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第二章12 『レモムとメロヌ』


「ねえソイル。この黄色っぽいやつは何? なんて言うの?」


 露店に並べられた商品を指さしながらフィオが尋ねた。


「レモムだな。果物だよ。さすがに見たことくらいあるだろ」


「ああ。これレモムなんだ。薄汚れてるからわからなかった」


「どうする? 割ってみるのか?」


「うーん。別にいいかな。こんな汚いの触りたくないし」


「お嬢さん、さっきから辛辣な言葉ありがとうヨ! レモム買わないならメロヌ買ってヨ!」


 この露店の親父ともいろいろあったな。それにしてもフィオはこの店に何か恨みでもあるのか?


「親父、その子に言っても無駄だぜ。なんせ文無しだからな」


「金持ってないのかヨ! なのに態度がでかすぎるヨ! 冗談は胸だけにして欲しいヨ!」


「う。文無しなんて言わないでよね…… 。ソイルが根こそぎ巻き上げたくせに」


 親父の顔にレモヌを全力で叩きつけてから、何ごともなかったかのようにフィオは言う。


「俺は最初から200ディールと提示したじゃないか。途中で釣り上げてなんかないぞ」


「200ディールしか持ってなさそうな顔だなーって思ったのなら、2ディールくらいで提示するのが人情ってものでしょ? ほんと、これだから都会はいやなのよ」


「お兄さんこの子とは早く別れた方がいいヨ! 言ってること狂ってるヨ! 胸の大きさもレモムだヨ!」


 その後、あの露店がどうなったのかをソイルは知らない。ひとつだけ事実を言うならば、三回目の邂逅にしてついに、フィオは露店めがけて魔法をぶっ放したということだけである。


「なあ、フィオ。おまえ頭おかしいだろ。あの親父、露店置いて逃げてっちまったぞ」


「う。ご、ごめんなさい……。次に来たときにはちゃんと謝って、ちゃんと弁償するから・・・」


 フィオは指先をつんつんと合わせながら、ソイルの隣を歩いていた。しっかりフィオに弁償させるためにも、これからしっかり彼女を守る必要があるわけだ。


 ソイルとフィオは連れ立って、ゼルドアの名物である露店通りを歩いていた。フィオは歩きながらも、ときおり露店に吸い込まれていくので、いちいち連れ戻すための手間賃だけでも、別途に請求させて欲しいくらいだった。


「ねえ。ソイルは強い人なの? 冒険者なんでしょ?」


「まったく強くない。ランクはDで、あだ名はクソ虫だ。はっきりいって雑魚に近い」


「こ、こんなに堂々とそんなこと宣言する人、なかなかいないわね……。いっそ清々しいくらい」


「事実だ。隠して誇張しても意味がないからな」


「……でも私は、あなたは自分で言ってるほど弱い人じゃないって思うわ」


 前を見ながらフィオが言う。


「だって、そんなふうに自分で自分の弱さを認めるのって、すごく勇気がいることだから。誰にでも出来ることじゃない」


 その理屈でいえば、フィオもそういう強い人間だと言うことになるのだろう。それはいまさらしみじみ思うことでもない。だが、そんな彼女にも弱い部分はある。だから、俺はフィオの弱い部分を守らなければいけない。ミントが俺にそうしてくれたように。


「俺に関してだけいえば、そんな大層なことじゃないさ。たんに開き直ってるだけかもしれない」 


「素直じゃないのね。ちゃんと本心から褒めたのに」


「そりゃどうも。そう言ってくれるのはありがたいけど俺は――」


 ソイルは隣を見る。フィオは居なくなっていた。


「こんの……」


 ソイルが踵を返して進むと、ほどなく露店屋のまえでかがみ込むフィオを見つけた。床に敷かれた織物の上には、金や銀、得体の知れない宝石などが付着した、たくさんの 装身具(アクセサリー)が陳列してあった。耳飾り。首飾り。どれもふっかけとしか思えない値札が付いている。


 フィオはその一角にある、銀の指輪をじっと見ていた。星の女神アステライアの彫刻がされている。フィオはソイルが隣にしゃがんでも、まるで気付いていないようだった。


「穴が開くほど見たって、文無しには縁がないものだぞ」


 フィオはハッと横にいるソイルと、ソイルの言った言葉の意味に気付いたのか、ぷくっと軽く頬を膨らませた。


「う、うるさいわね。ほんっと意地悪でひねくれものなんだから、ソイルって」


 フィオは立ち上がり、ぷりぷりと怒りながら先へ歩いて行ってしまう。ソイルは頭をかき、その指輪を手に取った。特段美しいものでもない。精巧というわけでもない。しかし、フィオが見ていたのは指輪ではないのだ。フィオが見ていたのは、きっと。


「……ばかなことしようとしてるぞ、ソイル・ラガマフィン」


 ソイルは財布を開け、そのわずかあとに、晴れて文無しの仲間入りを果たした。





 ゼルドアの中心部に位置している広場は、緑が豊かで穏やかな場所だった。石畳の路地は美しく、広場の中心にある水竜をかたどった噴水が、豊かな水を噴き上げている。陽の光を受けた細かな水滴が、水の精のように快活に弾けながら輝いていた。


 この噴水はたしか、なにかの記念で作られたものだとソイルは記憶していた。碑文も刻まれていたが、言葉の意味はわからなかった。しかし生きていくうえで、必要な知識であるとも思えなかった。


