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  作者: 黎井誠
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 透真は元に戻っていなかった。

 朗らかな笑顔はなく無表情かむすっとした顔。声のトーンも低いままだ。

 そして時々、スキンシップが過剰になる。

 人前なのに悠斗の顔を触ったり手を取ろうとしたりする。腕を組んだり、ハグもされそうになった。


 その度に透真のいつもより高い体温への違和感から突き放してしまう。

 二人は友達であったときからパーソナルスペースがお互いに対して狭く、元々の距離感が近かった。

 しかしここまですることはなかったし、付き合うようになってからもあまり変わらないままだった。


 クラスメイトには「いつにもまして仲良いな、お前ら」「やっぱ付き合ってんじゃね?」と冗談を飛ばされ、悠斗は一日中気が気ではなかった。

 しかし放課後になれば透真とまた二人きりになってしまう。月曜日で二人とも部活がないからだ。


 悠斗には、ルーティンと化している二人きりの下校を今更解消しようと言える気概はない。『じゃあさま』の話をするのも、別人のようなままの透真と二人になるのもどちらも怖く、吐き気がしそうだった。

 昼食も買いに行かず、自分の席で寝たふりをして、こちらの様子を伺う透真の視線を感じないように努めた。



 §



 帰りのホームルームが終わった。

 荷物を背負って教室を出ようとした悠斗の肩に透真が手を回す。

 首の毛がぞわりと逆立つ。

 すかさずクラスメイトが「おーまたやってる」とからかう。

 悠斗は苛立ちをごまかすためにふざけた調子を装って


「透真。何なんだよ今日は」


 と軽く小突く。

 からかってきたクラスメイトに「じゃあな」と言いながら、透真の手を外して教室から出た。

 透真が教室の扉を閉めるのを横目にずんずんと早足で進む。

 授業が終わったばかりで人の多い廊下だが、その合間を縫ってなんとか透真を引き離そうとする。

 しかし生徒用玄関で靴を履き替えているうちに追いつかれ、結局一緒に帰る羽目になった。


 無言のまま学校の最寄り駅まで歩く。

 悠斗は早足を諦め、あてつけるようにゆっくりと歩いていた。

 透真はそれに合わせようとするが、どうしても時々先を行ってしまう。

 不安げに振り返る透真の表情を見ても、悠斗は絶対に歩調を変えなかった。

 駅について電車がホームに到着しているのが階段の上から見え、透真が「走ろう」と言っても走らなかった。


 ホームのベンチに並んで座って、五分後に来る予定の次の電車を待つ。

 数分黙りこくっていたが、とうとう悠斗は口を開いた。


「距離が近い。人前はやめておこうって決めただろ」

「ごめん、つい」


 透真が肩を落とす。悠斗はホームの黄色い点字ブロックを見つめながら続ける。


「あと何でそんなになったんだ。蛇みたいなやつのせいか? キャンプの時に憑りつかれたのか? あの虫刺されで感染したとかか? それか寄生とか?」

「えっと、そうだけどそうじゃなくて、その……違うんだ、えっとね」


 まとまらない思考を無理やり出力しようとして、おろおろと戸惑う透真。

 その様子に耐え切れず、悠斗は捲し立てた。


「違うなら何なんだ何があったんだ、完全に別人みたいになってるじゃないか、悩んでるならちゃんと言おうって約束したじゃないか、言葉にするまで待つって言ったけどこうも話しそうにないのに様子も変わって。……俺は、どうすればよかったんだ! どうすれば……」


 膝に腕をついて項垂れると、重い灰色のコンクリートに黒い染みがじわりと曖昧な輪郭で広がっているのが見えた。ただの汚れだ、俺の汗とか涙とかじゃない、と言い聞かせる。


「あの、うちで説明する。ちゃんと……ごめん」


 透真の手が一瞬肩に触れ、すぐに離れた。



 §



 駅から十五分歩いて透真の自宅に到着した。住宅街の一軒家。

 まだ友達だった時、初めてここを訪れた時のことを思い出す。

 三人家族だからそこまで広くはないけど、と言って通されたが、家族向けのマンションで四人暮らしの悠斗からすると広かった。庭があって二階建てなのも「狭い」という言葉の範疇には当てはまらないだろう。

