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20 胎動

 数日後の土曜日。

 洋平たち山吹実業高校野球部員は、春季県大会3回戦のため、平塚球場を訪れていた。


 洋平や木島を含むベンチ入りメンバーは、球場内の更衣室に各々の鞄を持ち込んだ。洋平がベンチに必要なものだけ鞄から出そうとしていると、隣で木島が「あれ?」と声を上げる。


「どうした?」

「あ、いや、その……なんでか分からないんスけど、スパイクが見当たらなくて」


 鞄の中を探る木島の顔が、徐々に青ざめていくのが分かった。


「なんでか分からないって……忘れた以外にないだろ、そんなの」


 洋平は呆れた。

 ベンチ入りしたばかりの1年生が野球用具を忘れるなど、あっていいことではない。監督にばれれば、しばらく試合で使って貰えない可能性すらあり得るミスだ。


「でも、絶対持ってきたはずなんだけどな」

「……ったく、しょうがないな。ちょっとついて来い、木島」


 木島に声をかけると、洋平は更衣室を出た。

 流石に事の重大さを理解していたのか、木島も大人しく彼の後ろをついて来る。


 一度球場を出ると、係員に部員証を提示して観客席へと上がった。

 山吹実業側の応援スタンドに行き、神谷に声をかけると、


「あれ? お前らこれから試合だろ? わざわざどうしたよ?」


 と陽気な声が返ってくる。


「神谷。今、スパイク持ってるか?」

「あン? そりゃ持ってるけど……って、まさかお前、忘れたの!?」

「違う、俺じゃない……サイズいくつだっけ? お前」

「27.5……って、晴山じゃないなら——」


 神谷はそこまで言いかけて、洋平の横で珍しくもじもじしている木島に気づいた。にやーっと笑みを浮かべ、「やらかしましたねー、木島クン」と後輩を軽く肘で突く。


 洋平はそんな神谷に構わず、「履けるか? 27.5」と木島に尋ねた。

 ぶんぶん首を縦に振る木島に「じゃ、俺の役目は終わりだな」と告げて背中を向ける。


「……あざっす!」

「礼は俺じゃなくて、神谷に言えよ」


 自分の背中に頭を下げる木島へ言い残すと、洋平はスタンドを出た。


* * *


「ダメだったじゃねえか、テメェ」

「……いやー、更衣室で顔面蒼白になってたヤツの姿を見る限り、いけると思ったんだけどなぁ」


 試合後、寮内のとある一室。

 中谷が文句を言うと、小谷野はばつが悪そうに頭を掻いた。


「……木島の野郎は大田の仇だ。このままじゃこいつが浮かばれねえんだよ。そのくらいのことは、お前も分かるな?」

「そ、そりゃあ、もちろん」


 隣で項垂れている大田の様子を見た中谷は、ぶんぶんと首を縦に振った。

 木島との入れ替わりでベンチ入りメンバーから外れて以来、大田は万事この調子だった。


「……お前じゃ結局ぬるいってことなのかもしれねえな。俺が直接手を下した方が、早いかもしれん」


 中谷がため息をつきつつ言うと、小谷野は彼に縋るように身を乗り出した。


「そ、そうだよ! 村雨を追い出した中谷なら、木島くらい余裕だって!」

「ははっ、あれは傑作だったなぁ。まさか、あんななよなよした野郎だったとは思わなかったぜ」

「な! だっせーヤツだったぜ、全く! あれじゃ散々怪我で勿体ぶってた野球の方も、大したことねえんじゃないか?」

「……かもな」


 少し間を置いて答えると、中谷は立ち上がった。


「ま、村雨とかいう雑魚はもう消えたんだ……目下の標的は、木島だ」


* * *


「お前もドジだなあ。ないと思ってたスパイクが、試合後に見つかるなんて」


 試合も試合後の練習も終わった後の夜。

 寮の部屋でため息混じりに神谷がいじると、木島は「すんませんっしたァ!」と頭を下げる。


 春季県大会3回戦は、7回コールドでの完勝。

 木島は代走からの守備固めで見事公式戦初出場を果たし、チームとしても夏の大会のシード権を確定させた。洋平はいつも通り3番ショートで出場し、3ランホームランを放つ活躍を見せている。


 しかし、問題は試合の後。

 次の学校が来るので、さっさと撤収すべく木島が更衣室から鞄を運ぼうとすると、先ほどまでいくら探しても見つからなかった彼のスパイクが、鞄の中の目立つ位置にしっかり入っていたのだ。


「まあ、俺の可愛いスパイクちゃんが公式戦デビューできたから許してやるよ。持ち主がまだデビューしてないのが残念だけどな、ハッハッハ!」

「……」


 神谷の自虐ネタを笑っていいものか木島が反応に困っていると、


「おい、そういうリアクションが一番悲しくなんだよ! さあ、遠慮なく俺を笑え!」


 と言われたので、今度は遠慮なく笑った。すると神谷に、軽く頭を叩かれる。

 木島は自分の頭を押さえつつ、涙目で神谷を見た。


「何すんスか! 笑えって言ったのはそっちでしょ!」

「何事にもちょうどいい塩梅ってもんがあるだろ。そこまで遠慮なく笑われると、ちょっと傷付くんだよ」

「……」


 木島は初めて、1学年上のこの先輩のことを面倒くさいと思った。

 同部屋の最上級生・石井に「石井さん! この人何とかして——」と神谷の理不尽を訴えようとしたところで、肝心の石井が部屋にいないことに気付く。


「……あれ? そう言えば石井さんは? 晴山さんがいないのは、いつものことスけど」

「ちょっとバット振ってくるってさ。あの人も焦ってんじゃないの、今度の夏で最後だからな」


 しみじみと言う神谷に「……そスか、まあ、そりゃそうスよね」と同意しつつ、木島は思う。

 既にレギュラーの座が安泰なのにも関わらず、当たり前のように深夜近くまで自主練する晴山は、野球エリートの集まるこの学校でもやはり異常なのではないか、と。


 実際にそれを神谷の前で口にしてみると、彼は苦い顔をした。


「……あー、それね。あいつの場合、練習の虫ってのももちろんあるけど、そもそも単純に寮にいたくないんだよ」

「それはまた、なんで?」

「……ま、ここにも色んなヤツがいるからな。ただ、一つ言えるのは——」


 神谷は言葉を濁しつつ、今は閉まっている部屋の扉の方を見た。


「——お前がこの部屋に入れたのは、すんげえ幸運だってこと」

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