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第二章5  『修行と追憶II』

 

「よう、ミント。今日の依頼はどんな感じだ?」


「あっ、ソイルさん、おはようございます! 今日は結構たくさん依頼が来てるんですよ。ソイルさんが受けられそうなものも、こっちにまとめてあるんです。えっと、これとこれとこれと……」


 ミントは手際よく帳面をめくりながら、依頼書の束から何枚かを選別していく。それぞれの依頼内容、達成条件、注意事項や報酬などの情報を、わかりやすく伝えてくれる。ミントとソイルが出会ってからすでに二年が経っていた。


「それだと、これとこれと、これなら一日で三件出来そうだな。ありがとう! いってくるぜ!」


「はいっ。あっ、ソイルさん。そういえばおとうさ、マスターが言ってたんですけど、二月(ふたつき)後に昇格試験があるらしいんです! ソイルさんはどうされますか? Cランクに上がれば、受注出来る依頼もぐっと増えると思うんですが」


「あー……そうだな、ちょっと考えておくよ。今はこの依頼を済ませないといけないからな」


「あ、はいっ、そうですね。ごめんなさい、引き留めちゃったりして。申し込むときは私に声をかけて下されば、手続きなんかもしておきますので、いつでも言って下さいね」


 ソイルはそんなミントに対して、曖昧に笑って誤魔化し、その場をあとにした。ミントの顔を正面から見ることが出来なかった。


 冒険者としての生活は、ときには充実することもあったが、この世界で何よりもモノを言うのは腕っぷしや、それら以外の実力だったのだ。ソイルはそのどれも、持ち合わせていなかった。


 修行をしようと思い立ったことも何度もあったが、いつも長続きはしなかった。Dランクの依頼は稼ぎが低く、一日で何件もこなさないことには生活も思うように立ち行かなかった。夜はいつもへとへとになり、明日やろうが明後日やろうになり、その明後日がくるとまた言い訳をして、明日に引き伸ばす。


 そんな繰り返しでは、強くなるなど到底望むべくもなかった。元々根性のないソイルは、そんな日々にいつしか浸り、すっかり慣れ切ってしまっていたのだ。



 ミントの家を初めて訪れたときのこと。オニール宛の荷物をギルドから預かり、家まで届けて欲しいと言われたのだ。普通ならばミントが居るので、ギルド宛てに届いたオニールの荷物は、彼女に頼むということが通例ではあるのだが、たまたまその日ミントは非番だった。


 言われた住所を頼りに、ソイルはミントの家までやってきた。もう日は沈んでいて、街には灯火と、空には星空が広がっていた。夕飯を作っていたミントは、突然のソイルの訪問に最初こそ取り乱したように驚いていたが、荷物を届けてくれたことへの礼を言い、せっかくだからと、ソイルを夕飯に招待した。


「お父さんは、たぶん六番街に行ってると思います。だからたぶん、明け方までは帰ってこないんですよね……すみません、せっかくソイルさんが届けてくれたのに」


 六番街というのは、ゼルドアでも一番大きな歓楽街のことだった。ソイルはあまり足を運んだことがない場所だ。そういった所は苦手だった、そもそもいく金もないのだが。


 夕飯をご馳走になっただけでも、久しぶりにソイルは満たされた気持ちになった。ミントに礼を言い帰ろうとすると、ミントがなにか意を決したようにソイルへ言った。


「あ、あのっ。良かったら、最後にお茶だけでも飲んでいきませんか? や、屋根の上で」


 お茶というものにはそれほど興味はもてなかったが、それよりもなによりも、屋根の上という強力な言葉がソイルの足を止めさせた。結局ソイルはミントに導かれるように、カップを片手にオニール宅の屋根の上へ行くことになった。


 そこから見た景色は、圧倒されるものだった。碧い星空の下で、ゼルドアの街を一望することが出来た。普段は何気なく暮らしているゼルドアの街を、このように見たのは初めてだった。そしてそれを、ソイルは美しいと思ったのだ。


「ここは、昔からずっと私のお気に入りの場所なんです。辛いこととか、嫌なことがあったときによく一人でぼうっとここに座ってるんです。お父さん以外の誰かを連れてきたのは、初めてです」


