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罅割れの巨兵を撃つ

 深い呼吸を繰り返し気を持ち直した風太郎は、訥々と章介に語りかけた。

「貴様がこの惨状を作った原因の一つだ。分かるだろ」

「皆一緒だ。奴らも寂しくはなかろう」

 落ち着いてはいるものの、風太郎の言葉にこもる怒りと言いようのない寂寥。章介はそれを敏感に感じ取ってなお、馬の背に凭れ俯いたまま興味なさげに嘯いた。

「貴様が命令を下したからこうなった。責任 …… そう責任だ。哀れに打ち棄てられ屍を晒している奴らに、報いねばな」

 対して風太郎は諭す態度を崩さず言葉を慎重に選びながら紡いだ。馬鹿に丁寧で穏やかで、見る者にとっては芝居がかっているととれるほどだった。言を受け、章介は貶しながらも言外に風太郎の意図を促した。

「お前は世の中と自分とを隔絶させて物事を捉えていた人間と思っていたのだがな。見込みが違っていたようだ。それともこの光景がそれほどお気に召さなかったか。まあいい。お前は俺に愚痴を聞かせるために、ここに連れてきたのではないのだろう? 説得など不要。理屈も不要。ただ乞え。それだけでいい」

 弱ってなお饒舌な章介の投げかけに、戸惑い怯みながらも安堵の様子が風太郎から窺えた。が、すぐさま小さな目を厳しく細め、力を篭めて章介を見据えた。現状を説示し、罅割れた巨兵を弩の前へと晒すよう指示した。禿頭を下げることはしなかったものの上辺を取り繕うことをやめ、章介に言われたとおり懇願の意が表れていた。

 章介は産まれたての仔鹿のように震えながら細い体に力を込め、悄然としながらも腕をつっぱらせ起き上がり鞍に跨った。手綱を握り鐙に右足だけを通し、長めの前髪をかき上げ一度風太郎を横目で窺い、そして石の巨兵を視界の中心へとおさめた。表情はやや虚ろなものの柔らかで、どこか満足気だった。

 大きく息を吸い込み、掠らせ裏返りながらも叫声を振り絞った。

 本当にただ叫んでいた。金切り声に近かったであろう。

 魅了した相手に己の意志を伝えるに言葉は不要なのだろうか。はたまた言葉の通じない相手であるからこそ、言葉になっていない音を伝播したのだろうか。それとも狂ったか。思惟を巡らす風太郎をよそに、隻腕の石巨人と腹を貫かれた石巨人は思惑通り、巨躯を入れ替え弩に対峙した。


 機を見たかのようにすかさず低い弓弦の音が響き、続いて弩矢の風切る音が幾つも横切った。

 五台の弩から撃ち尽くさんとばかりに次々と弩矢が放たれ、そのほとんどが罅割れた巨兵へと導かれていった。雹が石畳に降り注ぐような湿気た衝突音が、その場にいた者の耳をひっきりなしに打った。が、亀裂に矢が刺さるものの、やはりと言おうか蚊の刺す程度。罅割れの巨兵は邪魔なものがなくなったとばかりに、弩に、そしてその向こうの崩れ落ちた橋に向かい歩みを進め始めた。

 一方隻腕の巨兵は、そのままもう一体の巨兵に覆いかぶさらんと体を預けていた。抵抗はされるものの反撃はない。未だ隻腕の巨兵を敵と認識していないようだった。

 二体は重なりながら倒れこみ、一帯に地響きを起こした。臓腑を震わす轟音に、すべての馬が耳をそばだて低く嘶いていた。


── こうも怯えてしまえば、馬を走らせ脇をすり抜ける訳にもいかん。さて、どうしたものか。

 風太郎は眉間に拳をあて、馬の様子を窺った。尾を両後肢の間に巻き込み鼻腔は開かれ、眼と耳とが左右バラバラに忙しなく動いていた。

 生じた隙に乗じようと画策したのだが、すでに馬は二体の巨兵のもみ合いによる衝突と擦過の不協和音にさらされ恐慌状態に陥ってしまい、充分な働きが得られないであろうと判断せざるをえなかった。

