122 0/1D6のSANチェックです
どうにかもう一度釣れないかとベアード神父に話しかけようとした瞬間、わずかな地面の揺れと、ワンテンポ遅れて遠くの方で大きな爆発でも起こったかのような音が耳に届く。
「何の音?」
「港の方からですね。貿易船が衝突事故でも起こしたのでしょうか?」
気になった私は、窓の方に移動して港を見る。ベアード神父とラガルも気になったらしく、私の後ろから外の様子を伺った。手の空いているシスターさん達も、何人かが港の様子を確認していた。
遠目でよく分からないが、特に壊れている船があるようには見えない。事故が起きている様子は無かった。
ただ、緊張が走り静かになった室内に、モズの淡々とした「始まっとう」という言葉が響いた。
それが何を意味するのか、私達は知っている。ざわり、と室内が騒然とした。
「ちょっと早くない!? まだジュリアから連絡来てないってのに……!」
いくら切迫した状況だったとはいえ、こんなに早く来るとは思っていなかった。だって、聖女は街中でリチャード氏とほっつき歩いていたのだ。自然なスタンピードだろうが人為的なものであろうが、普通に考えるのならば何かしら計画しているのならばその準備に追われているはずで、遊び呆けているはずがないのだ。
あるいは――こちらの動きを聖女側に知られて、先に動かれたか。
それは別に構わない。戦力的な意味で言うなら一級品なことは、ダニエル女公爵の情報から知っている。また一つ聖女にとって都合の良い手柄が増えるのだって、最悪、必要経費として割り切れる。
問題なのは、聖女は都市と住民の被害を防ごうとするのかどうかだ。
近隣都市の騎士団はまず間違いなく間に合わない。恐らく、ネッカーマ伯爵家の私兵騎士団が来るまでにも時間がかかる。現場の冒険者という戦力がどれほど居るかは分からないし、これはローズブレイド家の連絡を悠長に待っている暇は無い。それに今の音を聞きつけて、ダニエル女公爵が向かっている可能性も高い。
合流するべきだ。直感的に、私はそう判断した。
「現場に向かいます、こちらのことはよろしくお願いします!」
「お任せ下さい」
急いで部屋の端っこに置いておいたコートを回収して羽織り、ベアード神父に後のことは任せる旨を伝え、裏口の方に向かう。そっちの方が近いからという理由だが、完成したポーション類は裏口近くの部屋に置いてあるので、ついでにいくつか拝借することにした。
「ルイちゃん、出来てる分ちょっと貰ってくね! モズ行くよ!」
「おん」
モズに声をかけ、人目を気にすることも忘れて【記録】領域からマチェットを取り出し、歩きながら腰のベルトに装着し、次いで銃を取り出す。モズも刀をアイテムボックスから取り出して腰に差した。
通りがけにシスターさん方がぎょっとした顔をしていたところで「やっちまった」と気付いたが、状況が状況だし仕方がない。それに一般的ではないとはいえ、収納呪文は存在するんだから言い訳のしようはいくらでもある。
ルイちゃんとラガルが見送ろうとしているのか、不安げな表情で裏口の方まで付いて来てくれた。ラガルはともかく、ルイちゃんは作業の手を止めてて良いのかとは思ったが、流石に無遠慮に「作業に戻ってて良いよ」とは言えず、甘んじて見送りを受けることにした。
「気をつけてね……!」
「命大事にで行ってくる!」
「ねえちゃん」
「ああごめん刻印付け忘れてた! 危ねえ生命線忘れる所だった!」
「ねえちゃん」
「とりあえずいつもの俊敏・頑強・剛力の近接三点セットな」
「ねえちゃんってば」
「じゃあ後のことは任せ――」
そう言いながら扉を開けようとした瞬間、モズが私の腕にしがみつく。まるで、駄目だとでも言うかのように。
しかし既にドアノブに手をかけていたせいで、その衝撃でドアノブを掴んでいた手が腕ごとガクンと引っ張られ、ドアノブから手は離れたものの扉が開いた。
わずかに開いた扉から漂ってくる、不快な臭い。吐き気を誘発するような濃い魚の生臭さが鼻腔をくすぐった。
海風が開いた扉を押す。不快な生臭さを乗せて、ぎいぃ、と開いた隙間を広げ――そこに居たそれの姿を、私達の前に晒した。
まず目に付くのは、ぎょろりと飛び出た目玉に、ぬめりを帯びた鱗のある肌。三つ叉の槍を持つ手には水かきがついていて、だぶついた皮膚で埋もれかけた顎のラインにはエラがある。
二足歩行で私の前に立ち塞がっているそれは緩慢な動きでゆっくりと口を開き、ピラニアを彷彿とさせる牙をちらりと見せながら、聞いたことの無い言語で何かを言いかけて――。
「ッアーーーーー!?」
私は咄嗟に、奇声と共にその横っ面を銃のグリップで殴り飛ばした。
剛力の刻印を付けた後だったためか、二メートルはあるだろう巨体はよろめき、後ろへと数歩後ずさった。背後でラガルの情けない悲鳴が聞こえた気がした。
「っ――! est ventus offendo!」
ワンテンポ遅れて正気に戻ったルイちゃんが咄嗟に風属性のスペルを唱え、よろめいたそれに向かって突風を巻き起こし吹き飛ばす。後ろにもう二体居たらしく、まとめて地面に転がった。
「ナンデ!? ディープワンナンデ!?」
私の疑問に答えられる者は居ない。代わりに、私の悲鳴を聞きつけてやって来たシスターさん方が駆けつけて、鈍い動きで起き上がるディープワンを見て悲鳴を上げた。
どうしてこんな所にディープワンが居るんだよ!? 完全に想定外だよ! 港の方に集まってるんじゃないの!?
