96 彼との再会
カフェで休憩を取った後、中産階級の少年の演技をするダニエル女公爵に手を引かれて、無邪気に聞こえる言葉の裏に含まれた有無を言わさない圧に、唇を噛みしめながら街中に出る。店を出る時に、たまたま入れ違ったマダムの二人組にクスクスと笑われてしまった。傍目から見れば、やんちゃなお坊ちゃんとそれに振り回される使用人に見えたことだろう。
繁華街は市場通りと違い落ち着いた雰囲気で、見るからに中産階級か成金、あるいは貴族らしき人々が出歩いている。
バラットは貿易都市と銘打たれている通り、様々な外国の物品が集う、商いの都市だ。珍しい美術品だの、こちらでは中々見かけない色の化粧品だの、そういうものを求めてはるばる来る人も居るのだそうだ。今はオフシーズンなため閑散としているが、夏は観光地としても人気があり、その時はこの繁華街の方も賑やかになるのだとか。
「あれ? あそこに居るのって……」
またスパルタ特訓をさせられる事実から目を背けたくて、逃げられないよう手を掴まれて連行されている最中に街中の風景に目を向けていた時に、馬車の通る車道の向こう側に、どうにも見覚えが無いように見えるのが逆に見覚えしかない人物が見えた。
彼は建物と建物の間の狭い路地に居て、大通り側に背を向けている。動く様子は無いが、何をしているのだろうか?
何となく気になった私は、まあ見つけちゃったし、なんて軽いノリで、彼に一言声をかけようと思った。
「ダニエル様、その、知り合いが居るので挨拶をしてきても良いですか?」
「こんな場所にか?」
「一応、常連なんで」
「ふむ……まあ、良いだろう。世間話には五分もあれば充分……いや、私も行こう」
「げっ」
「出資する店の客層を見ておくのもパトロンの仕事だ。違うか?」
「ふぐうぅぅ……違いません……」
別に隙を見て逃げるつもりなんて一切無かったが、わずかな間だけでもダニエル女公爵から精神的に逃れられると思っていただけに、顔がシワシワになってしまう。ダニエル女公爵が行くんだったら、と一緒に着いて来てくれると言ってくれたユリストさんが居なかったら心がメキョメキョになっていただろう。
車道を渡って近づいたおかげで気付けたのだが、彼の体躯と外套のせいで見えなかっただけで、誰かと話をしていたようだ。相手はフードを目深に被っているという、直近でヨダカと戦って散々ボコられた身としてはちょっと嫌な思い出が蘇る見た目をしている。
フードの人物は私達に気付いて一瞬動きを止めたように見えたが、気のせいだったかもしれない。相手の表情もフードに隠れてしまっているし、そもそも認識阻害の刻印でもつけているのか、目が滑ってうまく見れない。
相手が自分に気付いたと感じたのは、銃の練習がてら狩りをするようになってから何となく、生き物の気配というか意識の向きというか、そういうことを何となく理解出来るようになってきたからだろう。
そういったものは漫画なんかだと直感に近い描写をされるが、そんなんじゃない。対象のわずかな仕草や視線の向き、物音で察する技術だ。だから私でも身につけられたのだ。ちょっと今回は判別つかなかったけど。
話が終わったのか、フードの人物は背を向けて歩き出す。見覚えのある男もくるりと振り向き、何事も無かったかのように大通りに出てきた。
まだ少し距離があったが、少し声を張って、そのタイミングで私は声をかけた。
「どうもお久しぶりです」
ワンテンポ遅れて反応を返した男――リチャード氏は、数秒程フリーズしたように歩みを止めたが、ややあって返事を返した。
「おや……ああ、ルイの店の」
「今一瞬顔思い出せずにいましたよねあなた」
「申し訳ありませんね。あそこでは、どうにもルイの事しか目に入らないもので」
「惚気と他の人物覚える気がねえって同時に表現する高度な発言しやがったコイツ!」
それなりに顔を合わせているはずなのに絶対名前は思い出せていないだろう反応に、一代貴族とはいえ一応貴族の枠組みであるリチャード氏に完全に素の対応をしてしまう。
一瞬、流石に不味いかと思ったが、左程気にしている様子は無かった。……気にする程の存在ではない、という意味だろうが。
リチャード氏はペストマスク越しに私の隣でやんのか状態になっているモズを一瞥し、その後ろに居たユリストさんとダニエル女公爵を見やり、二人が初めて見る顔だと気付いたようだった。
同時にルイちゃんが居なくて明らかにテンションが下がったのが分かった。
「初めて見る方ですね。見たところ、良い所のお嬢さんと……大変可愛らしい、子供のようですが」
「ユリスト・ネッカーマと申します」