 冷静さを欠いていたのは周囲の兵も同じだった。息を呑み体を強張らせ口は半開き。咽は乾き瞳孔を拡散させていた。弩からさみだれ式に放たれている矢も、おそらくは恐怖にかられてのことだろう。

 どのみちあの三体をどうにかしなければならないと風太郎は結論づけた。絶望から僅かな希望を掘りあてたら、途端またさらなる絶望に覆われ隠されてしまう。右往左往しながらも結局はその場に逗まることを余儀なくされる状況に、嫌気が差し半ば捨て鉢になってしまった。


 傍で大きな音がして、風太郎は思考を一旦停止させた。見回すと周囲の兵の腰が引け、彼らの視線の先には一本の槍が地面に突き刺さっていた。

── 弩矢が跳ね返り、ここまで飛んできたか。

 風太郎は馬体をゆっくりと近づかせ穂先を引き抜くと、鏃を罅割れの巨兵へと向け肩に担ぐ投擲の構えを取った。

 ずしりとした重さに加え、これから自分がしようとしていることの無意味さに、自嘲の引きつったような微苦笑が浮かんだ。

 右脚を後ろに引き馬に駈歩の合図をしたが、馬からはどうにも戸惑いが感じられ動きが鈍い。足の運びを躊躇している馬に再度試みようと手綱で馬体を詰めたとき、章介の訳知ったような声が耳に入った。

「大丈夫だ。貴様のチートなら状況を打開できよう。貴様の奥底にある思い。産まれいでた時に感じたことを、その矢に込めて放て。面白いことが起きるはずだ」

 章介に目を向けると、胸を張り顎をあげ見下ろすかのように風太郎を見ていた。尊大とも取れそうだが、目は弱々しく今にも落馬しそうなほどにゆらゆら揺らぎ、姿勢を崩す一歩手前だった。

 それでも章介の言葉には希望が持てた。理由などない。理屈外れもいいところだ。なのに風太郎は章介の言葉と彼自身を信じ、彼が信じているであろう己を信じることにした。

「心強い」

 心の底の方から湧きでた感情を短い言葉に変換し、手綱を引いた。が、馬は落ち着きなく身動(みじろ)ぎ、地団駄を踏むようにその場で足踏みするにとどまっていた。

 風太郎は諦めたように下馬し馬の背を撫でると、槍のような矢を小脇に抱え、銀の穂先が指す方向、罅割れた巨兵へと駆け出した。


 陽光に反射した幾つもの小さな光が、視界を横切って罅割れの巨兵に到達していた。風太郎は巨兵までの距離を思いの外遠く感じていた。気おじがゆく脚をしぶらせていたがためだ。

 程なくして風太郎は頃合いとみた場所でとまった。転がる屍を見下ろし次に巨兵を見上げ佇む。疲れもあるのだろう、蹌踉としていた。章介がいたのなら己を棚に上げ哄笑されていただろうと、居心地の悪さと彼を脳裏に浮かべる若干の心地よさを混じらせ、苦笑いを浮かべた。

 風太郎は落ち着いた頃を見計らい、再び投擲の構えを取った。

 あまりに強大な敵とあまりに瑣末な己とを比す。歴然とした差にくつくつと笑いが零れた。それから己が為そうとしている事柄があまりに滑稽で、呵々と大笑いした。

── 上手く事が運べば儲け物。期待などすればその分だけ落胆する。欲張るな。

 巨体に比し矮小な得物を見遣り、自身に向けて口ごもった。

 気持ちは凪いでいた。先ほど自分に言い聞かせた言葉のせいでもあるし、章介の存在のせいもある。が、結局は単に開き直ったがゆえのことだった。


 斜に構え大股で一歩を踏み出した。勢いを増し踏み込む脚を左に入れ替えた。さらに右。その度に加速がついた。

 八歩目のところで踏み込む脚を踏みとどめ、そこを支点に体全体をムチのように撓らせた。

 派手な土埃が舞い、矢が放物線を描いていた。

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