慌てて銃を構え直して銃口をディープワンに向ける。緩慢な動きのおかげで当てることは左程難しくないだろうが、あのぬめる鱗のある皮膚がどの程度の防御性があるのかは未知数だ。流石にゲーム内のモーションだけだと分からない。
少し遅れて来たベアード神父がシスターさん達に避難を言い渡し、腰が抜けて動けなくなっているラガルを抱えて連れて行――姫抱き!? お姫様抱っこ!? いくら痩せ型とはいえ同じくらいの背丈の成人男性を軽々と!?
正直、私の中でラガルのカップリング相手がルイちゃん固定でなければ、この光景を見て百合ホモだと大歓喜していたと思う。これは百合です。諸説有り。
起き上がったディープワンが、何かを話す。思いっきり横っ面を殴ったというのに、そこまでのダメージにはなっていないように思えるが、表情が変わらない魚面のせいで分かりづらいだけかもしれない。
「殺スカ」
「イヤ、人間ノ雌、久シ振リ」
「連レテ帰ロウ」
本来なら、彼等の言葉は分からない。ゲームでもメッセージウィンドウに表記されるのは、特殊なフォント且つある法則性によって日本語とは違う文字列で表記される。
しかし私には、言語翻訳チートがある。彼等が何を言っているのかハッキリと分かってしまう。
私はクトゥルフ神話知識が多少ある。クトゥルフ神話TRPGをやっていた時期があるし、小説もいくつか読んだ事があるからだ。
深きもの、ディープワン。彼等の雄は異種姦を好むという特徴があり、女性を攫い手籠めにしたり、時には金銀財宝と引き換えに女性を貢がせることだってある。
要するに――今の発言は、そういうことだ。
「拉致るにしてもこんな顔面偏差値平均値のアラサー喪女よりもっと良い人居ると思うんですけど!?」
ツッコむべきはそこじゃない、と自分で叫んでから思ったし、既に刀を抜いているモズは「何言ってんだこいつ」とでも言いたげな表情をしていた。
うん、まあね、私以外にはディープワンの言葉は分からんだろうからね……。
というか、思ったよりモズが怖がってない。セレナの威嚇よりは怖くないという事だろうか、それともクトゥルフ神話TRPG的に言うならばSANチェックに成功したのかもしれない。
それより気になるのは、奴等が一目で私を人間だと見抜いた事だ。
人間という名称はこの世界には存在しない。人間を表現する言葉で存在するのは、大枠として「人族」や「人類」「人」、その分類として「○○種」という呼称、そして「旧人類」のとその枠組みの「エルフ」や「ドワーフ」といった種族名だ。そこに「人間」という言葉は存在しない。
しかし彼等は明確に「人間」だと発言し、そしてその存在がこの世界において貴重であることを理解している。久し振り、と言っているのは、私や聖女のように異世界召喚された人物が居るからだろう。実際、前作の主人公は現代人だったし、そういう事はままある。
「トワさんもこっちに!」
「いや駄目だ、ここで応戦する! ルイちゃんは下がってて!」
ルイちゃんの声にハッとする。悶々と思考を巡らせていたせいでディープワン達に対する警戒が薄れていた。奴等の動きが鈍くて助かった。
余計な事を考えるのは後だ。今はとにかく、こいつらを何とかすることに集中しなければ。
「モズ、数は!?」
「三」
「じゃあ目の前に居る奴等だけってことだな! 数からして本隊じゃない、はぐれかただの偵察部隊! ここで始末する!」
「おん」
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※2024/12/25(水) 追記
本日更新の予定でしたが、所用が長引いているため執筆時間が取れていません。
更新は12/16(木)となります。申し訳ございません。