第二章10 『助走』
「ソイルさん? ちょっと聞いてますか? ソイルさん?」
パンッという音で、ソイルは気付いた。目の前にはミントの姿があった。白い手がカウンターの上に置かれている。
さきほどまで触れていた体温も、涙の暖かさも、ミントがくれた言葉の全てをしっかり覚えている。そして二度と、忘れることもなければ、離すこともない。
ソイルは胸に手をあて、ミントと一緒に見た街の灯を、あの淡い光を、しっかりと守るように、包み込むようにぎゅっと握った。
「ああ、聞いてたぜ! 仕事がないのは残念だけど、無いなら無いなりに出来ることはあるからな。今日はそれをしっかりこなしてくるよ」
「……は、はい。ちょっとだけびっくりしましたけど、すごく素敵な考え方だと思います。私にお手伝いできることがあるなら、なんでも言って下さいね」
ミントは優しくソイルに微笑みかけた。
「ありがとう! じゃあ、さっそくで悪いんだけど、マスターって今日家にいるか?」
「おと、マスターですか? はい、今日は家で一日お仕事をするって言っていたので、居ると思いますよ。マスターに何か用事があるんですか?」
「ああ、ちょっとだけな」
立ち止まるな。振り返るな。走り続けろ。
「……良かったら、私も一緒に行きましょうか?」
「いやいや。ミントの手を煩わせるほどのことじゃないんだ。気持ちだけもらうよ。それに、レーベンがミントのことを気にしすぎて、依頼の最中、魔鳥あたりに頭に穴でも開けられたら困るからな」
ソイルは後ろを振り返りながら言った。
「けっ。てめぇに心配されるほど落ちぶれちゃいねえぜ」
レーベンはぶっきらぼうに言ったが、さらに後ろから、
「ソイルの言う通りじゃねえか。いつだったか、何かでミントの元気がないときに、お前一日ずーっとそれを気にして、フォレストハウンドに頭をかじられてただろ。途中で向こうの牙が折れちまったから、助かってたけどよ」
レーベンは後ろをがばっと振り返り、それ言った冒険者の胸倉をつかんだ。
「ててて、てめぇ!! もっぺん言ってみろ!!」
やいのやいのと騒ぎ出すおっさん連中を尻目に、ミントがソイルに言った。
「……ふふ。わかりました。なら、ついでにお父さんがちゃんとお仕事しているか、確認してきてもらえたら嬉しいです。前にも仕事する、とか言っておいて、女の人を連れ込んでたことがあるんです」
ミントはやれやれといった様子で、軽く首を振っていた。
そうか。オニールさん、アイシャさんとしっぽりやってるとこだったなそういえば。なるべく邪魔しないようにタイミングは図るか。
「了解したよ。じゃあ、行ってくる!」
「はいっ。ソイルさん、今日も元気に! いってらっしゃい!」
ミントが優しくソイルに手を振る。
本当に、ギルド受付嬢というのはすごい存在だ。
◆
修行を繰り返すソイルにとって最大の懸念点は、この繰り返しが、ある日唐突に終わってしまうのではないかということだった。そうなってしまったら最後、二度とフィオを救う機会は無くなってしまう。
気持ちにはどうしても焦りが混じった。例えば、百回、二百回とループを重ねることによって、技術的にも精神的にも力を蓄えることが出来れば、フィオを助ける、それ自体の可能性は上がるだろう。
しかし、突然始まったこの現象が、突然に終わることなどないと、そう断言することは出来ない。そんなふうに考えるのはあまりに楽観的だ。
ソイルにとって必要だったのは、絶対的な強者になることではなく、あくまでフィオを守れるだけの力を付けること。無敵の人間になりたいなどとは思ってはいなかった。
だから、あくまで助走は最短距離でだ。一日の密度を可能な限り濃く、さらに濃くする必要がある。
ソイルが指標として設けていたのは、オニールとの訓練で、彼に認められるだけの実力を付けることにあった。ソイルはループする日々のなか、前準備の段階から丁寧にこなし、オニールに挑み続けた。 オニールとの訓練が終わると、ギルドや酒場へ赴き、選り好みなどはせずに、戦ってくれる相手を求め続けた。
いくら力や体力を鍛えたところで、怪我などと同様に、ループを隔てれば肉体的には完全に元に戻ってしまう。したがってソイルが鍛え続けたのは、頭と、眼と、技術と、根性である。
その成果はやがて現れた。
「なあ、ソイル……。ちょっといいか?」
「はい。なんでしょうか?」
