時刻みの花籠姫
こんばんは、Sissyです。
お楽しみいただけたら光栄です。
お気に入り登録、ユーザー登録ありがとうございます。
まず、私の状況から説明していいだろうか。
私はどこにでもいる普通のOLだった。趣味は乙女ゲームをすること。今春発売されたばかりの『時刻みの花籠姫』をプレイしていたはずだ。
それなのに。
「おはよう、姫。今日も愛らしいですね」
目の前の男性は私に向かって確かにそう言った。
なぜ、私がヒロインになっているんだろう。
* * *
寝台に横になって朝日を浴びる私に、穏やかな微笑みを浮かべて挨拶をする1人の男。
さらさらの黒髪をおかっぱにし、紫色のタレ目はどこか小動物を思い浮かべる。嬉しそうに私をじっと見つめる彼は、『時刻みの花籠姫』の攻略制限のあるキャラクター、鳩羽だ。彼のルートは物語の真実が明かされる真相ルートでもある。
「お、おはよう……鳩羽さん……」
私の声とは思えないほどの可愛らしい声音で、私は鳩羽に挨拶をする。思考回路はまさしく私だから、間違いなく私なのだが部屋に飾られている全身鏡に映る自分は私のものではない。
桃色の髪と瞳は、ゲームのヒロインである鴇羽のものだ。しかし、意識は完全に私で手足も思うように動かせる。冴えない私だったものは何処へ? そんな思いがよぎるが、カレンダーを見て我に返る。
日付は9月30日。そして、今日ヒロインを起こしに来たのは攻略制限のかかる鳩羽。
つまり、このゲームの世界の行く末は彼のルートということになる。このゲームの分岐点は、9月30日までに好感度が一番高かったキャラが起こしに来るというものだ。鳩羽が起こしに来た、ということは記憶にはないが鳩羽の好感度が一番高かったということになる。
幸か不幸か、私がプレイ中だったのも彼のルートだ。ちなみに、彼のルートはバッドエンドのみクリアしている。バッドエンドは鳩羽もヒロインも死んでしまう救いのないエンディングなので、それだけは避けなければならない。
ずっと鏡に食い入るように意識を飛ばす私を見て、鳩羽が不思議そうに聞いてくる。
「姫? どうかしましたか?」
「あっ、いえ……何でもないわ……」
「さあ、可愛い僕の姫。支度が済んだら下へ降りておいで。朝食が出来ていますよ」
鳩羽はそう言うと部屋を出て行った。
彼のルート、ということはつまり……。
* * *
私は簡単に髪を梳き、顔を洗うと鳩羽に言われた通り下へ降りた。古く軋む階段を降りると、いい香りが鼻をくすぐる。食欲をそそる香りのせいで私のお腹の虫は鳴ってしまう。
匂いのする部屋へ向かうと、食卓に座って新聞を読む鳩羽の姿と、エプロンをつけた1人の男性がいた。
「あ、お嬢。おはよう」
栗色の短い髪に、真っ赤な瞳。立て襟シャツに、袷と袴姿。彼も攻略対象である蘇芳だ。
鳩羽とヒロインの住む屋敷に書生として、過ごしている。ゲームのメインヒーローでもあり、パッケージにもヒロインと彼で描かれている。
「蘇芳、おはよう」
朝食と夕食はいつも蘇芳が作っている。そのせいもあり、ファンの間では書生ならぬ主夫と呼ばれている。
3人分の食事を机に並べると、蘇芳は私が座るのを待って座った。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
蘇芳の合図と共に鳩羽と私もいただきます、と手を合わせてお箸をとる。
