130 声無き叫び
脳内にわずかにだが冷静さが戻った時には、私はルイちゃんに体を支えられていた。流石に立った状態では支えきれなかったのか膝を着いた状態だった。
どのくらい意識を飛ばしていたのかと一瞬焦りを感じたが、状況から察するに、ほんの数秒程度のようだ。
「トワさん!! そんな、やだ、私を庇って……!」
「――ッぅぐう、生き、てる、から……かすり傷……!」
「全然かすり傷じゃないよ! こんな時まで強がらないで!」
肩を貫通している銛にはこんなに必要無いだろと思う程に返しがいくつもついており、わずかに身動ぎするだけで体内の返しが傷口を抉り鋭い痛みを発する。そしてその切っ先からぼたぼたと血の雫を落とし、私の体を支えてくれているルイちゃんの服を汚していた。
痛みと大怪我を負ったショックで意識がぐらつく。生理的な涙が溢れて視界が歪む。骨にヒビは入った事があるが、流石に体を刺し貫かれるなんて大怪我は初めてで、気を抜いた瞬間に頭が真っ白になってそのまま気絶してしまいそうだ。
ざっ、と誰かの足音が聞こえた。一度しか聞こえなかったので着地音にも聞こえる。
その予想は当たっていて、音を判別して誰の足音だろうと思考がシフトするより早く、モズの怒鳴り声が鼓膜を震わせた。
「何しっとんじゃぁ雀ぇ!! なしておまんじゃのうてねえちゃんが怪我しったんじゃ!!」
初めて聞くモズの怒り心頭の声に、驚きすぎて遠のき始めていた意識が覚醒する。それと同時に痛みをよりはっきりと感じてしまい口から呻き声が漏れたが、すぐに奥歯を食いしばって耐える。
普段の何倍もの言葉のナイフをルイちゃんに刺し続けているモズの服の袖を、動く左腕で掴む。顔を上げるのすら辛くてその表情は見ることは叶わなかったが、初めて聞いたモズのマシンガン怒声はそれでピタリと止まってくれた。
「やめなさい」
「ねえちゃ……」
「私が、考え無しに、庇った。悪いのは、私だ」
絞り出すように何とかそう伝えて、ようやく顔を上げる。身動ぎどころか、呼吸をするだけで銛の返しが傷口を広げて更に激痛が走った。
まだ動いているディープワンが居る。七体もあの炎から生き延びて、報復せんとこちらに向かってき
ていた。
「生命力エグ……」
「ど、どうしたら……!」
撤退一択、と言いたいところだが、通常の戦闘より負傷者を庇いながらの撤退戦の方が何倍も難易度が上がる、とどこかで読んだ記憶がある。ゼリオン剤は持ってきているが使うべきか、その前に銛を引っこ抜かなければいけないし、そんな事をしている暇はあるのだろうか。
それに全身火傷を負った重傷者相手ならモズが何とかしてくれるかもしれないとはいえ、人数差的に問題と不安しかない。ちらりとセレナとヘレンの方を確認してみると、ヘレンはセレナの治療をしつつもおろおろとこちらの様子を伺いながら狼狽えており、セレナはこちらには一瞥もしない。治療が終わり次第、ヘレンを連れてどこかへ逃げていきそうな雰囲気だ。
迎撃するか、いやしかし、と鈍った思考で答えを出すより早く、ディープワン達が動く。
足下に転がっていた仲間の遺品である銛や三叉槍を拾い上げ、こちらめがけて投擲してきたのだ。
モズが私達に届きそうなそれらを刀で切り、叩き落とす。しかしモズが投擲攻撃に対応している隙に、半数のディープワン達が距離を詰めてきていた。
ルイちゃんは私の大怪我で酷く動揺していて状況に対応出来ていないし、世界一治安が良い現代日本に甘やかされてきた私はこの肩の怪我だけで動けなくなってしまっている。
手数が少ない。ぶっつけ本番で私がイチかバチかでスペルを使うしかないか、と口を開きかけた、その時だった。
「うわあぁぁーーーッ!!」
