6-1 ③
◇ ◇ ◇
タクシーを降りると、そこは都心のど真ん中とは思えないほどに静寂に包まれていた。
道の両側にはお寺がいくつかあり、その辺りに広がるのは檀家の墓地だろうか。
明かりも道路の街灯くらいしかなく、本当にここから歩いて十数分で、巨大ターミナル駅である品川駅に着くのだろうかと思うほどだ。
「どっちだろう?」
陽茉莉は辺りを見回しながら、片手で悠翔の小さな手をぎゅっと握りしめる。
もう片方の手では、斜めに掛けたショルダーバッグの肩紐をしっかりと握っていた。ショルダーバッグの中には、これまで作って上手くできた祓除札五枚と癒札二枚を入れている。
「お姉ちゃん、あっち!」
悠翔が陽茉莉の手を強く引く。
悠翔が進もうとする方角を見ると、見覚えのある人影が見えた。高塔副課長だ。高塔も陽茉莉達に気が付いたようで、片手を上げている。
「高塔副課長! 相澤係長は?」
「礼也はあっちにいる。癒札を使ったら、新山ちゃんと悠翔はすぐに帰ったほうがいい。今、ちょっと厄介な状況なんだ」
高塔は、固い表情のまま、お寺の中の墓地の一角を指さす。陽茉莉はそちらに目を懲らした。
大きな木の根元に白い大きな岩のようなものがぼんやり見えて、すぐにそっちに駆け寄った。
「礼也さん!」
オオカミ姿の相澤は、木の下でぐったりとしていた。それでも陽茉莉の声を聞いてつと顔を上げると。すっくと立ち上がる。
けれど、相当に消耗しているのか、その体がふらりとよろめく。
「礼也さん!」
陽茉莉は慌ててその体を支えようとした。けれど、オオカミ姿の相澤の体は大きく、支えきれない。
「何をしに来た。悠翔を連れて、早く帰れ。今すぐだ」
相澤は陽茉莉を責めるような口調でそう言った。
「何しに来たって、礼也さんを助けに来ました。いつもピンチを救ってもらってばっかりだから、礼也さんがピンチなら、私が助ける番でしょう? そのために頑張って祓除札や癒札を作る練習をしたんだから!」
相澤が驚いたように陽茉莉を見つめる。
「そんなに強力じゃないかもしれないですけど、少しは効くと思うんです」
陽茉莉はショルダーバッグから癒札を取り出すと、それを有無を言わさずに相澤の体に貼り付けた。
「あれ……? 礼也さん?」
癒札を貼るとすぐに、相澤がうとうととし始めた。
「ちょっ、どうしよう!」
回復するどころが意識が混濁してきたのかと焦って毛並みごと大きな体を揺すろうとすると、高塔に止められた。
「大丈夫。効いてる」
「え? でも……」
陽茉莉は高塔を見上げてから、再び相澤に目を移した。相澤は既に目を瞑ってじっとしていた。
「人の薬でも、効き目が現れるときに眠くなるものってあるだろ? 癒札も一緒。眠っている間が一番妖力が回復するけど、そのスピードが飛躍的に速くなる。まあ、一流の祓除師が作った癒札ともなると、眠気を起こさずに回復させるものもあるんだけどさ」
高塔によると、すぐに祓除の効果が現れる祓除札とは違い、癒札の効果が発揮されるには少し時間がかかるようだ。
「そうなんですね」
陽茉莉は相澤を見つめる。大きな体に手を伸ばすと、もふもふの毛並み越しに温かさを感じ、ようやく彼が無事なのだと安心できた。
「どれ位で回復しますか?」
「五分くらいかな。札の力が強ければ、もう少し早い」
「五分」
陽茉莉は腕時計を見る。
何時間もかかるのかと思っていたので、思ったよりも短くてほっとした。
「ところで、さっき高塔副課長が『厄介な状況』って言っていたのは?」
「ああ、邪鬼を取り逃がしたんだ。かなり強い邪気を持ったのが四匹いて、二匹は仕留めたんだが残り二匹がいない」
「捜しているんですね?」
「ああ」
陽茉莉はじっと考え込む。
「あの……。私がその邪鬼、おびき出そうと思います」
「おびき出す?」
「はい。私、今は礼也さんにもらった護符のお守りを持っているから襲われないですけど、本当はすごく邪気に襲われやすい体質なんです。だから、お守りを置いて歩けば私の体を狙って行方がわからない邪鬼が現れるんじゃないかと思うんです」
眉根を寄せた高塔が何かを言いかけたそのときだ。
「それはだめだ。危険すぎる。呑まれたらどうするんだ」
聞き慣れた低い声がして、陽茉莉は驚いて背後を振り返った。
「お兄ちゃん!」
そこには、いつの間にか人間の姿に戻った相澤がいた。悠翔が嬉しそうに、相澤に駆け寄る。
「礼也さん! 回復してきたんですね?」
まだ二、三分しか経っていないのに、予想以上に早い回復だ。
「ああ。二枚使ったから、ほぼ全快してる」
「よかった」
陽茉莉は手を当てて、胸をなで下ろす。
「ところで今の提案だが、だめだ」
「でも、今困っているんですよね?」
相澤は答えなかった。その沈黙が肯定を表していると、陽茉莉は捉えた。
「大丈夫です。祓除札も持ってきたので、すぐには呑まれません。癒札もちゃんと効いたでしょう?」
鞄には、祓除札が五枚入っている。もしも襲われても、時間を稼ぐくらいはできるはずだ。
「それに、礼也さんは私が襲われたら絶対に助けてくれるでしょう?」
陽茉莉はにこりと笑って、相澤を見上げる。
以前、邪気に襲われて怯える陽茉莉のために部屋でオオカミ姿になって一緒に寝てくれた相澤は、陽茉莉にそう約束した。だから、陽茉莉は絶対に相澤が助けてくれると全面的に信頼している。
相澤は驚いたように目を見開き、絶句していた。
くくっと横でふたりのやり取りを聞いていた高塔が笑い出す。
「いやいや、新山ちゃん、結構押しが強いよね。礼也、ここはお前の負けだ。そもそも、ここに来るのだって散々止めたのに聞かなかったんだから、今回もだめだって言っても新山ちゃんはやると思うよ」
よくわかっていらっしゃると、陽茉莉は高塔の言葉を聞いて口の端を上げる。
一方の相澤は、はあっと大きな溜息をついた。
「わかった。だが、無理はするな。ひとりで絶対に離れるな。やっぱり危険だと判断したら、途中でも悠翔を連れて家に帰らせる。わかった?」
「はい」
陽茉莉は承諾の意思を込めて、しっかりと頷く。
お守りを持たずに外を出歩くのは、前回邪気に襲われたとき以来だ。怖くないと言えば、うそになる。
「じゃあ、行こうか」
「はい!」
陽茉莉はショルダーバッグの中から、いつも大切にしているお守りを取り出す。ハンカチで丁寧に包むと、それを先ほど相澤が寝ていた木の根元に置いた。