目の前にあるのは、炊き立てのあつあつごはんと、深い香りがする味噌汁。そして、鮮やかな黄色の沢庵。ほうれん草のおひたしもある。どれもとても美味しい。
未だに信じられないが、何より冷静な自分が一番怖い。普通に受け入れているのが怖い。
これも人間の適応能力というものなのだろうか。
そんなことを考えながら食事を進めていると、私の目の前に座っている鳩羽が口を開く。
「姫、今日は蘇芳も時間があるそうですし、3人で出掛けようかと彼と話していたのですよ」
ああ、このイベントは覚えがある。
「そうなんだ、この時期はちょっと早いけど紅葉狩りなんてどうかなって鳩羽さんと話をしていてさ。お嬢もどう?」
蘇芳が味噌汁を飲みながら私に聞いてくる。
「うん、行きたい……」
こんな大人しいキャラじゃないけど、喋る時はどうしてか鴇羽の話し方になってしまう。
「よーし、そうと決まればお弁当作りだな!!」
蘇芳はさぞかし嬉しそうに笑った。蘇芳というキャラクターは、鳩羽の屋敷に書生としてやって来たその日にヒロインを見初めるという設定がある。この喜びようを見れば、蘇芳はヒロインのことが好きなんだな、と客観的に考えた。中身は異なっても一応、私がヒロインなんだけど。
「私も手伝うわ」
「お嬢が? いや、大丈夫。俺、料理には慣れているから」
「ううん、やりたいの」
さすがに蘇芳1人でお弁当を作らせるのは大変だろう。鳩羽は料理というよりは、実験という言葉がふさわしいほど壊滅的に向いていない。むしろ、彼に任せれば死人が出てしまうだろう。そうなれば消去法で私しかいない。蘇芳は照れ臭そうに頬をかいた。
食事を終え、蘇芳が片付けている間に私は状況を整理していた。
まず、この世界は紛れもなく『時刻みの花籠姫』というゲームの世界だということ。そして、ヒロインである鴇羽の意識は、冴えないOLだった私のもの。
『時刻みの花籠姫』は、大正チックな雰囲気のあるゲームだ。主人公である鴇羽は、育ての親でもあり、兄でもある存在の鳩羽と同居人の書生、蘇芳を始めとする男性陣と恋をする。
その分岐点になるのが、9月30日の朝。つまり今朝だ。そして、今朝私を起こしに来たのは鳩羽なので、これから私が行く未来は彼のルートということになるのだ。
「お嬢? そろそろお弁当作りを始めようか」
「うん」
洗い物を終えた蘇芳が私の元へやって来る。今からお弁当を作るのだ。
台所へ向かうとお弁当に入れるだろう食材が並べられていた。じゃがいも、にんじん、たまねぎ、豚バラ肉がある。調味料を見るにきっと“肉じゃが”を作ろうとしているのだろう。
「まず、じゃがいもとにんじんとたまねぎを切るんだけど……」
蘇芳が野菜を手に取り、説明を始めようとすると視界の端から影が見えた。認識した瞬間、いつの間にか鳩羽が蘇芳の近くに立っていた。
「蘇芳、姫に包丁を持たせないで下さいね。万が一、怪我をしてしまったら大変ですから」
「鳩羽さんは親バカだなぁ。ちゃんと俺が見ているし、大丈夫だって」
蘇芳の言葉に納得しない鳩羽は、私を抱き寄せる。あまりにも強い力だったので、倒れ込むように鳩羽の胸に飛び込む形になった。
多分、これゲーム画面だったらスチルあるシーンだな、と考える自分が憎い。
せっかくイケメンに抱き寄せられているんだから、甘えてドキドキすればいいのに……!!
第3者目線で見てしまう枯れた自分が憎い!
