交渉の切り札
銀河歴723年7月1日。
銀河共和国大統領ジュリアス・シザーランドとクリスティーナ・ヴァレンティアの両名は、エディンバラ大公国との交渉に臨むために惑星エディンバラを訪れた。
当初は発案者でもあるトーマスも同行すると主張したのだが、交渉相手となるとクリスティーナの方が適任だった事、いざとなったら押しの一手で交渉を押し切るとジュリアスが交渉役に名乗り出た事でこの2人に決まり、トーマスは2人の留守を任される事になった。
交渉の舞台は、エディンバラ・シティの遥か上空。静止衛生軌道上に浮かぶ宇宙ステーション“クラモンド”である。
惑星エディンバラに入るもの、エディンバラから出ていくもののほとんどは一旦このクラモンドに入港してから、各々の目的地へと向かう、エディンバラの内外を繋ぐ交通の要所であり、交通整備の管制塔でもある。
あくまで交通インフラの一環であるため、軍港は備えておらず軍事施設ではないものの、政府管轄の区画が存在し、そこで交渉は行われる。
「惑星エディンバラ。ここへ来るのは初めてですが、ジュリーは2度目でしたね」
「ああ。降伏した貴族連合の武装解除やらをするためにな。あの時のエディンバラは中々に酷い有り様だったぞ。連合が滅びたって星中が大騒ぎで、あちこちで市民が暴動を起こしたりしてたもんだ。旧連合の暫定政権の治安部隊じゃ対処し切れないって事で、俺等も地上部隊を出して暴動鎮圧に協力してやったほどでよ」
「50年以上続いた国が滅びて、敵対関係にあった帝国に征服されたのです。それも当然でしょう」
「帝国が共和国に吸収合併された時は案外スムーズだったのにな」
「それとこれでは状況も背景も違いますから。その点で言えば、私達は運が良いのかもしれませんね」
「だな。できる事なら、このまま運良く事が運んでくれる事を祈るよ」
クラモンドに降り立ったジュリアスとクリスティーナは政府管轄区画の一角に設けられている会議室へと案内された。
そこは豪華な宮殿の一室のように豪華で古風な内装をした空間だった。
2人は知る由もないが、その会議室は元々旧連合貴族達がこのクラモンドを行き来する貿易商人達と公にはできない、私利私欲にマミレタ事を話し合ったりするための部屋。
貴族が使用する事が前提なだけあって、内装にはかなりの力が注がれている部屋が、その用途もあっては豪華さの割にはやや手狭な感がある。
会議室の中央には、部屋の大半を埋めるほどの大きさの円卓が置かれており、奥の席にはマリー・ドトリッシュ・エディンバラ大公夫人が座っていた。
そして彼女の両脇の席には、黒いスーツに身を包む行政官らしき男が1人ずつ座っている。
「よくぞ参られた。お二人のエディンバラへの来訪を心より歓迎しましょう。どうぞお座りなさい」
エディンバラ大公夫人に促されて、ジュリアスとクリスティーナは手前の席にそれぞれ座る。
「あなた方がわざわざここまで足を運んだ理由は承知しています。このエディンバラ大公国を共和国の傘下に加えたい。そうでしょう?」
席に着くなり、挨拶も探り合いも抜きでいきなり本題に入るエディンバラ大公夫人。
そんな彼女にクリスティーナはペースを乱されて戸惑いを覚えるが、逆にジュリアスは「話が早くて助かります」と活き活きとした声で返す。
「ネオヘルは条約を無視してアルヴヘイム要塞という大量破壊兵器を開発し、帝都キャメロットを破壊しました。それにより帝国軍の主力艦隊だけでなくキャメロットの民間人数億が一瞬にして殺されてしまったのです。ネオヘルが如何に危険であるかは大公夫人にもお分かりの事と思いますが、如何でしょうか?」
「キャメロット事件には、流石の私も驚かされました。しかし、そのような兵器がもう1度作り出されれば我が国はネオヘルに従うしか無くなります。私も国と民を預かる身ですからね。ネオヘルが道理から外れた連中だとしても、それだけでは共和国に味方する理由にはなりませんわよ」
エディンバラ大公夫人は一切下手に出る事はなく、対等の交渉相手としてこの会談に臨んでいた。
彼女の肩にはエディンバラ大公国の未来だけでなく、旧連合貴族の意地と誇りも乗っている。
そう考えているからこそ、エディンバラ大公夫人は一歩も譲歩するつもりは無かった。
彼女の言葉に対して、今度はクリスティーナが口を開く。
「勿論、協力して頂ければ相応の報酬を考えています」
「相応の報酬、ね。具体的には何をくれるのかしら?」
「大公国への経済支援と大公夫人には共和国議会の議席です」
クリスティーナが提示した2つの報酬というのは、共和国が帝国やその他の諸侯を取り込むのに用いてきた常套手段だった。
しかし、それはエディンバラ大公夫人も承知の事であり、彼女は素っ気ない反応をして無言のまま拒否を告げる。
