20 ミーティング
5回戦の翌日。
補助教室では、明日行われる試合についてのミーティングが行われていた。
「さて、明日の海王大付属戦について……といきたいところだが、まずは猿田と村雨についてだ。二人とも、自分の口から報告頼む」
「……じゃあ、俺から先に」
依田からバトンを受け、まずは猿田が席を立った。
俯きがちに口を開く。
「昨日の試合の後、病院行って検査したんだけど、その結果、残念ながら……」
深刻そうな表情に、皆が息を呑んだ直後。
「ただの打撲でしたー!」
「「「……」」」
ある意味猿田が報告する前より、地獄のような空気になった。
福尾が一言「死ね」と呟き、「は? 酷くね?」と猿田が文句を言うも、誰の賛同も得られない。
(この空気の中報告するのか……猿田と同じ轍だけは踏まないようにしよう)
なるべくさらっと「自分も大丈夫です」とだけ慎吾は報告し、席に着く。
今度は猿田の時と違い、ぱらぱらと拍手が起きた。
二人の報告を見届けた後、依田がごほんと咳払いする。
「……という訳で、二人とも明日の試合には出られるらしい。ただ、猿田の方は大事をとって代打起用とする。準決勝の頃には完治しているはずだ。で、ここからが本題だが……雪白、頼む」
「了解でーす。てな訳で、一応今大会の海王大のスコア用意したんで見てください」
今度は芽衣がバトンを受けた。
彼女の指示に従い、プリントされた海王大のスコアを慎吾はぱらぱらめくった。
まずは得点をさらっと確認する。
2回戦 vs横浜中等 10対0(5回コールド)
3回戦 vs茅ヶ崎南 9対1(7回コールド)
4回戦 vs明秋館 14対0(5回コールド)
5回戦 vs箱根 8対1(8回コールド)
「……改めて見ると、強えな」
猿田がぼそりと漏らした。
先ほどまでとは違い、真剣な声だ。
猿田の指摘に、「そうだね」と芽衣が頷く。
「海王大のここまでのチーム打率は4割5分7厘。秋の招待試合と違って今回はフルメンバーでくるはずだから、厳しい戦いになるとは思う」
「……向こうの先発は、やっぱり松本か?」
福尾が尋ねると、芽衣は頷いた。
松本は海王大付属のエースで、秋の招待試合では最後の1イニングを投げた。
彼が先発でくるとなると、青嵐にとってはさらに厳しい戦いとなる。
「4回戦の先発が松本で、昨日が2番手の東だったから、順番的に明日は松本だと思う。もちろん、向こうの監督が意表を突いてくる可能性はあるし、海王大は特に層が厚いから予想が難しいけど……」
芽衣はそこで言葉を切ると、意味ありげに慎吾の方を見た。
釣られてこちらを見た部員の大半が、「ああ、なるほど」と納得する。
一瞬遅れて、慎吾も何が「なるほど」なのか理解した。
皆が分かっているか確認するためか、芽衣がさらっと説明する。
「もしウチに村雨がいなかったら――いなかったらここまで勝ち上がれてないから、あまり意味のない仮定だけど――海王大が松本以外を先発に選択する可能性はあったと思う。準決勝以降を見据えてね。
でも、現に村雨はいるし、昨日先発させなかった時点で、向こうの立場からすれば村雨がくる確率は高まってる。
だからほぼ間違いなく、海王大はエースの松本でくる。奇襲で別の人を先発させて、万一大量点を取られたら取り返しがつかないから」
「……ま、雪白の言う通りだな。というわけで、今日一日はみっちり松本対策。集中して取り組んでいこう」
気合のこもった返事が、室内に響いた。
* * *
同日の朝。
海王大付属高校野球部の面々は、校舎内の一角にある視聴覚室に集まっていた。
室内前方のテレビに映し出された映像を、彼らはじっと見つめている。
映像の内容は、もちろん慎吾の投球。
青嵐の試合の中でテレビ中継があったものを録画しておいたのだ。
皆が集中しているのを確認しつつ、一度映像を止めて監督の桜井が口を開いた。
