第一章15 『氷の魔法使い』
「ソイルくんって言うんだ。うんうん、良い名前だね」
店の前で子どもたちと別れたあと、ソイルは突然地面から湧いて出てきたような人物に絡まれ、そこからなし崩し的に会話をしてしまっていた。
「ソイルくんか。そー、いー、るー。あ、るーが良さそうだ。ねえ、君のことルーちゃんって呼んでもいいかな?」
「最初からすっごい距離詰めてくるのな、おまえ……」
「僕のことはイーちゃんって呼んでも構わないけど」
「呼ぶわけないだろ……。呼び捨てにしても良いっていうならイザルトって呼ぶよ」
「ありがとう。じゃあ、改めてよろしくね、ルーちゃん」
イザルトと名乗る女……いや、男? 顔だけでいえば、そこらの女性よりも美しいくらいで、むしろ美少女といってもじゅうぶん通用するだろう。ローブのせいで体格がわかりにくいが、かなり華奢だ。声も高く、中性的というか本当にどちらかわからない。
でも、僕って言ってるしな……。ここまでパっと見で性別がわからないのも初めての経験だ。苦悩するソイルを前に、イザルトはにこにこと笑顔を絶やさない。
「ねえ、ルーちゃんってさ。天使の生まれ変わりなの?」
「は? どういうこと?」
質問の意味がわからず、困惑して聞き返すソイルに対して、イザルトはふたたび微笑んだ。
「僕ね。賭博場に居たときからずっとルーちゃんを見てたんだ。せっかく勝ったチップをほとんど置いていったでしょう?」
イザルトは言った。
「そこから、さっきお店にルーちゃんが入って、子どもたちを呼んで、一緒にパーティーしてたところまで全部、ね。だから、もしかしたらルーちゃんは天使なのかなって」
「……賭場から俺のあとを付けてたってことか」
ソイルは抑揚を欠いた声で言った。自分から白状したようだが、それでも気持ちのいいものではないし、警戒度をあげても損はない。
「うん、勝手なことしてごめんね。でも、ルーちゃんにすごく興味があったから」
イザルトの蒼い瞳がソイルの目を捉えて光った。まるで、その深奥をじっと覗き込もうとでもするように。
「ま、いいけどさ。というか天使とかなんとか言ってるけど、俺はただの人間だよ。特別でもなければなんでもない。普通の男だ」
「あはは。ルーちゃんのしたことが普通で、ルーちゃんみたいな人を普通の人だっていうなら、この世界に戦争なんて言葉は無かったと思うな。きっと」
イザルトはそう言ってまたにこにことした。ソイルは少しだけ背筋が寒くなる。見たところ敵意や悪意のようなものは見受けられない。どの要素をとってもいっけん人畜無害だが、いつかギルドの人間が言っていた。人間のなかで一番怖いのはいつも笑っているやつだと。
「難しいことはわかんねえよ。俺は学もないしな。今日だってただの気まぐれだ。ほんと、それだけだ」
「そうなんだね。うん、教えてくれてどうもありがとう」
そう。ただの気まぐれ。しかし、その気まぐれがイザルトを呼び寄せた……というと、悪霊かなにかみたいな扱いになってしまうのだが、実際にその通りなのだ。これまでソイルは七回ほどループをしているが、イザルトに出会ったことはない。
大筋が同じでも、やはりソイルの行動いかんによってはこのようなイレギュラーが発生することもある。だとしたらフィオのことも……。そう思考しかけて、ソイルはそれを強引に打ち消す。いつまで考えているんだ、女々しい。本当に。
「変なこと聞いちゃってごめんね。お詫びじゃないけど、ルーちゃんも僕に聞きたいことがあるなら、なんでも聞いて欲しいな。答えられることなら、ぜんぶ答えるよ」
イザルトは言った。ソイルはしばし思案したあとで、
「じゃあ、おまえってさ、女?」
と真剣な表情で尋ねた。それまでにこにことしていたイザルトだが、ふいにぴたと驚いた顔になり、それからじとっとするほどの目をして言った。
「僕は男だよ……。なに、ルーちゃんいままで僕を女の子だと思ってたの?」
「あ、いや。それはまあ、うん。もしかしたらそうかなってさ。でも迷ってた、だから聞いたんだ」
「はぁ。そう聞かれるのは慣れてるから別に良いんだけどね……。大丈夫だよ、全然気にしてないよ……」
