94 火の意志
ひとしきり詠唱破棄でのスペル発動を楽しんだユリストさんは、お散歩ハイになった犬のように息を荒くしつつもニコニコ笑顔をしていたが、ふと、何かに気付いたように動きを止める。
「……僕、気付いちゃったんですけど」
「何ですか」
「トワさんがスペル使えないのって、魔法的なものへのイメージの種類が豊富すぎるせいで、スペルを発動してくれる微生物がうまく機能していないんじゃ……?」
「いや、火のスペルを使おうと思った時はちゃんと火をイメージしているし、それは無いんじゃないっすかねぇ」
「そうですか……えっじゃあ何でトワさんはスペル使えないんですか」
「分からないからこんなことになってんですよ」
そんな会話をしていると、ふと、モズが何かに気付いたのか、教会のある崖の方に視線を向ける。
それに気付いて、どうしたのか聞こうとした瞬間、子供の声が聞こえてきた。
「ねえねえお姉ちゃん達、何やってるの?」
崖を成形するように作られた階段を降りて来ていたのは、深い青の髪をポニーテールにした、十代前半頃の子供だった。多分、先程ユリストさんが放った雷のスペルを見たか、その音を聞きつけてやって来たのだろう。
服装を鑑みるに、多分男の子。人形のように中性的で整った顔立ちをしていて、服の質から言えば結構良いとこのお坊ちゃんだろう事が窺える。
何となく、この少年に見覚えがあるような気がしてならない。しかしARK TALEに登場するキャラクターに該当するようなキャラは居ないので、何とも言えない思い出せない気持ち悪さがあった。
「こんにちは、小さなジェントルマン。お姉ちゃん達はね、魔法のお勉強をしてるのよ」
ユリストさんはいつものポンスキースマイルではなく、淑女らしいたおやかな笑みを浮かべて対応する。
いや別人か? てか小さなジェントルマンってすげえな言い回し。流石貴族。
「そうなんだ! ボクもね、学校で魔法の勉強してるんだ!」
「あら、そうなの? じゃあ、お姉ちゃん達と一緒に練習してみる?」
「うん!」
「お名前は?」
「リシュリュー!」
「よろしくね、リシュリュー君。私はユリストと――」
リシュリューと聞いて、一番最初に思い浮かんだのはフランスの戦艦だが、その次に薔薇の品種が脳裏に浮かんだ。
紫っぽい色合いの薔薇で、カーディナル・ドゥ・リシュリューという品種だ。青薔薇の祖と言われていて、名前の由来はフランスの宰相――。
「あ――あーーーーーッ!?」
「うわビックリした! 何なんですかトワさん、急に叫びだして!」
「どうしたの、汎人のお姉ちゃん」
完全にただ連想して思い浮かんだだけのそれが、この少年に感じた謎の既視感の正体を明らかにし、その事実に思わず叫んでしまった。
きょとんとしたした様子の子供は、不思議そうに私を見上げる。
私は失礼の無いように頭を下げ、恐る恐る、この純朴そうな顔をした子供に問いかけた。
「あの、つかぬ事をお伺いしますが……ダニエル女公爵、ですよね?」
何言ってんだこいつ。ユリストさんの視線がそう言っているように思えた。
しかし少年――否、彼女は私のその問いかけを聞くと、チッと舌打ちを一つして、先程までの一見すれば天真爛漫に見えた笑顔を美しく歪めふてぶてしい口調と態度で返してきた。
「思いの外気付くのが早かったな。もう少し遊んでからネタばらしをするつもりだったが、つまらん」
その口ぶり、声色からして、完全にダニエル女公爵その人であった。
突然の豹変にユリストさんは混乱しているのか、背中に宇宙を背負ったようなぽかん顔を晒していた。目の前に居た人物が、まさか公爵家の当主だとは思わなかったのだろう。
「えっ……えっ?」
「犬の癖に鼻が効かんのは父親と一緒だな。画材の毒でイカレたか?」
「ろっ、ローズブレイド公におかれましてはご機嫌麗しゅう!」
「良い。楽にしろ。今は中産階級の少年『リシュリュー』という設定だ」
正体を知った後でそんな事を言われても、かしこまらずに居ろという方が難しい。
というか、一応休養としてバラットに来たはずなのに、いつも留守にしているからどこに居るんだろうと思っていたが、まさか子供のフリをして、護衛も付けずにこんな風に都市内をほっつき歩いているなんて誰も思わない。ましてや女公爵、そう、公爵だ。それも当主。
いや何やってんですかダニエル女公爵様。
尚、モズは一切驚いた様子が無い。多分、最初からダニエル女公爵だと気付いていたのだろう。
「あの……何で変装を……?」
「都市を見るのにこれ程都合の良い外見は無い。子供として振る舞えば、その都市の人と治安が良く分かるのだよ」
そりゃそうだよ。ダニエル女公爵を初めて見る人なら、誰だって子供かショタかメスガキかのどちらかにしか思わない。
この人こう見えて汎人年齢換算で四十代だぞ。実年齢はもっといってる。美魔女ってレベルじゃない。
「それに私は妖精種だ。多少魔力の比率さえ気にしていれば、髪色はある程度弄れる。特段優れた変装術を身につけずとも、髪色と服装を変えれば案外バレん。実際、そこの犬娘は気付かなかっただろう?」
「ごもっともです……」
「それで? 貴様はその年で、まだ呪文が使えんのか」
「仰る通りでございますが……」
