死で作った砂の城が、時の波に何度さらわれようとも。この永遠のなかで、いつか自我のようなものさえ無くなり、このたった一日の中を、フィオを救い、救い、救い続けるだけの存在に成り下がったとしても。
もはや人間とも呼べる代物でもなくなり、ただ同じ動作を繰り返す機構になったとしても。
「それでも、立ち上がらなければいけないときがあるのです。私はもう覚悟を決めました。傷つくことも、戦うことも、ためらいはしないと」
フィオが死ぬくらいなら、俺はそちらを選ぶ。
そんな覚悟など、とうに済ませた。
だから――。
「……フィオなら、きっと、全部うまくやれるさ」
君が命を賭して世界を救おうと言うのなら。
「本当に、本当に、ご立派になられましたな。フィオン殿下。そして誠に・・・残念でございます」
俺は命を賭して、君を守るよ。フィオ。
アードキルがサッと片手を上げた。
「――殺せ」
「――殺させるかよ」
ファーガスと同時に剣を引き抜いたソイルは、黒い刃がフィオに届く、その刹那に。
真っ向からそれを受け止めていた。
◆
「――!?」
「え――?」
「なに!?」
フィオ。ファーガス。アードキル。驚き方は三者三様だったが、最初はみな同じ事を思ったに違いない。
いったい何が起こった? と。
この場において冷静だったのは、ソイル・ラガマフィンただ一人であった。ソイルはこの瞬間にも思考を巡らせ、考え続けていた。
「き、貴様!! なんの真似だっ!!」
完全だったはずの計画を、ぽっと出の冴えない男に阻まれ、アードキルは冷静さを欠いたように激昂する。
「約束通り、口は出してないぜ」
ソイルの言葉でハッと我に返ったフィオが、アードキルに鋭く叫んだ。
「おじさま、いえ、アードキル! それはこちらの台詞です。これはいったいなんの真似!?」
ファーガスは交差している剣にぎりぎりと力を込めながらも、ソイルの力量を把握しようとしているのか、状況を正確に把握しようとしているのか、大きな動きはしてこなかった。結果的に、ソイルとはつばぜり合いに近い状態となっている。
「今すぐ剣を下ろさせなさい、聞こえないの!? アードキル!!」
「くっ、くはははっ! おそれながら、そのご命令には承知しかねますなフィオン様。あなたはこの場で死ぬのです」
アードキルは高笑いをしてから、フィオに言った。その顔には、明らかに愉悦のようなものが浮かんでいる。
「――そういうことだったのね。あんな書簡を送って、私をここへ一人おびき寄せようとしたのは。あなたはとっくに、兄の犬に成り下がっていたというわけ」
「犬、とは心外でございますな。あなたの目のまえにいるのは、次期の宰相ですぞ」
アードキルは言った。
「政敵の陰謀によって、かつては宰相の座を追われた私ですが、アンガス殿下が王となった暁には、私は再びその座に返り咲くのです。新王の隣で、私はふたたび全ての国民から、畏怖と羨望をもって見上げられる存在となるのだ!!」
「……くだらない。そんなちっぽけな自尊心を満たすために、あなたは兄の凶行を諫めるどころか、その使い走りをしている。いいように利用されているとも知らずに。哀れだわ、おじさま」
「ええい!! 賢しらにほざくな小娘!! おい、貴様!! さっさとあの娘を殺さんか!!」
アードキルの怒声を引き金に、ソイルとファーガスの膠着状態が瓦解した。