 それを言ったら透真は「だって近くの他の家はもっと広いよ」と首を傾げながら笑ったのだった。

 恋人になってからは何となく生々しくて遊びに行くのが少し怖くなっていたから、透真の家を訪れたのは久々だった。


 家には誰もいなかった。父親は仕事、母親は近所の友人たちと集まってお茶をしに行っているらしい。悠斗をリビングのソファに座らせて、自分も隣に座り、透真は早々に話し始めた。


「前の透真は戻って来ないよ、もう。死んだ。俺はずっとあいつに寄生されていたんだよ」


 悠斗は口を挟めない。


「今しゃべってる俺が、元々の俺。小学生の頃までは俺が俺だった。えっと、わかる?」


 唐突に話を振られ、悠斗は慌てて


「え、あ、うん」と答える。だが、

「あーちょっとわかりづらい」と言い直した。


「じゃあどうしよう。死んだ方の俺、悠斗は蛇って言ったから蛇にして、俺は俺で――いや、僕にしよう」

 一人頷いて話を続ける。


「それで、小学生の頃まではこの体に僕しかいなかったんだ。十三歳の時によく分からないけれど、いきなりあいつ――蛇が頭の中に入ってきた。多分出てきた時みたいに、耳から」


 その様子を悠斗は想像する。

 十三歳のあどけない透真の寝顔。その顔に這ってくる白い蛇。その先に附随する、蜘蛛のような獣のような毛むくじゃらの黒い塊。

 想像なのに怖気がして鳥肌が立った。


「蛇は僕の脳に寄生したんだけど、殺すつもりは無いって言っていた。宿主が死ぬと自分も死ぬからって。でも僕は身体に干渉できなくなった。蛇が僕より強かったから」

「強い、ってどういうことだよ」

「色々と。性格もみんなから好かれるような感じだったし、山崎……えっと中学生のとき僕をいじめてたやつね、こいつに対しても強く出られていた。そのおかげで『透真』っていう人間には友達ができた。あと頭も良かったし。なんというか精神的なところとか全部が強かった。身体の上手い動かし方も分かっていたから、運動神経も良くなったし手先も器用になった」


 透真は確かに運動神経が良く、体育の授業では運動部の連中が「科学部にしておくには勿体ない」と嘆くのが恒例だった。


「それでまあ、僕は体を動かさないからずっと閉じ籠って、でも同じ体にいるから何が起こっているかとかは知ってた。蛇と脳内で会話してて、仲も結構良かったんだよ」


『僕』と『蛇』がどんな会話をしたか、中学生活で何があったか、そんな話を悠斗はずっと聞いていた。相槌を打って頷くことしかしていなかったが、透真は喋り続けた。


「高校生になってから、僕も少し強くなった。でもそれは悩んでる時だけだった。嬉しいこととか楽しいことは蛇が持っていたんだ。僕は辛いことを処理する係になってた。それがパンクしたとき、それが悠斗との喧嘩のときね。あと、その後も辛いことがあったら喋ったりしたでしょ。あの時体を動かしていたのは僕だったんだよ」


 少し納得した。喧嘩の時の透真は暗い表情でネガティブで、マイナス思考に支配されている様子だったのだ。様子がおかしくなってからの透真と今考えてみれば似ている。


「キャンプで虫に刺されたでしょ。多分ブヨなんだ。あの虫の毒って人間にはほとんど効かなくて、腫れるだけなんだけど、蛇には効くみたいで。あれ以来ずっと蛇は弱っていたから仕方なく僕が体を動かしていたんだ。一度頑張って蛇みたいに振舞おうとしたんだけど、無理だったな。それでまあ後のことは、知っての通りだよ……」