このままでは交渉が頓挫しかねないと見たジュリアスは、ここで第3の報酬を提示する。
「旧貴族連合領内における通商貿易の全権を譲渡する、という事ではどうでしょうか?」
「な! ま、待って下さい、ジュリー! それはッ!?」
クリスティーナが慌てて制止する。
それも無理はない。今、ジュリアスが口にしたものは先日マルガリータの閣議でジュリアスが提案して協議の末に廃案になったのだから。
「あら。随分と魅力的な報酬ですね」
エディンバラ大公夫人の表情に、ようやく笑みが零れた。
それほどまでにジュリアスの提示した報酬は巨大過ぎたのだ。
星々の大海を渡るには、宇宙船を用いるしか手は無い。
そのため各星系の基本的な経済活動は、どうしてもその各々の星系内で自己完結しがちである。
それ等を繋ぐ事で、星系の枠を飛び越えて経済を更に発展させるには、星間航行による大量輸送を生業とする貿易会社とそれ等を監督して時には宇宙海賊などから守る政府の協力が必要不可欠となっていた。
当然、貿易会社も政府公認の下で、武装商船を持つなどして宇宙海賊に対処してはいる。
しかし、ここ数年は銀河系全域における情勢が不安定な事もあって宇宙海賊の活動が活発化しており、民間の力だけでは対処し切れずに海賊の被害が増えている事も事実だった。
そうした海賊への対処を引き受ける代わりに政府は、貿易会社などから関税や営業税、安全保障税などを徴収する。
星間貿易によってもたらされる経済発展と税収は国の存亡をも左右しかねないほど重要であり、共和国やネオヘルも当然、自身の支配領域内でこの仕組みを実施している。
旧帝国や旧連合もそうであったように。
つまりジュリアスの提案はある意味で、経済界という限られた業界にエディンバラ貴族連合を復活させる事を認めるようなものである。
無論、政治的には何ら支配権などが伴うものではなく、銀河を二分するほどの大勢力に膨れ上がるリスクは今の段階では低いが、いずれ潜在的脅威になるのは明白だった。
そのため、クリスティーナを初めとする閣僚達が反対してこれは廃案となった。
「こちらとしてはありがたい提案ですけど、お隣のお嬢さんは不承知に見えますが、あなたの言葉を信じても良いのでしょうか、シザーランド大統領?」
「勿論で、」
「大公夫人、申し訳ありませんが、少し相談するお時間を頂けないでしょうか?」
ジュリアスの提案を遮るように、クリスティーナが席を立って声高に言う。
「……まあ、良いでしょう」
ここでこのままシザーランド大統領の提案に乗ると言ってしまおうか。
そんな事を考えたエディンバラ大公夫人だが、彼女はこの第3の報酬がジュリアスの独断である事をクリスティーナの様子から察してもいた。
それもそうだろう。銀河の半分近くの星間貿易の権益を譲るという決断はそうそう下せるものではない。
であれば、ここで強引にジュリアスの提案に乗って交渉成立に持ち込むのは後々に厄介な火種になりかねない、と彼女は考えた。
この報酬の是非を巡って共和国内に対立が起き、大公夫人自身がその渦中に放り込まれかねないという事だ。
そう考えると、ここは一旦様子を見て、クリスティーナがどんな結論を出すか見届けてから返事をした方が良い。
「では隣の控室をお使い下さい」
そう言うとエディンバラ大公夫人は、机に置かれていたレトロなデザインのベルを鳴らす。
その音に反応してジュリアスとクリスティーナの後ろ側にある扉が開き、その向こう側からメイドが中へと入ってきた。
「お二人を隣の控室に案内して差し上げなさい」
「承知致しました。どうぞこちらへ」
クリスティーナはジュリアスの腕をがっしりと掴んで、やや不機嫌そうに会議室を後にする。
2人が退出して、残されたエディンバラ大公夫人が楽しそうに笑う。
「ふふふ。面白い人達ね」
「はい。あれであれば、御しやすそうにも思えますが、大公夫人はどう見ましたか?」
「甘いわね。相手はあのローエングリン総統を打ち破って共和国を築き上げた連中なのよ。油断せずにいる事ね」
「御意。では、次の交渉に移りますか?」
「そうね。彼等をここへ呼んでちょうだい」
「承知しました」
それから少しして、会議室の扉が開いてその向こう側から2人の男が姿を現した。
「お待たせしてしまい申し訳ありません。女性というのは何かと準備に時間を要する生き物ですから。どうかご容赦下さい」
エディンバラ大公夫人はそう言ってわざとらしい笑みを向ける。
「いえいえ。こちらこそ貴重なお時間を頂きまして感謝に堪えません」
そう言って会議室に入ってきたのは、銀髪にマスクで顔の上半分を隠した男性だった。
その男が何者なのか。この銀河でそれを知らぬ者は皆無と言っても過言ではないだろう。
ネオヘル中央委員会書記長ヨーゼフ・レナトゥスを。




