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その週末、土曜日のこと。
ここぞとばかりに寝坊していた陽茉莉は、朝九時を過ぎてようやくもぞもぞと起き出す。
顔を洗って着替えてからリビングに行くと、カーテンは引かれたままだった。相澤と悠翔もまだ眠っているのだろう。
カーテンを開けると、室内に明るい日差しが差し込む。
「いい天気。お出かけ日和だなー」
陽茉莉は青い空を見上げて両手を斜め上に投げ出すと、うーんと伸びをする。
「せっかくだから、朝ご飯作って待ってようかな」
冷蔵庫を覗き、食パンを使ったフレンチトーストを作ることにした。
牛乳と卵とお砂糖を混ぜ合わせ、食パンを浸す。フライパンにバターを入れると、溶け出した焦がしバターの芳ばしい香りが辺りに漂う。そこに卵液に浸した食パンを入れると、両面にこんがりと焼き色が付くように焼いてゆく。
最後に上からグラニュー糖を散らして溶かし、甘く、そして表面をカリッとさせるのが陽茉莉の実家、新山家流だ。
付け合わせにフレッシュサラダとヨーグルトを用意していると、ドアがカチャリと開いた。
「あ。おはようございます、係長」
「おはよう。すごくいい匂いが部屋まで漂ってきた」
ラフなカットソーとチノパン姿の相澤は、キッチンを覗き込む。陽茉莉はその姿を見て、少しドキリとした。
いつもきっちり髪の毛を整えてびしっとスーツを着込んでいるので、なんだが新鮮だ。多分これは、家着だろう。
(こうやって見ると、悠翔君に似てるなぁ)
整髪料をつけずに無造作に下りた髪のせいか、普段より少し幼く見える。
(楠木さーん、オフでぐでっとしているときはこんな感じみたいです!)
陽茉莉は心の中で、会社で隣の席に座る噂好きな楠木さんに報告をする。みんなが知りたがっている姿を見られるなんて、なんとなく得した気分。
「フレンチトーストを作ったんです。好きですか?」
陽茉莉は相澤に見せるように、お皿を持ち上げる。
「フレンチトースト? 俺の分も作ってくれたの?」
「はい。もちろん」
「ありがとう。美味しそうだね」
相澤は片手を首の後ろに当て、嬉しそうにはにかむ。その様子を見て、嫌いではなさそうだと陽茉莉はほっと胸をなで下ろした。
「朝ご飯を作ってもらうのなんて、いつ以来だろう。おふくろがいなくなってから、自分で作るものだったから」
キッチンに入ってきてコーヒーメーカーをセットした相澤が小さな声でそういうのが聞こえた。
それは特に陽茉莉に話しかけている風ではなく、自分の中で確認するように呟いた言葉に聞こえた。
(そういえば、係長のご両親ってどうしているんだろ?)
このマンションに住んでから陽茉莉が知る限り、相澤の両親はふたりともいないように見えた。
(おふくろがいなくなってから、って言っていたから、少なくともお母さんはいないんだよね?)
なんとなく聞きづらくて聞けない。
悠翔はまだ小さい。男手ひとりで幼い弟を育てるのは大変だろうな、と思う。
「そうだ。新山が持ってるお守りって、今ある?」
「お守り? ありますよ」
なぜそんなことを聞いてきたのだろうと、陽茉莉は振り返って首を傾げる。
「朝食が終わったら、貸して。あのお守りは多分、中の護符の効き目が弱くなっているんだ。昨晩新しいのを作ったから、取り替える」
「護符?」
よくわからないが、中に入っているお守りの本体の力が弱まっているから新しいのを作ったということのようだ。
「係長、護符も作れるんですか?」
「ああ」
この人、本当に何でもできちゃうんだなぁと感心してしまう。
「おはよー」
ちょうどテーブルに全部の料理が並べられた頃、悠翔がようやくリビングダイニングにやって来た。側頭部の髪の毛に途中から垂直に立ち上がる寝癖がついており、きっとそちらを下にして眠ったのだろうなと予想がつく。
「わあ、これフレンチトースト?」
悠翔はこちらに駆け寄ると、テーブルの上を見て目を輝かせた。
「そうだよ。悠翔君、好き?」
「大好き!」
悠翔は満面の笑みを浮かべる。そして、一口食べると「美味しい!」と大喜びしてくれた。
