総統の衷心
バーミンガム星系の戦いに勝利した帝国軍艦隊及びニヴルヘイム要塞は帝都キャメロットへと帰還した。
ここでニヴルヘイム要塞の存在と連合軍のアンダストラの完全破壊が、情報大臣ゲッベルスによって大々的に報じられた。しかし、アンダストラを破壊したのはギガンテス・ドーラによる攻撃ではなく、帝国軍艦隊による攻撃の末として。
ギガンテス・ドーラのような強力過ぎる兵器の存在は、民衆には刺激が強過ぎるというゲッベルスの判断によってである。
帝都に帰還して事後処理を済ませた帝国総統ローエングリン公爵は、総統官邸の執務室に副総統兼大蔵大臣ロタール・ゲーリング男爵と厚生大臣レナード・シェーンハウゼン伯爵を呼び出した。
厚生大臣は、医療・保険・社会福祉などを担う厚生省の長官であり、大貴族による旧体制下では軽視されがちだった平民達の生活水準の向上などを目的としている。
この職に任じられたシェーンハウゼン伯爵は名門貴族の一員ながらも、平民の労働環境改善と新たな社会福祉政策を掲げて10年以上も社会運動に従事していた人物だった。その思想を評価してローエングリンはヘル党員ではない彼に厚生大臣の地位を与えた。
そして、このシェーンハウゼン伯とゲーリング男爵は今、ローエングリンの総統命令によって新しい貧困層救済政策案の立案を進めていた。その報告を受けるために、ローエングリンは2人を呼び出したのだ。
「内務省が進めているスラム街の区画整備、文部省の教育支援、そしてこの厚生省の救済政策を合わせれば、年々増加している貧困層に歯止めを掛ける事が叶いましょう。ですが、やはり必要経費が掛かり過ぎるのが気になります。財政的には許容範囲ではありますが、今は戦時下ですし、予算の一部を軍事費なりに回した方が良いのではないかと大蔵大臣としては考えますが?」
ゲーリングは貧困層救済政策の縮小を促した。彼自身、この救済政策自体には賛成ながらも時期尚早と考えていた。この救済政策は元々シェーンハウゼンが構想していたものであったが、具体的なプラン作成を指示したのはローエングリンである。精確に言えば、シェーンハウゼンが救済政策実行を提案するより早くローエングリンが指示を出したのだ。
「ならぬ。貧困層はその日の生活にも事を欠いているのだ。こちらの対応が遅れれば、それだけ失われる命も増えるというもの。貴族連合が片付いた時、銀河系は戦後復興のために1人でも多くの人手を必要とする。その労働力を今の内に確保して育成するのも、この政策の目的だ」
「……」
ローエングリンの主張はゲーリングにも理解できるし、正論ではあったが、優先させる必要があるものとまでは思わなかった。そして親子並に歳の離れた主君の話を聞く内にゲーリングはある事を考える。もしかしたら、この方は自分と同じ貧困層出身者の救済をするために帝国の覇権を握ったのではないか、と。
ローエングリンは公には下級貴族の出身とだけ明かされているが、実際には貴族とは肩書きだけで住居もスラム街の一角にあるほどだった。そこからどうやって皇帝に見出されたのかは知らないものの、ゲーリングはローエングリンの出自を知る数少ない1人であり、ヘル党員の中でもローエングリンとの付き合いは長い方である。
そんな彼でも時折ローエングリンの真意が分からなくなる事があった。大貴族達はローエングリンを皇帝陛下を傀儡にして国政を思いのままにする不逞な野心家と罵ったが、ゲーリングの知る限り、ローエングリンが権力を振るう時はいつも職務上の理由がある時がほとんどで私利私欲で自らの地位を利用する事などまず無かった。
かと言って皇帝に忠実な番犬かというと、少なくとも表面上はそうだが、どこか違う雰囲気をゲーリングは感じていた。何が欲しいのか、何がしたいのかを中々見せない人それがローエングリンという人物だったが、そんな彼が僅かに垣間見せた欲が、この救済政策そのものではないか、とゲーリングが考えた時、彼は主君の意思に沿う事を決めた。
「では、総統閣下のご命令通りに事を運ぶよう、関係省庁には通達致します。では、我等はこれにて」
