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第二章9 『私だけのもの』


 ソイルはミントに話した。一度言葉にすると、それは止まらなかった。どれだけ切実に語ったとしても、もうすぐ全てはなかったことになる。そんなことさえ忘れて、ソイルはミントに話し続けた。


 自分が、同じ日をずっと繰り返していること。繰り返し続けていること。フィオのこと。黒騎士のこと。アードキルのこと。イザルトのこと。


 死んだこと。死にそうになったこと。頭がおかしくなったこと。なりかけたこと。痛かったこと。悲しかったこと。フィオと一緒に戦ったこと。力が及ばなかったせいでフィオを守れなかったこと。


 だからこそ、強くなりたいこと。なんとしてでも、フィオを救いたいこと。


 その間、ずっとミントは何も話さなかった。じっと黙って、ソイルを見つめていた。握った手が、離れることはなかった。全てを語り終えたソイルの胸には虚脱感があった。けれどそれは、決して不快なだけのものではなかった。


「――と、こんな所だな。細かな部分で話してない所はあるけど、それはあんまり関係ないことだ。大筋というか、大事なところは全部話したはずだ」


 ソイルが言うと、ミントはゆっくり目を閉じ、それからすぅと夜の空気を吸い込んだ。ふたつの紅茶はまるで減っていなかった。いつしか湯気も経たなくなっていた。


「――ありがとうございます。ソイルさん。そんなに大事なことを、私なんかに話してくれて。・・・ソイルさんはすごいです。本当にすごい人だと思いました。優しくて、強くて」


 ミントは言った。


「もし私がソイルさんの立場になったら、絶対にソイルさんみたいには出来ません。きっと毎日泣いて、泣きじゃくって、部屋に閉じこもると思います・・・。今のソイルさんみたいに、普通になんか出来ない。普通でなんかいられないと思います」


「い、いや。俺もだいぶ狂ったり、自暴自棄になったりもしたよ。ミントのことも、傷つけたりもしちまってたからな……。俺は強くなんかないんだ。そうなりたいと思ってるだけで――」


 ソイルの言葉の途中で、ミントは首を振った。


「誰がなんと言おうと、ソイルさんは強い人です。そして優しい人です。きっとお父さんだって、ソイルさんみたいには出来ないと思いますよ。娘の私が言うんです、間違いないです」


「はは。でも、ミントは本当にいっさい疑わないでくれるんだな。自分のことながら、自分でもいまだに信じられないくらいのことだってのに」


規模(スケール)が大きすぎて、圧倒されちゃったことは認めます。フィオンさんの、フィオンさんの話だけでも雲の上の話みたいなのに。でも、ソイルさんの話を聞いて、自分の中で腑に落ちる部分がたくさんあったんです」


 ミントは言った。


「昨日のソイルさんと、今のソイルさんを比べたときの違和感の全てが、疑問の全てが、繋がって、解けたというか……。だから、私はソイルさんの言ってることを信じます。欠片も疑っていません」


 ソイルにしても、ミントがくれた言葉をひとつたりとも疑ったりしていなかった。ふたつの視線は絡まり、互いに響き合い、信じあっていた。


「……ソイルさん。言いにくいことだとは思っています。でも、ソイルさんのお話だと、フィオンさんは……その……」


 ソイルはミントから視線を外し、夜空を見上げた。拳を握り、唇を噛み締める。いまごろどのあたりに、フィオはいるのだろうと考えながら。 


「ああ・・・。そういうことになる。確かめたこともあるからな」


 ソイルは言った。


「でも。それを考えちまうとさ、俺は多分、一歩も歩けなくなるんだ。立ち止まって、座り込んで。でも、それじゃ俺が考える幸せな明日ってやつには、永遠に届かないことになる。ただ、明日を迎えたいわけじゃないんだ。フィオと一緒に、この夜を越えたいんだ。だから――」