「そちらのお嬢さんはネッカーマ伯爵のご令嬢でしたか、お噂はかねがね。最初に気づけず申し訳ありません。何分、社交界にはあまり顔を出さないものですから」
「いえ、お気になさらず。そもそも、私も王都の社交界にはあまり行ってないので」
「ユリストさん、この人がリチャード・スティーブンだよ」
「ホァッ!? アッアッどっどうも……! いつも作品を拝見させていただいております……! 新作『店番』の複製画も買いました……!」
「オフイベ後の打ち上げに神が居た時みたいな反応してる……」
ユリストさんにリチャードさんだと紹介した瞬間、淑女の仮面が剥がれて完全に黄昏らむねの顔になり、キョドりながらも作品見てます&新刊購入報告をする。
根っからのオタクだなぁ……シンパシーを感じてしまってつい笑顔になってしまった。
「そういや、あなたの作品見させていただきましたよ。複製画ですけどね」
「おや、そうでしたか」
「というか、それを見る為に私らはこっちに来たんですよ。……言っときますけどルイちゃんはまだ嫁には出しませんからね?」
「失敬な。まだ本格的に手を出していないでしょう? 私は約束は守る男ですから」
「十七歳なんて子供だが?」
「確かにルイは顔つきが幼くて背も小さく、私からしてみればいつまで経っても愛らしいお嬢さんですが、年齢的には大人でしょう」
「十七は大人ですねぇ……気持ちは分かりますけど、法律的にはそうなので……」
「私の方が少数派ってマ?」
まさかユリストさんまで成人派になるとは思わず、つい心の声がダダ漏れになる。
中身現代日本人だから分かってくれると思ってたのに……!
一応この世界では十六歳で成人っていうのは知識としてはあるけれど、どうしてもこの基準だけは馴染める気がしない。
「しっかし、こんな偶然あるもんですねぇ。珍しい絵具でも探しに来たんです?」
「それもありますが、ただの仕事ですよ。……そうだ、ネッカーマ伯爵令嬢。原石を取り扱っている店を知りませんか?」
「それなら、市場通りにある『アズール』って店をオススメしますよ! 小さい店ですが、良いラピスラズリとマラカイトを仕入れているんです! あっ、間違っても『金の灯火』は駄目ですよ! あそこはぼったくりだし偽物つかまされることもあるし――」
オタク特有の興味のあるものに関しては早口になる現象を起こしつつ推している店を布教するユリストさんを、「失礼」とリチャード氏が止める。オタクの勢いに引いたのだろうか?
正直私も画材になる石を売っている店は興味があるが、それ以上にARK TALEに登場するキャラクターの店である「金の灯火」の方が気になって仕方がなかった。後で詳しく聞こう。
「絵具に使うものではなくて、ただの宝石です。出来れば、アキシナイトを取り扱っていれば良いのですが」
「アキシナイト、ですか?」
リチャード氏の口から出た宝石の名に聞き覚えが無いのか、ユリストさんは耳をぴこんと動かしてから首を傾げる。
「斧の蛤刃に似た結晶を成す、珍しい宝石だよ。名前の由来は文字通り斧石から。茶色が多いけど、黄色とか赤っぽいの、ピンクのもたまにあるらしいね」
「おや、よく知っていましたね」
「普段使わないようなこういう知識だけは無駄に蓄えてますんでね」
「パラディーソでは採れない翡翠や珊瑚なんかは輸入してますけど、私が聞き覚えないってことは、多分この付近では取り扱っていないか、行商人が売っているかだと思いますね」
「そうですか」
「しかしなんでアキシナイトなんて欲しがって――まっ、まさか!」
私が何かを察した事に気付いたリチャード氏は、恐らくペストマスクの下でニッコリと笑って、答えた。
「ルイに似合うと思いまして」
「良かった、指輪じゃなかっ――いや明言してないだけでアウトだわ! しかもレアストーンとか重いわ!」
こっ、この男~~~~~!! ルイちゃんが恋愛感情を向けられていると自覚した瞬間にグイグイ攻めて来おってからに! 見ろよユリストさんもオタクフェイスを潜めて百合間男絶対許さないマンの顔になってるぞ! さっきまで憧れの絵師を見る尊敬のまなざしを向けていたのに、今にも怨嗟のうなり声が聞こえてきそうなんですけど!?
でも石言葉が『癒し』だし色合い的にもルイちゃんに合うからリチャード氏の解釈が私の解釈とも一致する……ッ! 絶対ルイちゃんに似合うやつゥ~!
そういえば、ダニエル女公爵は口を開いていないな、なんてことを気付いたが、まあたまたまだろうと気にしないことにした。
ご清覧いただきありがとうございました!
ちょっと面白そうじゃん? と思った方はブックマークをよろしくお願いします!
いいねや評価、レビュー、感想等も歓迎しております!