7-2
◆◆ 2
リビングでテレビを見ていると、玄関の鍵が回るカチャリという音がした。
「ただいま」
「あ、礼也さん。早かったですね。お帰りなさい」
陽茉莉は相澤に向かい、ふわりと笑いかける。
今日は、高塔と飲みに行くから遅くなると事前に聞いていた。まだ夜の十時前なので、思ったより早い帰りだ。
「楽しかったですか?」
「うん、まあまあ」
相澤はこくりと頷くと、じっと陽茉莉を見つめてくる。
(な、なんだろ……?)
陽茉莉はその射貫くような視線に、一瞬ドキリとした。
「そうだ。私、礼也さんにお伝えしないといけないことがあって」
陽茉莉は妙な緊張感を覚えてソファーの端に姿勢を正して座り直す。心臓の音を隠すように、努めて明るく話を変えた。
「伝えたいこと? 俺に?」
相澤は首を傾げたが、話を聞こうと思ったようで、陽茉莉の横に腰を下ろした。
「はい。実は、そろそろ居候もご迷惑かと思ったので、引っ越そうかと──」
悠翔から『そろそろお父さんが帰ってくる』と聞いたのは、二週間ほど前。そのときから、ずっと考えていた。
悠翔のお父さんが帰ってくるなら、親子水入らずの家庭に部外者の陽茉莉がいるのは迷惑になるはずだ。ならば、その前に自分はここを出たほうがいい。
あの事件の翌日、陽茉莉はかつて助けた犬(正確には、犬だと思い込んでいた生き物)が相澤だったのではないかと問い詰めた。
すると、相澤はばつが悪そうにそれを認めた。相澤は最初から、陽茉莉があのとき助けてくれた少女だとわかっていたと。
──それを聞いて、色々と腑に落ちた。
なぜ相澤はこんなにもよくしてくれるのだろうと、陽茉莉はずっと不思議に思っていた。明らかに、部下を心配する上司の範疇を超えている。
もしかして、相澤は自分に特別な気持ちを持っていてくれているのではないか?
そんなことを思ったこともあるけれど、いまいち自信が持てなかった。
相手は仕事ができて社内女子に大人気のイケメン。対する自分は、仕事が特別できるわけでもなければ、見た目も平凡の範疇に入るだろう。
それに何よりも、これだけ一緒に過ごしながら相澤は一度たりとも陽茉莉に手を出そうとしないし、そんな雰囲気になったこともない。それは相澤が陽茉莉を女として見ていない証拠のようにも思えた。
だからあの日、悟ったのだ。
相澤にとって、陽茉莉を守っているのはきっと恩返しの気持ちが強いのだろうと。
「引っ越す?」
相澤の声が一段低いものに変わる。
「なんで?」
「悠翔君から聞いたんです。お父さんが帰ってくるって。それなら、私はお邪魔でしょうし。それに、最低限の祓除札は使えるようになったので──」
「だめだ」
「え?」
陽茉莉は驚いて相澤を見返す。
まさか、こんなに頭ごなしに否定されるなんて思っていなかった。むしろ、厄介ごとが減ったと喜ばれると思ったのに。
「親父は時々帰ってくる。だが、帰ってきても俺と悠翔の顔を見たら、その日のうちに次の場所に移動する。今回も同じだ」
「そうなんですか?」
なら、親子水入らずの邪魔にはならないだろうか?
でも……、と陽茉莉は思い直す。
「でも、礼也さんは私がずっとここにいると迷惑でしょう?」
相澤は不機嫌そうに眉根を寄せた。
「迷惑なはずないだろう。俺にはお前が必要だ」
陽茉莉の胸はドキンと跳ねる。
悠翔の世話をしたり、癒札を作れる陽茉莉が相澤にとって必要な存在なことは十分に理解しているけれど、その言い方がまるで〝陽茉莉という存在が自分にとって必要〟と言われているように感じた。
「だから、ここにいろ」
陽茉莉の片手を、相澤が手に取る。
もう一度力強くそう言われた。
「そう仰るなら……」
陽茉莉は少しだけ考えて、おずおずと頷く。
陽茉莉にとっても、ここは居心地がよい場所だ。身の安全が保たれるというのも大きいが、何よりも相澤と悠翔とすごす時間が、好きだった。
相澤の表情がほっとしたように和らいだ。
そんな些細なことからも、本当に自分にここに残ってほしいと思っているのだと窺い知れて、嬉しさを感じた。
「じゃあ、明日からもよろしくお願いします」
陽茉莉はにこりと微笑んで、隣に座る相澤にぺこりと頭を下げる。
「ああ、よろしく」
相澤も釣られるように微笑む。
「でも、やっぱり出ていってほしくなったらすぐに言ってくださいね」
陽茉莉はそう付け加えた。相澤の負担になりたくないという気持ちにも、うそはないのだ。
「は?」
「ほら、礼也さんだって、好きな人ができることもあるでしょうし。遅くなる日は言ってくだされば、悠翔君も預かれますから。本当に、礼也さんには感謝してもしきれないです」
「…………。陽茉莉は妙なところで鈍いが、ここまでだとは思っていなかった」
相澤が額に手を当てて顔を覆う。そして、その手が下りたとき、相澤はどこか黒い笑みを浮かべて陽茉莉を見つめていた。
「なあ、陽茉莉。俺は自分が間違っていたことに気付いたよ。だから、これからは遠慮なしにいこうと思う」
「……行くって、どこに?」
「陽茉莉。本気でそれ、言ってるの?」
握られたままの手をぐいっと引き寄せられ、いつの間にかソファーに座ったままの状態で相澤に囲い込まれていた。
「男が何の下心もなしに女を自宅に住まわせるなんて、あり得ると思う?」
一般的にはあり得ない気がしますけど、超高スペックのあなたに関してはあり得ると思っていました。
なーんてことを言えるはずもなく、陽茉莉はただただ目を見開いて相澤を見つめる。
「まずは陽茉莉のその俺に対する感謝してもしきれない気持ち、どうやって返してもらおうか?」
耳元で囁かれ、鼓膜が甘く揺れる。吐息が肌に当たりぞくぞくとした感覚が込み上げてきた。
「そ、それは……」
想定していなかった事態に、陽茉莉は真っ赤になって狼狽えた。
「れ、礼也さんが大好きな唐揚げをたくさん作ります!」
何を言っているんだ、私は。
カーテン越しに見える夜空に、ぽっかりと浮かぶ丸いものが見える。
(あ。今日ってもしかして、満月?)
そう気が付いたときには、とき既に遅し。
「それもいいね。でも、それだけ?」
目の前にはまっすぐに自分を見下ろす相澤がいるわけで。
(掃除も頑張っちゃいます、で許される?)
パチッと目が合って、相澤に蕩けるように微笑みかけられた。
その瞬間、「あ、許してもらえなそう……」と直感的に悟る。
「陽茉莉、覚悟して」
「む、無理です!」
あやかし上司との契約同居の延長戦は、これまで以上にドキドキが収まらなそうだ。
〈了〉
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