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第一章幕間 『猫に願いを』

フィオン・レアルタの視点となります。


 少女は、ゼルドアの大通りの往来で、これからいったいどうしたものかと頭を悩ませていた。


 懐から書簡を取り出し、書いてある内容に目を落とす。何度読んでも、気分が重くなる代物だ。書簡の差出人である叔父は、正確には彼女の叔父ではなかったが、少女自身は、その人物のことを本当の叔父のようにこれまで慕ってきた。


 少女が、母と二人で生まれた場所を追われ、途方に暮れていたときも。二人をエルレという辺境の下級貴族の家へ入れてくれたのは叔父だった。少女は深く、それに感謝していた。エルレへ着いてほとんど間もなく、母が心労からくる病に倒れ、他界してしまっていたとしても。


 だからこそ、そんな叔父に数年ぶりに会うというのに、その叔父の申し入れを拒絶しなければならないと、心に決めているという事実が、彼女の心に暗い影を落としていた。


 少女は手紙の中から、その単語を拾い上げ、口に出した。


「デリス通り、ね……」


 書簡を再び丁寧に折りたたみ、懐にしまいこんでから顔を上げた。


 道行く人の何人かが、特に男性が、ではあるが、少女に対していくぶん興味を示したような、奇異の視線を向けながらすれ違っていく。それは少女の着ている衣服。ギルド前の大通りという場所を闊歩するには、いささか高級過ぎる代物であるという理由もあったが、それ以上に彼らの視線を奪っていたのは彼女の容姿だった。


 亜麻色の美しい髪は、とても細くてやわらかく、深い豊かな色合いをしていた。透けるような白い肌は、鋼をもってしても傷つけることは叶わないのではというほど、瑞々しく、つるりとしていた。鏡面のような淡い銀灰色の瞳が、きょろきょろと右へ左へ活発に動く。まるで、目に入る全てのものを写し取ろうとしているかのように。


 しかし、少女はそんな男性達の視線には露ほども気づかず、恵まれた自らの容姿にも、まったくと言っていいほど興味がなかった。


 少女が考えていたことは、ただひとつ。どうやったらデリス通りへ行くことが出来るのか。それだけだった。


「すごい……露店があんなにたくさん……」


 いや、それは嘘だ。少女は思わず口に出してしまっていた。幼少からこれまで、そのほとんどをエルレという田舎で過ごしてきた彼女にとって、マナディールの三大都市のひとつでもあるゼルドアは、見るもの全てが目新しく、そして楽しげに見えた。


 これから控えている叔父との面談を前にして、少しばかり現実から目を背けたかった、そんな無意識の力も働いていたのかもしれない。やるべきことはやるつもりだ。そこに迷いも曇りもない。


 しかし、その道を選んでしまったなら、選ぼうと決意したならば、なにひとつして楽しむことさえ、もう自分には許されないのだろうか。


 少女は露店の様子を、少し離れたところから、ちらちらと伺っていた。それは装身具(アクセサリー)を取り扱っている露店だった。勇気を振り絞ろうとはするものの、話しかけられたらなんと答えたらいいのかわからないし、この街の常識的なこともわからない。


 少女がそのように悩んでいるところに、ちょうど同じ年頃の若い男女が露店の前で立ち止まり、品物を二人で物色しはじめた。少女はほんの少しだけ近づいて、その会話に聞き耳を立てた。


「買ってくれるの? 本当に?」


「もちろん。昨日ちょうどお給料が入ったところだからさ」


「でも……そんなに安いものでもないし、私は良いのよ。こうしてあなたと一緒にいられるだけで、いつもすごく幸せだもの」


「僕だってそうだよ。でも、男ってのはそういう生き物なんだ。自分が稼いだお金で、君が喜んでくれるのを見たら、なによりも幸せで誇らしい気持ちになる。誰だって同じなんだ。君のためのものではあるけど、僕の幸せにとっても大事なことなんだ。だから・・・受け取ってくれると嬉しい」


 少年が指輪をひとつ買い求め、少女の指にそれを優しくはめる。少女にとっては、本物の宝石が散りばめられた頭飾り(ティアラ)よりも、それはきっと、美しく見えたことだろう。


「ありがとう……。本当に、本当に嬉しい……」


「ふふっ。じゃあこのあとはどうしようか? 中央広場にでも行ってみる?」


「すごく良い。じゃあ、そこの露店で飲み物は私が買うわね」


「ありがとう。天気も良くて、なにも言うことないね。楽しいデートになりそうだ」


 そう言って二人は立ち上がり、仲睦まじそうに手を取り合い、人波の中へと消えていく。

 

 ……デート、か。


 少女は、自分がいつの間にか手をぎゅっと握りしめていることに気付いた。


 私がするべきことは、あの二人に憧れることじゃない。私がすべきなのは、あの二人がこれからも仲良く、幸せにデートが出来る場所を、幸せに暮らしていける場所を守ることなのだ。たとえ私の全てと引き換えにしても。そのために、私はここまで来たのだから。


