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67/90

21 緩み

セーフ。

 翌日。

 準々決勝の会場となる横浜スタジアムには、多くの観客が詰めかけていた。

 時刻は午後一時を少し過ぎた頃。

 試合開始時刻まで残り30分を切っている。


「この大半がお前目当てだぜ」


 ブルペンでの投球練習を終えると、駆け寄って来た福尾が言う。


「そんなことないでしょ。第一試合もあるし」


 今日の第一試合は、鎌倉工業対藤沢商大の試合。

 どちらも県内ではそれなりに人気な古豪なので、慎吾の言い分にも一理ある。

 しかし――。


「そうは言っても、今や神奈川の台風の目はお前なんだよ」


 福尾の言う通り、慎吾はもはや神奈川で最も注目を集める投手だった。

 なにせここまで計19イニングを投げて、打たれたヒットは1本のみ。

 失点も僅かに1と、完璧に近い投球を見せているのだから無理もない。


 それに、今日の相手は昨年の甲子園優勝校、海王大付属。

 慎吾抜きで考えても、集客力としては第一試合の比ではなかった。


「どうだ? プレッシャー感じてきたか?」

「……どうだろ。正直よく分からないな」


 福尾が意地悪く尋ねると、少しばかりの沈黙の後慎吾が答えた。

 マウンドで全力投球できるのが、とにかく今は嬉しかった。


 福尾は目を丸くした後、感心したように呟いた。


「台風の目が周りより穏やかってのは、どうやらマジみたいだな」

「……どういうこと?」

「いや、こっちの話」

「なにそれ。余計気になるんだけど」


* * *


 海王大付属の面々と挨拶を交わした後。

 慎吾はまだ誰も足を踏み入れていない、まっさらなマウンドに立った。


 先攻は海王大付属。

 試合前先攻後攻決めジャンケンでは慎吾が負けたものの、相手方の主将・平が進んで先攻を選んでくれた。


 もっとも、青嵐側としてはそれは織り込み済み。

 野球は通常後攻が有利とされているが、海王大はこれまでの試合でも常に先攻を選んでいた。先制点を奪うことで、相手の戦意を挫くという戦略だ。


 実際、海王大の試合運びを見ると、初回に大量点を獲得するケースが多い。

 チーム事情にもよるが、海王大には先攻が合っているのだろう。


 投球練習を終えると、件の平が右打席に入ってくる。

 主審がプレイボールを宣告すると、サイレンの音が球場内に鳴り響いた。


 ふっと息を吐くと、慎吾は第1球を投じた。

 特に気負いもなく、いつも通り投げたストレートのはずだったが——。


「えっ?」


 キン、という金属音に、慎吾は思わず声を漏らした。


 打球自体は降り遅れて一塁側へ飛んだ、どん詰まりのファールボール。

 しかし、初球から自分のストレートに当てられるとは、正直思っていなかった。

 たとえそれが、キャッチャーの構えたところから外れた逆球だったとしても。


 2球目もストレート。

 今度は平が手を出す素振りすら見せず、外角に構えた福尾のミットから少し外に行きボール。

 

 1ボール1ストライクからの3球目だった。

 逆球気味に内へ入ったストレートを、平のバットが逃さなかった。


 ギン、という鈍い音の後、フラフラと打球がセカンドの後方へ伸びる。

 セカンドの二岡が背走し、ライトの翔平が突っ込んでくる中、飛球はちょうど二人の間に落ちた。


 当たり自体は決して良いものではなかった。

 が、紛れもないヒットであることには違いない。


 電光掲示板のHランプが灯った。

 海王大付属側の応援席は、ここぞとばかりに盛り上がる。

 強豪校の応援団らしく、応援は息が合っていて迫力がある。


 続く2番の星野は、最初からバントの構えを見せた。

 初球こそファールだったものの、2球目にきっちりバントを決め、1アウト2塁となる。


 このチャンスで、3番の北原が左打席に入った。

 北原に対しては2ストライクと追い込んでから、1球ファールと1球ボールの後スライダーで空振り三振。2アウトとなって、4番の大下が打席に入る。


 大下への2球目だった。

 またも逆球気味に入ったストレートにバットがぶつかり、今度はキン、と甲高い金属音が響く。


 打球は慎吾の足元を抜け、センター前へ向かった。

 2塁ランナーの平がホームへ突っ込み、無事生還。

 先制点は優勝候補筆頭・海王大付属の手に呆気なく落ちた。


(……そっか、そういうことか)


 電光掲示板に表示された「1」の数字を眺めながら、慎吾は苦笑した。


 決して舐めていたつもりはない。

 油断はしていなかったし、今できる最大限のことには練習でも取り組んできた。

 海王大が強いというのも、頭では分かっているつもりだった。

 直近の海王大の試合だって、しっかり追ってきていた。


 しかし、問題は秋の招待試合だ。

 相手がフルメンバーでなかったとはいえ、なまじそこそこやり合えたせいで、どこか海王大相手にはいけるんじゃないかという心の緩みがあったのだろう。


 今の失点のおかげで、慎吾はそのことに気付いた。


(そうだよな。青嵐(うち)が一冬超えて強くなったのと同じように、強豪校だって秋と夏じゃ全然違う。山吹実業でもそうだったじゃないか)


「おい、大丈夫か?」


 タイムを取ってマウンドにやって来た福尾が、心配そうに慎吾へ声をかけてくる。

 慎吾は福尾の顔をまともに見据えた。


「今日はけっこう、失点を覚悟した方が良いかも」

「……その割にお前、なんか嬉しそうな顔してるな」

「野球の醍醐味は、シーソーゲームだから」


 福尾はため息をついた。

 目の前の怪物は、何か大事なことを忘れているのではないだろうか。


「向こうの先発は松本だぜ? こっちが点取れなかったら、すげえバランス悪いシーソーになるんだけど」

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