 ミントはとっておきの秘密でも打ち明けるかのように、少しはにかみながらソイルに言った。なるほど。確かにこの壮大な景色を見ていたら、胸につかえてるものも、吐き出せない何かも、すうっと。星明かりと街の灯の中に自然と溶けだしていきそうな気がした。


「ありがとな、そんな大事な場所に俺なんかを連れてきてくれて。すごい景色だ。こんなの初めて見たよ」


「ふふっ。そう言って頂けると案内した甲斐があります。こちらこそ、来てくれてありがとうございます、ソイルさん」


 それきり、ソイルとミントは少し黙ったままでいた。最近、ミントと以前のように話せなくなってしまっていることに、ソイルは気付いていた。なぜそうなってしまったのか、それはとても複雑な感情だった。


「聞いたぜ。最近はゼルドアギルドの看板娘って言われてるみたいだな。うちのギルドのやつらだけじゃない、こないだ他のギルドの冒険者がミントの話をしてたのも聞いたよ」


「……その呼ばれ方、本当に好きじゃないんです。私は特別でもなんでもありません。ゼルドアギルドにいるただの、一人の受付嬢です。それだけです、それだけでいいのに」


「まあ、目立ちたくないって気持ちはわかるけどさ。ミントの性格ならそうだよなって思う。けどそれだけ可愛いかったらどうしてもな、税金みたいなもんじゃないか」


 ソイルはあまり深く考えずに言ったが、ミントは俯いてしまった。


「私は、自分のことを可愛いだなんて思ったことなんかないです。ギルドには素敵な受付嬢さんがたくさんいるのに。たぶんきっと、そんな風に言われているはお父さんの、マスターの娘だからですよ。それくらいはわかります」


 確かにそれはあるのかもしれない。どうしたって、マスターであるオニールの娘だという事実は、ミントが考えている以上に影響力としては大きなものだ。本人が望むと望まざるに拘わらず、それはずっとミントに付いて回るものだ。良い意味でも、そして悪い意味でも。


「たまにふと思うんです。受付嬢なんかやめて、もっと違う生き方をしてみるのも良いんじゃないかって。お花屋さんとか、酒場で働いてみるとか。それだけが全てじゃないわけですし」


「ミントは、受付嬢の仕事が好きじゃないのか?」


「それは、好きですよ。私なりにですけど、そのことに誇りだって持ってます。けど、こんな言い方は自分でも嫌な子だと思うんですけど、最近は依頼がどうのよりも、私個人と話がしたいから来てる、みたいな方も居て。ありがたいことだとは思うんですけど、そういうのが続くと気分が滅入るんです。そこに看板娘なんて呼ばれ方したら、私はどうすれば良いんだろうって」


 ミントは自分を過小評価しすぎだと思う。ソイルは迷ったが、それを伝えることにした。


「ミントはさ、毎日一生懸命でどんなやつにも明るくて、優しさを失わないだろ。それは、相手の身になってものを考えることができるから、人の痛みがわかるからこそ、そういうふうに振る舞えるんだって俺は思うよ」


 ミントは顔上げて、ソイルを見た。


「ミントのことだから、そんなのは当たり前だって思ってるかもしれないけど、ミントがしてることは当たり前のことなんかじゃないんだ。だから、君はゼルドアギルドの看板娘なんて呼ばれる。それはマスターの娘だから、とか、容姿だけのせいじゃないんだ。みんなミントが好きなんだよ。単純にさ。だからミントの近くに行きたいって思うんだ。それだけの話だと、俺は思うぜ」


 そして、そんなに日々眩くなっていく彼女だからこそ、何も変わっていない自分が情けなく、惨めになり、ソイルはミントのことを避けるようになってしまっていたのだ。


「それでもそういうのが嫌だったら、むかつく奴とか、しつこい奴はぶん殴れば良いんだ。そのときに俺がその場に居たら、よろこんで加勢するよ」


「……最近は、ソイルさんとあまりゆっくりお話が出来てなくて。少し、変わっちゃったのかなって、そう思ってたこともあるんですけど、ふふっ、気のせいでした。ソイルさんはやっぱりソイルさんです。初めて会ったときから、あなたは何も変わってない」


