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第一章9 『黒鉄の騎士』


 ソイルの心からも身体からも、すべての熱を奪い去っていくような。ただ、冷徹な音。ソイルにとって恐ろしいのはアードキルなどではない。


 恐ろしいのは。


 フィオが黒騎士と何かを話しているが、ソイルの耳には届かなかった。


 忘れてはいない。痛みも。絶望も。


 しかし、実際にソレを目にすると、感情を制御(コントロール)することが出来なかった。


 ソイルは、荒い息をつく。

 

 落ち着け。落ち着け……。俺は死んでない。フィオも死んでない。


 死ぬことはあっても、決して今なんかじゃない。


 だから、震えるのをやめろ。この、バカ野郎っ!


 喝をいれるように、ソイルは自身の太ももをガツリと殴った。鈍い痛みが伝播(でんぱ)し、わずかに呼吸が正常に戻る。思考が冷静さを取り戻したとき、フィオがソイルに走り寄ってきた。


「……ソイル? 大丈夫? なんだかすごく辛そう」


「あ、ああ。わりい、ちょっと腹が痛くてさ。さっき食べたメロヌかもな。ははっ、あのおやじにしてやられたかもしれねえ」


 わざと明るくソイルは言ったが、フィオは心配そうに見つめるだけだった。


「どうかしたのか?」


「あ、うん。これからおじさまに会いに行くから、ソイルもって思ったんだけど……。具合が悪いなら無理しないほうがいいかも」


 ソイルは考える。フィオにはアードキルに依頼されたと言ってある。しかし実際にそんな事実はないのだ。付いていきたいというのが本音だが、ややこしいことになったら、対応できる自信がない。


 なら。


「そう、だな。まあ、もともと俺は部外者なわけだし、お言葉に甘えるとするよ」


 フィオはどこかほっとしたような、それでいてどこか物足りないような、そんな顔をした。


「わかった。ソイル、もう行っちゃう、よね。ちょっと残念だけど」


「いや。フィオが戻ってくるまではここにいる。大丈夫だ、黙って居なくなったりしないから」


 ソイルが言うと、フィオはパッと表情を明るくさせた。


「ありがとう。じゃあ行ってきます。待っててね」


 フィオと黒騎士は先へ歩いていき、やがて見えなくなった。


「はぁ……」


 黒騎士が視界から消えたことで、霜のように全身を冷たく覆っていた緊張が、ようやく解けていくのをソイルは感じた。何度か手のひらをすばやく開閉しながら身体を上下に揺らし、首をかるく回す。

 

 付け焼刃でしかないが、身体は問題なく動いてくれそうだった。


「……よし」


 フィオにはここで待っていると言ったものの、彼女の近くにいなければ、何かをすることも出来ない。記憶を頼りに、ソイルは静かに歩き出す。アードキル達が待っていたあの廃墟を探して。


 フィオが襲われるとして。そのときに戦って彼女を守るなどということはおそらく不可能だ。可能性があるとしたら、途中で乱入し、混乱に乗じてフィオを逃がすことくらいだろう。


 それとて、かなり確率の低い賭けにはなるが。 


 他に方法はないかと考えながらソイルは歩いていく。ふと。


 自分の足音ではない、何かの音に気付いた。カチャ、カチャ、という、まるで金属と岩が触れ合うよう時のようなな。


「――ッ!!」


 ソイルは咄嗟に通りに面している住居と住居の隙間に入り込んだ。生唾を飲み込む。突然の恐怖に、狂ったように暴れる心臓を無理やり押さえつけるかのように、ソイルは胸元に手を当てた。


 カチャ、カチャ。音は近づいてくる。


 やがて。


「――やれやれ、気配の消し方も知らねえのか。後詰めなんてただでさえ面白くねえってのに。これでも冒険者だっつーから、少しは期待してたんだぜ?」


 金属音が止まったかわりに聞こえてきたのは、若い男の声だった。


「居るのはわかってんだ。出て来いよ。逃げ隠れするなんて、男らしくもねえぞ」


 バレてる……。くそ……。

 

 ソイルは隙間から身を引き抜くようにして外へ出た。


 待っていたのは、光沢のない黒をまとった絶望そのもの。


「お。出てきたか。いいね、褒めてやる。それと、あー。うぜえからさ。走って逃げようなんてことも考えるなよ? めんどくせえと気が立っちまうんだ俺ぁ」


 ――黒騎士。


 しかし、さきほどフィオを迎えに来た黒騎士とは違う人物のようだった。


 話し方も声も違っている。


「さて。誰だかは知らねえし、恨みもねえ。だがあんたはいまここで死ぬことになる。逃げて死ぬか、戦って死ぬか。好きな方を選べば良い」

 