 ソイルとフィオは、噴水を囲うように設置されているベンチに腰をかけていた。フィオの機嫌は、いくぶんか良さそうにみえた。座りながら時折身体を伸ばしたり、噴水に向かって軽く手を伸ばしたりしている。以前に二人で訪れた時は、ソイルもさまざまな意味で余裕がなかった。


「私、ちょっとだけ喉が渇いちゃったかも」


「俺にたかられても、何も出ないぞ」


「そ、そんなつもりで言ったんじゃないわよ! 人のこと、いやしんぼみたいに言わないでくれるかしら!?」


 顔をソイルに向け、フィオはそう怒ったあと、またぷいとそっぽを向いてしまう。


 ソイルはフィオの横顔を盗み見た。まつ毛が長く、肌は雪のように白い。今だって、決して余裕があるわけではない。ソイルはフィオをこのままどこかへ連れ去ってしまいたいという欲求に駆られた。街の喧騒も、デリス通りの悪臭も、アードキルも、黒騎士も追ってこれないほど、どこか遠くへ。


「意地悪で言ってるんじゃない。俺も文無しなだけだ」


「え? ソイルお金持ってないの? もしかして貧乏? 私、勝手な思い込みだけど、冒険者の人たちってもっとお金持ちかと思ってたの。ダンジョンの宝とか、売ったらすごそうじゃない?」


「上のランクの奴らはな。けど、俺はそうじゃない。ランクDの冒険者なんて、その日暮らしとほとんど変わらない。報酬は安いし、そもそも依頼がなければ収入は0だ。とても蓄えなんかに回す余裕はないからな。生きていくのでやっとさ」

 

「……厳しい世界なのね。会った時も、仕事がないって言ってたし。あ、でも、今日は200ディールがあるじゃない。文無しなんかじゃないわ。私は、そうだけど……」


 何回も、何回もその可能性は考えた。フィオを騙して、あるいは強引に隠して、そうすればフィオの命を助けられるかもしれない。そのままどこかで、ひっそりフィオを隠し通すことが出来れば、その先だって。


 けれど、フィオを知れば知るほど、彼女がそんな生き方を決して望まないこともわかっている。フィオはこの場所でソイルに、幸せになりたいと言った。そんな生き方は彼女にとっての、幸せではないのだ。だからソイルは、これからフィオを連れてデリス通りへ向かうのだ。


「その200ディールも、さっきそこの噴水に投げちまったよ。だから正真正銘の文無しだ」


「え゛? ちょ、ちょっとなんでそんなことしたのよ!?」


「ちゃんと空から八万ディールが降ってきますようにってお願いしてから、投げたぜ?」


「投げたぜ。じゃないのよ! 降ってくるわけないでしょ!? 頭おかしいんじゃないの!?」


 フィオはがばりと後ろを向いて、噴水の中を覗き込んだ。水底には大小の銀貨や銅貨が沈んでいる。放り投げていくのは主にゼルドアへ立ち寄った旅人だ。噴水の型にもなっている水竜に、旅の安全を願っていくのだ。


「噴水の中から小銭をくすねるのは犯罪だぞ。衛兵に見つかったらしょっぴかれる」


「そんなことしないわよ! ああ、私の200ディールが・・・」


「いや、俺のなんだけどな」


 もっといえば、その200ディールはさきほどの装具(アクセサリー)屋の懐におさまっている。


「依頼だとしても、こんな使われ方するってわかってたら渡してないわよ!」


 全財産だったのに、とフィオは言った。そこから急に何もかもがどうでもよくなった、とでもいうように、彼女は空を見上げて現実逃避をはじめた。


「空が高くて青い。こんなに素敵な場所にいるのに……。なんで噴水の中の200ディールをどうやって回収しよう、なんてことを考えなきゃいけないの……。このひと相手に、なんだかデートみたい、とか一瞬でも考えた私がバカだったのよフィオ……」


 彼女はほとんど自分がなにを口にしているかもわかっていないようだった。どこか呆けたように、空を見続けている。


「デートっぽい、なんて思ってたのか」


「ええ、そうよ。たった一瞬だけだったけどね。こんな状況と雰囲気と、年頃の女の子なら誰だってそう思うわよ。でも、ソイルが気にすることじゃない。私たちはこうやって大人になっていくんだから……」


 ソイルはポケットの中を探って、それを取り出して手に握った。こんなことを誰かにするのは初めてだった。したいと思ったのも初めてだった。


「ならデートってわけじゃないけど、これやるよ」


「何をくれるっていうのよ……。小銭でも渡してくれる気になったの?」


「まあ、小銭の親戚みたいなものだな。わるいけど手を出してくれ」


 フィオは少し戸惑った様子で、ソイルに向かっておずおずと手を差し出した。ソイルはフィオの手を取って、指にすっとそれを嵌めた。少しくすんだ銀色は、彼女の付けている髪飾りの色合いによく似ていた。


「――――え」


 フィオは息をするのも忘れたように、銀の指輪を見つめていた。まるで夜空の星が、突然目の前に落ちてきたとでもいうみたいに。


「え、これ、さっきの……。そ、ソイルこれって……そんな……こんなのって・・・」


「いらなかったらそこの噴水にでも投げてくれ。代わりにメロヌが降ってくるかもしれないぜ」


「そ、そんなことしないっ。絶対、しない……。お、お金がないって言ってたのって、まさか、これ、買ったから……」


 ソイルは答えずに立ち上がった。


「そろそろ行かないとまずい時間なんじゃないか? 行こう」


 ソイルは先に歩き出す。さすがにいま、まともにフィオの顔を見ることは出来なかった。ソイルの後を追いかけるように、小さな足音がパタパタと駆けてくるのが聞こえた。



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