「はは……そう言われると、ちょっとあれだけどな。相変わらずランクはDだし。その日暮らしみたいなの続けてるわけだからさ」


「あっ、ち、違いますっ。そういう意味で言ったんじゃないんですっ」


 ミントはがばりとソイルの方に近づいて、それからハッと気づいたように、身体を遠ざけた。


「た、たしかにランクはそうかもしれないですけど、そんなことはどうでもいいっていうか……私は、ソイルさんが変わってないことが嬉しかったんです。それがわかって、すごく、嬉しかった」


 ミントは言った。


「ソイルさん覚えてますか? 私とソイルさんが初めてギルドでお会いした時のこと」


「ああ、覚えてるよ。なんせ俺はあの日散々だったからな……依頼は達成出来なくて。犬ころ一匹のために、下水なんかまで探しまわったせいで身体中、泥とクソまみれでさ」


「ふふっ。でもソイルさんは、次の日わんちゃんを見つけてきたじゃないですか。なのに、報酬はいらないとかなんとか言って。なんであんなことを言ったんだろうって、私いまだにわからないんですよ?」


「あー……。そんなことも言った気がするな、そういや。なんでなのかは、自分でも忘れちまったよ」


 ソイルは笑ったが、それは嘘だった。ミントの前で格好をつけたかっただけなのだ。そんな若気の至りを思い出す。


「ソイルさんは散々な一日だっておっしゃいましたけど、あの日は私もそうだったんです。普通に出来たのはソイルさんの前だけで、あとはもう……。今思い出しても泣きそうになるくらいだったんです」


 それは知らなかった。ミントは朝と何も変わらず、ソイルを出迎えてくれた気がしたのだが。


「たぶんあの日、ソイルさんと出会えてなかったら、次の日はギルドに行けなかったかもしれません。でも、ソイルさんも来るんだから、私も頑張らなきゃって、そう思って出勤したんです。今だから言えることですけどね」


 急に目の奥が熱くなった気がした。こんな自分でも、どんな形でも、ミントの役に立てていたことが嬉しかった。そしてそれ以上に、最初に依頼を渡してくれたのがミントだったから、報告を聞いてくれたのがミントだったから、その思い出があったから、ソイルは今日まで折れずに冒険者を続けることが出来ていると、自分もそう思っていたから。


「そういやっ。ミントはどうなんだ? えっと、なんていうか好きな男の一人でも出来たか? デートしたい相手っていうかさ」


 泣きそうになっていることなど、絶対に悟られたくなかった。ソイルは強引に話題を変えた。


「で、デートですか? うーん……どうなんでしょうね。あまり考えたこともなかったというか……それに、お父さんが絶対に許してくれないと思います……それだけならまだしも、相手の人をその、ぼこぼこにするって常日頃から言っていますから……」


「あー……。そういうことか。たしかにそれはあるだろうな、うん……」


「そうなんです。だから、面と向かってお父さんに言える人なんか居ないと思いますし、そういうこともあって、あまり考えたことなかったんですよね」


「じゃあさ、デートしたい相手が出来たら俺に言えよな。ぶん殴られるとは思うけど、それくらいはしてやるよ。同期のよしみってやつでな」


「そんなの嫌です。絶対に言わないと思います。ふふっ、でもお気持ちはすごく嬉しいですよ」


 ミントはそう言って夜空を見上げた。白い吐息が、夜空に何かを描いた。


「ソイルさんは、どうですか? 冒険者として、毎日楽しいですか? やりがいは感じていますか?」


「そう、だな。冒険者をやれてること、それ自体は嬉しいよ。田舎からセルドアで出てきたのだって、冒険者になりたかったからだしさ。夢は叶ってるんだ。だから……」


 だから。楽しいのだ。楽しいはずなのだ。やりがいだって、感じているはずなのだ。

 けれど、どうしても。ソイルはその先の言葉を紡ぐことが出来なかった。


「焦ることは、ないんだと思います」


 ミントは言った。胸の内を見透かされたようで、ソイルは思わずミントを見た。


「私、いつかソイルさんはすごい冒険者さんになると思うんです。それこそ、大きく世界に関わっていくような。そんな依頼を誰かからを受けて、そんなソイルさんを私は受付嬢として送り出すんです。いってらっしゃい、それを達成したら、必ず私に報告をしに帰ってきてくださいねって」


