軍令部総長の昔話
軍令部総長は、三元帥の中ではナンバー2に位置する。しかし、ナンバー1の軍事大臣が軍人というよりは政治家という気質が強い事もあり、実質的な軍の最高指揮官は軍令部総長と言えた。
その軍令部総長に就任したトーマスは、慣れない事務仕事に苦戦しながらも、毎日の激務に精励していた。
今の彼の仕事は事務仕事がほとんどだった。しかもその大半は、統合艦隊司令本部からジュリアスが送ってきた部隊や人員の再編成に関する要望書や追加予算の申請書などが占めている。
「軍令部総長の仕事って統合艦隊司令長官のサポートだったかな?」
軍令部庁舎の執務室にて、黒髪の親友によって送り付けられてきた書類の山に囲まれながら、トーマスはそんな事を漏らす。
しかし、その一方で帝国軍全軍の作戦指揮を統括するよりも、信頼する親友が自由にその裁量を振るえる環境を整える方がトーマスにはやる気が湧いてきていたので、むしろ好都合だと考えていた。
「それにしてもジュリーはすごいな。司令長官の仕事をちゃんとこなしてるんだな」
ジュリアスから送られてきた書類の山がそれを物語っている。ジュリアスは着々と自分の構想を形にすべく動き出していた。それに対してトーマスは、日々の仕事をこなすだけで手一杯という状況を自嘲する。
「やっぱり僕なんかに、軍令部総長なんて無理なのかな」
「そんな事はありません!!」
「え?」
不意に聞こえてきた若い女の子の声を耳にして、トーマスは思わずビックリして顔を上げる。
そこにいたのは腰まで真っ直ぐ伸びる水色の髪をした可憐な15歳の少女だった。
彼女の名はエミリー・ブラケット中佐。子爵家令嬢である彼女は、帝立学院を2年前に学年主席で卒業して帝国軍に入隊した優等生の彼女は、少佐の階級を与えられて軍令部に勤務してした。
今は中佐に昇進して、トーマスの副官を務めている。これは経験豊富な老齢軍人よりも歳の近い者の方がトーマスには扱いやすいだろうとクリスティーナが軍事大臣として彼女を推薦した事により実現した事だった。
「コリンウッド元帥は、日々のお仕事をテキパキとこなしておられます。それに軍令部には元帥を慕う人も大勢いるんですよ」
ブラケットの言葉に嘘偽りはない。トーマスの真面目で温厚な人柄は、軍令部の多くの者に親しみと好感を抱かせ、軍令部総長となってまだ日が浅いにも関わらず、若年層を中心にトーマスを慕う軍人は少なくなかった。また、幼さを残った端整な顔立ちから、女性軍人からはほぼ無条件に絶大な人気を獲得している。
実はブラケットもその1人であり、彼女はアカデミー1年生の時、当時3年生だったトーマスとは数度顔を合わせて言葉を交わした事も何度かあり、その頃からトーマスの事が気になっていた。ただ、対するトーマスの方はまったく記憶にないらしいが。
「ふふ。ありがとう。でも、それを言うなら、ブラケット少佐が僕が仕事をしやすいように、下準備と後始末をしてくれてるからだよ。僕1人じゃとても無理だったところだ。流石は学年主席だね」
「もう。やめて下さい、閣下。それを言うなら、元帥もアカデミーでは優秀な成績を収められていたじゃありませんか」
「僕は学年次席。クリ、ヴァレンティア軍事大臣が主席で、シザーランド司令長官が三席。と言っても、僕は軍事訓練の方で点数を稼いだけどね。僕は平民出身で、大した才能も無いから、せめて身体を動かすのだけは誰にも負けないようにしたいと思ってけっこう頑張ったんだよ。……って、あ。ご、ごめん。こんな僻みを聞かせちゃって。気を悪くさせたのなら謝るよ」
「い、いいえ。お気になさらないで下さい! ……ですが、当時から噂になっていましたよ。コリンウッド先輩が本気を出せばヴァレンティア先輩よりもすごい成績が叩き出せるはずなんだけど、シザーランド先輩に毎日振り回されているせいで勉強どころじゃなかったんだって」
「そ、そんな噂が流れてたの!?」
トーマスは初めて耳にした噂に目を丸くし、途端に恥ずかしくなってきた。
「はい。コリンウッド元帥とシザーランド元帥は、門限破りや講義中の居眠りの常習犯で、校庭の鞭打ち台でよく鞭打ちの懲罰を受けていましたよね。でも実はコリンウッド先輩はシザーランド先輩の罪を被ってあげているだけなんじゃないかっていう噂もありました」
「あはは。実を言うと、半分は正解かな。自業自得とはいえ、彼が鞭で打たれる姿なんて見たくなかったからね」
「では、この噂はどうですか? 実は規則違反の何割かはヴァレンティア先輩が実家の力を使って揉み消したという話を聞いた事があるのですが」
「それは無いけど、似たような事なら数回だけあったよ。ヴァレンティア軍事大臣と3人で門限破りをした時。伯爵令嬢を鞭打ち刑にするのは忍びないって事で、学校側が大目に見てくれた事ならあった」
「へえ。そうだったんですか」
「それにしても、随分と噂が立ってたんだね」
「はい。御三方はアカデミーで知らない人はいないというくらい注目の的でしたから! シザーランド元帥が校庭で鞭打ち刑を受けた際には、次に鞭打ち台に立つのは何日後かを当てるという遊びが密かに後輩達の間で流行っていました」
「後輩達の遊びに使われてたって事? 全然知らなかったよ」
恥ずかしい過去を暴かれたような感覚に陥ったトーマスは頭を抱えてしまう。
「あ! で、でも、コリンウッド元帥もシザーランド元帥も後輩達からの評判はとても良かったんですよ。いつも明るく気さくで頼りになる先輩だって」
「そ、そうなの?」
「はい! ……あ! あと、それからこれも本当なんですか?3人で20人以上の不良グループを相手に喧嘩をして叩きのめしたという噂を聞いたんですが」
「今となっては無謀な事をしたと反省してるよ」
「で、では、本当なんですね」
流石にこれは作り話だろうと考えていたブラケットは、驚きのあまりうまく声が出なかった。
「うん。その不良グループの1人がヴァレンティア軍事大臣に言い寄ってきてね。シザーランド司令長官と助けに入ったら、気付いたら大乱闘状態になってたんだ。まあ、それ以降、あいつ等がヴァレンティア軍事大臣に言い寄ってくる事はなくなったから良いんだけど」
「流石です! 友人を助けるために大勢の相手に立ち向かうなんて!」
「最初に突っ走っていったのはシザーランド司令長官の方なんだけどね。あいつと一緒にいると、命が幾つあっても足りないって何度思わされてきたことか」
トーマスの話を聞いてブラケットは小さく笑う。
「でも、今も変わらずご友人なんですよね」
「うん。まあね。何というか、あいつと一緒にいるのが、当たり前になってて、傍にいないと何だか落ち着かない気がするんだ。……そういえば、あまり君の話は聞いた事が無かったね。僕だけ色々と話すっていうのも不公平ってものだし、たまにはブラケットの話も聞かせてよ」
トーマスの言葉を耳にした瞬間、ブラケットは僅かに鼓動が早くなるのを感じた。尊敬する先輩であり、尊敬する上官が自分の事について知りたがっている。少しばかり過剰に捉えて自分に興味があるのではと淡い期待をしたりもした。
しかし実際のところ、トーマスは一緒に働く仲間の事をもっとよく知っておきたいというだけで、必要以上に親密になろうとまでは考えていなかったのだが。




