05 緊張すら愛しい
最近思ったより筆が(というより打鍵が)進むので、本日は2話投稿となります。
2回戦の翌日、そして3回戦の前日。
全体練習が午前中で終わり、グラウンドから自主練習に励む他の選手たちの掛け声が聞こえてくる中、泰星寮の側の目立たない場所で洋平は素振りをしていた。
耳にはブルートゥースイヤフォンを嵌めている。
ちょうどこの時間、目当ての試合がラジオ放送されると聞いて、スマホでラジオを聴くことにしたのだ。
監督が向に変わってから、寮でのスマホの使用は解禁されていた。
『第○×回全国高校野球選手権、神奈川県大会2回戦。ここ保土ヶ谷球場では、これから第3試合が行われます。実況は私成田、解説は相模原商業高校監督の梶さんでお送り致します。梶さん、本日はどうぞよろしくお願いします』
『よろしくお願いします』
『さて、組み合わせは春季県大会ベスト8、今大会第二シードの強豪・桂泉高校対、青嵐高校。先攻は青嵐高校ですが……試合展開は、どのようなものになると予想されるでしょうか?』
『そうですねぇ。まず、桂泉高校の特徴と言えば強力打線になります。ですから、青嵐高校の投手陣が、桂泉の強力打線相手にどのように立ち向かうか。また、逆に桂泉高校エースの生天目君を、青嵐打線がどのように打ち崩すのか、が重要になってきますねぇ』
『……なるほど。下馬評では桂泉が有利とされていますが、その辺りはどのように考えますか?』
『そうですねぇ。もちろん、地力では桂泉が優ると私も思いますよ? ただ、野球は必ずしも地力のある方が勝つスポーツではありません。ですから、青嵐高校の選手たちにも、諦めずに最後まで戦って欲しいですねぇ』
「ふふっ」
洋平は思わず笑みを漏らした。
仕方ないと言えば仕方ないが、解説も実況も慎吾を知らない。
だから、聞いている方がむず痒くなるような、的外れなことが言えるのだ。
仮に慎吾がいなければ、解説の梶の言う通りなのだろう。
だが、今の青嵐には慎吾がいる。ついでに、自分の弟もいる。
その状況でなお地力で桂泉が優ってるなどとは、洋平にはどうしても思えない。
『梶さんの仰る通り、野球は最後まで何が起こるか分からないスポーツです。両ティームの選手たちが最後まで全力を尽くせるよう、我々としても応援したいわけですが……さて、先ほど話にも出ていました、生天目がマウンドに上がります。梶さん、この生天目は、どのようなピッチャーでしょうか』
『そうですねぇ、生天目くんは——』
(生天目か……)
解説の話を聞き流しながら、洋平は桂泉高校のエースについて思考を巡らせつつバットを振る。生天目とは何度も対戦経験があった。私学4強の一角を張るチームのエースなだけあって、県内では5本の指に入るほどの好投手だ。
ただ、彼が慎吾にも引けを取らないレベルだとまでは思えない。
というより、少なくとも中学時代に関して言えば、全国のあらゆるチームを探してもそんなピッチャーそうはいなかっただろう。
(こんなところで転けるんじゃないぞ、慎吾)
洋平のバットが、びゅっと空気を切り裂いた。
* * *
「3番、ピッチャー、村雨くん」
ウグイス嬢独特のイントネーションで名前を呼ばれた慎吾が、ネクストバッターズサークルを出て右打席へ向かう。三振してベンチへ戻ろうとする翔平が、すれ違いざまに「生天目のフォーク、思ったより大したことないです」と耳打ちしてきた。
慎吾は思わず、翔平の顔をまじまじと見た。
事前の調査で、生天目はフォークが武器だと聞いていたから意外だったのだ。
「……へえ?」
「何と言うか、落ちるには落ちるんですけど、落ち始めが早いんですよ。ただ、カーブは思ったより良かったです。こっちの方が、むしろ厄介かも」
「了解。ありがとう」
あまり長話をしていると球審に目を付けられるので、早々に話を打ち切って打席に入った。状況は1回表、2アウト走者無し。まだまだ序盤なので、無理に打つ必要はない。相手のボールを見極めるのが、この打席の目的。
慎吾は土を均しながら頭の中で状況を整理すると、すっとバットを構えた。
マウンド上の生天目が、ぽんぽんとロージンバッグを右手の上で弾ませている。
1回戦は曇り空のおかげで気休め程度の涼があったものの、今日は燦々と日光が降り注ぎ、グラウンドはぐつぐつと煮え立つ鍋の底のような暑さだ。マウンドの上など、とりわけ暑いことだろう。
(……生天目も気の毒に)
相手校のエースに同情した後で、よくよく考えれば自分もそのマウンドにこれから向かうのだと気付く。しかし、不思議と嫌な気はしなかった。久しく公式戦のマウンドに、登っていなかったからだろう。
その時、生天目が第1球を投じた。
ボールはまっすぐ向かってきてミットに収まり、球審がストライクとコール。
電光掲示板には、137kmと表示された。
(……打席でまでピッチャーのことばかり考えているなんて、僕はバカか)
苦笑しながら、今度は余計なことを頭から追い出してバットを構える。
勝負はまだ始まったばかりだ。
* * *
1回表の攻撃が、慎吾の内野フライで終わった後。
ベンチから出てきた後輩からグラブと帽子を受け取り、ヘルメットとバッティンググローブを手渡した慎吾は直にマウンドへ向かった。
マウンドに登ると、投球練習を始める。
徐々に力を入れてゆくにつれ、今日の自分の調子がそれほど悪くないと分かってきた。ただ、足の震えは収まらなかったが。
(武者震いってやつかな)
自分でも分かるほど緊張しているはずなのに、楽しいという感情以外に何も湧いてこない。今の慎吾には公式戦の緊張すら、久しぶりに味わう愛しいものだとしか思えなかった。
球審がプレイをかけ、福尾のサインに頷いた慎吾が大きく振りかぶる。
すっと左足を持ち上げてから、投じた第1球は、福尾の構えるミットを大きく外れてボールゾーンに向かう。
福尾が左腕を目一杯伸ばして、何とかそのボールを捕球した。
コースは当然ボール。
だが、一見するとただのとんでもないボール球でしかないその一球に、球場は一瞬静まり返った。桂泉高校のブラスバンドによる応援すら、一度中断された。
155km。バックスクリーン上の電光掲示板には、そう表示されていた。