そう言ってゲーリングとシェーンハウゼンは退出した。
そして執務室には、ローエングリンと終始部屋の端に控えていたエルザの2人だけになる。エルザは妙にニコニコしながらローエングリンを見ていた。
「何を笑っている?」
「ふふ。いいえ。ご主人様が楽しそうなので、私も嬉しく思っているだけです」
「楽しいだと?」
「ええ。先ほど貧困層救済政策のお話をされている時のご主人様はとっても楽しそうでしたよ。他のお仕事はつまらなそうというわけではありませんが、淡々と進めておられるだけでしたのに。・・・時にご主人様、例のお話はどうするおつもりですか?」
「例の? 何の事だ?」
「あれですよ。地球教皇の孫娘との縁談話です」
エルザから縁談話を聞いた途端、ローエングリンは露骨に不満そうな顔をした。
それを見たエルザはより一層楽しそうに笑う。
「ふふ。そんなにお嫌ですか?」
「私はまだ結婚する気はない。お前も知っているだろう」
「ええ。ですが、シザーランド大将には結婚をさせておいて、ご自分はなさらないというのはズルいのでは、と思わないでもないですね」
「それとこれとは話が違う」
「まあ。そうですよね。何せ相手は禁欲主義に徹する敬虔な修道女という事ですから、奴隷女1人を抱く勇気もないチキンさんなご主人様とでは夜の営みがうまくいくとは到底思えません」
「な、なぜ、そういう話になる?」
「いいえ。これは死活問題です。どうですか!? これを機に私の身体で練習しませんか!?」
今にも衣服を脱ぎ棄ててローエングリンに襲い掛かろうという勢いのエルザに対して、ローエングリンは「無用だ」と小さく告げる。
するとエルザは大きく溜息をつく。
「前に仰いましたよね。気位ばかり高い貴族の女性は真っ平だと。ですが、今回のお相手は神の僕である修道女です。打ってつけの相手ではありませんか」
「……お前は私が結婚するのに何の躊躇も無いのか?」
ローエングリンの発言にエルザはキョトンとした顔をする。
「え? ……そ、それって。もしかして、ご主人様! 私に嫉妬してほしいとお考えだったのですか!?」
「ち、違う! そういう意味ではない!」
ローエングリンはすぐに否定するが、エルザは勝手に1人で話を進める。
「いや~、ご主人様にそのように思って頂けて光栄の極みです! しかし申し訳ありません。この身はあくまで奴隷。家畜程度の存在に過ぎません。それが主人の色恋に口を出すなど以ての外。ですので、私にそのような期待をするのはお止め頂きたく御座います」
「だから違うと言っているだろう」
「ふふ。そうお隠しにならずとも良いではありませんか。私はとても嬉しく思います。しかし、私はこの身体を慰み物としてお使い頂ければ、それだけで満足ですので、どうぞお気遣いなく」
「私はお前の身体になど興味は無い。せめて後2、3年は経たねば女らしい身体にはならんだろう」
「あら。今のご主人様に年頃の娘の身体は刺激が強過ぎると思いますよ。むしろ今の私くらいの身体で練習すべきです」
エルザの切り返しに対して、ローエングリンはまったく反論ができなかった。
「……まったく生意気な奴隷だ。あのシザーランドの連れていた奴隷、ネーナと言ったか。あれは素直で良い娘だったが」
ネーナの名前が出た瞬間、エルザは一瞬だけ不満そうな眼差しを見せた。それは今さっき自分で否定したはずの嫉妬のような感情であり、それを自覚すると軽く深呼吸をしてすぐに気を持ち直す。
「あの娘はダメですね」
「ほお。なぜだ?」
「素直ではありますが、従順な奴隷とはやや言い難いです。主人に甘やかされて育ってきたのが手に取るように分かります」
「では私はお前を甘やかし過ぎたようだな。こんなに生意気な奴隷に育ってしまったのは私の責任だったか」
僅かにだが口元を緩ませながら言うローエングリン。どうやらエルザを茶化しているつもりらしい。
「いいえ。私がこのように育ったのは、この方がご主人様のお役に立てると私自身が考えたからです」
しかし、銀河帝国を統べる独裁者の弁舌よりもこの奴隷の方が一枚上手だった。