 黒騎士は言った。


「ま、さっきも言った通りだが、俺は後者をおすすめするがね」


 そう言って、すらりと黒騎士は剣を抜き放った。


 眼前に逃れようのない死が立っている。


 死が人の形をしている。


 膝は震え、恐怖で目は白くかすむ。


 しかし、ただ、黙ってやられるわけにもいかない。


 ソイルは剣を抜いた。


 勝てるなんて思うな。なんとか逃げることだけを考えろ。


「じゃ、いくぜ。受けられるとは思わねえが、せいぜいしっかり気張れや」


 刹那。黒騎士が地面を滑るように跳んだ。


 剣を受けるとか、受けないとか、そういう次元の話ではなかった。かろうじてソイルが見ることが出来たのは、水底の小魚が翻るような僅かな光と、宙を舞う自分の左腕の残像だけ。


「ぎあ――ッ!!」


 斬撃から間髪をいれずに蹴り飛ばされる。ソイルは地面に転がった。


 石畳に顔を激しく叩きつけた衝撃で、目の前で火花が散ったかのように、一瞬視界が黒くなる。


 蹴られたみぞおちが悲鳴をあげる。息が出来ない。

 遅れて生じる激しい、痛み痛み痛み痛み。


「ぐぶっ、ご、このっ」


 ソイルは起き上がろうと、反射的に左腕を地面につけ、ようとした。


「あ――」


 バランス失った身体が横倒しになる。腕の切断面と地面が擦れ、味わったことのないような感触と、たとえようもない痛みがソイルを襲った。


「がが、いづっ!!」


 荒い呼吸を繰り返す。嗅覚はもう血の匂いしか捉えようとしない。


 ソイルは、まだ付いている方の腕を支点として、なんとか起き上がった。


 追撃はこない。こない、が。


「ははっ。ナイスファイトだ、兄ちゃん」


 ぽんぽんと肩に剣をあてながら、どこか愉快そうに黒騎士は言った。


 戦力差があるとかないとか、じゃない。


 まるで猫にいたぶられる虫だ。はなから勝負にすらなっていない。

 切断された左腕から血がこぼれる。

 

 倒れたい。倒れてしまいたい。


 そんな欲求を、ソイルは唇を噛み切り、耐える。


 こいつをここに留めておくことが出来れば、それだけフィオが逃げ出せる可能性が高くなるかもしれない。 


 だから。少しでも。少しでも俺がこの場で粘ることが出来れば。


「がああっ!!」


 前に踏み込み、片腕で斬り付ける。


 ソイルの横薙ぎに合わせて、黒騎士は斬り上げる。


 剣が十字に交差し、ソイルの手から剣が弾き飛ばされた。


 ピタリと、喉元に切っ先が突きつけられる。


「終わりだな。言い残すことはあるか?」


 顔を歪め、左腕をおさえ、肩で息をしながらソイルは言った。


「おまえらは、なんなんだ……? アードキルは、どうしてフィオを殺そうとする……?」


「へえ。どうして俺を、じゃなく、どうしてお姫さんを、か。おもしれえな」


 ソイルの投げた問いかけは、わずかに黒騎士の興味を引いたようだった。


「俺たちがお姫さんを殺そうとしてるなんて、()()()()()()()()はずだ。殺気を読んだ……? 気配の消し方も知らねえやつが? アードキルのことは、お姫さんから聞いたのかもしれねえが……。ははっ、おもしれえ! わかんねえ!」


 黒騎士はそう言って、笑い声をあげた。


「なあ兄ちゃん、今のはなかなか良かったぜ。剣はからきしだったが、それでもあんたへの評価を見直した。だから、ひとつだけ教えてやる。お姫さんを殺そうとしてるのは、アードキルじゃねえ。あんなじじい、ただの伝書鳩だ」


 フィオを殺そうとしてるのは、アードキルじゃない。ただの伝書鳩。それがなにを意味しているのか、ソイルにはわからなかった。だが、それも。今この場にあってはどうでもいいことだ。


「じゃあな、兄ちゃん」


 黒騎士は剣を振りかぶり、肩から斜めにソイルを斬った。


 血だまりの中に倒れたソイルは、本能的にこの場から少しでも離れようと、地面を這う。


 ふざけんな。しにたくない。しにたくない、しにたくない。


 ふざけんなしにたくふざけ――。


 ピタと、後ろの首筋に冷たいものが触れた。


「首……落……てやりゃ……たか、わ……な」


 うまく、うまく聞き取れない。


 まるで水の中から、それ聞いているかように低く、くぐもった音。声。誰の? 

 

 フィオ。どこだ。フィオ。


 ずぶりと首に何かが突き刺さった。気道を流れ込んだ液体が塞ぐ。


 ソイルは血のあぶくを出しながら、ごぼごぼとそれでも必死で呼吸しようした。


 苦しい苦しい苦しい苦しい苦しいくるしいくるししいくるしい。


 お願いだ空気をどうかおねがい空気をおねがいくうきをすわせおねがい吸わせてくださ――。

 

 最後にビクンと一度、彼の身体は大きく痙攣した。


 あとには何もなかった。自らの血に染まった地面に口付けながら。


 ソイル・ラガマフィンは二度、命を落とした。



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