聞き慣れた男の声。この場に居るはずのない彼の声と共に、こちらに向かって来る運動音痴感のある砂を蹴る音が耳に届いた。
その男は私達の近くに刺さった三叉槍を引き抜くと私達の前に立ち、情けない声を上げ、素人一般人感丸出しながらも、距離を詰めてきたディープワン達を近づかせまいと槍を振り回し始めた。
「やめろよ! 来るなよ! 来るなってば! あっちいけ!!」
「ラガル……!?」
「ラガルさん!? どうしてここに……!」
「こっ、これ以上トワ達に、怪我さしぇっ、させてみろ! ゆるっ、許しゃなっ、かりゃなぁっ!」
ラガルだ。見間違いようがない白髪に生白い肌と蛇の体のような質感の尻尾、そしてここに来るまでに脱げてしまったのか、被っていたはずのニット帽が無い頭にはほんのり赤みがかった白い角。
どう見ても、教会に居たはずのラガルが、ここに居た。
先程ルイちゃんに中級火炎ポーションを取りに行ってもらったのだが、多分その時にはディープワンを見たことによる恐慌状態は収まっていたのだろう。そして、向こうで何があったのかは定かではないが、自分も何かしなければと焦燥感に駆られ、後を追って来たのだろう。
口が回っていないし声は裏返っているし、へっぴり腰ではあるけれど、恐らく彼の人生で一番勇気を振り絞っている点においては、最高に格好良い男であった。
ただし、それが現状を好転させるか否かにおいては別である。人はこれを「勇気」ではなく、「蛮勇」と呼ぶものだ。あるいは、今後の行動によっては「戦犯」とも言える。
誰が見ても口を揃えて戦闘ド素人だと言うだろうラガルが来たところで、ハッキリ言って足手まといが一人から二人に増えただけだ。モズが数瞬だけ、鬱陶しそうにラガルを睨んだ。
「馬鹿お前っ……早く逃げなって……!」
「おいシスター、あっ、あんた凄いスペルが使えるんだろ!? それにそこの人魚も強いんだろ!? 何とかしてくれよっ! トワが……僕の友達が死にそうなんだよぉ!」
ラガルは今にも泣き出しそうな声で安全圏にいるヘレンとセレナに助けを求める。
確かに、本来は救助対象ではあったのだが、間違いなくこの中で一番強いだろうセレナ、そして怪我人の私が居る状況であれば治療のエキスパートであるヘレンに助けを求めるのは正しい選択だろう。救助対象としてしか見ていなかったので、私には思いつかなかった手だ。
セレナはともかくとして、ヘレンはハッとしたように顔を上げると、肩に乗っていたヘーゼルを両手の上に乗せ、お上品な動作でぽぉんと放った。
「ふわふわちゃん、あの方達を守ってあげてください!」
ヘーゼルは上手く着地をすると、呑気にぷるぷると体をドリルさせてから、まんまる毛玉とは思えない機動力でこちらに駆け寄ってくる。流石獣と言うべきか。
しかし、ヘーゼルの防壁の範囲内に入る前に、ディープワンの三叉槍がラガルの胸に突き刺さった。
「あぐっ……い、痛……? いたい……!」
ディープワンは三叉槍を力任せに引き抜き、ラガルを蹴り飛ばす。ラガルは私のように叫ばなかったが、気絶したのかそのまま動かなくなってしまった。
「いやぁっ! ラガルさぁん!!」
「言わんこっちゃ、うぎっ!?」
言わんこっちゃない、と刺さったままの銛の存在を忘れて助けに入ろうとしたが、動いた瞬間に返しが傷口を抉り悲鳴が口から漏れ、情けないことに動けなくなってしまう。
ルイちゃんもラガルを助けに行こうとしたようだが、私の悲鳴を聞いたせいで躊躇してしまった。そのせいで倒れたラガルが追撃を受けそうになったが、間一髪モズが間に入り、素早い動作でエラの隙間から刀を突き刺して刀を捻り、ほんの十数分前に教えた魚の締め方を見事に再現してディープワンを始末した。