オニールとの訓練中に、オニールがソイルへ尋ねた。
「お前、いつからこんなに強くなったんだ? というか、元から強かったのか? 俺に隠してたのか? 俺とここまで戦り合うって、とっくにランクDなんかじゃないだろ、お前」
「いやいや、買い被りですよ。たしかに少しは視えるようにはなりましたけど、それ以外はからきしです」
「まあ、たしかに。力とかはまったくないんだが――しっ!!」
オニールの突進からの斬り付けを躱す。
これは撒き餌だ。本命はこのあとに来る。
ソイルはその瞬間へ集中を研ぎ澄ませて備える。ソイルが避けたところへ、胴体へ寸分の狂いもない一撃。ソイルはバシリとそれを受け止める。オニールは本当に驚いたとでもいうように、目を丸くした。
「ほらほら! 今、お前に完全な不意打ちを仕掛けた。なのに避けた。しかもそのあとの攻撃が本命だってことも読んでたな? じゃなきゃあれを受けることなんか出来ないはずだ。ハッキリ言うが、俺の不意打ちをこうも捌けるやつなんて、そうそういないぞ」
オニールは腕を組み、考え込むような仕草をした。
「もっとある。お前に剣を教えたのなんて、もう何年も前の話だ。にもかかわらず、まるで最近の俺だったらこう助言するよな。って動きばかりしてくるんだよお前は。これでもダンジョンで不思議なものをたくさん見てきたが、正直、今のお前もそのレベルで不思議だ。逆にちょっと心配になるな……。なんかあるなら、話を聞くぞ?」
ソイルは感謝を告げ、オニールの申し出を断った。オニールに打ち明けるという考えは最初からソイルにはなかった。俺がループことを自ら話したのは、あの時のミントだけだ。よほどのイレギュラーが、直接この現象の謎に関わるようなことがない限りは、あれが最初で最後なのだ。
彼はそう、固く心に誓っていた。
そしてついに。
幾度目かのループの経て、ソイルはオニールから一本をもぎとった。
ソイルに打たれた肩を押さえながら、オニールは嬉しそうに目を細めて言った。
「ソイル。お前が俺に剣を習っているように、俺にも剣を教えてくれた師がいた。今はもうあの世にいるが、とんでもなく強いじいさんだったんだ。そのじいさんから言われたことを、お前にも伝えておく。剣は腕で振るものじゃない。剣は心で振るものだ。心に邪念があっても剣は振れるが、それは正しい剣じゃない。剣を学びたかったら、心を学べ。俺は、いまでもこの意味をずっと考え続けてる」
オニールは言った。
「お前が何を思って、強くなろうとしてるのかは分からん。誰を守りたいのか、誰を倒したいのか、それを訊くつもりもない。だが、お前が剣を腕じゃなく、心で振るなら――お前が守りたいやつも、必ず守れる。お前が倒したいやつも、倒すことは出来なくても、負けることは絶対にない。自分で言うのもなんだが、俺は結構すごい男なんだぞ。今じゃドラゴンだって蹴散らせる。そんな男に一撃をいれたんだ。胸を張って戦ってこい。これからも精進しろよ、強くなったな、ソイル」
ソイルは、オニールに向かって深々と頭を下げた。
ずっと、ずっと、下げ続けた。
ソイルは家のベッドの上に座りながら、その時を待った。外は夜に包まれており、通りの喧騒がわずかに聞こえていた。やれるだけのことはやった。オニールとも、今日の日に、ギルドにいる冒険者のほぼ全員とも戦ってきた。生傷は絶えなかったし、死にかけたこともあった。
辛いと思うこともあった。しかし、そんな弱気が頭をよぎるたびに、デリス通りの悪臭が。アードキルのうすら笑いが。レトの斬撃が。フィオの笑顔が。ミントの涙が。オニールの言葉が。
ソイルを間髪いれずに立ち返らせる。
白い星が瞬き揺れる。
自分のなすべきことを為せと。
自信がないわけではない。鍛えてはきたつもりだが、それでも冷静に評価するなら、実力的にはまだ黒騎士と真っ向から撃ち合うには及ばないかもしれない。
ソイルは手のひらをじっと見る。
使えるものはなんでも使う。わずかでも可能性があるなら。
あれも――。
ソイルは目を開けたまま、ひたすら集中を高めることに専念した。
まぶたの裏に描く明日を、本物にするために。
ソイルはじっと、じっと待ち続けた。
時の波がソイルの身体をさらっていく。
その時を。
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