 瞬間。


 顔があたたかく、柔らかいものに包まれる。優しくて、良い匂いがして。


 涙が。涙が止まらなくなるような。


「み、ミント、俺は、お、俺はさっ……。な、なんで俺なんかが選ばれちまったんだって、そ、そう思うんだ。ら、ランクDの、クソ虫なんて呼ばれてる男が。な、なんでだよって。も、もっと俺よりも強いやつが、オニールさんとか、レーベン、とか。そんなやつが、フィオの傍にいたならっ」


 涙は止まらなかった。ソイルは子どものように嗚咽を漏らした。ソイルの震える身体を毛布でくるむように、抱きしめるミントの腕にぎゅっと力が込められる。彼女の目からも大粒の涙があふれて、まるでソイルの涙のあとを追いかけるように、彼の頬を伝っていく。


「あ、あいつは、フィオは、こんなに何回も、何回も、何回も、死ななくて、す、済んだんじゃないかって……! お、俺なんかが居たせいで、あいつは……あいつは……!!」


「ソイルさんっ、違いますっ!」


 泣き声のミントが鋭く叫んだ。


「……それは違います。何回だって言います。ソイルさんじゃなきゃ、ダメだったんです。ソイルさんじゃなきゃ、フィオンさんを救えないんです。だって私は、ソイルさんみたいな、強くて優しいひとを、見たことがありませんっ……!!」


 ミントは言った。


「私なんかに言われても、信じられないかもしれません、でもっ。ソイルさんだからここまで来れたんです。ソイルさんだから、この先へも行けるんですっ。必ずっ、必ずっ! だから――そんな風に言うのはやめてください。私の大好きなひとを、大好きなソイルさんを、これ以上、傷つけないで下さいっ……」


 理不尽に怒り、悲しみに囚われ、痛みには抗えず、残酷さに疲れ果て。

 暗黒のなかを手探りで這って進むような日々の中で。


 覚悟はした。諦めるつもりも、投げ出すつもりもなかった。

 

 けれど。


 どうして自分なんかがという想いだけが、ずっと消せなかった。

 しかし。そんな闇も。弱さも。ミントという星の光に照らされ、掻き消えていく。

 もう二度と、迷うことなどないくらいに。


「……ありがとう。ミント。本当に、ありがとな」


「ソイルさん、私は悔しいんです。こんなにあなたが好きなのに、大好きなのに……! 私には、あなたにしてあげられることが何もないっ。今のあなたのことを、忘れたくないのにっ。もっと強かったなら良かった、あなたと一緒に戦えるくらいに、一緒にフィオンさんを助けられるくらいに、強かったら……!」


 ソイルは泣きじゃくるミントを抱きしめ、優しく頭を撫で続けた。ソイルの目には、意思の灯火が新たに宿り、燃え、それはもう二度と消えなかった。泣き言を言っている暇などもうない。フィオだけじゃなく、俺はミントのことも、笑わせてやらなきゃいけないんだ。それには俺がたどり着く必要がある。


 フィオが生きている明日へ。ミントが笑っている明日へ。オニールとダンジョンへ向かう明日へ。イザルトと遊ぶ明日へ。レーベン達と酒を飲む明日へ。


 そんな、俺にとっての幸せな明日へ。


 完璧で究極で完全無欠な明日へ。

 

 



「ご、ごめんなさい……。ソイルさん、服が、と、とんでもないことに……」


「ああ。俺も似たようなもんだから、そんなこと気にすんな。ミントの体液まみれの服なんて、こんなのレーベン達の間で競りにかけさせたら、十万ディールくらい行くんじゃないか?」


