3-2 ②
◇ ◇ ◇
どこのコミュニティでも女性の情報ネットワークというのは侮れないものだ。そして、ここアレーズコーポレーションでもそれは例外ではない。
パソコンに向かって資料作成をしていた陽茉莉は、視線を感じて横を向いた。隣の席に座る楠木さんが何かを言いたげにこちらをチラチラ見ている。
「どうかしましたか?」
何か仕事に関する確認でもあるのかと、陽茉莉はキーボードを打つ手を止めて楠木さんを見返す。
楠木さんは待ってましたとばかりに、椅子ごと陽茉莉に体を寄せた。
「新山さん。私、すごいビッグニュースを仕入れてきたのよ」
「ビッグニュース?」
「そう」
そこまで言うと、楠木さんはきょろきょろと辺りを見回し、人が出払っているのを確認する。
その仕草で、これは仕事ではなく噂話だなと陽茉莉は瞬時に悟った。楠木さんは社内の噂話が大好きなのだ。
「相澤係長なんだけど、やっぱり恋人がいるらしいわ。和風な雰囲気の美女だって」
「は?」
思わず、おかしな声が出てしまった。
相澤係長に恋人?
そんな気配は全く感じないが。
「ただの噂じゃないですか?」
「でもね、総務部の服部さんがデート現場を見たらしいのよ。ちょっといい雰囲気のレストランの前で、ふたりで話をしていたって。しかも、かなり親しげな様子らしいわよ」
「レストラン? 人違いってことはないですか?」
陽茉莉は眉を寄せて声で問い返す。
相澤は基本的に、遅くなっても家に帰って食事を取る。既に相澤の家に世話になるようになって三週間近く経つが、それは最初から変わらない。
だから、レストランになど行っていないはずだ。
「うーん。でも、総務部の服部さんが言っているのよ? すごい相澤係長のファンだから、見間違えるなんてないんじゃないかしら?」
楠木さんは顎に手を当てて首を傾げる。
「一昨日の夜に見たらしいんだけど──」
その瞬間、ドキリと胸が跳ねた。
一昨日の夜。それは、ちょうど相澤が『夕飯はいらない』と言った日だった。確かにその日、相澤は夕食を家で食べなかった。
帰宅したのも、日付が変わるような時間だった気がする。
「なんかね、和服モデルみたいな美人さんだったらしいのよ。やっぱり、いい男には美女が付きものなのね」
楠木さんは予想通りだと言いたげに、うんうんとひとり頷く。
(相澤係長、彼女いるんだ……)
その後も総務課の服部さんから聞いたという誇張交じりの情報を楠木さんはつらつらと話し続ける。
陽茉莉はそれを、半分上の空で聞き流した。
そして、昼休み。
社員食堂で黙々とカレーライスを胃の中に押し込む陽茉莉を、若菜は不思議そうに見つめた。
「陽茉莉、午前中に何かあった?」
「ううん。別に何もないよ」
「それにしては、なんかやさぐれてない?」
陽茉莉はぴたりとスプーンを運ぶ手を止める。
やさぐれている? 自分が?
そんなはずはない。
断じてない!
別に陽茉莉と相澤は恋人でも何でもない。上司と部下であり、ただの同居人だ。
だから、相澤が誰と付き合って何をしていようと陽茉莉にはとやかく言う資格はないし、そもそも口出しすべきことではない。
そうはわかっているけど、なぜかイライラする。
「午前中に、また相澤係長に仕事のことでなんか言われちゃった?」
若菜はこちらを見つめ、首を傾げる。
「相澤係長は関係ない!」
陽茉莉は即座に全否定する。
「そ、そっか。じゃあ、別に嫌なことがあったんだね」
陽茉莉の気迫にやや圧倒されたように、若菜は体をのけぞらせる。
「飲みにでも行って話を聞けたらいいんだけど、今日は予定があるんだよね──」
残念そうに若菜が眉尻を下げるのを見て、陽茉莉は閃いた。
(そうよ。最近、潤ちゃんに話を聞いてもらえないからイライラするんだ!)
絶対にそうに違いない。
そうとわかれば、潤ちゃんに会いに行かないと。
『今夜は出かけるんで悠翔君のお迎え無理です』
どこで聞かれるかわからないので、三つ隣の席だけどスマホからメッセージを送る。すぐに相澤からは返事が来た。
『わかった。前にも言ったが、あまり遅くなるなよ』
そんなこと、別に言われなくったってわかってるし!
陽茉莉は画面をスワイプしてSNSのアプリを閉じると、心の中であっかんべーをした。




