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02 転校と見覚えのない少女

「おーい、慎吾ぉ」


 寮の方から迫ってくる人影に、慎吾は一瞬身を竦ませた。

 しかし、人影が近づくにつれてそれが洋平だと分かると、今度は別種の気まずさが彼の身を襲った。


「はあ、なんとか追いついた……」


 寮からダッシュでやって来たのだろう、洋平は膝に手をついて息を整えた。

 しばらく息をハアハアと弾ませてから、きっと顔を上げてこちらを見据える。


「お前、逃げんのかよ! 一緒に甲子園目指そうって、二人で言ってたじゃないか!」

「……ごめん」


 慎吾は洋平から目を逸らした。心の内に巣食う彼への後ろめたさが、慎吾をそうさせたのだ。


 中学時代同じシニアに所属していた二人は、そのチームのエースと4番として、数々の難敵を乗り越えてきた。

 二人に山吹実業から推薦が来た時も、「入ってすぐにレギュラーを取れば、3年の夏までに最高で5回甲子園に行けるな」などと冗談のような大言壮語をして笑い合っていたものだ。


 しかし、入学してからの二人の道筋は対照的だった。

 かたやチームの不動のレギュラー、かたや怪我持ちで、たまに試合に出ては打ち込まれるうだつの上がらない存在。


 そんな雲の上の存在となってしまった相手に、自分は部で迷惑をかけている。

 慎吾は父に筋を通したと言ったが、唯一洋平に関してだけは、本気で申し訳ないことをしたと思っていた。

 だからこそ、今この場で彼と顔を合わせるのは非常に気まずかった。


「あれは嘘だったのかよ……俺、お前となら本気で甲子園行けると思ってたのに」

「ごめん、ほんとにごめん……」

「そう思うんなら、部に残ろうぜ。な? 今なら監督もまだ、許してくれるって」

「……それだけは、できない」


 自分にできる洋平へのせめてもの誠意と思って、その言葉だけははっきり彼の目を見て言った。

 慎吾の目に梃子でも動かないという意志を感じた洋平は、きつい目をする。


「……この、裏切り者」

「…………」


 慎吾は敢えて何も言わず、一度下ろした鞄を左肩にかけて校門を出た。


* * *


「山吹実業から転校してきた村雨慎吾くんです。村雨くん、自己紹介してもらってもいいかな?」

「村雨慎吾です。趣味は……身体を動かす、とかその辺です。よろしくお願いします」


 朝のショートホームルームの時間。

 担任の挨拶を終えて席に着くまでの間、クラス中の好奇の視線が自分に注がれるのを感じた。


 2年生になってまもなく、慎吾は神奈川県立青嵐高校へ転校した。

 そこでは慎吾の通っていた中学からの進学者が少なく、見知った顔は今のところ見かけていない。


 ショートホームルームの後、慎吾の元に多くのクラスメイトが詰めかけてきた。


「山吹実業って、野球が強いとこだったよね。どんな感じだった?」

「村雨くん、ガタイ良いよね。なんかスポーツやってたでしょ。なんならウチ入る?」

「ってか、村雨ってカッコいい苗字だね。刀の名前とかでありそう」


 洪水のように襲いかかる質問の嵐に目を回しながら応対していると、


「こらー! みんなはしゃぎすぎ! 転校生困ってんじゃん!」

 

 隣の席の少女が怒鳴った。

 怒鳴ると言っても鈴を転がすような声音だから、不快な感じは全くしない。


 みんなが「やべえ、雪白がキレた」と雲の子を散らすように逃げるのをため息をつきながら見送った後で、少女はこちらに向き直った。

 光沢を感じるほど艶のある長い黒髪が、さらさらと揺れ動く。


「村雨、久しぶり」


 あろうことか、親しみを込めてそう声をかけてきた。

 他のクラスメイトを叱った手前、周囲に聞こえないような小声ではあったが。


「えーっと……?」


 咄嗟には誰か分からず、上から下まで彼女の格好をついじっくり見てしまう。


 少女の肌は透き通るように白く、黒々とした大きな瞳には煌めきがあった。

 目鼻立ちは整っていて、座っていてもそのすらっとした四肢がよく分かる。

 ブレザーの一部分を程良く双丘が押し上げていて、慎吾はそこに目がいった瞬間すぐさま視線を逸らした。


「……ごめん、どちら様?」

「あー、ひっどい! 同じ中学で、しかも同クラになったこともあるのに! ……って言いたいとこだけど、分かんないのも無理ないかあ」


 じっくり見たところで、記憶の中の誰とも合致しなかった慎吾が白状すると、少女はため息をついた。


「ほら、覚えてない? 中2の時、雪白芽衣って子と同じクラスだったの」

「……覚えてるけど?」


 雪白芽衣。確か当時はソフトボール部で、キャッチャーをしていた。


 シニアリーグは部活動の軟式野球よりレベルが高いと言われるが、その中でも特に強豪とされるクラブでエースを張っていた慎吾は彼女から何度かアドバイスを求められ、助言をしたこともあった。

 もっとも彼に他人へアドバイスする自信などないから、「僕、ソフトボールは分かんないよ?」と前置きをしたうえでのことだったが。


 そんな風に慎吾が数年前の記憶を掘り起こしていたところ、


「それ、私なんだ。私が、雪白芽衣」


 と目の前の少女が言った。


「あ、そうなんだ。……って、え?」


 最初は半ば反射的に相槌を打ってから、脳がその名前を処理する段階になって、慎吾はギョッとした。それもそのはず——


「ほ、ほんとに雪白!? 君が?」


 かつての雪白芽衣は、女ドカベンと言われるほどの巨漢だったからだ。

 一体全体、彼女に何が起きてしまったのか。


「ま、信じてもらえないよね。でも、確かに私は雪白芽衣だよ。それがショーコに、ほら」


 自らを雪白芽衣と名乗る少女は、鞄の中を何やらごそごそ探したかと思うと、ひと組の白いバッティンググローブを取り出した。グローブの持ち主が熱心にバットを振っていたのか、両手とも擦り切れてボロボロになっている。


「見覚えない? これ」

「……これは、まさか——」


 慎吾の言葉に、少女はごくりと唾を飲んだ。

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