 そして透真は口を閉ざした。

 悠斗も黙っていた。ずっと考えていた。この話を信じたくなかった。


 本当なら俺が好きだったあいつの本体はあの気色の悪い蛇のような何かで、それを殺したのは俺だ。

 あの蛇を好きだった自分も信じたくないし、好きな相手を自分が殺したことも受け入れたくない。


 とにかく全てが拒絶の対象だった。

 目の前で俯く透真は大好きな人のはずだ。でも本人が言うには違う誰かで、そんな実感もあるし、でもやはり好きな人に見えるからよく分からない。


 沈黙に耐えられなくなった透真が言った。


「これで多分、全部話した。……あいつを殺したのは悠斗だよ。墓参りも本当はさせたくないけれど、それはそれで蛇に悪いかなって。だからこれが最後、うちに来るのは。でも学校では今まで通りでね」

「今まで通り、だって?」

「うん」

「無理だよ」


 悠斗はのろのろと立ち上がった。疲弊した精神を宿す体を引きずり、玄関へ向かう。


「え、悠斗。帰るの?」

 後ろから透真が追ってくる。

「ああ。……色々ともう無理だ。透真がお前とか蛇とか分からないが、少なくとも俺の好きな透真は最初からどこにもいなかったってことだろ」

「どこにも、なんて。蛇は確かにもういないけど、でも」


 縋るような声で言い返す透真に見向きもせず、


「もう関わるのやめよう。じゃ」


 震える声で吐き捨てた。


「悠斗!」


 右腕を掴まれるが、渾身の力で振り解く。

 反動で転んだ透真を尻目に悠斗は駆けだし、自分のスニーカーをつっかけ、ドアを開けて全速力で走る。

 少し後ろを透真が追い掛けて来るが、まったく追いつかれる様子はない。

 いつもの透真ならすぐに追いついていたはずだ。

 いや、そもそも悠斗が手を振り解いても転びすらしなかっただろう。


 走りながら駅の階段を上り、改札に定期を叩きつけて通り抜け、ホームに着く。透真は途中で諦めたらしく、もう追って来なかった。



 §



 帰宅して自室に着いた瞬間、悠斗は着替える間もなくベッドに倒れ込んだ。

 体感は一瞬だったが、はっと目が醒めてスマートフォンを確認すると、時刻は深夜の二時を回っていた。

 ロック画面には、透真からメッセージや不在着信があったことを告げる通知がずらりと並んでいる。ざっと五十ほど。


『なんで帰ったの』『最後とか言ってごめん』『これからもお墓参り来て良いよ』『前の透真がいいなら、僕が蛇みたいになるから』『返事してよ』『お願いだから』『ねえ』


 最初はいきなり帰った悠斗を責めるような内容だったのが、返信のなさに不安になったのか、必死に悠斗の気持ちを引き留めようとする内容に変わっていった。


 透真の話が本当なら、今連絡してきている透真は『僕』の方で、悠斗との関わりはほとんどなかったはずだ。

 このようにに好かれる謂われは、執着される謂われはない。

 だとしても蛇のような何かに好かれていたと考えるのも気色が悪い。


 悠斗は罪悪感と嫌悪感に頭を掻きむしった。それでも読まなければ、という義務感を抱えながら画面をスクロールして読み進めていく。


『やっぱり蛇みたいにはなれないね。ごめんなさい。僕も悠斗が好きだったけれど、悠斗は僕をきっと嫌いでしょ。「蛇」の透真は色んな人が助けてくれた。悠斗は時々僕のことすらも助けてくれた。』


『でも僕だけしかいない透真を助けてなんかくれないだろうし』


『多分、蛇がいないと僕は存在できない』


『だから、じゃあね。』


 二十三時三十四分送信。

 ここでトーク画面が終わっている。不在着信もそれ以降は来ていなかった。思わず悠斗は


『じゃあねってなんだよ』


 と送る。

 二度と返信は来なかった。



                            Fin.

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