「この伯爵、鳩羽の可愛い姫なんですよ、鴇羽は。もし、包丁で指でも切ってしまったらどうするんですか。何だったら僕が切ります、姫の代わりに」
その言葉を聞いて一瞬で青ざめる蘇芳。包丁を横取りしようとする鳩羽に必死の抵抗を見せる。
「いや、鳩羽さんがやるなら大丈夫だから……! 俺がやるから!! ってか、危ないって!」
結局、火を使うにしても何にしても“姫が怪我をしたらどうする”という鳩羽の阻害によって、私は味見係しかやることが回ってこなかった。まあ、美味しい“肉じゃが”が出来たから結果オーライだ。
歩くには少し遠いということで、馬車で向かう事になった。
屋敷の前を走っていた馬車を止め、鳩羽は箱の扉を開けて私が入りやすいように支えてくれる。
「さあ、姫。僕の膝に乗ってください」
彼の手を借りて馬車の中に入ろうとすると、私の後に入ってきた鳩羽に腕を掴まれそのまま腰に手を回して引き寄せられる。
「だ、大丈夫……」
「いえいえ。姫が汚れたらいけません。あ、汚れた姫も勿論可愛いですが。それにこうしておけば、いつ体調が悪くなっても助けられるでしょう?」
そう言い、鳩羽は私の腰に回す手をがっちりと前で組むと逃げられないようにした。髪に彼の吐息がかかる。彼のルートはこんなに強引だったっけ、と思いながら馬車に揺られた。
「鳩羽さんの言う事は無視するけど、お嬢。気分が悪くなったらいつでも言えよ」
心配そうに覗き込む蘇芳に私は大丈夫、と微笑んだ。顔を赤くし視線を逸らす彼に、鳩羽が照れているとからかう。そういえば、ヒロインは体が弱かったなぁ、と脳裏で思った。
着いたのは紅葉が有名な並木道。やはり同じことを考える人は沢山いて、私達のようにお弁当を広げて美しい朱色の世界を楽しんでいる。
「いやぁ、綺麗な紅葉ばかりだ」
蘇芳が感嘆する。私もそう思ったので隣で強く頷いた。
「おや。鴇羽嬢に蘇芳、それに鳩羽さん」
ふと声のする方向へ顔を向ける。
そこには、驚くほど顔立ちの整った男性がいた。紺の髪を1つにしばり、澄んだ青い瞳をこちらに向けている。切れ長の目は顔のバランスに非常に合っていて、攻略キャラ一の美形なのも頷ける。
「おや、浅葱くんじゃないか」
そう、彼も攻略対象の1人。主人公の主治医でもある浅葱。体が弱いヒロインを定期的に診てくれる人だ。
「君達も紅葉狩りに?」
「ああ、君達も、ってことは浅葱センセイも?」
蘇芳がそう聞くと、浅葱はそっと目を逸らす。
「まあそんなところだな」
ぶっきらぼうに答える彼は、ちらりと私の方を見る。
「鴇羽嬢、今日は、体調は大丈夫なのか?」
「うん。朝から調子が良くて」
ヒロインの体は本当に華奢できちんと栄養が摂れているか心配になるほどだ。
「そうだ、浅葱くん。良かったら僕達と一緒にお弁当を食べませんか?」
「せっかくの誘いだが、断る」
「君はいつもそうですね、僕からの誘いはことごとく断る」
浅葱の返事に鳩羽は肩を落とす。昔からの知り合いだという2人はいつもこういう距離感だ。
もっと浅葱に心を開いてもらいたい、と願う鳩羽とそんな彼を鬱陶しがる浅葱。当の本人たちには申し訳ないが、見ていて面白い2人なのだ。
「当たり前だろう、どうして私が鳩羽さんと休みの日にまで絡まないとならない」
「あ、ほらぁ、君はいつまで経っても僕の事を呼び捨てにはしてくれないのですね。蘇芳には呼び捨てで呼んでいるというのに……」
「ああ、もう。鬱陶しいな、貴方は。では私はこれで」
そう言い、浅葱は瞬く間に消え去った。口を尖らす鳩羽を連れ、蘇芳と私は空いている所に布を敷きその上でお弁当を広げる。今朝作ったばかりのお弁当は、本当にどのおかずも美味しそうで朝食を食べたばかりだというのに、私はお腹を鳴らす。
そんな様子を見て笑う蘇芳と鳩羽。
――何だか、とても楽しかった。
* * *
