第一章22 『白星のリフレイン』
すっと辺りから音が凪いでいく。
空も大地も静まり返り、 空気さえ冴えわたっていくような錯覚。
それをもたらしたのは、ソイルの集中か、それともレトの殺気か。
ソイルは前方に剣を構えた。フィオは魔術を使うはずだ。
だから俺が先に、少しでも。少しでも隙を作る。
決断し、前に踏み込む。ソイルは横薙ぎに剣を振った。
「しっ!」
レトが返しに放った剣先が鼻先を掠めた。攻撃をあてようなどと思うな。
ソイルはただひとつのことを考えていた。だから躱せた。
俺の役目は死なないことだ。出来ることは、陽動と撹乱。
レトの周りを飛び回って、あいつの意識を少しでもフィオから離す。
レトが剣を振るった。稲妻のような煌めき。
右足が斬られる。血が噴き出す。だが、まだ動ける。
ソイルの技量そのものが上がったわけでなかった。二回死に、今回も死に臨む覚悟を越えたことによって、ぎりぎりまで攻撃を見極めることが出来たのだ。
「はっ!!」
ソイルは攻撃に転じる。弾かれた柄からしびれが伝わってくる。
出だしとしては上々。余計な欲を出すな、レトは必ずこちらの攻撃を誘ってる。
フィオが居てくれるという安心感。
この場に及んでソイルは、身体は熱く、思考は冷静にという最高の状態で動けていた。
フィオの鋭い声が響いた。
「草藪を駆ける風、音高く斬りむすべ! メリフェラ! マンダリニア!」
彼女の声と共に解き放たれた二対の風が、レトめがけて襲い掛かった。緑色に発光する、大蜂。
「マナによる疑似生体か!! おもしれえもん使うじゃねえか!!」
レトは空中からの二匹の攻撃に、一時的に防戦状態になる。
――今!!
ソイルは地を蹴って大きく踏み込み、レトの腕に向かって剣を撃ち下ろした。
「わははっ! 初動としては悪くねえなあおい!!」
レトがどこか嬉しそうに言う。態勢を崩せたのはほんのわずか。だが充分だ。
フィオが叫んだ。
「ソイル! 始めるわ!」
フィオは戦場にあって、目を閉じ、両手を胸の前で組み、頭をわずかに垂れた。それはどこか祈りの姿にも似ていて、神秘をたたえた泉のような気配をまとったフィオは、まるで聖女だった。
「――暮れゆく空の星よ、風の中に立ちて、雲の峰より来たれ」
レトは、頭上から絶え間なく襲いくる疑似生体からの斬撃を躱しつつ、片腕の剣一本だけで、ソイルの撃ち込みの全てをさばき続けていた。およそ人間業とは思えない。
「なるほど、詠唱付きか! 見てみてえ気もするが、やっぱ、そういうわけにゃいかねえなっ!!」
レトは、急襲してきた蜂の一匹を空中でわし掴みにし、叩き落とし、踏み潰す。それらの一連の動作から間髪いれず、レトは流れるような動きで、ソイルの肩よりわずかに下へ、剣を突き刺した。
「ぎっ、いっづ!!」
ソイルが後退したのを確認したレトは、左手をフィオの方へ向けた。
「――炎槍投擲。死灰に帰せ、イグニス・ペルフィキオ!!」
レトは空中に出現した燃える真紅の槍を掴み、フィオに向かって投げつけた。
な!? 魔術まで使うのか!?
