かつて『剣帝』と呼ばれていた青年、現在は『雑魚専門』のEランク冒険者 ~落ちぶれた元騎士が再起するようです~
一人の青年――ライオ・ルエンディルが、冒険者ギルドへと足を運んでいた。
それはいつも決まった時間に見られる光景で、生気のない瞳だとか、死んだ魚のような目だとか――そんな表現をされる目付きをしたライオは、またいつものように受付まで行くと、いくつかの魔物の素材や薬草をカウンターに並べる。
まだ二十になったばかりだが、ライオはEランクの冒険者だ。
一番高いランクになるとSランクになり、Eランクは冒険者の中でも初心者と言える。
二十歳でもまだEランクとなると、ランクとしてはかなり低い部類になる上に、青年はかれこれ一年はこの生活を続けていた。
「依頼を達成した。換金を頼む」
「あ、はい。確認しますので、お待ちください」
「出たぞ、『雑魚専門』」
「まーだ日銭稼ぐだけの生活してんのか? 冒険者向いてねえぞ!」
少し離れたところから、ライオに向かってそんな言葉が投げかけられた。
そして、周囲からも嘲笑の声が耳に届く。
だが、ライオはそんな周りの言葉を気にする様子もなく、依頼の報酬をもらえると、すぐに冒険者ギルドを後にした。
一年続けて全くランクの変動がない――これは、先ほどの他の冒険者の指摘通り、はっきり言ってしまえば冒険者としての才能はないだろう。
『冒険者』と呼ばれる職業でありながら、誰でもできるような簡単な仕事しかこなさない。
そんな生活を続けていれば、揶揄されたとしても仕方のないことだ。
これが引退間近の老人であれば、また違った話になるのだろうが。
(冒険者に向いてない、か。まあ、それでいいさ)
ライオは自嘲気味に笑いながら、適当に市場をふらつき、夕食の食材を調達する。
安い食材を仕入れては、それを使って料理をし、また翌日に簡単な依頼をこなしていく。
この生活を、ライオはずっと続けていた。
そして、これからも続けるつもりである――彼には、目標というものが存在しなかった。
町の外れにあるボロい木造の小屋が今の彼の暮らす場所である。
家に帰れば、すぐに汚れたソファに寝転んで、ライオは目を瞑った。
ろくに手入れもされていた剣に、安っぽい防具。誰からどう見ても、ライオは落ちこぼれの冒険者にしか見えないだろう。
かつて――とある国で『剣帝』と呼ばれ、最強と謳われた騎士であった面影などそこにはなく、きっと誰もその正体を知ることはない。
ライオはやがて、静かに眠りに就く。
時折見るのは、騎士だった頃の夢だ。
ライオは幼い頃から孤児院で育てられ、両親のことなど記憶になかった。
決して裕福な暮らしなどではない彼の人生を変えたのは、一人の少女との出会いである。
「あなた、こんなところで何をしているの?」
ライオよりも幼い少女は、どう見たって貴族か王族のような、華やかな衣装に身を包んでいた。
少女が本当に王族であり、王女であるという事実を知るのはまた後のことであるが、ライオは少なくともその出会いを経て、人生の転機を迎えることになる。
騎士となって、彼女を守る立場となったのだから。
必ず、彼女を守り抜こう――そう、ライオは決意したのだ。そのはずなのに、
「ライオ、私……」
「――っ!」
びくりっと、身体を大きく震わせて、ライオは目を覚ました。身体中に汗をかいていて、気持ちが悪く、ライオはため息を吐く。
「くそっ、また、同じ夢を――」
「あ、目覚めた?」
ライオはその声が耳に届くと同時に、すぐに行動に出た。相手が何者か、など確認はしない。
すぐにソファの傍らに置いていた剣を鞘から抜き去って、『侵入者』を押し倒した。
「きゃっ!?」
驚きの声を上げたのは、少女であった。フードで顔は隠れていたが、倒れた勢いでフードが外れる。
「な……」
その顔を見て、ライオは目を見開いた。
ライオはその少女のことを、よく知っているからだ。
すでに、この世にはいないはずの少女が、どうしてここにいるのか。
絶句するライオに対して、少女が口を開く。
「あなたが、ライオ・ルエンディル?」
「お前、は……」
「まずは、初めまして。わたしはエリン・クレインス――と言えば、なんとなく分かる?」
「エリン……だと? だが、クレインスというのは……」
クレインス――それはかつて、ライオが騎士を務めていた王国の王家の名だ。
そして、目の前の少女はライオが命を懸けて守りたかった少女と、瓜二つの顔と姓を持っている。
