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  作者: 黎井誠
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 翌日。待ち合わせの駅西口にやってきた透真は笑顔で悠斗に駆け寄ってきた。

「おはよう!」

 口角を上げ、目も細めている。眉尻が下がって柔らかい雰囲気だ。右目の下の腫れは少し引いて、半分くらいの大きさになっていた。

「おはよう」

 昨日と同じ調子だったらどうしよう、と考えて朝食が手につかなかった悠斗もつられて口元を緩めた。

「昨日ごめんね、返信できなくて。寝ちゃったんだ」

「そうか。ちょっと心配したけどよかったわ」

 透真の肩をぱし、と軽く叩く。

「じゃ、行こ」

 と歩き始める透真の左側に並ぶ。

 西口の階段を上りながら、安堵の思いを噛みしめる。何となく横目で透真を窺うと、その思いは急速に縮まった。


 透真は笑顔なんじゃない。笑った顔が貼りついているだけだ。その証拠に固まった頬が引き攣って、小さく震えていた。

 階段を上り切った悠斗の足が止まる。少し先に進んだ透真が振り返る。


「悠斗?」

 笑顔。

 悠斗の表情を見て、ぎこちなく眉根を寄せた。頬は引き攣ったままだ。

「大丈夫?」

「ああ、うん。何でもない」


 慌てて足を動かして、透真の後ろに続く。子供っぽい顔つきに似合わない、少し広い背中を見つめる。

 いつもより丸まっていた。

 悠斗は思わず目線を落として、透真の黒いスニーカーの踵のへりを見つめる。

 この間買ったばかりの新品のはずなのに既に少し潰れ、皺が入っていた。これも透真らしくないような気がして、でもいつも踵を潰していたような気もして、悠斗は一瞬目を瞑った。


