貴族の矜持
近衛軍団第2近衛師団に出向となったジュリアスとトーマスは、あくまで研修という名目だったため、具体的な役職や職務が与えられる事はなく、第2近衛師団長ウェストワーズ中将などの師団幹部に同伴して皇帝地区の巡回に同行する日々が続いた。
そんなある日、ジュリアスとトーマスが並んで近衛軍団本部の廊下を歩いていた。
「おや。これはこれはシザーランド准将に、コリンウッド大佐ではありませんか。ごきげんよう」
2人が進む方から姿を現し、そう声を掛けてきたのは、2人と同い年くらいの茶髪の若者だった。胸の階級章から階級はジュリアスと同じ准将である事が分かる。
「インカーマン子爵、ごきげんよう」
まずジュリアスがそう言って返し、トーマスもそれに続く。
ジュリアスはあえて彼を准将ではなく子爵、と呼んだ。この近衛軍団では貴族を階級ではなく爵位で呼ぶのが慣例となっている。特に理由があるわけではなく、貴族であるという誇れを全面に押し出すという強いプライドの表れでしかない。尤も爵位を持たないジュリアスとトーマスは階級で呼ばれているが。
「ここでの仕事はどうだね?最前線の泥沼に比べると天国だろう。本来、貴官等の立場では立ち入る事すら難しい場所だ。せいぜい満喫しておく事だな。身分は違えど、我等は年も近い事だし、何かあれば遠慮なく相談してくれて構わないぞ」
にこやかな笑みを浮かべつつも、その言葉には明らかな偏見と優越感が含まれていた。
インカーマンの言動に、ジュリアスとトーマスは内心苛立ちを覚えるも、ジュリアスは冷静に返す。
「お気遣いありがとうございます。では、いざという時にはお言葉に甘えて子爵を頼りとさせて頂きたく存じます。では、私達はこれにて失礼します」
そう言い残し、ジュリアスはトーマスを連れて早足でその場を立ち去る。
そのまましばらく歩き、ジュリアスは後ろを振り返ってインカーマンの姿がもう見えなくなっているのを確認すると、一息ついてトーマスに話し掛ける。
「ったく、顔を合わせる度に俺達に嫌味を振りまきやがって」
「インカーマン子爵は、あのコンウォール公の甥だからね。他の貴族達よりも人一倍、貴族でもない僕等が目障りなんだと思う」
銀河帝国の貴族社会で屈指の権勢を誇るコンウォール公爵の甥であるインカーマン子爵は、近衛軍団第2師団所属の貴族の中でも人一倍プライドが高く、ジュリアスとトーマスを目の敵にしているのだ。
「まあ、騎士の俺と階級が並んでるってのが面白くないんだろうな」
「だろうね。でも、それは何もインカーマン子爵に限った話じゃない。他の貴族も露骨に態度に示さないだけで、内心ではインカーマン子爵と同じ事を考えているはずだよ」
「ここはある意味で最前線と変わらんな。周囲は常に敵だらけって意味では」
「ふふ。確かにそれは言えてるね。……でも、流石に敵に囲まれて袋叩きにされるって事はないよね?」
「そ、それは流石に無いだろう。いくら貴族でも軍属にある限りは軍規に従う義務が伴うわけだし。軍規を逸脱するような真似はしてこないだろう。ま!どんな敵が来ようと、俺達2人で立ち向かえば、軽く一捻りにできるさ!本当ならクリスもいて3人揃っていた方が心強いんだが、これ以上は無いものねだりだからな」
「ジュリーの前向きさには頭が下がるよ」
「俺が前向きでいられるのは、いつもトムが傍にいてくれるからさ」
「まったく調子の良い事を言って」
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昼休憩の時刻になり、ジュリアスとトーマスは近衛軍団本部の将校用食堂へとやってきた。
「ここに来て、唯一嬉しいと思えたのはやっぱりここの料理だな」
程よく腹が減った俺はそう言った。
通常の帝国軍であれば、食事は栄養価重視で味は二の次の軍用食と決まっているが、この近衛軍団の将校は違う。貴族が多い、というより貴族しかいないここでは、豪華な宮廷料理並の豪勢な食事が用意されている。
それは宮廷料理人が出向して作ってくれており、しかも献立は複数あってその中から好きな物を作ってくれるという、とても軍隊とは思えない豪華ぶりだ。
この食堂にしても、特別華美な内装というわけではないが、貴族の舞踏会が行なわれても不思議は無さそうなくらいの豪華さ。