しかしモズは友情やらそういった友好的な観点から助けた訳ではないらしく、唾でも吐き捨てそうな軽蔑した表情で、唾の代わりに「邪魔じゃあ白トカゲ」と辛辣な言葉を吐き捨てていた。
今度こそルイちゃんは動き、モズが他のディープワンを抑えている間にラガルの両脇に腕を差し込み、ズリズリと引きずって私の所まで後退してきた。途中で私の元に走って来ていたヘーゼルは途中で軌道を変え、先にラガルとルイちゃんに合流し、引きずられているラガルの腹にちょこんと乗った。
私とルイちゃん、ラガルが防壁の範囲内に入ったのを確認してから、モズが滑り込むように防壁内に入ってきた。珍しくぜいぜいと肩で息をしていて、相当無茶をさせていたのだと今更ながらに気が付いた。
念のため呼吸を確認するが、ちゃんと息はしている。気絶しているだけだ。ルイちゃんは半泣きになりながらも傷の容態を見て、震える声で「急所は外れてる、すぐに治療すれば大丈夫なはず」と自分に言い聞かせるように呟いた。
「今傷を治します! est lumen curat ac――」
「ちょっ、待っ――」
「待って、今は駄目!」
私が制止の声を上げるより早くルイちゃんが声を上げる。その声にヘレンはビクッと肩を震わせ、詠唱を止めてくれた。
ラガルの治療だけなら止めなかった。が、制止したのは私が居るせいだ。
怪我を負った際、傷口に凶器が刺さっている場合は、それ自体が蓋となって出血が抑えられる。だから私もルイちゃんもあえて刺さったままにしていた。
しかし、凶器が刺さったまま治療してしまったら、凶器ごと癒着してしまいかねない。そうしてしまうと凶器を抜く際に新たな傷となってしまうし、今は良いとしても後から感染症だのなんだのと大変な事になってしまう。そもそもこんなエグい返しがついてる銛がぶっ刺さったまま治療されたら、動いた瞬間体内の返しで激痛のオンパレードになるし、第一痛みとか置いといても動きづらい。
何本か三叉槍や銛が追撃で飛んで来たが、防壁に弾かれて浜に落ちる。
安心したのも束の間、私達への攻撃が通らなくなったと察した個体が、ヘレンとセレナに向けてその銛を投擲した。
「きゃあっ!」
幸いにもその銛はヘレンに届かず手前に刺さったのだが、驚いたヘレンは悲鳴を上げて尻餅をつく。
瞬間、ようやく群青に戻っていたセレナの体色に赤が差した。
セレナはギロリとディープワンを睨み付け、そして――。
「――――!!」
咆哮。声なんて出ないはずの彼女は、声を出さぬまま空気を震わせ、ビリビリと響く衝撃波を発生させた。
音ではない。魔力かコギトかは分からないが、スペルや魔術を使わずに、ヘーゼルの防壁越し、且つ宙族アレルギーが無いはずの私まで心の底から脳の隅々まで恐怖の一色に染まる程の圧と衝撃を生み出した。
「ひっ……!? あ……」
「っ……」
ぱたり、とさり。ルイちゃんとモズが倒れ、崩れ落ちる音がやけに鮮明に耳に届いた。
――これが、宙族。
宙から来た、そして、宙の向こうでも生きていける強靭な生命体。
声無き叫びを聞いて、私は初めて、人の理とかけ離れた存在である宙族というものへの恐怖を真に理解した。
セレナは自身の咆哮で気を失ったヘレンをガラス細工でも扱うように優しく抱き上げると、一度慈しむように彼女の額にキスを落とし、私達に一目向けることもなく海へとその身を沈める。
彼女が立てる波は、そのまま港の方角へと進み、そして見えなくなってしまった。
ご清覧いただきありがとうございました!
執筆が間に合わず一日遅刻しました!! 代わりにめちゃくちゃ頑張ったので褒めて下さい!
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