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第一章17 『生きるということ』



「ソイルさん? ちょっと聞いてますか? ソイルさん?」


 パンッという音。前にはいつも通りのミントの姿。


「……ああ」


「……どうしたんです? なんだかすごく考えて込んでるみたいですけど」


 ミントが覗き込むようにソイルを見た。


「……ああ」


「ほ、本当に深刻そうですね……。私で良かったらお聞きしますけど……」


「……俺、なんで生きてんのかな」


「えっ!? ちょ、ちょっと、ソイルさん!? だめです! 変なこと考えないで下さい!」

  

 ミントが身を乗り出すように叫び、そこでソイルはハッと我に返った。


「え? あ、いやいや! 違う違う! 大丈夫だ、ごめんな。変なこと言って」


「そ、そんなことは良いんです! 落ち込む時は、誰にだってありますから。さっきも言いましたけど、どんなお話でも聞きますからね。あまり無理はしないで下さい」


「……ほんとありがと。よし、じゃあ行くわ」


 ソイルはカウンターの前から立ち去ろうとすると、後ろから声がかけられた。


「おい」


 ソイルは振り返る。


「ハゲーベン」


「レーベンだ! 混ざってんだよ、このアホ野郎!」


 ハゲーベンもとい、レーベンが拳をぎりぎりと持ち上げながらソイルを睨んでいた。


「ああ、ごめんごめん。俺になんか用?」


 レーベンは巨体を揺らし腕を組み、ワイバーンの鼻息みたいな息をついた。まるで、「俺は大人俺は大人俺は大人」と自分に言い聞かせているかのように。


「……てめえ。なんか相談するなら、俺にしてこい」


「――――は?」


 ソイルは思わず聞き返す。


「だから!! 相談するなら俺にしてこい!! ミント嬢の手を煩わせるな!!」


 岩がこすれるような声でレーベンが怒鳴った。ソイルは耳を疑った。幾度も繰り返してきたが、レーベンが敵意以外のなにかをソイルに向けたのは初めてだった。


 ソイルはじっとレーベンを見た。レーベンもソイルをじっと見ていた。ソイルがビビっていると思ったのだろう。だが、そうではなかった。ソイルは驚いていたのだ。


「相談、する」


 自分で自分のことさえわからなくなったら、悩み尽くして、考え尽くして、それでもなお抜け出せない場所にいるなら。相談する。誰かに。そんな当たり前のことさえ、見過ごしていた自分に。


「レーベン、ありがとう!!」


 ソイルはレーベンに向かって思い切り頭を下げた。


「あ、ああ? まあ、わかったならいいけどよ……」


「おう! 相談してくる!!」


「あ? 誰に、お、おい!! ったく! なんなんだあいつはほんと!!」


 レーベンの声はソイルには届かなかった。ソイルはギルドの扉を勢いよく開け放ち、大通りに向かって駆け出していた。



 


「ごめん、ちょっといいかな?」


 ソイルはフィオの後ろ姿に声をかけた。


「え? はい。私ですか?」


 フィオは振り返って答えた。瞳が驚いたように少し丸くなる。彼女の視線に捉えられ、彼女の声に導かれ、記憶が次々にあふれ出す。こんなにも。こんなにもたくさんの君が、俺のこころのなかにはいるんだな。そんなことを、そんな当たり前のことを、ソイルはバカみたいに思う。


「俺はソイルだ。突然声をかけちゃって本当にごめん! きっと君も忙しいんだと思う! でも、すこしだけでいい、すこしだけ君の時間を俺にもらえないかな? 頼む!」


 ソイルはフィオに向かってがばりと頭を下げた。


「え、え、え? ちょ、ちょっとっ」


 フィオはおろおろしたように辺りを見回した。


「わ、わかりました。わかりましたからっ。どなたか知りませんが、頭を上げて下さいっ」


 フィオは言ったが、ソイルはそれでも頭を下げ続ける。


「怪しい場所には連れていかない。金が欲しいわけでもない。君の予定を邪魔するつもりもない。だから、だから俺にすこしだけ――」


「ああもう!!」


 フィオはソイルの腕をぐいっと抱えた。


「わかったっていってるでしょ!? は、恥ずかしいから早くこっちに来て!!」


 フィオはソイルの腕をぎゅっと掴み、半ば引きずるように歩き出した。

 