ここまでの流れはシナリオ通りだ。私はそう思うのと同時にある気持ちが強く芽生えた。
このまま、鳩羽ルートを迎えれば……。
その時、ノックと共に扉越しにくぐもった声が聞こえる。
「鴇羽嬢、私だ。入っていいだろうか」
浅葱の声だった。私は慌てて扉を開けると、白衣を着た彼が立っていた。
昨日の紅葉狩りイベントでは私服だったのでピンと来なかったが、やはり浅葱は白衣がよく似合う。中の人も人気なのもあって、浅葱は上位に来るほどの人気キャラクターだ。
何てすぐ思ってしまう自分の性が憎い。
「鴇羽嬢、今日は体調の方はどうだろうか」
彼は鞄の中から聴診器を取り出すと、それを首に下げた。
「今日も調子がいいの」
「そうか、それは良かった」
無表情の彼がふっと笑った。凄く美しい笑みに思わず胸が高鳴る。
「それでは、聴診を始めてもいいだろうか」
浅葱の言葉に私は着ていた服を胸が見えないようにめくる。彼の冷たい手が服の中に入ってくる。
そっと指が肌に当たる度に、その冷たさに思わず身をよじってしまう。
「すまない……どうも私は人より体温が低いんだ」
自身の手の冷たさに驚いていると気付いた浅葱は眉を下げて、申し訳なさそうに言う。
「大丈夫、ちょっとびっくりしただけ」
そう言うと、そうかとだけ言って彼は真剣な表情に戻る。手を戻すと彼は頷いた。
「うん、今日は確かに顔色も良い。いつもの薬、置いておく」
「ありがとう」
「そういえば、この前に渡した薬はどうだった?」
浅葱はそう言うと、そっと私の方を覗き込んでくる。
「えっと……」
何て答えようか迷っていると、彼は難しい顔をして独り言をつぶやく。
「そうか……やはりダメだったか」
「え?」
「いや、君が薬を飲むときに辛そうだったと鳩羽さんから聞いてな。飲みやすいように改良をしているんだが……」
そうだったんだ……ゲームではそこまで語られていないから、そうした浅葱の影の努力は知らなかった。そんな彼の一面を見られた気がしてちょっと嬉しくなる。
「いつもありがとう、浅葱先生」
私の為に、薬を改良してくれるとは。良い人なんだな、と強く感じた。
少しでも感謝の気持ちを伝えたくて浅葱の目を見て言う。すると、彼はだんだんと頬を赤くしそっぽを向いた。
「い、いや、別にこれくらいは……医者として当然だ」
ぶっきらぼうな彼の照れ隠しがとても可愛いと思えた。
浅葱にお礼を言うと、彼は視線を彷徨わせて『お大事に』と一言告げて出て行った。
下から聞こえてくる鳩羽の『浅葱くん! カフェーに行こうよ!』という声を聞くに、彼は鳩羽に掴まってしまったのだろう。嫌がる浅葱の声と楽しげな鳩羽の声を聞いていると、部屋の扉がノックされた。
「はい、どうぞ」
そう言うと、鈴を転がしたような声で入ります、と聞こえてくる。
体が強張る。気持ちが高揚する。
扉がゆっくりと開き、そこに立っていたのは……。
「白緑! ……先生!」
そう、私の推しキャラである白緑だ。
白い髪をひとつ結びにし、アーモンド型の緑目をこちらに向ける。真っ白なシャツに、スーツといった品のある格好をしている。白緑はヒロインの家庭教師なのだ。
「鴇羽ちゃん、こんにちは」
柔らかな笑みを浮かべて私に近づく白緑。ああ……推しキャラが目の前にいる。それだけで私の意識は遠のいていってしまいそうだった。よろめく私をそっと彼が支えてくれる。
ああ、憧れの人に触れてもらっている……! このまま時が止まってしまえばいいのに、と願うほど高揚する。
「白緑先生……」
何だか泣けてきてしまった。憧れの人を目の前にすると、感動の涙で前が見えない。せっかく彼の美貌を眺めようと思っていたのに、悔しい。
そんなことを考えていると、そっと白いハンカチを手渡してくれる。
「どうしたの、今日の鴇羽ちゃんは……これ、どうぞ」
優しい! 私の推しキャラ優しい!
