18 初球、思いっきり振っちゃいなよ
大変申し訳ないのですが、昨日前話に変更を加えました。
変更後を読まれていない方は、そちらから読んでいただけると嬉しいです。
Team 12345678 R H E
黒沢 20110001 5 11 0
青嵐 00000001 1 6 0
慎吾がネクストバッターズサークルから打席に向かう頃のこと。
「ねえねえ」
ベンチでネクストに入る準備をする翔平を、芽衣が呼び止めた。
「何ですか?」
「もしかして、結構落ち込んでる? ピッチングのことで」
「……そんなこと、ないですよ」
翔平はヘルメットを目深に被った。
嘘だった。
自分ならもっと通用すると思い上がっていた。
慎吾を見ていたら、何となく簡単なような気がしていたのだ。
でも、現実は甘かった。
3回を投げて3失点。
県内トップクラスの公立校相手に1年生が投げた結果と考えれば悪くはないが、やはり納得はいかなかった。
それに、先ほど見た猿田の涙。
自分にはとても、他人事だとは思えなかった。
猿田が4回から登板したのも、自分が早々にノックアウトされたせい。
俺がもっと頑張っていたら。
俺がもっと、上手くやっていたら。
俺がもっと、踏ん張っていたら。
そう考え始めると、心の中の自分を責める声が止まらなくなる。
翔平の様子に、芽衣が明るい声でつっこんだ。
「いや、分かりやすっ! それ、ほとんど『構ってくれ〜』って言ってるようなもんじゃん?」
「まだ言ってませんよっ! そんなこと!」
「まだ?」
「あっ……」
赤面する翔平を見て、芽衣がニヤニヤする。
「……俺もう、ネクスト行くんで」
「初球、思いっきり振っちゃいなよ」
「え?」
ダグアウトを出かけたところで、思わず芽衣の方を振り返る。
芽衣は冗談とも本気ともつかないような顔で、翔平を見返していた。
「色々悩むくらいなら、何も考えずバットぶん回しちゃえってこと。……責任は取れないけどね」
「……いや、そこは責任取ってくださいよ」
翔平の顔に、ようやく笑顔が浮かんだ。
もう大丈夫かな、と芽衣もその顔を見て微笑む。
「……本当にやっちゃいますからね? 芽衣ちゃんの言う通りに」
芽衣には聞こえないくらいの声で呟くと、翔平はネクストバッターズサークルへ向かった。
——そして、初球。
言いつけ通り振り抜くと、気持ち良いくらいバットに手応えを感じなかった。
空振りかな、と思うほど。
しかし、打球音は確かにした。
レフト方向に目をやると、白球がレフトフェンスの向こうへ消えるのが見えた。
三塁審が、頭の上で右腕を回している。
「ホームラン、で良いんだよな……」
狐につままれたような顔で、翔平はダイヤモンドを1周した。
こんなに手応えのないホームランは初めてだった。
呆然とする相手投手、ダグアウトで激しく出迎えてくれるチームメイトたち。
全ての光景に、現実感が伴わない。
得点にこそ繋がらなかったものの、その後も攻撃は続いた。
相手投手が西川から先発の遠藤へ再びスイッチされた後に7番の三村が凡退。
攻守交代となって、翔平がぼけっとしたままファーストへ向かっていると、後ろから慎吾に頭を叩かれる。
「何なんですか、いきなり」
「歓声、応えてあげたら。今の君はヒーローだぞ」
振り返ると、青嵐側の応援スタンドから「はっれやま! はっれやま!」と自分の名前がコールされている。翔平は帽子を取って応えると、すぐさま被り直して守備に就いた。
ようやく、実感が湧いてきた。
* * *
「守ります青嵐、選手の交代をお知らせいたします。ライトの村雨くんがピッチャー、ピッチャーの猿田くんに代わりまして祐川くんが入りライト。3番、ピッチャー、村雨くん。6番、ライト、祐川くん、背番号9。以上に代わります」
球場内に鳴り響くウグイス嬢の声に、その日一番の歓声がした。
特に「3番、ピッチャー、村雨くん」の箇所で大歓声が起き、晴山コールはすぐさま村雨コールへと塗り替えられる。
7球の投球練習を終えると、福尾がマウンドへやって来た。
ニヤニヤしながら開口一番冗談っぽく言う。
「おーおー、すげぇ人気ぶりだな」
「からかうのはやめてくれよ。それより今日の僕の球、走ってた?」
「いつも通り、受けてて手が痛いよ。自分的にはどうなんだ?」
「さっきの話、聞いてただろ? 肩の調子は万全だって」
「……あれ、強がってたわけじゃないのか」
「まさか。怪我の怖さは僕もよく知ってるから。本当に万全じゃなかったらちゃんと言うさ」
慎吾が真剣な顔で言うと、福尾はほっとしたように息を吐く。
そんな福尾に構わず、慎吾は続けた。
「福尾、この回は大事だぞ。球場の空気を見ても、今流れはこっちに来てる」
「だな。多分みんな、俺たちの逆転を期待してるぜ」
「そう。だから、相手には申し訳ないけど、この回でしっかりインパクトを与えて、この空気をそのまま裏の攻撃に繋げよう」
高校野球では、球場内の観客の空気が試合展開を左右することもままある。
観客とは、常にドラマを期待する存在なのだ。
今がまさにその証拠だった。
「でも、インパクトを与えるったって、どうやって?」
福尾が首を傾げると、慎吾は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「やることはシンプルだ。相手を圧倒すればいい」
「……なるほど、分かりやすくていいな」
福尾もにやりとした。
「リードは任せるよ」
「おう、了解」
最後に慎吾の尻を軽く叩くと、ホームへ戻っていく。
* * *
(ついに出てきたな。ったく、勿体ぶりやがって)
黒沢高校の2番バッター・松尾は、慎吾の投球練習を打席の外で見ていた。
見たところ、前日の完投の影響など無いかのようなボールだ。
流石に先ほどまで投げていた二人のピッチャーとは、ものが違う。
(けど、今頃あんたが来たところで、もう手遅れだぜ)
点差は3点。残るは1イニング。
逆転の目もあるとはいえ、まだまだ自分たちの方が有利だ。
松尾はそう思っていた。
(大体、こっちは初めからあんたが投げる想定で対策練ってたんだ)
やれるだけのことは黒沢高校でもやった。
ピッチングマシンの設定スピードを最速にし、さらにマウンドより短い距離から投げさせる。
ここまでする必要があるのかとも正直思った。
だが、先ほど慎吾の球を生で見た時、あの対策は必要だったのかもしれないと思い直した。
(いくら速いったって、そう簡単には打ち取られたりしないぜ)
いつもよりも、気合を入れて打席に立つ。
マウンド上の慎吾が、大きく振りかぶった。
ストレートに山を張って、バットを振るタイミングを図る。
が、しかし。
——え?
松尾はど真ん中のストレートを空振りした。