 でも。


 少女は唇を噛み締める。せめてさっきの男女が、もう少し、もう少し年齢が上の人たちだったならば。こんな苦しい想いを抱かずに済んだのだろうか。少女の中にいる、もう一人の弱い少女が言う。


 こんなはずじゃなかった。


 好きでこんな場所にいるんじゃない。


 もっと違う生き方を望めたのなら良かった。


 そう出来たのなら。


 こんな私にだって。


 もしかしたら。


 あんなことが起こったのかもしれないのに。


 そこまで考えて、少女は自分の両頬にぴしゃりと手をあてる。ジンとした痛みが、彼女のこころをなすべきことへと立ち返らせた。


「……デリス通りに行かなきゃ」


 少女は呟き、その場を足早に後にした。





 その場所へ向かうといっても、いったいどうやったらデリス通りへ行けるのか、少女が考えなければいけないのは、そこからだった。手始めに思いつくのは、誰かに道を尋ねることだ。それでさえ、わずかばかり勇気を振りしぼる必要があることだったが、さきほどの露店とは訳が違う。


 必ずそうしなければいけない。しかし、少女は細い顎に手をあてる。


「問題は、私が方向音痴だってことなのよね……」


 見知らぬ土地の、ましてや今日初めて足を踏み入れた都会で道を尋ねたところで、あそこを右に曲がってとか、この通りの突き当りを左とか、これこれの目印があるから、などと言われても、頭の中で思い描くのはほとんど不可能に近い。


「うーん……。やっぱり、誰かに道案内をお願いするのが、良さそうではあるんだけど」


 そう。とは言ってもなのだ。たしかに人はたくさんいる。居すぎると言っても良いくらいだ。しかし、行き交うだれもかれもが、余裕がなさそうに早足で歩いている。わずかでも時間を奪ってしまうのは、申し訳ないと思ってしまうくらいに。


 早くも途方に暮れかけていた少女だったが、前方にひときわ大きな建物を見つけた。


「――あれはゼルドアの、冒険者ギルドよね、たしか」


 少女も、冒険者という職業の人間達のことは知っていた。冒険者と聞いて、最初に思い浮かぶ言葉は、やはりダンジョンや魔物だ。彼らは依頼を受けて人々を守ったりもするが、本職にしているのはおそらく宝探し(トレジャーハント)だ。何が待ち受けているかもわからない、未知のダンジョンに果敢に挑み、自らの知恵と力を駆使してそれを攻略する。


 依頼を受けて仕事する傭兵と一線を画すのは、彼らが最終的に欲しているのものが金ではないということだ。金はあくまでおまけに過ぎない。爛々と輝く瞳には、夢と希望が満ちている。


 もちろん、実情はかならずしもそうではないのかもしれないが、少女が冒険者というものに対して抱いている印象は、憧れや尊敬の方が強かった。


 少女自身、好奇心が旺盛で活発な性格であったから、尚のこと彼らの武勇伝や冒険譚は、人伝てに聞いたり、活躍が描かれている書物などでもたくさん読んできていた。


 もし許されるのならば、そんな生き方をしてみたいと思ったこともある。


 許されるならば。


「道案内まで頼むなら、やっぱり依頼っていう形で出した方が良いのかな」


 そうすることが出来れば、何も気兼ねはいらない。道中にこの街のこともいろいろ訊けるかもしれないし、寄り道をしすぎなければ、露店などを見ることも出来るだろう。それはとても、心をくすぐられる考えだった。


「――よし」


 少女は前方の建物へ向かって歩き出す。赤色で染色された大きな看板が見えてくる。ゼルドア冒険者ギルドと、そう書かれている。一歩一歩扉に近づいていく。胸の動悸はどんどん速くなった。


 ふと。


 少女はそれを見つけた。青年が建物の壁にもたれかかるように座り込んでいる。俯いているので顔は見えない。栗色の柔らかそうな髪は、ふんわりとすこしだけ巻き毛になっている。


 体は大きくもなく、小さくもない。着ている服はそれほど印象には残らない程度の、ごくありふれたものだが、腰には剣を差しているのが見える。おそらく冒険者だろう。


 具合が悪いのだろうか。少女がぎりぎりまで近寄っても、青年はまったく動こうとも、顔を上げようとする気配もない。すこし悩んだが、少女は青年のまえにしゃがみこみ、声をかけた。少女は、そういう人間だったのだ。


「大丈夫?」


 少女の声に、青年がハッとしたように顔を上げた。誰かに声をかけられたのが信じられないとでもいうように、大きな緑色の目を丸くして、青年はじっと少女を見つめている。


 整った顔立ちだが、美しいという言葉とは違う。わずかにあどけなさが残る、いかにも遊ぶことが生きがいといった、少年の面影を残したような風貌は、どこかイタズラ好きの猫を連想させた。