「よかったな、悠翔」
相澤はその様子に目を細めると、悠翔の頭を撫でる。
会社で時折見せる、ちょっと作り物っぽい爽やかな笑みとも違う、優しい笑顔だった。
(なんか、嬉しいな)
十五分もあれば作れてしまうようなお手軽料理なのに、こんなに喜んでもらえるなんて。
また今度作ってあげようと、陽茉莉は頬を緩めたのだった。
◇ ◇ ◇
その日の日中、陽茉莉は悠翔を連れて、歩いて十五分ほどの場所にある大きな公園へと遊びにいった。
前方に見える芝生広場では、周辺に住む人達が思い思いに余暇を過ごしていた。大学生風のグループや、小さな子供を連れた家族連れ、ヨガマットを持ってきてひとりでヨガをしている人も。
悠翔は芝生のほうへと走ってゆくと、しばらくは綺麗な小石を集めたりバッタを捕まえたりして過ごしていたが、しばらくすると陽茉莉のほうへと走り寄ってきた。
「お姉ちゃん。僕、縄跳びするから見てて」
「うん、いいよ」
陽茉莉が頷くと、悠翔は家から持ってきた縄跳びを持ってアスファルトの部分へと向かう。そして、前飛びと後ろ飛びを披露してくれた。
「すごい、上手だね!」
「うん。お兄ちゃんに教えてもらったの。今、あや飛びの練習してるんだけどまだできないから練習する」
「うん、頑張れ!」
褒められて嬉しかったのか、悠翔は嬉しそうにはにかむ。
(か、可愛い)
見ているだけで胸がきゅんきゅんしちゃう可愛さ。相澤もこんな感じだったのかな、とふと思った。
「悠翔君。お兄ちゃん、優しい?」
陽茉莉はなんの気なく、悠翔に尋ねる。
「うん、すっごく優しい。お仕事がない日は遊んでくれるんだ。この前はあっちでサッカーしたよ」
悠翔はぱあっと顔を輝かせ、公園の向こう側を指さす。そっちには、市民が自由に使用できる多目的グラウンドがある。
「へえ……」
縁あって相澤のマンションに転がり込む前まで、陽茉莉はてっきり相澤の休日は美人な恋人とデートにでも行き、夜は高級レストランでディナーでもしているのかと思っていた。
想像と現実はだいぶ違うようだ。
そもそも、今のところ相澤に女の影を感じたことがない。
「お休みの日のお仕事って、あのお化け退治のお仕事かな?」
陽茉莉の職場は、基本的に休日出勤はない。土日に働いているとすれば、そっちだろう。今日も「仕事で」と言って昼過ぎに出かけてしまったが、会社ではないはずだ。
「お化けじゃなくて邪鬼だよ。本当は隠世に行かなきゃいけないのに、死んだ人の未練が残って鬼化するの」
「ふーん」
あんまりよくわからないけど、とりあえず人ではないということと、相澤がそれを退治しているということは間違いないようだ。
「見つけたら退治するの?」
「見つけたら退治するし、頼まれて探して退治したりもする。お兄ちゃんは〝祓う〟って言ってた」
「頼まれて?」
「うん。お姉さんに」
それだけ言うと、悠翔はまたトタトタと芝生のほうへと駆けてゆく。
(お姉さんに頼まれて?)
そのお姉さんは陽茉莉のように人ならざる者に襲われて、相澤に退治を頼んだということだろうか?
いまいち要領を得ない回答に、陽茉莉は首を傾げたのだった。
◇ ◇ ◇
結局、陽茉莉と悠翔はその公園に二時間ほど滞在した。
家へ帰る途中、陽茉莉はついでに夕ご飯のおかずを買ってしまおうと思いつく。
「悠翔君、今日の夕ご飯は何が食べたい?」
手を繋いで歩きながら、陽茉莉は悠翔に尋ねる。
「僕、オムライス食べたい」
「オムライス? 上にケチャップで文字を書くやつ?」
オムライスと言っても、昔ながらのケチャップをかけるものからデミグラスソースやホワイトソースで食べるちょっとお洒落なものまで色々とバリエーションある。
陽茉莉が念のため確認すると、悠翔は「うん、そうだよ」と応えた。
「よし。じゃあ、今夜はオムライスだ!」
子供が好きな料理の定番だと、陽茉莉は頬を緩ませる。
メインがオムライスなら、サイドメニューは具だくさんのコンソメスープとフレッシュサラダにしよう。
「やったー」
悠翔は両手を挙げて大袈裟に喜ぶと、ピョンとジャンプした。




