11 流れ
Team 123456789 R H E
青嵐 00000 020
桂泉 10000 100
「まだ向こう、ノーヒットなんだね」
5回終わりのグラウンド整備中。
スコアブックを見ていた芽衣は、そのことに気付いた。
隣で休んでいた慎吾が、
「こういう展開になると、初回の失点がありがたいな」
と呟く。芽衣は首を傾げた。
「……ありがたい? もったいないじゃなくて?」
「うん。だってさ、久しぶりの公式戦ってシチュエーションがそもそも緊張するでしょ。そこにノーヒットノーランまでかかってきたら、ピッチングがおかしくなる」
慎吾はタオルで首元の汗を拭くと、立ち上がって芽衣のそばを離れた。
「……そういうもの?」
仕方なしに芽衣が近くを通りかかった猿田に尋ねると、猿田は慌てて手を振る。
「俺に振るなよ、知らねえから。……てか、逆に聞くけど、俺がノーヒットノーランなんてやったことあるように見えるか?」
「……それ、自分で言ってて悲しくならない?」
「やめろ。それ以上人の傷口を抉んな」
猿田はそう言い残して去っていった。
芽衣は、やはり納得いかない。
こうしてスコアブックを見ていると、どうしても初回が0ならと思ってしまう。
慎吾にはもっと、日の目を見て欲しいから。
そんなことを考えていると、また慎吾がそばに戻ってきた。
どうやらスコアブックを見に来たらしい。
芽衣の横から覗き込むようにして見てから、口を開く。
「もしかして、見たかった? ノーヒットノーラン」
「……ごめん。正直言うと、ちょっと見てみたかったかも」
芽衣が白状すると、慎吾は苦笑する。
「悪かったね。でも、幸い神奈川は試合数が多いから、まだ6回チャンスがある」
「確かに! ……って、村雨が全部投げるわけじゃないでしょ」
「あー、それはそうだ」
二人は顔を見合わせて笑った。
ひとしきり笑ってから、慎吾が再び口を開く。
「でも、ノーヒットノーランチャレンジを続けるには、まずは今日勝たないと」
「……そうだね。どう、勝てそう?」
「試合中に、勝てなそうって言うやつはあまりいないと思うよ」
「それもそっか」
話している間に、グラウンド整備が終わった。
1番バッターの石塚が、2度バットをゆっくり振ってから左打席に入る。
「……2点あれば、今日は勝てる」
グラウンドを見ながら呟く慎吾の横顔に、なぜか芽衣はゾクっとした。
* * *
6回の表。
生天目は先頭打者の石塚を抑えたものの、2番の翔平に四球を許した。
しかも、今回は翔平が粘った末での四球。
先ほどの回の、生天目が出したくて出した四球とは訳が違う。
「このシチュエーションは、勝負するしかねえな……」
酷暑が体力を徐々に蝕む中、生天目は打席に入る村雨を見た。
仕方ないという風に一つ頷くと、丹波のサインに頷いて一球目を投じる。
ボール、ストライク、ボールとなってからの4球目。
生天目のストレートは、村雨に綺麗に弾き返された。
やば、と生天目が振り返ると、打球は1・2塁間を抜けライトへ。
その間に1塁ランナーの翔平が2塁を蹴り、3塁へ向かう。
捕球したライトが内野へ返球し、結果はシングルヒット。
1アウト1・3塁とピンチを迎えたのだが——。
「っし!」
生天目はガッツポーズしていた。
村雨相手にシングルヒットなら想定内。
一塁ランナーも還さずに済み、かなりマシな結果に終わったと思っていた。
これで次のバッターさえ抑えれば、と打席に入る福尾を見る。
先の回に比べ、福尾は自然体のように見えた。
何となくやばいな、と思いつつも、満塁策という選択肢は生天目の中にない。
福尾と猿田の間に、打者としてそこまで有意な差があるとは思えないからだ。
そして、福尾への3球目——。
キン、という音とともに、打球はセンターへ舞い上がった。
センターが軽く後退してボールを捕球したのと同時に、3塁ランナーがタッチアップ。悠々とホームインし、試合は振り出しに戻る。
生天目は結局後続を絶ち、6回表の青嵐の攻撃は同点止まりに終了した。
が、この1点は大きかった。
ヒットすら出ていない桂泉からすれば、絶望的な1点だった。
* * *
「いいか、まだ諦めちゃいかんぞ。5回終わりのグラウンド整備で時間が空くのは向こうも同じ。6回ってのは、得点が入りやすい回なんだ。この回なんとか勝ち越して、皆で逃げ切るぞ」
岩井の言葉に、桂泉の部員が頷く。
6回の裏、先頭打者は生天目。代打はなかった。
今日の岩井は自分に託すつもりなのだろう、と考えつつ、生天目は打席に入る。
生天目は普段、そこまで打席で闘志を燃やすタイプではない。
ピッチャーはあくまでマウンドで仕事するべき。
打席で全力を出してピッチングに影響を出したくないという、高校球児というよりはむしろプロ野球選手らしい考えをしていた。
しかし、今回の打席は別。
村雨への対抗心や、先ほどの回同点にされたという負い目もあってか、めらめらと闘志を燃やして打席に入った。
が、無情にも——。
「ストライクスリー!」
(クソッ、かすりもしねえじゃねえか)
三球三振であっさりベンチへ戻ってくる。
村雨は続く9番を凡退に抑え、2アウトで榊原に3度目の打席が回ってきた。
が、これも「ストライクスリー!」という球審のコールが響く。
それと同時に、156kmという数字が電光掲示板に表示された。
ここにきて今日最速のボールに、観客が大きく湧く中榊原はベンチへすごすごと帰ってゆく。
(手が付けられねえな、あの野郎)
流れは徐々に、青嵐側に傾きつつあった。