 青年はなにも答えない。相変わらず石にでもなったみたいに、少女を見ているだけだ。


「ねえ、大丈夫?」


 もう一度声をかけたとき、少女はそれに気付き、思わず目を瞬かせた。青年の口の端から血が出ていたのだ。よくみたら、どこか顔には殴られたような跡さえある。


「口の端、血が出てる。ちょっと待ってね」


 少女はハンカチを取り出すと、青年の口元を優しく拭った。そこ間にも青年はまったく動かず、声さえあげなかった。


「あ、反対側も切れてるじゃない」


 もう一度、ハンカチを口元にあてようとしたとき、少年が素早く手を振り上げ、少女の手はそれによってばしりと払いのけられた。べつだん、大した痛みではない。しかし、少しだけ頭に血がのぼった。


「む。取って食いやしないわ。大丈夫だから、すこしじっとしてて」


 少女は再び手を伸ばし、青年の口元を拭っていく。そうしながら、さきほど少し考えたことだが、今の青年の様子がまるで手負いの猫そのものみたいに思えてしまった。猫だとしたら、さっきのは咄嗟に私を引っ搔いたことになるのか。その思い付きに、少女は思わず、小さく噴き出してしまった。


「これで良しと。ふふっ。あなた、喧嘩でもしてきたあとみたい」

 

 少女がそう言ったあと、青年は何かに悩んでいるような影のある表情を見せたあと、


「余計な真似してんじゃねえよ」


 と、小さく唸るように言った。


「頼んでもないことを勝手に……!  良い気分だろ、恵まれないやつに、上から手を差し伸べる気分は!」


 少女は青年のいきなりの剣幕に驚いたが、かといってその場から逃げ出すこともなかった。ここまでの道中にも似たようなことをしたことはあったし、その全てを好意的に受け入れてもらえたわけではなかったからだ。


「お、俺だって、好きでこんなことしてるわけじゃない! こんなはずじゃなかった! もっと、もっと、違う生き方を……お、俺はっ」


 少女は青年の言葉に思わずハッとなった。瞳は勝手に大きく開き、青年のいった言葉を頭の中で何度も反芻させる。自分もさっき、まったく同じことを、考えていたから。


 確かに、そんなことを考えるのは珍しくもない。人間であれば、誰しも考えることだろう。


 だが。このタイミングで、その言葉を叩きつけられるとは思わなかった。

 

「ちが、違うんだ。俺はただ、君に」


 青年は慌てたように言っている。表情は不安を感じているようにも見える。緑の瞳は、頼りなく揺れていた。別に傷つけられたとは思っていない。さきほどの言葉は、自分に対して向けられたものではないと、少女は痛いほどわかっていたから。


 そうか。あなたも私と同じなのね。


 少女は瞳を動かし、もう一度青年を見ると、優しく微笑んだ。


「じゃあ、私とあなたは同じね」


 少女の言葉に、青年は本当に驚いたような顔で固まっている。まったく予期しないことを言われたとでもいうみたいに。さきほどの自分と同じように。

 

「そのままじっとして」


 少女は青年の胸あたりに手を触れ、そっと目を閉じた。大丈夫だから、と。そんな風に思って苦しんでいるのは、あなたひとりじゃないんだよと、そう伝えたかった。


「――プテラ・ノヴァエアングリア」


「魔法……」


 青年が呆けたように呟く。


「癒しの魔法。あんまり得意じゃないから、効果はほどほどで期待して」


 それは謙遜ではなく、本当に得意ではなかったのだ。少女は魔術を多少使えるが、どちらかというと攻撃系の魔法の方が得意だった。そういう部分も、自分はつくづく可愛い女の子ではないなと思う。

 

 少女は青年から手を離すと、スッと立ち上がった。そして言った。


「好きでこんな場所にいるんじゃない。こんなはずじゃなかった。もっと違う生き方が出来たら良かった」


 私もね。私も本当にそう思うの。だけど。そう思ってるだけじゃ、前には絶対進めないから。


「それでも。立たなきゃいけないときはある。私とあなたが同じなら」


 少女は微笑んで、青年に向かって手を差し出した。


「大丈夫。あなたもきっと立てるから」


 この人は私だ。だから、私たちは一緒に立つんだ。今、ここで。


 だから、どうか手を伸ばして。 


 青年はおそるおそるといった様子で手を伸ばし、少女の手をぎゅっと掴んだ。繋いだ部分から、温もりが伝わってくる。絶対に離さないように、少女はぐっと力を込めて、青年を引っ張った。


「私はフィオン。フィオン・レアルタ。フィオって呼ばれると嬉しいかも。あなたは?」


 少女は青年に名前を尋ねた。立ち上がって思うことだが、彼の身長は自分よりも頭ひとつ分ほど高い。そして、その姿は少しドキリとするほどには、精悍だった。


「ソイル……」


 青年は言った。


「ソイル・ラガマフィンだ」



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