「こ、こんな強引なのに丁寧なナンパされたのなんてはじめてなんだけど……なんなのもう……わけわかんない……」


 フィオはごにょごにょと口にした。


「え? 何か言ったか?」


「うるさい! なんでもない! もうう、ほんとに恥ずかしいよう……」





 ソイルの腕を抱えて街の広場までやってきたところで、ようやくフィオはソイルから手を離した。少し疲れたのか、彼女はわずかに肩で息をしているようで、顔はほんのり薄桃色に上気していた。


「で? 私の時間が欲しいってどういうこと? 聞きそびれてたけど……もしくだらないことだったら、ぐーぱんだからね」


 ソイルをジト目で見ながらフィオが言う。経験則からして、彼女が敬語を取る時は本当にリラックスして生き生きしている時か、むちゃくちゃ激怒している時かのどちらかだ。


 しかし、今の状態は……。これはどっちなんだ……? くそ、わかんねえ……。


「と、とりあえず何か飲むか? ほら、あそこで飲み物買えるみたいだし……」


 ソイルは広場の一角を指さしながら言った。こういうときは時間稼ぎだ、フィオの状態をよく見極めないと。だからこれは断じて逃げじゃない、戦略的撤退だ。


「……オレンジジュース」


「いいね! 俺もそれ好きなんだ! たまんねえよなあ、あの酸っぱさがさ!」


「……甘いやつ」


「だよね! 俺もちょうどそう思ってたんだ! 酸っぱいオレンジジュースなんて地獄に落ちればいい!」 


 フィオはいまだにジト目だが、やがて、はぁ、と短く息をついた。


「……ほんとへんなひと。行きましょ、私もう喉カラカラなんだから」


 フィオとソイルは露店で飲み物を買い求めた。もしも酸っぱいオレンジジュースしかなかったら、店員を脅してでもと腰の短刀に手を伸ばしながら、不退転の覚悟で臨んだソイルだったが、オレンジジュースは売っていなかった。


 二人はそれぞれ代わりに買った飲み物を口にしながら、噴水を囲むように設置してある円形のベンチに、少しだけ離れて、並んで腰かけていた。フィオが口を開く。


「それで、どうして私に声をかけたの?」


「その……実は相談というか、聞きたいことがあったんだ」


「ソイルって、友達いないの?」


 ザクリと普通に心を抉られた。フィオは続ける。


「だって、初対面の相手に普通そんなこと言わない、というか聞かないもの。相手がどんな人かもわからないのに、相談もなにもないと思うんだけど」


 フィオはしごく当然の意見を述べている。既知の間柄ならともかく、こちらは相手のことを知っているのに、向こうは当然のようにソイルのことを何も知らない。


 ある程度の耐性はついているものの、やはり鼻先にそれを突きつけられると、下腹のあたりが重くなるような失望を味わう。


「ま、まあ……その通りなんだけどさ」


 それでも、と。時も思いも越えるかのように、ソイルの口は自然に動いた。


「それでも、俺は君が良かったんだ」 


 隣でフィオがひくっと短く息を呑んだような気配がした。


「ふ、ふーん……。まあいいわ……。じゃあ、あなたは私に何を聞きたかったの?」


 決して明日が訪れない時間の牢獄の中で、なぜ自分は生きているのか。なぜ自分はここにいるのか。何を自分はしなければいけないのか。しかし、どれを聞こうとも、誰に聞こうとも、結局それはソイルにしかわからないことだ。だから、ソイルはこう尋ねるしかなかった。


「生きることって、なんだろう」


 ぶふっ!! と隣から勢いよく液体を口から噴き出したような音がした。みると、フィオが胸に手をあてて、苦しそうに咳をしている。


「だ、大丈夫か?!」


「だ、大丈夫……。ごめんなさい、何を聞かれるんだろうって、想像してたよりもずっと斜め上のことだったから……はぁっ、うん。ほんとにもう大丈夫」


 フィオは呼吸を取り戻したあと、視線を上にあげた。ソイルも釣られるように上を見た。高い空は、どこまでも広がっていて、フィオの瞳にその青を落としていた。


「……立ち上がり、乗り越え、幸せになること」


 フィオは言った。


「私ね、生まれとか家庭がちょっと複雑だったこともあって、いつも思うことがあったの。こんなはずじゃなかったのに、好きでこんな場所にいるんじゃないのに、もっと違う生き方を望めたら良かったのに、って」