 雑踏の音がまるで耳に入らなかった。



 §



 授業が終わり、悠斗は一人で四階の音楽室の前に来てから、楽譜を教室に置いたまま来てしまったことに気がついた。吹奏楽部の打楽器パートはいつもここで練習している。

 一旦荷物を置こうと扉に手をかけるが、鍵が開いていない。

 鍵を開ける係の部員はまだ音楽室に来ていなかったようだ。仕方がないので扉の横の壁際にリュックを置いて、小走りで二階の教室に向かう。


 教室には透真だけが残っていた。窓際の自分の席で机に突っ伏している。

 今日は科学部の活動がない日だが、透真は悠斗と帰りたがっていた。おそらく教室で待機して、部活が終わる頃に合流しようとしていたのだろう。時々あることだった。

 待っているうちに眠くなってうたた寝をしている、といったところだろう。


 悠斗は肩で息を整えながら透真のそばへ行く。昨日の日本史の授業のときのように、前の席の椅子に跨って座る。

 透真は陽射しに透ける茶色の髪の毛を窓側に、教室の内側に顔を向けて目を瞑っていた。

 白い肌は日に当たっていなくても透明だ。愛おしさにしばし見惚れていると、透真の目蓋に苦しそうな皺が寄る。

 その目の下の腫れは朝より赤く、大きくなっていた。辛そうなその様子に、部活のことを忘れ、右手を伸ばして透真の頭に乗せた。


「何かあるならちゃんと話してくれって言っただろ……」


 小さく囁く。

 恋人だろ、約束だろ、という言葉は何とか飲み込んだ。


 透真は目を開けない。ただ苦しそうな呻き声がごく小さく漏れている。ほとんど聞こえないくらいの大きさなのに、悠斗の耳にまっすぐ飛び込んで、内耳でしつこく反響した。


 隣の教室の扉が勢いよく閉じられる音がした。

 それほど大きな音ではないはずなのに、悠斗はなぜか驚いてしまって透真の頭から手を離した。そろそろ部活行かなくては、と我に返って立ち上がる。


 すると透真の耳の辺りに何か白いものがあることに気がついた。

 紐のようだが、それにしては細かくつややかな光沢がある。

 席を回り込んで、透真の横からその白い紐を確認する。


 それは蛇だった。太さは蚯蚓みみずほどだったが、間違いなく蛇だ。

 楕円の頭、ぱくりと裂けた口、黒いビーズのような目。細かな鱗が一枚一枚光を反射して艶めいている。

 小さくともしっかりと蛇の特徴を持っている。


 そいつが透真の耳の穴からにょろりと這い出して、耳から首筋にかけてぶらさがっていた。

 透真の肌の白さのせいであまり目立たなかった蛇は、糸のように細い赤い舌をだらりと出して、まったく動かない。


 叫びそうになる口を手で押さえたが、ばしっと音が立つ。

 後退って太ももが当たった後ろの机の脚が、ぎい、と床と擦れる。

 

 それに反応したのか、蛇はぬるりと動いて顔を上げ、悠斗の方に向けた。黒い目がこちらを捉える。


 両者共に、一瞬硬直する。


 そして蛇はその身を短くしていく。

 透真の耳に這入ろうとしているのだ、と察して咄嗟に蛇を掴んだ。

 硬く、温い。蛇は悠斗の手の中でぐねぐねとうねり、逃れようと暴れる。

 蛇の身体にはとっかかりになるような所が無いのでつるりと手から抜けて行ってしまいそうだ。手首をぐっと曲げたりして、どうにか逃げないように工夫する。身体が机に当たってがたがた言う。


「な、なに」

 透真が目を醒ましたらしい。身体を起こし、悠斗の方を振り向く。それにつられて蛇も動くので、悠斗の腕が引っ張られる。


「こ、こいつが! 透真の、中に、耳に!」

 説明する余裕もなく、悠斗は途切れ途切れの言葉しか発せない。


「……やめて!」

 透真が目を見開いて叫んだ。悠斗は腕にぐっと力を込めて、蛇を引っ張る。

 想像以上の手応えで、蛇は中々外に出てこない。透真が頭からぐらりとよろける。


「もう少し、踏ん張れ、透真、マジで出てこない」

「そう、じゃなくて」


 もう一度、と次は両手で蛇を掴んで引っ張る。ずる、と少しだけ抜き出せた感覚があった。

 次で終わらせてやる、と右手を少し移動させて、耳のすぐ近くで掴む。

 左手を透真の頭に置いて、両手をぐいと力いっぱい引き離した。


「悠斗、やめろってば!」


 ぶちぶちぶち、と凄まじい音がした。


 悠斗と透真はそれぞれ後ろに吹っ飛ぶように倒れ込んだ。

 悠斗の手には力を失った白い蛇、それが続く先に何か赤黒い塊がくっついている。ソフトボールより一回りくらい大きい。

 毛むくじゃらの蜘蛛にも見えたが、脚のようなものは三本しかない。しかも膝のような関節があり、筋肉もついていて、鼠や栗鼠(りす)などの齧歯類とか、兎の脚に似ていた。


 塊はしばらくもぞもぞと蠢いて、その赤く濡れた黒い毛を震わせ、よたよたと脚に力を込めて歩こうとしている。

 その気色悪さに、掴んでいる手をぱっと放す。

 ぺたりと力なく蛇が床に落ち、毛むくじゃらの塊もすぐに動かなくなった。


 蛇らしきその何かの血か、赤い色が辺りに点々と散らばっていた。

 それを辿った先に透真がいる。ぐったりと椅子に座り、背を丸め、窓に寄りかかっている。


「透真、大丈夫か。やっとでてきたぞこいつ」


 悠斗は息を切らしながらも透真に言った。反応がない。

 透真は蛇が出てきた方の耳を両手で押さえている。白い手に力が入って、関節に薄く赤みがさしている。

 やがてその指の隙間からどろりと血が漏れ、手を赤く染めた。手首を伝って制服のシャツの中へ垂れていく。

 ゆっくりと這うように。


「とう、ま……?」

 悠斗の声に透真は頭を重そうに上げた。そして睨みつけた。

「だから、やめろって、いった」

そして力尽きたようにすっと目を閉じた。

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