第一章16 『またね』
「僕は魔法の中でも『氷』に特化した魔術が得意なんだ。だから氷の魔術師なんて呼ばれることもあるけど、あんまりパっとしない通り名だよね。そのままだし、味気もない」
イザルトはその後もソイルに様々な魔法を見せてくれた。ソイルにとって、それは楽しい時間だった。こんなに間近で、しかも詳しい解説付きで魔法を見たのは生まれて初めてのことだった。
「なあ……。魔術って、俺にも使えたりするかな」
少しもじもじしながらダメ元で聞いたソイルだったが、イザルトは優しく微笑んで、
「うん。使えると思うよ」
そう答えるのだった。あまりにあっさり答えるので、逆にソイルの方が戸惑った。
「ほ、本当にか?」
「うん、だって僕が教えるんだから。これならさっきのお礼になりそうだね」
ソイルは急に目の奥が熱くなった。魔法にはずっと憧れていた。でも、自分になど出来るわけがないと諦めていた。誰かに習う金も無かったし、魔術書などそもそも読めもしない。それでも、諦めなくていいのだと、イザルトにそう言われた気がして。
「いきなり大技は無理だけど、今のルーちゃんにも使えて、かつ実用性が高いものなら――マーキングかな。やっぱり」
「マーキング、たしかさっき見せてくれたやつのひとつだな」
「あ。よく覚えてたね。うんうん。優秀な生徒になりそうだ、ルーちゃんは」
イザルトは言った。
「マーキングはその名の通り、対象に印を付与する魔術だ。人でも、馬車でも、魔物でも。『印』が発する微量の魔力を感知出来れば、付与した対象を追跡することが出来る。感知出来る範囲は術者の力量やセンスにもよるから、完全につかいこなすには魔術そのものの鍛錬が必要だけどね。ここまでは大丈夫かな?」
ソイルは頷く。
「つまり、俺が『印』を付けれたところで、感知が出来ないから追跡したりするのは無理ってことだな」
「そういうこと。いいねルーちゃん、その調子。ルーちゃんの言う通り追跡は無理だけど、他にも便利な使い道があるんだ」
イザルトは少し移動して、店の壁の前に立った。
「例えば、ルーちゃんがこの壁に『印』を付けたとする。ルーちゃんがそこから離れたとしても『印』の効力が生きている間に、僕がその『印』感知出来たら、僕はそこにルーちゃんが居たんだなってことが分かる。あるいは、近くにルーちゃんが居るんだなってことが」
ソイルは少し思案したあとで言った。
「つまり、この魔術は――」
「うん。ルーちゃんが僕に会いたいときに、いつでも呼び出せる魔法だよ。どう? すごいでしょ?」
ずっこけそうになるソイルだが、なんと言っても魔法は魔法だ。覚えられるなら、ぜひ習得したい。
「教えてくれ。やってみたい」
「もちろんそのつもりだよ。じゃあ、そこの少し大きめの石に対して付与してみようか」
イザルトに言われるまま、ソイルは石のかたわらにしゃがみ、右手を石の上にかざした。
「魔術の基本はイメージの具現化。身体に満ちているマナを放出し、それに形を与えること。それだけ聞くと難しいかもしないけど、そんなに難しいことじゃないんだ。ルーちゃんの中にあるものを、まずは外に出す。そうだね、おしっこみたいなものと最初は考えればいいよ」
「し、小便と!?」
イザルトはくすくすと笑っている。な、なんか魔法ってものが、いっきに俗っぽくなった……。
「最初はね。おしっこが嫌だったら、水の入った瓶とかが良いかも。瓶の栓を抜き、中身を必要な分だけ出す。出し終えたらまた栓をする。あ、でも、おしっことあまり変わらないねこれ。あはは」
イザルトはそう言ってソイルの横に同じようにかがむと、ソイルのかざしている右手に、自分の手をゆっくりと重ねた。
「今からルーちゃんに僕の持ってる術式を渡す。渡す、というよりも、刻む、って言葉が近いかもしれないけどね」
「き、刻む!?」
イザルトの言葉に、ソイルは入れ墨のようなものを連想して震えた。
「あはは。大丈夫だよ、ルーちゃん。肉体じゃなくて、ルーちゃんのこころ――精神に刻むだけだから。それでも、ちょっとチクっとピリッとバリッとするかもしれないけど、我慢してね。じゃあ、いくよ」
ソイルはどきどきとしながらその時を待った。やがてイザルトの右手が淡い水色に発光する。
「リライト」
イザルトが口にした瞬間、右手からソイルの全身にかけて微量の電流のようなものが走った。痛むほどではない。しかし、身体の中に今まで感じたことのなかった熱をかすかに感じる。
「ルーちゃん。さっき僕が言ったように、自分の中のマナを出すことをイメージして」
ソイルは目を閉じ、意識を右手に集中させる。同時にさきほど感じた熱の在りか探る。
探り、探り、捉え、捉え、流し、流し、落とす。