 それは初めてフィオと出会ったときに、ソイルが口にして、そして彼女も口にした言葉だった。全てをあきらめ、斜に見て、自暴自棄になっていたソイルを立ち上がらせてくれた時の言葉だった。


「情けないよね。でも、その思いが昔からずっとずっと消えない。現実を見ないふりして、逃げてばかりで。本当に弱い人間だって、自分でもそう思う」


 そんなことはない。これまでの出会いの中で、フィオの強さはソイルが一番良くわかっている。だから、あれだけの強さを秘めながらなお、彼女は言っているのだ。自分は弱いと。


「それでもね。私はわがままだから、幸せにもなりたいの。生きていく先に幸せがあるのなら、座り込んで、止まったままだったら幸せにはなれないじゃない?」


 フィオはどこか自嘲するように笑った。


「だから私は、すぐ立ち止まって座り込む弱い私を、無理やりにでも立ち上がらせて、引きずってでも歩かせて、背負いながらでも越えていかなくちゃいけない。だって、弱い私だって本当の私だから。一緒に連れていかなきゃ、寂しいでしょ」


 フィオは空を見続けていた。ここではない、いつかのどこかの空でも見るように。


「あなたの問いは、人の数だけ答えがあるものだと思う。お金がどうとか、名誉がどうとか、知識がどうとか。他の人の考えることまでは私にはわからない。だから、私はあなたに、私がそうだと信じていることを伝えるしか出来ない。私にとっての生きるってことは」


 フィオはソイルの方を見た。表情はどこか優しく、声は凛として澄み渡っていた。


「弱い私と一緒に、立ち上がり、乗り越え、幸せになること、かな」

 

「……ありがとう。君に聞けて良かった」


 フィオの語った言葉は、まるで偉大な詩か、物語のようにソイルにはずっと響いていた。二人はしばらく黙ったままでいた。 


「いい天気だなっ」


「そうね」

 

「まるでデートしてるみたいだよな、これ」


 口にした途端、ソイルは全身から血の気が引いた。さきほどの余韻を引きずったまま、こころで思ったことをそのまま口に出していたのだ。


「え? これってデートだったの?」


 ソイルの頭の中では緊急非常事態発生といわんばかりに、鐘がガンガンと鳴り響く。ソイルは慌てて言った。

 

「あ、いやその!! ひ、広場というか噴水というかジュース飲んで話したりだとか、そういう雰囲気だけでいえばデートという概念と呼べなくもないかもしれないと思いまして!!」


「ふーん。これってデートなんだ。そっか」


 まくしたてるソイルに対して、フィオはどこか冷静に言ってから、


「私、誰かとデートするのって初めて」


 幸せそうに微笑んだ。銀の瞳が白い星みたいに煌めいた。その瞬間。ソイルには全てわかった気がしたのだ。


 なぜ自分は生きているのか。なぜ自分はここにいるのか。自分は何をしなければいけないのか。


 理屈や論理など全て超越して、思考は全てクリアになる。ついさっきまで心の空白だったところには、一瞬で文字がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。


 相談したいことも、聞きたいこともたくさんたくさんあったはずだ。なのに、今はもう何ひとつなかった。


「なあ、君の名前を教えてもらってもいいか?」


「フィオン。フィオン・レアルタ。白い星って意味なの。フィオって呼ばれると、嬉しいかも」


 そう言って、フィオはにっこり笑った。ソイルは立ち上がって、フィオに深く頭を下げた。


「フィオ。俺に君の時間をくれて、本当にありがとう。もう行くよ。やらなきゃいけないことが、たくさんあるから」


 ソイルは言った。


「こちらこそありがとう、ソイル。私も、とっても楽しいデートだった」


 その言葉を聞いたあと、ソイルは弾けるように駆け出した。



 

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