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08 まだ8回もある

「……どういうことだ、榊原。お前にしては、随分無茶な走塁をするじゃないか」


 チームメイトとハイタッチを交わしながらベンチへ戻った榊原を待ち受けていたのは、厳しい顔でこちらを見据える岩井だった。


(流石にこれは、代えられるかもな)


 榊原は半分諦め、半分開き直る気持ちで岩井へ自分なりの考えを説明する。


「監督はどう考えているか分かりませんけど、あのピッチャー、相当ヤバいです。打席で見て、自分はそう思いました。点を取るチャンスも、中々こないだろうなと思って……」

「まあ、その気持ちは分からんでもない。梶田がバントを失敗するところなど、俺も記憶にないからな。だから、キャッチャーの後逸で走ったのと、タッチアップは良いとしよう。問題はその前だ。……バントのサインで、なぜ走った?」

「それは……」


 榊原は、言いかけて口をつぐんだ。


 梶田がバントを失敗し、空振りすると思った。

 口でそう説明するのは簡単だ。

 だが、この説明では自分がチームメイトを信頼してないと受け取られかねない。

 というか、事実だけ見ればまさにその通りなのだから。


「ちょっと待って下さい、監督」


 岩井が榊原を叱ろうとしたその時、横から梶田が口を挟んだ。

 榊原へ向けていた厳しい目を、岩井はそのまま梶田へスライドする。


「……なんだ、梶田」

「俺、さっきのバントの時、榊原が走り出すの見えてました。1球目のバントを空振ったのも、わざとなんです」

「……まさかお前、咄嗟に榊原をフォローするつもりでやったのか?」

「そういうことになりますね」


 目を丸くする岩井に、梶田は頷いてみせる。


 つまり、こういうことらしい。

 バントをしようとバットを寝かせた時、村雨が投げ始める背後で榊原が走り出すのが見えた。そこで咄嗟に、バントから盗塁を助ける空振りへと切り替えた、と。


(こいつ、そんな機転が効いたのか)


 榊原も驚いた顔で隣の梶田を見た。梶田はちらっと榊原を見てから続ける。


「……要は、榊原がちょっと勝手なことするくらいなら、こっちでフォローできるってことです。バントのサインで走ったのは確かに良くないですけど、こいつにもこいつなりの考えがあるんで……代えるより、榊原のままの方がチームとしては良いような気がします」

「ふうむ……まあ、お前がそう言うのなら」


 岩井は顎を撫でて少し考え込んだ後、目元を和らげた。

 どうやら許されたらしい。榊原がふっと息を吐くと、それが気に入らなかったのか、すぐさま眉を吊り上げる。


「言っておくが、次ああいうことがあったら今度は交代だぞ、榊原。今回は梶田に感謝しておくんだな」

「は、はい!」

「……もういい、行け」


 しっしと手を払われ、二人は岩井の元を離れる。


 榊原は今回の件で、自分の後ろを打つ男のことを見直した。

 同時に、バントのサインで盗塁したのを後悔し始めていた。

 いくら村雨のボールに対する衝撃が強かったとはいえ、梶田のことをもっと信頼すべきだった、と。


 榊原は梶田に懺悔しようと口を開く。


「助かった、梶田。あと、悪い。実は俺——」

「それ以上言うな。榊原が走った理由は大体想像つくから。あと、お前の考えは当たってる。反省することは何一つない。強いて言うなら、ああいうスタンドプレーをするなら、監督に怒られないようもっと上手くやれってことだけ」

「……どういうことだ?」


 訝しげな顔で梶田を見る榊原に、梶田はにやりと笑う。


「さっきのあれ、全部嘘なんだ。盗塁のフォローで咄嗟に空振るとか、俺にできるわけない。バントは普通にミスっただけ。速い上に伸びまであるからな、あいつの球」

「……え? じゃあ、なんであんな嘘を」

「ああ言えば俺の恥ずかしいバント空振りは、監督の中でマイナスからプラスになる。しかも、ついでにお前のフォローにもなるから、一石二鳥だろ?」

「……お前、すげえやつだな」


 今度は別の意味で、榊原は梶田を見直した。

 従順だと思っていた梶田が、実は一番強かなやつなのかもしれない、と。


* * *


 先制点を許した後、福尾はタイムを取ってマウンドに向かった。

 今回は内野手も全員集める。

 内野を集めてのタイムは1試合中3回しか取れないが、それだけの価値があるタイミングだと、福尾は判断した。


「……すまん。俺が後逸したせいだ」


 福尾はため息とともに言葉を吐き出した。

 盗塁はともかく、榊原を3塁に進めたのは明確に自分のミスが原因だった。


「いやいや、そんなことねえよ。むしろ俺だろ、今の戦犯は。まさかあの当たりでタッチアップはないだろって、完全に油断してたわ」


 福尾の後に続いて、今度は遊撃手の石塚が言う。

 重々しい福尾の謝罪に比べて随分軽い物言いだったが、そういう自分の失敗を引き摺らない強さは、今の福尾には羨ましく思えた。


「あーあ、これでノーヒットノーランが途切れちゃったよ」


 慎吾が晴々しい笑顔を見せる。

 自チームのエースが全く動揺していないことに安堵しつつも、らしくない彼の向こうみずな発言に、「まだ8回もあるのに、何がノーヒットノーランだ」と福尾は突っ込もうとした。


 そこでふと気付く。

 そうだ、まだ8回もあるじゃないか、と。


(……俺は何を落ち込んでいるんだ。そんな暇あったら考えろ!)


 福尾は自分の両頬をぴしぴしと叩いた。

 皆がその様子を不思議そうに見ていると、すっかり切り替えた顔で口を開く。


「とにかく、1点くらいどうにでもなるんだ。切り替えてくぞ」

「まあ、そもそも引きずってんのもお前だけだけどな」


 口を挟む猿田に軽く蹴りを入れてから、福尾はホームへ戻った。

 もう大丈夫かい? と球審に尋ねられ、ええ、と答えつつマスクを被る。


 続いて打席に入ってきた4番の丹波を、青嵐バッテリーは三振に切って取った。

 決め球はスライダー。今度は福尾ががっちりと捕球した。

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