完全に虚を突かれたソイルは、肩を抑えながら叫ぶことしか出来なかった。
「フィオっ!!」
しかし、フィオを穿つべく放たれた炎槍は、彼女の直前で不可視の何かに阻まれ、炎を噴き上げ空中で爆散する。同時に、フィオの身体に幾筋もの斬り傷が出来た。
「――海は怒号し、風は猛り、聳え立つは見知らぬ国土。王は遥かを臨み、今ここに、戦いの光は強く煌めく」
「はっ! 攻撃を無効化し、代わりに物理的な被害に変換する防壁か!! なら、我慢比べといこうぜお姫さん!!」
レトが再び両手をフィオに向け、魔術を行使した。
「――火の翼を以って、刻め。イグニス・インヴィディア!!」
レトが剣を一薙ぎするごとに、炎をまとった斬撃が飛んだ。それは炎槍の時と同様、不可視の防壁に阻まれフィオまでは届かない。届かないが、代わりに痛々しいほどの傷をフィオの身体へと刻み込んでいく。衣服は次々に裂け、裂けた場所からは真っ赤な血が滲んでいく。彼女の脚も、胴も、腕も。
それほどの傷を負いながらも、フィオは顔を歪めるだけで、いっさい微動だにすることはない。
防壁が炎刃を打ち消すたびに、その代償をフィオの身体から否応なく取り立てていく。
こめかみの傷から血がこぼれ、目尻を流れ、涙のようにフィオの白い頬を伝う。
魔術の壁に阻まれ、燃え尽きたマナの残滓が、煌めきながら火の粉のように宙を舞う。
「やるな!! だが次で終わりだ!!」
レトがフィオに向かって動き出す。生き残った疑似生体が、レトの進行を止めるべく、空中でくるりと弧描くと、レトを再び急襲した。
「がぁああああっ!!」
ソイルは駆け出し、再び大きく踏む込む。下段から――。
その瞬間。レトがソイルを見てうすく笑った。青い眼光が凍てついている。
違う。狙ったのはフィオじゃない。狙われたのは――。
がら空きの胴体を、レトの剣が襲う。
ソイルを、腹部から上下に別けるために放たれた一閃。
愚かさは、自身の傷と痛みによってすぐに贖われる。
「ぐっ!! あぐっ!!」
内臓が傷つけられるという筆舌につくしがたい痛み。ソイルはなんとか、倒れずにこらえたが、腹部からは袋を破いたように血がさあっと流れだした。
これは、やべえ……。やべえぞ……。
痛み、痛み、痛み。
焼け付くような、凍り付くような。
悲鳴を上げたくなるのを必死でこらえる。
フィオが俺を助けようとした時点で負けだ。
だから、俺の一挙手一投足のせいでフィオが死ぬ。
だから、痛みなんか無視しろ。
恐怖など感じている暇はない。
くたばるまで意地を張ってみせろ。
それしかお前には無いんだぞ、ソイル!!
ソイルが動けないと判断したレトが、再び魔術を放つ。
さきほどと同じ、フィオの命を穿つ赤い槍。
ソイルは決断する。
懐から魔水晶を取り出し、フィオの正面に身体を滑り込ませ、魔術と相対した。
「ははっ!! 死ぬ気か、なら――……!?」
防御の魔水晶。奥の手として取っておいたものを、右手を突き出し、前方にかざす。
攻撃を感知するやいなや、水晶は青く発光し、花びらのような、半透明の障壁を展開した。
ソイルは炎の槍を正面から受け止めた。
それは本来、物理攻撃にこそ有効なもの。
魔術にも効果はあるが、炎の全てを相殺することは出来ない。
魔水晶を挟んで炎槍を受け続ける。
刹那刹那に衝撃でへし折れそうになる右腕へ、左腕を添えて踏みとどまる。
魔力同士の衝突による反応か。小さな稲妻が、バリッバリッと、音を立てながらきらめく。
ビシっ、ビシッと水晶に亀裂が入る。限界が近い。
右腕が焼かれる。全身の傷口をすき間なく炎と熱でねぶられる。
「がああああくぁあああああああああッ!!!!」
ソイルが痛みで発狂するよりもほんのわずか先に、炎槍が消失する。
ソイルはその場に崩れた。ひゅ、ひゅっと、短い呼吸を繰り返す。
動きだそうにも指先ひとつ力が入らない。レトが人形のようなソイルを横から蹴り飛ばした。
「あがっ……! ごっ……! ……ぎっ!!」
ソイルは地面に転がる。受け身など取れるわけもなかった。中身がこぼれ落ちないように、腹の傷を手で覆うのがやっとだった。
「……魔水晶か。それでも俺の魔術を止めたのは褒めてやる。終わるまでそこで寝てろ」
フィオの詠唱を阻止するべく、レトが突進した。
残ったもう一匹の疑似生体が、レトの進行を必死で食い止めようとする。
フィオが動く気配はない。信じてくれているのだ、今日出会ったばかりの、俺を。
なら。彼女に応えろ!!
