総統の過去・中篇
「今月も教会は赤字になるな」
教会の事務室にて、溜息をつきながらそう言うのは、フィッシュハルム教会を監督するイグナーツ司教である。
彼の言葉に、共に帳簿を付けているシスター・クララも「そうですね」と言って同意した。
教会の運営費は、領主や信者からの献金で賄われている。
しかし、戦争によって信者は戦場で果てるか困窮してしまい、領主も献金を渋るようになりつつあった。その一方で、戦争で身寄りを亡くす孤児は増えるばかり。
収入が減り、出費が増えれば、赤字になるのは当然である。
運営費の支援を地球聖教の総本山である地球教皇庁に申請はしているのだが、中々色好い返事が貰えず、自分達でやりくりしなければならないというのが現状だった。
「こうなったら仕方が無い。教会の必要経費を極力削減しよう」
「分かりました。しかし子供達に苦労を掛けるのだけは何とか避けてもらえないでしょうか?」
「そうはいかん。子供等には悪いが、食事の量を減らして食費を削らねば」
「待って下さい。育ち盛りの子供達にそれはあまりに酷です」
「だが、教会が破産しては、量を減らすどころか食べる物を与える事すらできなくなるぞ」
「……では。私の食費を全て、子供達の分に回してあげて下さい」
「な、何だと? シスター・クララ、冗談は止さんか」
「冗談ではありません」
きっぱりと言い切るクララ。
自分の食費を全て子供達に回すという事は、次第によっては食を断って命を尽きさせる事も辞さないというクララの強い決意の表れでもあった。
「……分かった。では明日、領主様の下へ赴いて資金を都合してもらえないか頼んでみよう」
「ありがとうございます、司教様!」
クララは満面の笑みを浮かべて礼を言う。
しかし、イグナーツの表情は険しかった。
「とはいえ、あまり期待はしないでくれ。先代の領主様であれば望みはあったが、今の領主様はな……」
この惑星フィッシュハルムは、シャムタール男爵家の領地となっている。先代領主、つまり先代のシャムタール男爵は信仰心に暑い人物で慈悲深く、財政難に陥っても教会への献金と孤児達への支援を怠らなかった。
しかし、現当主のリナード・シャムタールは教会及び孤児達への支援のほとんどを廃止して、その資金を帝国軍に出資していた。これは貴族連合との戦争に積極的に協力する事で帝国政府及び軍部への心象を良くしようとする貴族の常套手段だった。ただし、出資した資金の一部は軍部の手に渡らず、何処かに消失してしまうのも通例となっているが。
「確かにそうですが、それでもならねばなりません。子供達を守るためにも」
いつもは子供達に優しく、そして明るく振る舞うクララだが、今の表情は子供達には見せた事が無いような険しいものだった。
この2人のやり取りを、廊下から耳を澄ませて盗み聞きしている少年が1人いる事にクララとイグナーツは気付いていない。
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後日、イグナーツは、領主リナード・シャムタール男爵に相談したい事があるので都合の良い日にそちらへ伺いたいという旨を伝える。すると、どういう風の吹き回しなのか、シャムタール男爵の方から教会に出向くと言い出した。
教会の現状を直に見てもらえれば説得もしやすいかもしれないと考えたイグナーツは、この申し入れを快く受け入れる事にした。
そして更に数日後、シャムタール男爵は教会へと訪れる。
「ようこそお越し下さいました、シャムタール男爵。ではこちらへどうぞ」
シャムタールを出迎えたイグナーツは、早速彼を応接室へと案内する。
応接室に入り、2人が向かい合うようにソファに座った所でクララが紅茶を持って現れ、2人前にティーカップを1つずつ置いていく。
そして彼女が一礼して応接室から出ようとした時、シャムタールが呼び止めた。
「待ちたまえ。君があのシスター・クララだね。噂は聞いているよ。せっかくだ。君の話も聞きたい。ここに残りたまえ」
シャムタールの言葉にクララは一瞬戸惑いを見せるも、イグナーツがそれに同意したため彼女はシャムタールの要望通りにする事を決め、イグナーツの後ろに立つ。