しかし、名前が違う――彼女の名は、アルシャだ。
「うん。わたしはアルシャ・クレインスの双子の妹のエリン。以前にアルシャから、あなたのことについての手紙をもらっていて――」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。頭の整理が追い付かない。双子だと? アルシャの妹? そもそも、彼女に妹がいたのか……?」
ライオは突然のことで、動揺が隠せなかった。
まず、クレインス家にはアルシャしか娘がいなかったはずだ。
故に、すでにクレインスは断絶し――あの国は、滅んでいる。そのはずなのに、瓜二つの顔の少女が突然やってきて、双子の妹などと言うのだ。
「あー、順を追ってわたしのことについて説明した方がいいかな。えっと、だから、その……一先ず、離してもらってもいい?」
少し頬を赤らめて、視線を逸らしながらエリンは言う。
ずっと、彼女を押し倒した格好のままになってしまっていたことに、ライオもようやく気付いた。
***
エリンと向き合うような形で座り、ライオはただ彼女の顔を真っ直ぐ見据えていた。
どう見たって、記憶にあるアルシャと瓜二つ――彼女は、少し視線を泳がせるようにして、
「あまりじろじろ見ないでほしいんだけれど……」
そう、小さく呟くように言った。
「いや、すまない。あまりにも、俺の知る人にそっくりなもので」
「まあ、わたしとアルシャは双子、だからね」
「まずはその話からだ。アルシャに姉妹など、聞いたことがなかった」
幼い頃から、彼女のことは知っている。誰よりも優しく、そして気高い彼女は、いずれ国を導く女王になるはずだった。
他に王の血を継ぐ者がいなかった、という点もあり、王位継承の争いが起こることもなかった――
「……いや、そういうことなのか?」
ライオが何かに気付いたような表情を浮かべると、エリンは頷いて答える。
「アルシャが傍に置くだけあって、やっぱり優秀みたいね。そう――わたし達を産んで、母は亡くなったのは知っているわね? 少なくとも、アルシャかわたしのどちらかが王位を継承するのは間違いない状況になるわけだけれど、『双子』は政権争いが過熱しやすい……らしいわ」
「つまり、政権争いを起こさせないための配慮――そういうことか」
確かに、過去に双子が生まれたことで、苛烈な争いに発展したというケースは多く聞く。
中には内乱にまで発展し、そのまま国が滅んだという話まであるくらいだ。
もっとも、すでに『クレインス王国』については滅んでしまっているのだが。
(ああ、そう言えば以前……)
ライオはある日のことを思い出していた。
それは、アルシャといつものように話していた時のこと。
夜――真剣な表情で彼女は、『あなたに話しておかなければならないことがあります』と、そう言った。
ライオは何かあったのかと思い尋ねたが、後日改めてという形でその場は終わった。
その後日が来ることはもうなかったが、今にして思えば、それがアルシャの言う『話しておかなければならないこと』だったのかもしれない。
どうして、そのタイミングだったのだろうか。
「わたしの存在を知っているのは、両親とアルシャに、わたしの乳母。それから数名の騎士だけだったわ。あなたにも、わたしの存在を知らせるつもりだったと、手紙にはあったの」
「……そうか。お前が、アルシャの妹――それで今更、俺に何の用だ?」
ライオはエリンに向かって問いかける。
すでに王国は滅び、ライオは騎士ではない。
エリンの父も姉もこの世にはおらず、彼女はすでに天涯孤独の身。どうやってライオの居場所を知ったのかは分からないが、何もかも終わってしまっているのだ。
ライオの言葉に、エリンは改まった表情で口を開く。
「わたしがここに来た理由は一つよ。アルシャがあなたのことを信頼していたから、わたしもあなたのことを信頼して、お願いがあってきたわ」
「……お願い?」
「わたしに、剣術を教えてほしいの」
「なんだって……?」
ライオは思わず、聞き返してしまった。
突然、現れた『守れなかった人』と瓜二つの少女の願いが、剣術を教えてほしいという、予想もしない申し出だったからだ。
ライオがここにいることを知っているのなら、今のライオがどう呼ばれているかも知っているはずだ。
「お前、俺がなんて呼ばれているか知っているか?」
「今のあなたが、どう呼ばれているかなんていうのには興味ないの。けれど、あなたは確かに王国では『剣帝』と呼ばれる実力者だったはず」