レトが疑似生体を切断する。行く手を阻むものはもうない。
今度こそフィオを斬り伏せるべく、レトが駆けた。
同時に。
ソイルは立ち上がり、駆けた。体は悲鳴を上げ、いまにもこなごなになりそうだ。それでも、ソイルには傷も痛みをも凌駕する強い想いがあった。
動け!! 動け!!
ソイルは歯を食いしばり、自らに叫び続ける。
たとえ今ここで死のうとも、フィオの邪魔はさせない。恰好もクソもない、ソイルに今出来るのは、レトとフィオの間に飛び込み、その身を盾と成すことだけ。
「うぉあああああッ!!」
「――死にぞこないが!!」
間に飛び込んできたソイルごとフィオを斬るべく、レトは剣を振り下ろした。
――死ぬ。
ソイルがそう思った瞬間、右手が無意識に持ち上がった気がした。ブロードソードはレトの渾身を受け、砕け散った。まるでその身と引き換えに、ソイルとフィオを守るかのように。
ブロードソードに阻まれ中心から逸れた斬撃は、ソイルの右腕をそのまま断ち切る。しかし、ソイルもフィオも、死んではいなかった。
「――王の一振りは、躱すことも、受けることも叶わない」
フィオがカッと目を見開いた。膨大なマナが集中した右手を天に掲げる。彼女の掌から噴き出す光の奔流は、その輝きと、激しさを増しながら瞬時に膨張する。
右腕を失い、倒れ行くソイルが見たものは、青く輝く、光の巨剣。
遠い過去から、とどまることなく未来へ向かっていく、力強い生命の流れ。
それは美しかった。まるでフィオの命のように。
「しまっ――」
「――イリア・ソリッシュ!!」
フィオが光剣を振り下ろす。蒼い光の束がレトを直撃した。
轟音。突風。静寂。
勝ったのは。
「ぜっ、はぁ、はぁ……。見事だぜ……お姫さん……」
レトの突き出した剣は、フィオの身体を刺し貫いていた。
「ごぼっ、ぐっ、ふっ……!」
レトの右腕は消失していた。黒鉄の鎧は溶け、ところどころに亀裂が入っていた。片腕のレトがフィオから剣を引き抜く、フィオの身体は、力なく地面へと崩れ落ちた。
ソイルは。ソイルは、這うようにして進んだ。
倒れたフィオに寄り添うように、そのかたわらへしゃがみこんだ。
レトが何かをしてくる様子はなかった。する必要もなかった。
勝負は着いたのだ。
「ソ、イル……?」
「ここにいる……。ここに、いるよ」
ソイルが視界に写ったことに、フィオは安心したような表情をした。
「ぼろ、ぼろ……じゃない……。ごめん、ね……。巻き、込んで……」
「……構わない。どんな場所でも、君と一緒にいれて俺は嬉しいんだ」
「でー、と、した仲だから……?」
フィオが尋ねた。ソイルは首を振って、微笑んだ。
「ちがう。君を愛しているから」
その瞬間。フィオは。彼女は本当に嬉しいとでもいうよに、にっこりと笑った。
「悔いはないの……。ごめんね、ソイル、先に行くわ……。ありがと、う……」
フィオの目が閉じられた。ソイルの世界から灯火は消え、闇だけが残る。
「……ごめん、ごめん、俺が、俺がもっと……!」
強かったなら。戦えていたなら。君を。君を……!