全然気にしてないことはないという声音でイザルトは言った。ソイルはといえば、こいつにも普通の感情みたいなものがあったのか、ということと、男で良かった、ということで二重に安堵していた。女の子であれば、一番やりにくいタイプだったからだ。
「そうかそうか! いや、男で良かったよ。イザルトが男で俺は嬉しいよ」
「そ、そう? うん、そっかあ。そう言われるとなんか悪い気分じゃないね。あははっ」
イザルトも最後には笑ったことで、この話題は円満に終了した。
「ルーちゃんはいくつ? なにしてる人なの?」
「俺は今年で二十二だよ。職業はいちおう冒険者だ、っていっても底辺だけどな。この街の冒険者ギルドに入ってる」
「ゼルドアギルドだね。冒険者なんてかっこいいな。ダンジョンにも潜ったりするの?」
「いやいや。底辺だって言っただろ。憧れはもちろんあるけど、実力的に行けねえし、ダンジョンに潜る奴らからのお呼びもかからないんだよ」
ダンジョンは世界各地の遺跡、迷宮、洞窟などを総称した呼び名だ。それらは神秘を帯びた古代の防衛機構が設置されていたり、濃いマナに引かれて集まった魔物の巣にもなりやすい場所であるため、潜るリスクは高いが、その分、見返りは破格だ。
ダンジョンが存在するからこそ、冒険者という職業が存在するとさえ言っていい。挑戦するにはそれなりの力量が必要であるため、ソイルにはずっと縁が無い場所だった。
「だから俺は、冒険者ギルドには入ってるけど、仕事としては、ほぼまちの何でも屋みたいなことしてる。依頼があればうけて――皮肉だよな、冒険してねえ冒険者なんてさ」
「……僕もいつかダンジョンに行ってみたいんだ。そのときには、絶対にルーちゃんを誘うよ」
「はは。ありがとな、期待しないで待っておくぜ。そういうイザルトはどうなんだ?」
「僕は今年で二十一。職業はえっと……いまは無職かな」
イザルトは困ったように笑った。
「無職か。じゃあこれからどんな仕事するか決めるんだな」
「ルーちゃんってやっぱり優しい人だよね。僕が無職だって名乗っても、顔色ひとつ変えないし」
「別に無職は悪いことじゃねえだろ。ずっと働かないのはどうかと思うけどさ」
ソイルにしたところで、依頼がなければ、ただの無職とほとんど変わらない。
「ありがとう。厳密には無職じゃないし、ちゃんと目的を持ってこの街には来てるんだけど、お金を持ってる道連れとはぐれちゃっててさ。おかげでずっと腹ペコなんだ、あはは」
イザルトはお腹を押さえながら、照れくさそうに笑った。ソイルは持っていた袋をイザルトへ差し出した。子どもたちに持たせた土産がひとつだけ余っていたのだ。
「よかったらこれ食えよ。ここの店のやつ……って、見てたなんならわかるか」
「あ。ち、違うんだよ。今のは催促したとかそういう意味じゃなくて……」
慌てて言うイザルトの声にかぶさるように、彼のお腹はくうーと音を立てる。
「へんな遠慮すんなって。俺はこれ以上食えないんだ。その音もうっとおしいからな」
ソイルは笑って言った。イザルトは、本当に、本当にありがとうと何度もソイルに礼を言ったあと、土産の料理を受け取って、勢いよく食べ始めた。よほど腹を空かせていたのだろう、彼はあっという間にそれを平らげた。
「いやー……本当に美味しかった。食べてる間、何も考えてなかったよ。ごちそうさまです」
「良い食いっぷりだったもんな」
「あはは……。恥ずかしいな。あ、じゃあ僕からも。お礼ってほどのものじゃないけど、ルーちゃんに見せてあげる」
イザルトはそう言って、ひとさし指を立て顔の近くに置いた。しーっ、と静寂を促すときのポーズに似ている。手品か何かが始まると思っていたソイルは、顔の産毛がなんだかピリっとしたのを感じた。
この感覚は、あれだ。フィオの時と同じ――。
ソイルがそう思った矢先、透き通った小さな球体のようなものが、イザルトの指先のわずか上に現れた。ぼうっとそれを見ていたソイルに、イザルトが言った。
「おちかづきの印だよ。飴ちゃんおひとつどうぞ」
イザルトが指先をソイルに向かって傾けると、透明な球体はヒョイっとソイルの口に入った。
「ふぁ!?」
な、なんだこれ! なにをされた攻撃か! ソイルの舌は反射的に口に侵入した異物を撃退しようとする。途端、舌先と頬がころっとそれを知覚した。冷たい――味がない――これは。
「ふぇ、氷?」
「正解」
イザルトはにっこり笑った。




