19 ナイスピッチ
(昨日の今日でこのボールかよ)
慎吾のボールを受けながら、福尾は驚きを通り越して呆れていた。
相手のバッターは全くタイミングが合っていない。
1イニング限定なら変化球すらいらないかもしれない。
先頭打者・松尾を三球三振に抑えると、3番の竹内が右打席に入る。
ここからはクリーンナップだから、本来は慎重にいきたいところだが――。
(自信満々な顔しやがって。ほんとマウンドに上がると、性格変わるんだな)
こちらのサインを覗き込む慎吾の顔を見て、福尾は笑みを浮かべる。
サインはストレート。
インパクトを与えるには、純粋なパワーで押すのが一番だ。
結局、この回は1球も変化球を使わず三者連続三振に抑えた。
* * *
「点差は3点。厳しい展開だけど、まだ十分勝機はある」
ベンチに戻った後、円陣の中で福尾が口火を切った。
チームメイトの顔を見回すと、皆良い顔をしている。
先ほどまでとは明らかに違う雰囲気だった。
「とりあえず、村雨と晴山まで何としても回すぞ!」
福尾が言うと、選手たちが「ようし!」と応じて散らばる。
主将だから何か言わないと、とこっそり準備していた慎吾は、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちで、他の部員の動きを眺めていた。
8番の佐宗が、右打席に入る。
マウンドには黒沢高校のエースナンバー・遠藤。
先ほどの回の途中で、西川から先発の遠藤へと投手交代していた。
その遠藤からの2球目を、佐宗のバットが捉えた。
三遊間を抜けるヒット。
初回から3回途中まで遠藤の投球を見ていただけあって、青嵐の打者陣に彼への苦手意識は無い。
続く9番の中井が粘った末に三振に倒れた後、1番の石塚がヒットで続いた。
1アウト1・2塁となり、2番の二岡が打席に入る。
「頼むぞ二岡ー!」と声をかけてくるチームメイトを、二岡は恨めしく思った。
(俺は村雨や晴山と違ってただのモブだ。こんなチャンスで打順が回ってきても、持て余すだけなんだよ)
とにかくゲッツーだけは避けよう、という弱気がいけなかったのだろう。
初球いきなりど真ん中に甘いボールが来て、中途半端に手を出してしまった。
打球がセカンド正面に転がり、終わった、という言葉が二岡の頭をよぎる。
ところが、事態は意外な方向に向かった。
セカンドが打球をファンブルし、ゲッツーが成立しなかったのだ。
それどころか、バッターランナーの二岡すらセーフになった。
(あっぶねえ〜! マジで生きた心地しなかった!)
恐らく、球場の空気のせいだろう。
甲子園には魔物がいる、などとよく言われるが、それは地方大会でも同じ。
まだまだ未熟な高校球児は、良くも悪くも球場の雰囲気に左右されやすい。
今は明らかに、青嵐を応援する声が大きかった。
二岡が1塁ベース上でほっと胸を撫でおろす中、3番の慎吾が打席に入る。
ブラスバンドによる夏祭りの演奏がスタンドから聴こえてくる中、慎吾は打席に入った。
緊張はあまりしていなかった。
次打者は先ほどの回のホームランで復活した翔平。
無理に自分が打つ必要はないと、分かっていたから。
その上、マウンドに立つ背番号1の遠藤は完全にアップアップの状態。
9回裏3点差1アウト満塁という状況と、球場の雰囲気を考えれば無理もない。
(バットを振る必要すらないかもな……ここは翔平くんに決めてもらうか)
「ボールフォア!」
慎吾の予想通り、遠藤は4球続けてストライクが入らなかった。
大人しくレガースを外すと、押し出しでホームへ生還する三塁ランナーの佐宗を一塁から讃える。
4番の翔平が打席に入ろうとしたところで、黒沢側がタイムを取った。
ファーストの西川が、そのタイミングで慎吾の方を向く。
慎吾は首を傾げながら挨拶した。
「……どうも?」
「……随分と余裕だな。まだ勝ってるのはこっちだぜ?」
西川が慎吾を睨んだ。
慎吾は翔平にちらりと目をやってから微笑む。
「信じてるから。チームメイトを」
「……ふーん」
西川は真顔で相槌を打ってから、マウンドを見た。
どうやら相手方はここで再び投手を交代するらしい。
ピッチャーの遠藤が、西川と交代しにファーストへやって来る。
「……まあ、ナイスピッチだったよ。ちょっと出てくるのが遅かったけどな。本当は打席であんたの球を見たかったが、今日はあいにくこの回で終わりそうだ」
「……そっちも、ナイスピッチ」
捨て台詞を残してマウンドへ向かう西川へ、慎吾は声をかけた。
背中越しに西川が微笑むのが、何となく分かった。
「サンキュー」
* * *
マウンドへ上がった西川は、打席に立つ翔平を見た。
先ほどのホームランで自信を取り戻したのか、明らかに打ちそうな気配を醸し出している。
とはいえ状況は5対3、1アウト満塁。
次打者は今日2安打の福尾。
勝負を避けると言う選択肢は選び辛い。
(大人しく勝負すっか……ワンチャン打ち損じてくれるかもしれねえし)
「おい、守備の方頼むぞ! 打球いくからな!」
西川がバックに声をかけると、皆がおう、などと応じてくれた。
いくら球場の空気が青嵐側に傾こうと、チームの士気はまだ高い。
白い歯を見せつつ、西川はホームに目を移す。
(言っとくけどな……仲間を信じてるのは、テメェだけじゃないんだぜ)
しかし、勝負は呆気なく決着がついた。
西川の投じた4球目のスライダーを、翔平のバットが捉えたのだ。
打球は右中間を抜けてゆき、一人、二人とホームインする。
終いには一塁ランナーの慎吾まで還ってきた。
慎吾がホームベースを踏むと、ベンチからチームメイトが飛び出してきた。
彼らの祝福を受けながらもフェアグラウンドに目をやると、魂が抜けたようにばたばたと黒沢の選手が倒れている。
少しして西川ら何人かの選手が立ち上がった。
他の選手と肩を組むようにして、ホームベース前へやってくる。
試合結果は6対5。
逆転サヨナラで、青嵐高校が勝利を掴んだ。