「イメージしながらこう唱える"グラント"」
「グラント」
瞬間。手のひらが熱くなるのを、ソイルは確かに感じた。
◆
「おめでとう、ルーちゃん。まさか一発目で出来るとは僕も思ってなかったよ。本当にすごい」
イザルトはぱちぱちと拍手をしながら言った。確かに最初は成功して、石にはコインほどの大きさの氷の印が付いたがすぐに霧散してしまい、それから二、三度試したが成功はしなかった。それでも、ソイルには嬉しかった。
「ありがとう。全部イザルトのおかげだ」
「魔法は難しいことでも、怖いものでもないんだ。どうしても戦いで使うイメージが先行しちゃってるのは認めるし、悪用したら大変なことにもなる。相手にも、自分にもね。でも、そうじゃない魔法もいっぱいあるんだよ。覚えておいてくれると嬉しいな」
イザルトは言った。
「さっきの術式をどうたらってやつは、なんなんだ?」
おそらくだが、使えるようになったきっかけはあれだろう。だとしたら――もっと強力な魔術も。
「あれはちょっとズルだから。ルーちゃんの考えてることはなんとなくわかるけど、マーキング程度の魔術だから術式を付与することも出来たんだ。強い術式でそれをやろうとしたら、たぶんルーちゃんの身体は木っ端みじんになっちゃうよ」
「「あはははは」」
ソイルはまったく笑えなかった。なるほど、まあ、たしかにそんな上手い話があるわけないのだ。
「魔術って、詠唱付きのもあるんだよな?」
「よく知ってるね。ただ、詠唱付きは負担がものすごいんだ。肉体にも精神にも。だから禁術に指定されてるやつもたくさんあるし、本当に滅多な時じゃないと使わないかな。文字通り、最後の切り札ってやつだね」
イザルトは言った。健全な男子としてぜひ見てみたいと思うソイルだったが、おそらくそれを目にすることはないのだろう。ソイルとイザルトはそれからも様々な話をした。
「イザルトは、どうしてゼルドアに来たんだ?」
「うんと。ちょっと話したかもしれないけど、人探し――かな。でもゼルドアって大きな街だし、その中から一人を見つけるって本当に大変でさ。そもそも、その人がここに居るのかもわからないし――結構、お手上げなんだ。実はね」
「よかったら手伝うよ。そいつの特徴とか教えてくれたら。ゼルドアにはそこそこ詳しいし」
ソイルは言ったが、イザルトは困ったように微笑むだけだった。
「ありがとう、ルーちゃん。でも、ごめん。だめなんだ」
「なんだよ、水くせえな。別に金なんか取らないし、俺は何も」
「ルーちゃんを、友達を巻き込むわけにはいかないことなんだ。気持ちはすごくすごく嬉しいんだよ。お願い、それだけは信じて」
そこまで言われたら、ソイルはそれ以上何も言えなかった。日が傾いてきた。いったい何時間話し込んでいたのだろうか。まるで幼い頃に、近所の友達と時間を忘れて遊び回っていたときのような懐かしさを覚える。それも、さきほどイザルトが言った友達という言葉が琴線に触れたからだろう。
そのときふと。ソイルは思い出したのだ。バカみたいに忘れてしまっていた。ループが起これば、この時も、この瞬間も、全て無かったことになる。イザルトとはまた初対面に戻り、そもそも会えるかどうかもわからない。ゾッとするような感覚を覚えた。
ループの良い面ばかりを利用して、ぬるま湯のなかで惰性をむさぼっていたソイルは、恐怖に震えた。思い出したのだ。誰かに忘れられることが、こんなにも辛いことを。
「そろそろ帰らなくちゃね」
イザルトが立ち上がる。ソイルも立ち上がった。
「ルーちゃんと友達になれて、今日は僕、本当に嬉しかった。どうもありがとう」
「あ、ああ。俺も楽しかったぜ」
イザルトにまた会えるのだろうか?
次会ったときも、またルーちゃんと呼んでくれるのだろうか?
また、魔法を教えてくれるのだろうか?
次は? 次の次は? 次の次の次は?
次の次の次の次は? 次の次の次の次の次は?
全ての出会いを一からやり直し、やり直し続ける。繰り返し続ける。まるで波打ち際で砂の城を作り続けるみたいに。
そんな永遠に、俺はどこまで耐えられるのだろうか。この繰り返しの中で、俺はいったいどこまで俺で居続けることが出来るのだろうか。友達と別れることが、こんなにも辛いことだなんて思ったこともなかった。
「それじゃ行くね。また遊んでくれると嬉しいな。また会えたら良いな」
にこっと笑い、ソイルに手を振り、去っていく彼の背中に。
「イザルト!」
ソイルは呼び掛けた。呼び掛けてしまっていた。イザルトが振り返る。ソイルが思わず伸ばした手は、イザルトにこんなにも近いのに。果てしないほど遠いのだ。ソイルはそっと手を下ろし、言った。
「また、な」
イザルトは言った。
「またね」