「はははっ。そらまた規模(スケール)が大きい話だな。でも、どうだろうな。ミントの期待には沿えるかわからないよ。俺はこんなんだし」


「なんの根拠もなく、そう言ってるんじゃないんです。ソイルさんはどこか、お父さんに似てるんです。強さとかそういうのじゃなくて……上手くいえないんですけど、でも、オニール・クレイグの娘である私がそう言うんですから、他の人に言われるよりはちゃんと信ぴょう性はあることなんですよ」


 確かに、ソイルはオニールに憧れている。尊敬する人物に誰かを挙げろと言われれば、真っ先に彼の名をあげるだろう。でも、それだけだ。他はなにひとつ、オニールになど似ていないと思う。


「別にソイルさんにそれを信じろって言ってるわけじゃないんです。本当にお父さんみたいになって、六番街に入り浸られても、それはそれで困っちゃいますし」


「確かにそういう部分は俺はからきしだな。俺も心配してないし、なんの心配もいらねえ」 


「あははっ。いつかソイルさんが、本当に挫けそうになったとき、そこに居るのが私であれば良いなと思います。なんといっても、私たちは同期なんですから。ソイルさんを立ち直らせて、また送り出すのが受付嬢である私の役割ですからね。時にはビシバシいきますよ?」


 そう言って、ミントは笑った。


「新米同士、これからも一緒に頑張りましょう。今日はお話を聞いてくれてありがとうございます。いつかまた、ソイルさんとこの場所にこれたら、そのときは――」


 そのあとにミントが何を言ったのか。それはもう覚えてはいなかった。あれから二年が経ったが、ミントと語り合ったことは、どれも実現など出来ていないような気がする。



 ――なぜ、俺は今こんなことを思い出しているのだろう。



 ぼうっとする頭でソイルは考える。薄い壁をいちまい隔てたような場所から、誰かの話し声がする。


「お父さん! いくらなんでもやりすぎです! もし、ソイルさんが死んじゃったら――」


「落ち着けミント。こいつは死んでなんかない。俺だってそのくらいの加減は出来る、まあ、ちょっとだけ本気にはなっちまったが……」


「ソイルさんもソイルさんです……。何回気絶させられても、起き上がった瞬間にお父さんに向かっていくんですから……。見ていてちょっと怖いくらいでした……」


「そう言ってやるなよミント。男にはやらなきゃいけないときがあるんだ。俺だってお前の母さんを口説く時は、爺ちゃんにボコボコにされまくったからな。何があったのか知らないが、こいつにとっちゃ今がそうなんだろう」


「……こんなことしなくても、ソイルさんがデートしようって言ってくれたら、私、いくらでもするのに」


「え゛!? そ、そそそうなの!? だ、だめだだめだ!! お父さんそんなこと許さないぞ!!」


「お父さんには関係のないことです。先ほどソイルさんが言ってくれたこと、私、泣きそうになっちゃいました。お父さんがアイシャさんと仲良くしているように、私が誰とデートしたいかは私が決めます」


「うっうっ……。くそお!! そうだ、もういっかいソイルが向かってきたら、ひと月くらい歩けない程度にボコボコに」


「もう! お父さん!」


 ソイルは薄目をあけた。その瞬間、全身にくまなく激痛が走る。痛みで意識が覚醒し、直前の記憶を引き連れてくる。


 俺は、そうか。また気絶して……。


 ソイルはゆっくりと上体を起こす、頭が痛い。思わずその部分に手をあて呻き声をあげる。


「ソイルさん!? 大丈夫ですか!?」


「あ、ああ……。ごめんな、ミント。何回もほんとに」


「そんなの良いんです。でも、今日はこのくらいにしておきましょう? 無理して動けなくなったりしたら、それこそ本末転倒なんですから」


 優しい声音でミントは言う。ありがたいと思う。でも、無理などいくつも越えていかなければ、そこには到底届かない。


「ソイル。ミントの言う通りだ。俺に一撃も入れられず、ぼこぼこにされたあとで言われるのもなんだろうが、俺は今日お前を見直したぞ。こんなに根性のあるやつだとは思ってなかった。あのときの俺の見立ては間違ってなかったな。お前は強い、そして強くなるよ、ソイル」


 オニールはそう言って、優しくソイルの頭に手をのせた。


 ほんとうに、人の涙腺を壊そうとするのが好きな親子だな。まったく……。

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