「それで、教会の資金繰りが厳しいという話だったか?」
「はい。何卒男爵の御力をお借り致したく」
「……私としては教会の力になれるのなら是非にと言いたいところだが、今は戦争中だ。そう都合よくはいない」
焦らすような言い方をするシャムタール。その不敵な笑みから見ても、彼が何か企んでいるのは明白だった。
「それは重々承知しております。しかしながら、もはや男爵しか頼れるお方がおりません」
「頼ってくれるのは嬉しい限りだが、こちらも無償ではいかん」
「……では何をお望みなのでしょうか?」
イグナーツの問いを聞くと、シャムタールは視線をイグナーツの後ろに控えるクララに向けた。
「シスター・クララ、お前が私の妾となれ。お前の美貌はこの星随一と名高い。そんな女はこの星の領主である私に相応しいというものだろう」
シャムタールは、資金援助の見返りにシスター・クララの身柄を要求してきた。
これには流石にイグナーツも承服しかねる様子だ。席を勢いよく立ち上がり、激しい剣幕でシャムタールを見下ろす。
しかし、イグナーツが拒否の回答を口にしようとした瞬間、シャムタールが一瞬の差で早く言葉を口から発する。
「良いのか?もしこれを断れば、教会への資金援助の話は白紙とさせてもらうが?」
「くぅ!」
イグナーツは喉まで出かかった言葉を引っ込めた。
代わりに口を開いたのはクララの方だった。
「分かりました。私クララ・ビスマルクは、あなた様の妾となります。ですから教会への資金援助の件は何卒宜しくお願い致します」
クララは深々と頭を下げる。
「な! し、しかし、シスター・クララ!それは、」
「良いのです、イグナーツ司教。こうしなければ教会の存続は危ういのですから。これで子供達を守れるのなら断る理由がありません」
そうは言うが、クララの表情は僅かに歪み、その声が微かに震えていた。
その時、応接室の扉が勢いよく開き、その奥から銀髪の少年が飛び込むように入ってきた。
「こ、コニー君?」
「シスター! どこにも行かないで! ずっと俺達と一緒にいてよ!」
コーネリアスはクララの下へ駆け寄る。
しかし、クララの前にシャムタール男爵が立ち塞がった。
「何だこのガキは? ……ほお。左右で瞳の色が違うな。オッドアイという奴か。これは珍しいな」
「くぅ。いくら貴族だからってシスター・クララを勝手に連れて行くなんて許さないからな!」
貴族を相手に臆せず人差し指を突き付けて啖呵を切るコーネリアス。
「こ、コニー君、相手はあのシャムタール男爵なのですよ」
「ふははははッ! いや。構わんよ。子供の言う事など。 ……それで少年。許さないとは一体どのように許さないのかね?」
「……」
コーネリアスは何も言えなかった。いくら感情的になって声を荒げたと言っても、彼は賢い子なのだ。自分が一介の孤児で何の力も無いという事は理解している。
「ふん。見れば容姿も悪くないな。イグナーツ司教、この子供をしばらく私に貸してもらおう」
「え?」
「私はもうじき帝都に赴く予定だ。この子供は他の貴族に良い見世物になる。何も奴隷にすると言っているのではない。この子供に帝都見物をさせてやると言っているのだ。ありがたく思え」
「は、はい。ですが、この子はまだ子供ですので、何か粗相をしてしまうやも」
「では援助金の額を少し上乗せしてやっても良いからお前が躾けておけ」
そう言うと、シャムタールは意気揚々と帰っていった。
シャムタールが部屋から出ると、イグナーツは頭を抱えた。
「厄介な事になった。男爵は奴隷にはしないと言うが、帝都に連れていかれれば似たようなもの。貴族の玩具にされて、どんな目に会わされるか」
でなければ、援助金の額を少し上乗せしても良いなどとは言わないだろう。これも貴族社会ではよくある話である。特にこれという手土産を用意できなかった貴族は、領民から見目麗しい女性や男子を連れて、自身よりも高位の貴族に献上する。当然、その領民には何の拒否権も無い。それでは奴隷と何が違うというのか。
「そ、そんな」
クララが真っ青な顔色になった。
「シスター」
「……コニー君、安心して。私が何とか男爵を説得してみせるから」
「俺、行くよ。帝都に」