「ふむ。どれ、手を出せ」
「手?」
「さっさとしろ」
ダニエル女公爵に言われた通り、手を差し出す。するとダニエル女公爵は私の手を掴み――。
「つっっっっっめた!!」
「フン、こんなものか」
その瞬間、掴まれた手の血管にドライアイスでも流されたような冷感を感じ、つい大声で叫んでしまう。
ユリストさんが「うっそでしょ……」と小さく呟いていたが、正直私には何をされたのか、それがどんな規模だったのかは全然分からなかった。少なくともユリストさんがドン引きするような反応を見せるような事象を起こしたのは確かだろう。
「ボサッとするな、さっさと魔力を流し、我が魔力を消してみろ」
ダニエル女公爵は用が済んだとでも言わんばかりに手を離し、手に着いた汚れを払うかのように手をはたく。
自分が汚れ物みたいな扱いをされているように思えてしまってちょっと傷ついたが、その手に霜が張り付いていることに気が付き、それを払っているのだろうとすぐに理解した。ふと握られていた自分の手を確認してみると、ダニエル女公爵よりたっぷり霜が降っていて、肘くらいまで服ごと凍っていた。
彼女の言葉から察するに、私に魔力を流した……のだろうが、ユリストさんが匙を投げたレベルだった私の不動の魔力を乱すレベルで流したらしい。それも、あの一瞬、且つ属性入りで。
下手したら死ぬが!? 他者に魔力を流す場合、魔力の流れを感じさせる程度の微量なら問題無いけど、度を超すとオドの流れが狂って身体に異常をきたすってルイちゃんとかユリストさんに聞いたんだけど!? 殺す気か!? 私の魔力が特別製じゃなかったらアカン案件ですが!?
この人怖い……と思いつつ、体内の魔力が均一になるようなイメージをする。ユリストさんが脇で「うわっ、気持ち悪いくらい回復早っ」とぼやいたのが聞こえた。
気持ち悪いって酷くない? と思ったが、実際半凍結状態の腕は十秒も満たない程度で元通りになったので、否定できなかった。これが魔力由来の凍結じゃなかったら、こんな速度で解凍されたりしなかっただろう。
「何か感じるものはあったか?」
「へ? 感じるもの言われましても……何となくぬくい? ですかね」
「では次に、過去一年内で一番強かった感情は何だ?」
一体何の問答なんだろう、と疑問に思いつつ、一番強かった感情、つまりパッと思い当たるような強烈な出来事を思い返してみる。
モズと出会い、殺されかけた時。当時は心底怖かったが、今じゃあ「そんなこともあったなぁ」程度。
この世界に初めて訪れた日の、ルイちゃんとジュリアとの出会い。むしろ理解が出来ず思考がストップしてて、そこまで強い感情ではなかった。
生ラガルイ。いっぱいちゅき過ぎてしばらく情緒は荒れ狂うが、長時間感情が季節の変わり目の気圧レベルで乱高下するものの、瞬間火力と言われたら多分違う。
この世界に来る前――そうだ。来る直前の、あの出来事。
公式のコンテストに非公式カップリングを投稿した馬鹿が居たのを発見してしまった、あの時の怒り。
瞬間的火力といえば、多分、あれほど強い感情は無いだろう。だって、今思い返しても腸が煮えくりかえる思いなのだから。
ほんとふざけんなマジで。
こんな負の感情を挙げるのはどうかと思うが、それでも、私は素直に答えた。
「……怒り、です」
「そうか。なるほど、分かりやすくて助かる」
ダニエル女公爵はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
そして、その意地の悪い笑みのまま、この謎の行為や問答の答えを出した。
「喜べ、貴様が最も得意とする属性は『火』だ。それも、闇を照らす松明の火ではない。瞬時に吹き上げ、瞬く間に焼き尽くす、猛き烈火だ。それが浄化の炎と成るか、それこそ破滅の炎と成るか、そこまでは知らんがな」
「火……ですか? でも烈火って、そんな物騒な……」
「そんな小心者ぶっていても、貴様の本質はそれだ。警戒心が強く冷静ぶってる一方で、身内に手を出されたら手の付けようのない激情家と化す二面性。火属性を得意とする人そのものじゃないか」
くつくつと喉の奥で笑う彼女は妖精のように愛らしかったが、妖精のような無邪気な悪意がにじみ出ていた。
いや、確かに私は蟹座だし、ダニエル女公爵の言い方はアレだけど、星座占いではそういう性格傾向があるらしいってのは知ってるけども。
でもこんな占いみたいな方法で本当に分かったのかなぁ……。
「呪文を使いたいのなら、生易しい火をイメージするのは間違いだ。少なくとも、貴様にとってはな。そうさなぁ……火山の噴火でも想像でもするといい。そうすれば上手くいくだろうよ」
「さ、参考にさせていただきますね……?」
「参考にするならさっさと試してみろ。私が直々に見てやる、感謝するが良い」
「エッ」
嫌だよ絶対スパルタじゃん!
私は助けを求めるべくユリストさんにヘルプの視線を送る。
が、目上の人物に逆らうなという視線とジェスチャーが返ってきて、私は心の中で半泣きになりながら、ダニエル女公爵の指導を受ける羽目になってしまった。
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