138 立っているものなら
予想だにしていなかった地雷との邂逅に、頭が真っ白になって思考が停止する。
気のせいだろうか、急激に胃が痛くなってきた気がする。
「あ……た、助かった……!」
レイシーが涙で潤んだブラウンの瞳に私を写す。私を見上げて、地獄の中で蜘蛛の糸を見つけたような希望で表情を緩ませる。
可愛い。素直にそう思う。
だけど、素直にそう認めるには、彼女を推す人々に憎悪を燃やしすぎた。
過去にレイシー推しのオタク達から受けた蛮行の数々が脳裏に過る。
投稿した作品にわざわざ返信や引用で「下手くそ」「描かれたキャラが可哀想」と罵られたこと。してもいないのに投稿したイラストをトレスだと根も葉もない言いがかりをつけて周囲を扇動し攻撃してきたこと。匿名掲示板にSNSやイラスト投稿サイトを晒され、板の住人に叩かせようと誘導されていたこと。イラスト投稿サイトのタグにヘイト創作やAIイラスト等のタグをつけられたこと。匿名感想ツールで誹謗中傷メッセージを送られたこと。鍵垢でフォロワー以外には見えないのを良い事に罵詈雑言を連ねた引用投稿を私の投稿全てにされていたこと。
他にも、たくさん。私が受けてきた行為は、全て鮮明に思い出せる。
奴らがアイコンにレイシーのイラストを使っているせいで条件反射として脳に刻み込まれてしまい、彼女の姿を見るだけで思い出してしまうのだ。
目を閉じて、息を吸って、吐いて、下唇を噛む。乾燥した唇の皮が舌に当たったので、そのまま歯で強引に引き剥がす。ビリリと唇の皮が剥けて痛みが走り、口の中に塩味のある液体が広がっていく。口内に広がる血の量的に、思っていたより深く裂けてしまっているようだった。
痛みと血の味で少し冷静になった私は、ややあって口を開く。空気が口の中に入り、一気に鉄錆の風味が口内に広がった。
「ゴーレム技師のレイシーだな」
「……え? あたしのこと知ってるの?」
引き上げて貰おうとしていたのか、途中まで伸ばしていた手の動きを止める。彼女の顔に怯えや緊張といった様子は無いので、単純に自分を知っていることに驚いたか注意が向いたから動きが止まったのだろう。
いつの間にか、視界の端にユリストさんのドレスの裾が映っていることに気が付いた。気が付かなかったが、私に遅れてこっちに来ていたらしい。
ちらりとユリストさんを見る。いつもはピンと立った耳がぺたりと伏せっていて、レイシーが私の地雷だと知っているからか、この状況に顔色を真っ青にしている。はたと目が合った瞬間「ひゃいんっ」と小さく悲鳴を上げた。そんなに怖い顔をしていただろうか。
そりゃあそうか。普通なら地雷、というか心の底から嫌っている人を目の前にして、心中穏やかに居られる人の方が少ない。それがブッダでも助走を付けて殴るしキリストだって見捨てる程に許容出来ない相手なら、尚更だ。
ただ幸いな事に、一周回って落ち着いている。煮油と同じで、何かが入ってこない限りはぱっと見油面は穏やかな状態だ。水の一滴でも触れた瞬間弾ける爆弾は抱えているが、私ももう大人だ。いい歳した大人として、私情とは割り切った対応をするべきだ。それくらい出来なければならないのだ。
「君の身柄は我々ローズブレイド家、及びネッカーマ家が拘束する。これから君には我々に同行してもらう」
そう言い放った言葉は、そんなつもりは無かったが、いつもよりワントーン声が低く、自分でも威圧感を感じるものだった。
ユリストさんが「ヒョエッ!?」と淑女にあるまじき素っ頓狂な声を上げた。
「あ、あいつらの仲間かぁ……せっかく良い人に助けてもらったと思ったのにぃ……!」
レイシーはそうは言うものの、他に頼れる人物はこの場に居ないということは理解しているらしく、もう一度手を伸ばした。
私は顔に出ないように奥歯をキツく食いしばりながら、彼女の手を取り、引き上げる。
レイシーを引き上げた際に何故か嗅ぎ慣れた匂いがして、その瞬間、私は察してしまった。
ルイちゃんが「友達になった」と言っていた人物は、レイシーだったのだ。
内心ドレーク海峡ばりに荒ぶってはいたが、本人達に問い質すにしてもカカシに八つ当たりするにしても、それは後回しだ。今はそれより先にやることがある。
逆に考えるんだ。現在ARK TALEのプレイアブルキャラの中で最強キャラの名を欲しいままにしている奴を戦力として使える、と。
ゲーム内でもパッシブスキルに運動音痴があるレイシーは、えっちらおっちらと、そしてもたもたと現状プレイアブルキャラで最強とは思えない鈍臭さで、横転した馬車の上から降りる。私は刻印の、ユリストさんは身体強化のスペルがあるので、軽く跳躍して着地するだけで終わる行動だ。普段だったら手を貸していたかもしれないが、相手が相手だからか、それとも心の余裕が無いからか、手を貸すことはしなかった。
