第二章13 『再訪のデリス通り』
ソイルはデリス通りにあまり良い思い出が無かった。訪れるのも気分が良いものではない。昔、スリを働いていたときも、クスリの売人まがいのことをしていたときも、拠点となっていたのはこの場所だ。一時期はねぐらに使っていたことさえある。
汚い壁。剥がれた石畳。散乱するゴミ。地べたでだらしなく寝ころんでいる酔っ払い。肩を抱いて、がたがた震えているクスリ漬けの人間。歩いていると、昔の自分を訪問しているような気分になる。
オニールに出会う前の。冒険者になる前の。疥癬持ちの野良犬のような心と目をしていた頃の自分に。だからここが、自分にとってこんなに重大な意味を持つ場所になるとは、夢にも思っていなかった。
「ね、ねえ。ソイルって、さっきの広場に、その、よく行ったりするの?」
広場を出たあと、ソイルの横を歩いていたフィオだったが、ほとんど口を開くことはなかった。ときおりぼーっとしたように指輪を眺め、それからソイルの顔を見る。ソイルが見返すと、慌てて視線を外す。というような動作を繰り返していた。
「ああ、昔はよく行ってたな。金がない頃にさ。噴水の小銭盗んだり、たまに食べ残しが落ちてたりすることがあって――」
「そ、そういう意味で聞いたんじゃないんだけどな……」
フィオは言った。
「じゃあ、こういうのって。指輪とか、渡したり、とか。他の女の子にもよくすることなの?」
「いや、さっきも言ったろ。俺は基本的にいつも金欠なんだ。フィオから見れば安物かもしれないけど、あんな値段のものをほいほい買うような余裕なんかねえよ。そりゃ、女の子と遊んだことくらいはあるけどな」
「そ、そうなんだ……。私が初めてなんだ……。お金ないのに、買ってくれたんだ……」
「ま、そういう気分なときもあるさ。それにフィオが付けてる髪留めと同じデザインだったからな」
「あ、うん。そうなの。これはお母さんから貰ったもので、私の一番の宝物だから。でも……今日、それがふたつになっちゃった……」
後半はほとんどなにを言っているのか聞き取れないほどの小さな声だった。そう言ってから、フィオは何か覚悟を決めたような目でソイルを見た。
「私も、私もソイルに、何かしたい。お金が良いなら、今はお金はないけど、でも、待ってくれたらなんとか出来ると思う。それ以外のことでも、私がソイルにあげられるものがあるなら、その・・・出来ることであれば……」
「いやいや、別に恩を着せようと思ったわけじゃない。ゼルドアに来た記念くらいに考えれば良いんだ。ここでの用が済んだあとに、またいつかこの街に来たいと思ってくれたなら俺はそれで充分だよ」
ソイルは言ったが、フィオは激しく首を振った。ソイルはどうしたものかと頭を掻く。
「お願い、なにか考えて。自分で考えなさいってことなのは、よくわかってる。でも、私、こういうの本当に初めてで……なにをあげたら喜んでもらえるのかがわからないの。でも、ソイルに、お礼がしたいの・・・嬉しいだけじゃなかったから。心を救ってもらった気がしたから」
フィオはほとんど思いつめたような口調と表情で言った。さすがに、なにか答えなければ引きずられそうだなと思ったソイルは、ふとそれを思いつく。
「じゃあ――欲しいものじゃないんだけど、頼みがある」
「うん! 教えて、お願い」
「今日の夜、日付が変わるとき、俺と一緒に居てくれないか?」
「え、へ!? そ、それって! ちょ、ちょっとまってっ。い、いやとか、そ、そういうのじゃないけど……あ、会ったばかりでそんな……ちょ、ちょっと早いというか……」
見ているソイルが恥ずかしくなるほど顔を真っ赤にして、フィオはばたばたと両手を動かしている。本当に、こう見てるとただの女の子なんだがな、とソイルは思う。
「なにか勘違いしてるとこわるいけど……日付が変わる瞬間だけだ。その前後少しくらいでいい。場所はさっきの広場がいいかな。もちろん無理は言わない。構わないか?」
「う、うん。大丈夫だと思う……。用事が済んだら、私はどこかで宿を取るつもりだったし。でも、日付が変わるときに何かあるの?」
「それはまあ、こっちの事情だ。誓って何もしやしない。それは信用してもらうしかないけど、もちろんひとりが嫌だっていうなら、誰かを連れてきたっていいぜ」
「――事情は話せないんだけど、私、この街へは一人で来たの。前の街までは友達、というか師匠、というかその人と一緒だったんだけど、抜け出してきたの。今日の用事だけには、その人を巻き込みたくなくて」
それは初見の情報だった。エルレからゼルドアまでの道中、フィオは誰かと一緒だったらしい。しかし、なにか事情があって、ここには一人で来ることを望んだ。フィオの立場を知っているソイルからすると、それは軽率な行動以外のなにものでもない。