「あははは。すみません、火かき棒持ってくるの忘れてしまってました。ちょっと待っててくださ――」


「ひぃっ! じじじ冗談だってば! これは俺が大事に保管するよ・・・。洗わないで取っておくから……」


「そ、それもそれで嫌なんですが・・・。でも、お父さんみたいな人は二人もいらないんです。ソイルさんまでそうなっちゃったら、私、毎日筋肉痛になっちゃいますよ」


 ミントは目ぐしぐしとをこするような仕草をして言った。


「ソイルさん。ひとつだけ、あ、いえ、やっぱりふたつだけで良いんです。お願いを聞いてもらえますか?」


「みっつ聞くよ。ミントにはいつもいつも世話になってるからな」


「ふふっ。でもふたつだけで良いんです。えっと、これからどうなるのか私にはわかりませんけど、次にソイルさんが会う私は、今朝の私なんですよね?」


「ああ。そういうことになるな」


「その私には、ソイルさんが今日話してくれたことは、その私が聞いたとしても、話さないで下さい。これがひとつめです」


 ミントは言った。


「ふたつめは、これは、出来たらで構わないんですけど。フィオンさんにも、あ、フィオンさんをソイルさんが助けたあとにもって意味ですけど、話さないで欲しいです」


 ミントのお願いとやらは、どちらも問題なく叶えることが出来そうだった。これから出会うミントにこれ以上余計な心労はかけたくなかったし、フィオにしても、おまえを助けるために俺はこれだけ大変な思いをしたぞ、などと言うつもりは毛頭なかった。そんなのはさすがにダサすぎる。


「わかった。どちらも必ず守るよ。でも、どうしてそんなことって、聞いてもいいか?」


「今夜のあなたを、私だけのものにしたいからです」


 ミントはそう言って、ソイルを見つめた。


「これからソイルさんが描いていく未来の中で、ソイルさんのかっこいいところ、優しいところ、強いところ。おちゃめなところや、可愛いところ。それはフィオンさんにも、違う私にも、たくさん見せてあげて下さい。けど……」


 ミントはそこまで言うと、ソイルの肩にそっと身を寄せてきた。


「今日のソイルさんの、弱いところだけは、私のものです。ここにいる私だけのものです。フィオンさんにも、違う自分にだって渡したくありません」


 ミントはそこまで言って、夜空を見上げた。


「フィオンさんが、夜空にまたたく星のような女の子だとしたら。私は、ただの地味な街娘です。ソイルさんは冒険者さんなので、きっとあなたは、これからも星を追いかけていくんだと思います。手が届くまで、決して諦めることなく。私は、ソイルさんにそうあって欲しいと思っています」


 ソイルもミントに釣られるように、空を見上げた。満天の星の光。そのひとつひとつの光に、もしかしたらそれぞれの物語があるのかもしれない。泣き笑いや、喜びや悲しみがあるのかもしれない。冒険者ならだれでも、そんな風に考える。


「でも。街娘には街娘なりの意地があるんです。ソイルさんに付いていきたい。この気持ちのまま、あなたと一緒に私は行きたいんです。でも、それは無理なことだって、ちゃんとわかってます。だから――」


 ミントはソイルの胸に顔を寄せた。


「ソイルさんが、連れていって下さい。私のこころを全部。今ここにいる、あなたことが大好きでしょうがない私のこころを、全部。そうしてもらえたら私はいつでもここに居て、あなたのこころを照らしますから。お星さまみたいにはなれませんけど、あの、ゼルドアの優しい街の灯みたいに」


 ミントは言った。


「だから――繰り返す刻の中だって、ソイルさんはもう一人じゃありません。私がいます。私がいつも、ここにいますから」



 その瞬間。ループが始まった。ほんのわずかもずれることなく。

 ソイルの心を、刻の彼方へと運び去っていく。


 ミントにそれが知覚出来たのかどうか、それを知る由はソイルにはなかった。

 

 不思議とさみしさはなかった。


 ミントが渡してくれたものが、あまりにあたたかすぎたのだ。

 

 ソイルは自分のこころと、もうひとつのこころをしっかり持って。

 白く染まっていく世界の中に身をゆだねた。


 ただ、消えゆく最後に間違いなく、はっきりと、その声は聞こえたのだ。


「さよなら、ソイルさん。大好きです。それではまた元気に! また明日、いえ」



「また今日、です!」



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