フィオへの想いは、そのまま後悔に形を変えていく。涙がソイルの頬を流れていた。あふれる涙は鼻先でつぎつぎに小さな粒となり、フィオの冷たい頬へと落ちていく。
「……あんたらの負けだ兄ちゃん。ここまで食い下がられるとは思わなかった。認めるぜ、あんたらは強かった」
背中にピタリと剣先が突きつけられる。ソイルは言った。
「フィオはおまえに勝ったんだ」
振り向き、叫んだ。
「負けたのは俺だけだ!! 俺がお前に負けたんだ!!」
「……利き腕を持っていかれた。そうだな……兄ちゃん。あのお姫さんは、確かに俺に勝った」
レトは言った。その声音には、余裕や軽視の色はまるでなかった。まるで己が認めた強者を称えるかのような、静かで厳かな気配すらあった。
「……次は負けねえ。俺はフィオを絶対に助ける」
繰り返す。何度だってここに戻ってきてやる。そして必ず。ソイルの瞳が、唇から漏れる白い息の向こうで光った。
「諦めねえぞ、何回死のうが、絶対にそこまでたどり着いてやる」
「……腹は破け、片腕を失くし、剣も砕けた。俺が殺さなくても、その傷じゃどのみち助かることもねえ。あんたは今から死ぬんだぜ? ”次”なんかねえんだよ、兄ちゃん」
レトが言った。確かに次はないのかもしれない。次があるという保障はどこにもないし、普通ならあり得ないことだ。だからといってそれが諦める理由になどならない。諦めても良い理由になど、なりはしない。
――俺はこのまま死ぬ。
腹部に異様なまでの熱さと冷たさを同時に感じていた。視線だけを下に向けたとき、破けた腹から内臓がこぼれ落ちそうになっていることに、今さら気付いた。
痛みは感じなかった。そんなものに構っている暇はなかった。ソイルは荒い息を繰り返し、顔を上げた。レトが剣先を眼前に突きつけながら見下ろしている。
「言い残すことはあるか?」
レトは言った。口の中は血の味しかない。血塊を吐きかけてやりたいが、それをするだけの力さえも残っていなかった。もう何も出来ることはない。だが、絶対に目だけは逸らさないと決めていた。
「……次は、俺がお前を倒す」
――俺はクソ虫だ。目ん玉ひとつになろうがあがき続けてやる。
たとえ今は無様な負け犬の遠吠えだろうと。
「……またそれか。なにを言ってるのか本当にわからねえ。今から死ぬ人間に、どうして次があるってんだ?」
わずかに戸惑ったようなレトの問い掛けに答える必要はない。
逃れようのない死を目前に、ソイルの内にはさまざまな感情が濁流のように渦巻いていた。
自分の傍ら。血だまりの中に横たわるフィオに向かって、必死に手を伸ばした。
どんなに不格好でも、これ以上離されないように、彼女の手を強く握った。
白くて冷たい手だ。ついさっきまでは温かい手だった。
後悔も、想いも。いまこの身体を駆け巡る全てのものを引き連れて。
――俺は繰り返す。繰り返し続けてやる。だから。
「また会おうぜ。クソ野郎」
ソイルはにやりと笑うと、レトに向かって言い放った。
「……まあいい。あの世でお姫さんと仲良く暮らしな。あばよ、兄ちゃん」
レトが剣を振り上げ、下ろした。ざぶりと、ソイルの身体を冷たい鋼が正面から縦断する。血が噴き出し、骨と肉の支えを失った臓物が鮮やかにこぼれ出た。
体が倒れ、顔面を固い地面が打ち据えても、握ったその手は決して離さない。
意思とは無関係に、身体は生命を維持する機能を次々に停止させていく。
常軌を逸した痛みの中で。滲んでいく視界の中で。
見苦しいほどに、心は誓い続けることをやめようとしなかった。
何度繰り返そうが、必ず。
遠のく意識の首根っこを掴み、無理やりにでも、もう一度立ち上がらせた。
聞こえていないとか、届かないとか、そんなものは関係がなかった。
ソイルは最後の一滴を振り絞り、口を開いた。
「――約束する。俺が、君を救ってみせる」
それをつかみ取るまで、絶対に諦めない。
俺は彼女のために生きる。たとえ無限に繰り返す刻の中だろうと。
彼女のために、波打ち際で砂の城を作り続けてやる。
崩されたって。潰されたって。
何度でも。何度だって。
それが、俺にとっての生きることなんだって。
やっとわかったよ。フィオ。
次の瞬間に、ソイル・ラガマフィンは命を落とした。
絶命と同時に、世界からは全てが消え失せ、創世前の暗黒が満ちていく。
ただひとつ。どこまでも続く闇の中で、たったひとつの。
白く輝く星を。ソイルの、固い決意の光だけを残して。
ここまでお読み頂き本当にありがとうございます。これにて、第一章は終了となります。次回は幕間をひとつ挟んだあと、第二章に移ります。書き溜めに追いつきそうなのですが、読んで下さる皆さまにいつも力を頂いております。
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