ただ、フィオにしてもアードキルのことは慕っている。アードキルがフィオを殺そうとしているなど夢にも思っていないはずだ。アードキルを悪しざまに言おうものなら、きっとフィオはこちらに敵意を向けてくるだろう。それ以前に、アードキルのことをソイルが知っていることはそもそも話せない。
前に一度それやって、盛大に嫌われてるからな……。
あれは出来れば思い出したくない過去である。ソイルにとっては惚れた弱みだった。
「その人も私がゼルドアへ向かったことは知っているから、用事が終わり次第、合流出来れば良いなって考えてたの。だから、ソイルのことは信用してるけど、心配になったらその人と一緒に行くかもしれない。それでも良い?」
「ああ。もちろんそれで構わないぜ」
「ありがとう。でも、何があっても絶対に行くわ。日付が変わるときね、約束する」
フィオはそう言って、ソイルに向かってにっこり笑った。ソイルも微笑み返し、それで会話は終わった。フィオを生きて返して、露店の親父に謝罪させること。ループが始まる瞬間に一緒に居ると約束したこと。負けられない理由がふたつも増えた。そしてそれは、多ければ多いほどいいのだ。
――来たか。
ソイルは前方を見据える。黒い甲冑。石畳みを踏む金属音。これで通算四度目の邂逅だ。ソイルは黒騎士が腰に差している剣に目をやる。自然と身体に力が漲るような気がした。
「――フィオン様。お迎えにあがりました。あちらでアードキル様がお待ちです」
「――ありがとう。あなたの名前は?」
「……僭越ながら、黒鉄に身を包んだものに名はありません。我らは王家が所有する剣の一振り。ただそれだけのモノだとお考え下さい」
そう言って、黒騎士はフィオに対して恭しく頭を下げた。
あいつの名前は確か、ファーガスだったな。
以前までの戦闘では、まったく戦っていない相手。実力的には少なくともレトと同格、以下ということは無いはずだ。力量を過小評価するほど危険なものはない。逆に、相手がソイルを今までと同じように、路傍の石程度に認識してくれていたらしめたものである。
今回は不意討ちは出来ない。するつもりもない。緊張はある。しかし恐れはない。
ぶつけるぞ、全て。
「・・・フィオン様、その者は」
「ああ、えっと、この方はソイルさん。ソイル・ラガマフィンさんです。ゼルドアギルドの冒険者で、私をここまで案内してくれたの」
「……冒険者、ですか。ラガマフィンさん、失礼ですがランクをお尋ねしてもよろしいか?」
これは初めての反応だ。殺気は抑えているつもりだが、何かを感じ取ったのかもしれない。それだけで、相手はやはり人の形をした化け物だということがわかる。
「ランクはDです。六年前にギルドに入ったときから、ずっと上がっていません」
「六年間、ずっと……。なるほど、ぶしつけな質問をしました」
ファーガスはそこでやっと、ソイルから視線を外した。
「……ソイル、本当に腕っぷしは無い人なのね、あなた」
フィオが少しだけ唖然とした様子で言った。
「だから最初からそう言ってるだろ。はっきりいって雑魚だって」
「剣を差してるじゃない。どれくらい使えるの?」
「剣は少しできるけど、魔物討伐だったら一匹を十人でタコ殴りにすることは出来る。対人は、ほとんど経験がねえ」
ソイルはそう答えながら、ファーガスとちらりと盗み見る。ファーガスは完全にソイルから興味を失ったようで、二人から視線を外し、ソイルとフィオの会話が終わるのを待っているようだ。偶然ではあるが、今フィオが質問してくれたのは悪くなかった。このままぎりぎりまで油断してくれれば良いのだが。
「ほ、ほんとに凄まじいのね……。で、でも、男の人の良さって、それだけじゃないと思う。ソイルにも良いところがいっぱいあるわよ」
「ほう。例えばどんなところだ?」
「え? えっとその……それは、えっと……か、顔?」
フィオのひねり出した答えは、さすがに身も蓋もなかった。
「こ、これっ。指輪も買ってくれたし……」
なるほど。今日を生きて帰れたとして、このループをいつか抜け出すことが出来たら、次はジゴロとして生きていくのも悪い選択肢ではないようだ。
「こんなに褒められたことは今まで初めてだよ。ひとりなら泣き喚いて感謝するところだ」
「う。で、でも。本当に良いところいっぱいあるのよ。だって、そうじゃなかったら私こんな気持ちになんか……」
さきほど同様、後半は聞き取れないほどの声量でフィオは言った。
「……フィオン様。そろそろよろしいかと」
さすがにたまりかねたのか、ファーガスがフィオに声をかけた。
「あっ。うん、ごめんなさい。待たせてしまって。あ、ソイルさんも、おじさまにご紹介したいから、連れていっても構わないかな?」
フィオがファーガスに言った。
「……問題ないでしょう。では」




