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仇敵 再び

「貴様は屍で道を(なら)すつもりか」

 風太郎の声は震えていた。




 ヘディンの村、屋敷の奥。扉も窓も閉めきった仄暗い一室は、血腥(ちなまぐさ)さと湿気た臭いが篭り、閉鎖された空間であることを章介に否応なく突きつけた。

 床に広がるおびただしい血液は、横臥する中年の女の胸の辺りから流れ出ていた。

 暗がりに見下ろす章介の呼吸が不規則で荒い。表情を失わせた顔は紅潮し、恐怖しているとも昂揚しているともとれた。


「死ね。方法は好きにして構わん」

 先ほど章介は女にそう告げた。それからは微動だにしていなかった。悼んだわけではない。己の胸深くにナイフを二度突き刺し倒れゆく女を、瞬きも忘れてしまったかように終始つぶさに観察していたのだ。

 チートと称した自身の能力。章介はその全貌を理解しているとは到底思えずにいた。ゆえに仮初の力と捉えていた。だから試した。

 能力を計る行為を検証と呼び、ヘディンの村で長い時間をかけ粛々と進めていたのだ。そして検証はいよいよ最後の局面へと突入していた。

 大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。拳を強く握り、意を決したかのように大声で指示を出した。

「入れ!」

 思いの外大きな声が出た。章介自身が驚いてしまい、肩が小さく跳ねた。と、ノックが三度鳴らされ、隣の部屋で控えていた杖つきの老人が覚束ない足取りで戸口を潜り入った。

 ぴしゃり、湿った音がした。三歩進んだところでつま先が血だまりの(ふち)に触れた。老人はその音に釣られ目線を下に向け、わなわなと震慴(しんしょう)した。

「章介様、これは如何に」

「死ねと命じた。不服か?」

 女の変わり果てた姿を見据えた老人の絶え絶えの声に続き、章介は無機質で温度の低い声を発した。

 途端、老人は表情を和らげ、

「そういうことでございましたか。なれば我が娘も幸せに死出の旅路を歩むことでしょう。ありがたや、ありがたや」

 と章介に深々と薄い白髪頭を垂れた。

 安堵した章介だが、娘の(かたき)を前にしてなお、ありがたがる老人が単純に不気味だった。そして彼の卑屈さにも不快感が入り混じった。

 こいつも殺してしまおうか、と腰に佩いた剣の柄に手を掛けた。だが押しとどめた。これ以上波風を立てることを嫌がったため、そしてたとえ愛する肉親が殺されようとも変わらぬ忠誠、期待していたとおりの成果に関してだけは上機嫌なためだった。




「もう遅いのだよ」

 何かを思い出したかのように呻きながら笑った章介の頬を、風太郎は平手で一つ張った。

 顔を横に向かされた章介だが、態度に変化はない。逆に風太郎の表情は険しく変わった。嫌な嗤い顔のまま睨むわけでもなく見上げる章介の鼻先で、風太郎は唾を飛ばす勢いで怒鳴りつけた。

「貴様はヤツらにどれほどの恩情を受けたと思っている。チートだろうがなんだろうが、そんなものは関係ない」

「人に対し無関心を装っていたようだが、お前の本質はそれか?」

「話を逸らすな。恩に報いるは筋。それがあの所行だとでも言うか」

「愛情を蝕んだのも、ヤツら人間どもだろう? 俺を塵として扱ってくれた種族、その代表として報いるもまた筋。滑稽な道理だが、あながち間違えとも言えぬはず。違うか?」

「屁理屈を」

「それに兵であるならば、戦で花を散らせてやるも温情であろう?」

 あくまで冷徹でいつもと変わらぬ素振りの章介に、風太郎が寄越したものは押し殺したような無言だった。

 章介の肩越しに、北の領主ヒッタバイネン伯が先陣を切り部下が次々と追随していく様子が見て取れた。風太郎は掴みかかった胸ぐらから手を離し、彼らを目で追った。

 騎兵およそ八〇〇。歩兵一五〇〇。章介が何を目論んでいるかは見当もつかないが、その程度の兵数で岩の巨人が止まるとは思えない。それともアレの正体を章介は知っているのか、落ち着き払う彼の様子からそんな思考がじわり染みだした。


 遠巻きに仕掛けていた紫の一団に北の騎兵隊が近づいた。加勢しにきたわけではないとばかりに、兵と兵の間を勢いのまま抜け、石の巨人の前へと躍り出た。鬨の声を上げる者など誰一人としていない。馬蹄の音、そしてわずかな嘶きだけが通り過ぎたあとに残され、岩場に吸収され、空へと拡散していった。

 北の騎兵隊は石の巨人の足元に取り付き、手にした縄を絡めつけていった。子供に遊ばれ甚振られる蛙のように、石の巨人に蹴り飛ばされ踏み潰される兵が続出したが、北の兵は怯む様子なく淡々と己の為すべきことを忠実に実行していった。