レイシーが馬車の上から降りてくるまでの間に、こそりとユリストさんが話しかけてきた。
「と、トワさん、大丈夫ですか?」
彼の口から出てきた台詞は、そんな言葉だった。
てっきり「れいちーを戦力としてカウントするつもりなんですか!?」と聞かれるものだとばかり思っていたが、そうではなく、地雷と真っ向から対面するハメになってしまった私の心配をしてくれていることに、少しだけ心が軽くなった気がした。
「問題ありません」
「なんかものすごく雰囲気が怖くなってますけど」
「一切問題はありません」
「でも」
「立っているものなら親でも使う。それが私の方針です」
私は普段から口が悪い自覚はある。だが、今の私の口調は口が悪いせいで悪印象を与えているのではなく、声色から冷たく突き放すような印象を与えてしまっている。
そんなつもりは無いのだが、不機嫌モードの察してちゃんみたいでユリストさんに申し訳無く思う。極力不機嫌を表には出したくないし隠そうとはしているのだが、こんなことすら出来ないなんて、自分の不出来さに反吐が出る。
ああ、胃が痛い。キツく雑巾絞りをされているみたいな痛み方だ。
不意に、周囲の警戒をしてくれていたモズが寄ってくる。何か異変でもあったのだろうか、と思ったが、彼の様子的にどうやら違うらしい。
「ねえちゃん」
「何」
「あたま」
相変わらず必要最小限以下の言葉のチョイスに、頭上に疑問符が浮かぶ。
「ゴミでも付いてた?」
「下げて」
そう言われたので、言われるがまま頭を下げる。頭を下げてから、ユリストさんに見てもらって取ってもらえば良かったんじゃね? と気付いたが、まあいいかとモズの手が髪に触れる感覚をそのまま受け入れた。
ぽすぽす。ぐしゃぐしゃ。
効果音にしたらそんな感じだろうか。モズは何故か、そんな風に私の頭を雑に撫で回し始める。結わえている髪を乱され、どんどんくっしゃくしゃにされていった。
唐突なモズの奇行に、私の頭上に浮かんでいた疑問符は二つほど増えたし、ユリストさんも「モズくん?」と宇宙猫顔で言ってそうな声で呟いた。
「……何やってんの?」
「なでてる」
「いやうんそれは分かるんだけどね?」
「ねえちゃん、いつもおいにこうしったから」
モズがそんな事を言ってきて、ああなるほど、と彼の意図を理解する。
私はモズの機嫌が悪くなった時に、ご機嫌取りでよく頭や背中を撫でてやっていた。とりあえず撫でておけば喜んでくれるし、大抵それで機嫌が直っていたからだ。
要するに、モズは私がへそを曲げていると思ったから、いつも自分がされているように、頭を撫でれば機嫌が直ると思ったのだろう。
にしても撫で方は大変雑だが。私の真似をしているのであれば、私もいつもこんな風に適当極まりない感じでやっていたのかもしれない。
子供に気を遣われるとか情けなさ過ぎてちょっと、いや、かなりヘコむ。ヘコんだ。
怒りとは違うメンタルダメージをクリティカルで食らったおかげで荒ぶっていた感情は落ち着いたが、それはそれとしてかなりダメージがデカいのでしばらく引きずりそうだ。……それと、今度からもうちょっと優しく撫でるようにしよう。
もういいよ、と言いかけた瞬間、背中にも撫でられる感覚がした。
この状況でモズに便乗するような人は一人しか居ない。私は更に追加で二つほど頭上に疑問符を追加する事になった。
「ユリストさん?」
「トワさんめっちゃ頑張ってて偉い! すごくすごい偉い!」
「いや語彙よ。というか、何でユリストさんまで撫でてくるんですか」
「トワさんがもの凄く頑張ってますから! 労ってます!」
「いや後にして欲しいんですけど……」
わっしゃわっしゃと大型犬を愛でるが如き勢いで撫でられて、そこまで体幹がよろしくない私はバランスを崩しかけてふらついた。大型犬なのはユリストさんの方じゃない?
「ねえ、そろそろ安全な場所に連れてって欲しいんだけど」
若干冷めたような声でそうレイシーから言われるまで、私は何故かモズとユリストさんの二人にめちゃくちゃ撫でられまくったのだった。
ご清覧いただきありがとうございました!
寝落ちに次ぐ寝落ちで更新が一週間空いてしまいました……申し訳ございません……。
いや最近やたらと眠気が来ませんか? 来ませんか。そうですか……。
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