まったく同じ軍隊だってのに、艦隊勤務の頃とはすごい違いだ。
「本当にジュリーは食い意地が張ってるんだから。料理に釣られて、このまま近衛軍団に残りたい、なんて言い出さないでよ」
「流石の俺でもそこまでは言わないって」
トムの中では、すっかり俺は食いしん坊キャラで定着してしまったようだ。まあそれを否定するつもりは無いけど、些か不本意ではある。
俺とトムは厨房の窓口の前に立ち、献立を確認した。
俺は複数ある献立の中から一番ボリュームのありそうな奴を選んだのだが、トムは逆に一番貧相なものを選んだ。尤も、ここにある献立の中では、という意味だが。
「何だ? 今日もトムは一番軽めなのか? どうせタダなんだし、良い食わないと損だぞ」
「ん~。何て言うか。僕の口には勿体なさ過ぎる気がして。中々手が出ないんだよね。それに艦隊の皆にも悪いし」
俺達がそんな会話をしながら、窓口から出てきた料理をお盆に乗せて、空いているテーブルを探しに行く。
すると前からインカーマン子爵が2人の取り巻きを連れて歩いてきた。インカーマン子爵は俺の1歩前を歩くトムとすれ違う寸前、悪意に満ちた笑みを浮かべる。
俺がそれに気付いた瞬間、トムが急に声を上げて転んでしまい、お盆に乗せていた料理も盛大に床に散乱させてしまった。
咄嗟にトムの足元を見ると、インカーマン子爵の足がトムの足を引っ掛けている。しかも、偶然ではなく明らかに意図的にだ。
「お、おい、トム!大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫」
「おや? 大丈夫かね、コリンウッド大佐?」
インカーマン子爵が嘲笑うような笑みと共にトムを見下ろした。
彼がそう言うと、彼の取り巻きの若い貴族士官が口を開く。
「ここは汚い平民の住処や泥臭い前線と違って、毎日専属の使用人が綺麗に掃除をしていますから。コリンウッド大佐には少々滑りやすかったかもしれませんな、インカーマン子爵」
「ふふ。なるほど。そういう事か。それはコリンウッド大佐にとっては不便な事であろうな」
「ふざけるな! お前が、ッ!」
俺は我慢できなくなり、つい声を荒げてインカーマンに詰め寄ろうとした。でも、その最中にトムは俺の服の袖を引いて制止した。
トムの方に視線を向けると、彼は無言のまま首を横に振る。
「インカーマン子爵、お気遣いありがとうございます。お見苦しい所をお見せしてしまい申し訳ありません」
立ち上がったトムは、まるで自分に非があるかのように深く頭を下げる。
その様子を見て自尊心を満たされた様子のインカーマンは満足気に笑う。
「構わんよ。まあ、精々気を付けたまえ」
そう言い残し、インカーマンは厨房の窓口へと歩いて行った。
「くッ!」
俺は今からでもインカーマンを1発ぶん殴ってやりたかったが、トムはそれを望まない様子だから、その怒りを何とか抑え込む。
「トム、良かったのか?」
「うん。僕の事で君の立場を悪くするのは嫌だからね」
「トム……」
その間に、食堂付きの使用人が数人現れてトムが散乱させてしまった料理の残骸を片付けて綺麗に掃除する。
しかし、1回の食事につき支給されるのは1回のみなため、トムは今日の昼食を得る事ができなくなった。
「心配するな。俺の奴を半分分けてやるからさ」
「え?良いの?」
「当然さ。一緒に戦う戦友が空腹で動けないんじゃ俺も困るからな」
「……ありがとう、ジュリー」
「礼を言わなきゃいけないのは俺の方だよ。トムが止めてくれなかったら今頃俺はインカーマンの野郎に殴り掛かって憲兵に取っ捕まってたところだ。そんな事になったら、これまで引き立ててくれたヴァレンティア伯爵に申し訳ないからな。だからこれでお相子だ」
それにしても、いくら大貴族が選民意識が強いと言っても、インカーマンの行動は少々度が過ぎている気がする。挑発としか思えないあの行為。下手をしたら自分にまで火の粉が飛んでくるかもしれないってのに。
大貴族は俺達みたいな身分の低い人の事は虫けら程度にしか思ってないだろうから、何をしても良いとでも思ってるのか?
いや、いくら大貴族でも流石にそのくらいの分別は着くと思うけど。