総統の再来
銀河系のおよそ3割を掌握するネオヘルは、旧ヘルのような政治結社というより帝国とは別の1つの国家と言って良かった。
独自の政府を立ち上げ、巨大な軍隊を保有し、己の勢力圏を形成しているのだから。
バイエルン星系。
ここはネオヘルが首都としている惑星ジテールを擁する星系である。
ジテールは元々帝国軍の軍事基地が設けられていた星で、ネオヘルはその基地を根拠地に定めたのだ。
そして今では基地を中心に大都市を築き上げるに至っており、郊外では今も高層ビルの建設工事が進められている。
そんなビル群の中央に立つ基地も今では豪華絢爛なクリムレン宮殿へと姿を変えていた。
それは銀河帝国皇帝の居城であるアヴァロン宮殿を彷彿とさせる造形であり、自分達こそが帝国の正統な後継者なのだという意思が滲み出ていた。
しかし、外形は地球時代の西洋風の宮殿をモチーフにした造形だが、その中はほとんどが銀色と灰色の床、壁、天井に覆われた、何とも味気ない廊下や部屋となっている。
それはあくまで外見のみで、中は実用性をとことん追求した結果である。
そのクリムレン宮殿の一室にて、重たい表情をした若い将校が敬礼をしながら報告をする。
「ガラティア星系に進軍したローゼンベルグ艦隊は壊滅。ローゼンベルグ提督は戦死されました。ビテュニア星系に侵攻した本隊も順次後退を始め、戦いは我が軍の敗北に終わりました」
その報告を受けた部屋の主は、デスクに腰掛けて書類の山に目を通しながら、ただ「そうか」と静かに、そして素っ気なく呟く。
それは男性の声であり、ほんの5年前であればこの銀河系のどこにいても1度は聞く機会のある声だったろう。
特徴的な銀色の髪は肩にギリギリ掛からないくらいまでの長さがある。
前髪の生え際から鼻までは銀色のマスクに覆われており、その容姿を目にする事は無いが、彼を見た者は幼い子供を除けば誰もが思うだろう。
ローエングリン総統か、と。
声や髪だけではなく、背丈や物腰までローエングリンと生き写しな彼の名はヨーゼフ・レナトゥス。
かつてローエングリン総統が着ていたものとよく似ている白と灰色の軍服を身に纏い、その上から白いロングコートを纏っている。
この男こそネオヘル中央委員会書記長の地位にあり、ネオヘルを統べる指導者だ。
役職上、ネオヘル中央委員会のトップを務めるのは本来は“委員長”である。
しかし、この地位はネオヘルにおいて神の如く崇められているローエングリン総統の席として創設時からずっと空席となっていた。
そして度重なる覇権争いの末にネオヘルを掌握したのが、中央委員会の事務全般を司る書記長だった。
「レナトゥス書記長、ビテュニア方面ではしてやられましたが、本命は閣下の計画通りに運んでおります」
そう言うのは、ネオヘル実戦部隊の最高司令官ヴォルフリート・デーニッツ上級大将。
「ああ。これで共和国の注意をこちらへ逸らす事ができただろう。デーニッツ提督、貴官はアルヴヘイムにて指揮を執ってくれ」
「承知致しました。必ずや書記長閣下のご期待に応えてみせます」
覇権争いに明け暮れていたネオヘルの混乱を短期間で終息させ、瞬く間に己の独裁政権を完成させたレナトゥス書記長は、ネオヘルの特に若い将校等から“総統の再来”と呼ばれて熱狂的な支持を集めている。
「時に、共和国が帝国と秘密裏に軍を統合しようとしている件だが、何か新たに情報は入っていないか?」
「いいえ。キャメロットにいるスパイからは、特にこれという知らせは届いておりません」
今の帝国政府を主導するゲーリング政権もネオヘルも元を正せば同じヘル政権である。
そこを利用して、レナトゥス書記長はキャメロットに複数のスパイを忍ばせて情報収集に当たらせていた。
共和国と帝国が軍備の統合を図っているという事も既に察知していたのだ。
「そうか。であれば、奴等が動き出す前にこちらが先手を打てるわけだな」
「はい。共和国と帝国の結び付きが強くなる前に、完成した新兵器で打撃を与えてやれば、帝国を取り仕切るゲーリング政権の奴等も目が覚める事でしょう」
「これで亡き総統閣下の無念を晴らす日も見えてきたな」
レナトゥスがそう呟いた時、デーニッツの表情は一瞬だけ険しいものとなる。
そして彼は喉から出掛かったある言葉を呑み込んだ。
“あなたはローエングリン総統ではないのですか?”
それはデーニッツがレナトゥスと初めて出会った時からずっと胸に抱いていた事だった。
彼だけではない。ネオヘルに属し、レナトゥスに会った事がある者であれば誰でも問い質したいと思うだろう。
レナトゥス本人は、ローエングリン総統を別人のように語っている事から、ネオヘルでは別人として扱うのが暗黙の了解となっている。
過去には、レナトゥスのマスクを隙を見て外して素顔を確かめようなどと言う無謀な若者達がいたらしいが、彼等は全員が謎の死を遂げた。という都市伝説が存在し、レナトゥスの正体を探るのはタブーとなっている。
「どうかしたか、デーニッツ提督?」
ずっと黙ったままでいるデーニッツを不思議に思ったレナトゥスは、それまで目を通していた書類から視線を変えて、デーニッツの顔に目をやる。
と言っても、その瞳はマスクで隠れており、本当にデーニッツを見ているのかはいまいちよく分からないのだが。
レナトゥスに問い掛けられ、デーニッツの耳元にこれはチャンスではないか、という悪魔の囁きが聞こえてきた。
「あ、あの、書記長閣下。閣下は、ローエングリン総統をどのようにお考えでしょうか?」
「……どう、とは?」
「我等ネオヘルにとって総統閣下は偉大なお方です。300年続いた帝国貴族どもの支配を終わらせ、我等平民階級を解放して下さった救世主です。ですが、その後を継がれた書記長閣下がどうお考えなのかとふと思ったもので」
我ながら遠回しな問いだとデーニッツは感じた。
レナトゥスにローエングリンに関する話をさせれば、2人は同一人物なのか。それとも本当に別人なのか。その証拠になり得る証言が得られると思ったのだ。
デーニッツの問いに、レナトゥスはしばらく応えようとはせずに無言を貫いた。
彼は指導者としての能力は申し分無いのだが、社交的な人物ではなく、マスクで表情を隠している事も相まって部下達からは威圧感を感じると評されていた。
どうやら答えを得られそうにない。そろそろ退出しようかと思い始めた時。
レナトゥスは手にしていた書類をデスクの上に置き、椅子の背凭れに背中を預ける。
「ローエングリン総統は、新たな時代の幕を開ける事には長けたお方だった。だがしかし、新たな時代を築き上げる事はあまり得手としなかった。……いや、そもそも築く気があったのかが私には疑問だな」
「あ、あの、それは、どういう意味でしょうか?」
「ふん。いや。何でもない」
レナトゥスの口元が緩み、口から微かに笑い声が漏れた。
それを目にしたデーニッツは唖然とする。
彼が笑ったところを、デーニッツは初めて見たのだ。