「これはこの間の2回戦の映像だ。さて、何か気付くことはあるか?」
「はい」
桜井が部員の顔を見回すと、正捕手の阿久津が真っ先に手を挙げる。
「なんだ、阿久津」
「配球がかなり、ワンパターンですよね」
「おお、早速答えが出たな。流石は阿久津だ」
桜井は顔を綻ばせた。
自分がこの阿久津を主将に任命したのは、どうやら間違いではなかったようだ。
「阿久津の言う通り、村雨は配球がワンパターンだ。具体的には、ストレートは右バッターの外角高めか左バッターの内角高め。スライダーは右バッターの外角低めか左バッターの内角低め。基本これだけで相手を抑えている」
「そこまで分かってるなら、右バッターはアウトコース、左バッターはインコースに張って待ってれば良いんじゃ……?」
今度は4番の大下が疑問を呈した。
狙い通り欲しかった質問が来たことに、桜井はニヤリとする。
答えようと口を開きかけたその刹那、
「いや、それは向こうの術中に嵌るだけだ。しっかり指にかかったやつのボールは、そうそう打てるもんじゃないからな」
「……松本。お前、おいしいところを持っていきやがって」
自分に先んじて答えを言ってしまったエースを、桜井は軽く睨む。
松本は桜井に目を合わせず、どこ吹く風という調子で窓の外を眺めていた。
桜井はため息をつくと、気を取り直して話を続ける。
「まあ、今松本の言った通りだ。天才の集まったプロ野球ならともかく、高校生で村雨をまともに攻略するのは難しい。だから、向こうがいつも投げてくるコースに張るのは下策だ。……ただ、コースを張るという作戦自体はいい線いってるぞ」
実は、桜井の中では既に答えが見えている。
ただ、部員には自発的に考えて欲しいので、こういう時はヒントだけ与え、答えそのものを教えるのはなるべく焦らすようにしていた。
——さて、誰が最初に気付くかな?
桜井が半ば楽しみながら待っていると、しばらくして手を挙げる者が一人。
海王大付属が誇る不動のリードオフマン、平だった。
「平か。いいぞ、言ってみろ」
「……逆に張る、とかですか?」
「ほう。逆に張る、とはどういうことだ?」
求めていたワードが出てきたことに内心喜びつつ、桜井は尋ねた。
平は自信なさそうに続ける。
「や、少なくとも今の映像を見た限りではってだけなんですけど……村雨って、抜け球とか逆球もちょいちょいあるみたいだったので。そっちに張ってた方が、むしろ打てるのかな、と……」
「……すごいな、ドンピシャで正解だ」
桜井が思わず感心すると、おお、と他の部員が僅かにどよめく。
「平が今言ってくれたように、逆に張るのが正解だと俺も思う。つまり、右バッターならインコース、左バッターならアウトコースに張るってことだ。平、理由も分かるか?」
「……逆球は狙ったところに投げれてないってことなんで、ボールが抜け気味だったりして、より打ちやすいのかな、と」
正解と言われ自信を得たのか、先ほどよりはきはきと平が答えた。
「そう、その通り。理由まで完璧だ。……さらに付け加えると、村雨は初回と6回に特に逆球が多くなるらしい。これは偵察班の調べで分かったことだ。というわけでみんな、偵察班には感謝しておくように」
念を押してから、桜井は部員たちを見回した。
甲子園優勝を果たした一つ上の代に比べると、エースの松本以外はどうしても小粒感が否めない。だが、その辺の高校の選手と比べれば、彼らは並外れて優秀だ。
明日の試合に負けたとしたら、責任は当然自分にあるだろう。
しかし、そうしたプレッシャーを抱えてもなお、桜井はワクワクしていた。
怪物・村雨がどんなピッチングをしてくれるのか。
彼の教え子たちが、怪物相手にどう立ち回ってくれるのか。
桜井は監督である前に、熱狂的な高校野球ファンだったのだ。
獲物を狩る肉食獣のような笑みを浮かべると、桜井は力強く言った。
「明日は大物だぞ。……ワクワクするだろ? お前たちも」