「……もう、一年以上前の話だ。それに、小国でそんな呼ばれ方をしていたところで、俺の実力の程度など知れるだろう」
「あなたのことは、他国も脅威として見ていたと聞いたわ。少なくとも、わたしが知る限りでは『最強の剣士』であることに間違いない」
「俺のことなど、ろくに知りもしない癖によくそんなことが言えるな」
「言えるわよ。アルシャが信頼していた人だから」
「……彼女の名前を出すな」
俺は小さくため息を吐いた。先ほど、夢に見たばかりの『彼女』のことは、思い出すだけで心が重くなる。
――絶対に彼女を守り抜くと約束したのに、結局何もすることができなかった。騎士として、『剣帝』と呼ばれる強さを手に入れた理由は、彼女を守るためのものだったのだ。
けれど、守るべき者がいないライオにとって、この力はもはや無用の長物でしかない。
「俺はもう、ろくに剣を振るっていない。他人に剣術だって、教えたことはないんだ。剣を習いたいなら、そこらの適当な奴に頼め」
「……あなたじゃないとダメなのよ」
「俺じゃないといけない理由なんて、あるわけが――」
「あるわよ。あなたは、アルシャを守るために強くなったんでしょ!? わたしだって、そのために強くなりたかったのよ!」
声を荒げたのは、エリンの方だった。
その言葉に、思わず目を丸くする。
「……わたしはね、騎士になりたかったの」
「……騎士? まさか、王国騎士か?」
「そうよ。アルシャと同じ顔の私が騎士になるなんて、おかしいと思う? けれどね、『影武者』としての役割も果たせるように、わたしは剣術の腕も磨いてきたわ。わたしはアルシャを守るために強くなって、いつかは騎士になるつもりだった。わたしが王都に戻る予定も、決まるところだったのよ」
その言葉を聞いて、ライオは理解する。
あの時、アルシャが話したかったことは、きっと『双子の妹のエリンがいて、騎士になりたがっている』ということだったのだろう。
それを伝えられたら、どうしていただろうか。
きっと、今以上に動揺していたかもしれない。けれど、アルシャの願いならば――きっと、彼女の言うことは聞いていたはずだ。
そして、アルシャならば『何を願うか』、それもライオには分かってしまう。
「……騎士にはもう、なれないだろう。それなのに、どうして強くなりたい?」
「アルシャがしたかったことを、わたしがするためよ」
「アルシャがしたかったこと……?」
「あの子はね。別に自国の民さえ安全であればいいなんて、考えていなかった。『弱き者を救う』――たとえ偽善と言われようとも、アルシャは他人のことを大切に考えることができる子だったもの。その遺志を継ぐのであれば、わたしは自らの手で誰かのために戦いたい。今、わたしにできることは強くなって、困っている人を助けることだって、そう思ったのよ」
決意に満ちた表情で、エリンは言う。
双子だから、見た目が同じなのは間違いない。
けれど口調も性格も、アルシャとはまるで違う。彼女はお淑やかで、心優しい少女であった。
それなのに、エリンの姿が、アルシャと重なって見えるのは、どうしてなのだろうか。
(アルシャ……この子は間違いなく、お前の妹だな)
こんな転機が訪れるとは、想像もしていなかった。
もう二度と、誰かのために剣を握ることなど、ライオはないと思っていたからだ。
けれど、もう一度だけ――アルシャの願いを叶えることができるのなら、ライオにできることは一つだけだ。
「……俺の腕もかなり落ちている。さっき言った通り、お前が期待するほど、今の俺は強くはない。それでも、俺に剣を習いたいんだな?」
「ええ、それもわたしが言ったでしょ、わたしが知る限り、あなたは最強の剣士なんだから」
「最強、か。はっ、今はただの落ちこぼれたEランク冒険者だ。だが――いいだろう。俺の全てを、お前に教えてやる。お前が、『剣帝』の名を継げるだけの剣士に……育ててやるさ」
エリンに向かって、ライオははっきりとそう言い放った。
そこに『雑魚専門』と罵られ、死んだ目をした青年の姿はなく、かつて『剣帝』と呼ばれた時の騎士の姿を、ライオは取り戻したのだ。
ライオの終わったはずの人生は、再びここから始まることになった。
守り切れなかった人の妹を、誰よりも強い剣士に育てるという、新しい目標を手に入れて。
元最強の剣士が落ちぶれたけど再起する話、みたいなのが好きで短編にしてみました。