 その間、北西の兵は攻撃の手を止めざるをえなかった。投槍、弓矢のたぐいは石の巨兵に効果はなく、反面味方である北の兵に損害を与えることを懸念したからだった。しかも領主ヒッタバイネン伯までが参戦していた。状況を知る者ならば命令を受けても、矢をつがえるに躊躇したであろう。代わりに彼らは巨兵と人間の兵が織りなす戦場に奇妙な目を向けていた。静かに、だが臆することも屈することもなく、自らの命を投げ出すも、指揮系統の乱れなく冷静に対処する一軍を眺め、えも言われぬ違和感に苛まれ空恐ろしいと感じていたのだった。


 引き千切られた縄を結わえ直し、外れた縄を掛け直す。何度も繰り返した結果、蜘蛛の巣が纏わり付くように三体の巨兵の六本の脚に縄が張り巡らされた。

「不器用そうな太い指だ。そう簡単には解けまい」

 章介は動きの鈍った巨兵を確認すると、続けてゆうゆうと宣った。

「退路は開かれた。さあ帰ろうか、北の領地へ」

 未だせめぎ合いは続いていた。その足元には倒れて動かない多くの負傷者、もしくは死者。

 風太郎は目を細め、章介の言葉が耳に入っていない素振りを決め込んだ。そして馬を探しに見渡した。己も戦地に赴くために。先の当てがあるわけでも、何かしらの考えが浮かんだわけでもない。章介のチートに囚われたものを哀れに思い、一瞬その恩恵に与り生きながらえようとした自分を恥じたのだ。

 ── すまんな。

 風太郎は、矜持のために命を晒し置き去りにしてしまうかもしれない愚行を、ここにいないエリィに向け詫びた。届かぬ思いと知りながら。


 馬鞍(まぐら)に跨がろうとした風太郎は、突然奇妙な気配に気がついた。

 奇妙だが覚えのある気配だと認識した。途端、心音が聞こえだした。まるで自分の心臓が耳元にあるのではないかと思うくらいに。

 体が恐れに萎縮していることを自覚した。当たり前だ。畏怖して何が可笑しい、何が悪い。と、風太郎は卑下しつつそう己に対して開き直った。

「そこにいるは風太郎様とお見受けいたしますが、はて、どちらへ行かれるつもりですかな?」

 背後から投げかけられた声音は、必要以上に丁寧で穏やかだった。そして聞き覚えがあった。忘れるはずがなかろう言振(いいぶ)りだった。

 風太郎の目は大きく見開かれ、手綱を掴んだ左手はより強く握られた。ふつふつと怒りが沸き出し、冷たく竦んだ体はその熱量を以って(ほど)かれた。

 振り返り睨んだ。力がこもり眼球までもが震えていた。目線の先には、グスタフの仇でありこの混乱の元凶と見做した人物、ラーゲルクヴィスト伯オリヴェルが、以前となんら変わらぬ姿でなんら変わらぬ余裕を持った仕草で「お久しぶりでございました」、と相変わらずの折り目正しさで深々と一礼していた。

「この場から立ち去る。貴様が何の目的で何を為そうとしているかは知らん。だが俺に関わらん限り邪魔立てはせんと約諾しよう」

 口を開く前に章介が割って入った。変わらずのふてぶてしい顔付きと物言いだが、額には僅かに汗が浮いていた。腰を戻したオリヴェルは、余裕を持った表情で、何か含みを持たせるように目線を足元へと向けていた。

「それは困りました」

「皆殺しのつもりか」

 風太郎が低く、聞き取れないかのような篭った声を漏らした。

「滅相もございません。語り部なくして誰がこの惨劇を伝えるでしょう。必要な分だけお引取り願いますよ。そうそう、此度の宴はあなた達のためでもあるのです。ここまで準備するのも一苦労でした。あなた方は最後まで楽しむ権利と見届ける義務がございます。どうかご再考を」

「何が目的だ」

「そうですね。こうしましょう。あなたが無事ならその時お話いたします」

 そしてオリヴェルは緩やかで優雅に振る舞い、今度は章介へと向き直った。

「エドワウ・ヘディン様、否、章介様で相違ないですかな」

 章介は黙した。オリヴェルをずっと見据え、不敵な笑みを作りこんでいた。

「あなたはこちら側の人間だ。歓迎いたしますよ」

「何が言いたい?」

「と、申しますと?」

「意味はあらかた理解できる。が、意図が分からん。俺にどうしろと」

「これは異なことを。先ほどの戦いぶりでも分かります。あなたは世界を嫌悪しておられる。違いますかな。私はあなたと志を等しくするものです。迎え入れる準備もできておるのですよ」

 数拍置いた後、章介は風太郎を一瞥しひとつ謦咳(けいがい)した。それが合図とばかりに、風太郎は素早く右足を踏み込み、愚者の構えをとった。通常長剣は右利きならば左足を前に抜剣する。こうすることで素早く安定した突きの体勢をとることができるからだ。だが風太郎は左右逆に構えた。抜き放つと同時に一切のタメを作らずそのまま斬り捨てる、と言うよりかは剣身を叩きつける腹積もりだったのだ。

 以前対峙した時は、刃がすり抜けた。何故かは未だに分かってはいない。しかし構わずにを頭上に掲げたまま、直立して動く気配のないオリヴェルの右肩めがけ、刃も立てず振り下ろした。

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