私は受け取ると汚さないように涙を拭いた。
「洗って返します」
「いや、いいのに」
そう言って白緑は私からハンカチを受け取ろうとするが、渡そうとしない私に苦笑を浮かべて諦めた。出来ればこれは永久保存したい。そんな邪な考えが頭をよぎる。
「今日は……体調は大丈夫そうだね」
「はい」
「この間、倒れたばかりだったから勉強するのは休みにしよう。そこで、ぼくのお話を聞いてくれるかい」
そう言いながら椅子に座った私の隣に立つ白緑。どうしよう、彼の香りや息遣い、体温がすぐ近くで感じられる。勉強に集中できるわけがない。まして私の推しキャラである。落ち着け、と自分を諫めるが言う事を聞かない心臓と思考にたじろぐ。
どこか儚げな優男といった風貌の彼は、散りゆく桜の花のようだ。手のひらで包んでも、指の間から飛んでいってしまいそうな、そんな雰囲気を感じる。
「鴇羽ちゃんは、“時刻み”という言葉を知っているかい?」
ゲームのタイトルにもなっている用語だ。分からない振りをした方が良いと思い、首を横に振ると、何とも優雅な微笑みを彼は浮かべた。
「“時刻み”というのはね、時を思うままに操ることが出来る能力のことなんだ。不思議だと思わない? そんな能力を持った人は一体、どういうことに使うんだろうね」
彼は笑った。そんな彼を見て泣きそうになる。白緑は知らない。これから待ち受ける自らの運命と、私との未来を。
私は口を開こうとして止めた。まるで縫い付けられたかのように動かない。
言えるはずがない。“あなたは私達と敵対して殺される”なんてことを。
* * *
白緑の正体は、国の裏組織『クロ』の一員である。『クロ』は“時刻み”の能力を持つ人間が鳩羽伯爵邸にいると聞きつけ調べようとする。そこで、私の家庭教師という名目で白緑が派遣される。時間を好きに操れる人間を国の為に利用しようと考えたためだ。
その能力を持つ人間がヒロイン、鴇羽である。
鴇羽の能力を知った白緑は、葛藤しながらも“お国の為に”と、組織の命令にそって私を捕えようとする。そこへ助けにやってきた鳩羽と白緑が敵対し――。白緑は鳩羽に殺されてしまうのだ。
死の間際で彼は言う。
「生まれ変わったら……ぼくと友達になってくれる?」
家庭教師としてヒロインに接していくうちに、恋心を抱いていた彼が、最期に言う言葉に世の乙女たちは涙した。
これが鳩羽ルートの白緑の未来である。
しかし、そんなことをさせてたまるか。白緑は私の推しキャラだし、だからと言って私も捕らわれたくない。鳩羽や蘇芳も推しキャラではないが、愛はある。みんな大好きだ。この世界の人達は誰も死なせたくない。
だが、今の私は鳩羽ルートである。このまま行けば、白緑と敵対するのは目に見えている。
この世界の出来事がシナリオ通りに進んでいたとしても。
私は私で未来を描いてやろう、と白緑を見て心に誓った。自分が乙女ゲームの世界に入って、鳩羽ルートだと気付いた時に芽生えたこの感情を胸に宿して、突き進んでやる。
国の裏組織だが、なんだか知らないけど推しキャラを死なせるわけにはいかない。
「鴇羽ちゃん? おーい?」
「はっ」
「ふふ、意識がどこかに飛んでいたよ?」
私の目の前で手をひらひらさせていた白緑がそう言って笑った。
「白緑……私があなたを守るわ」
「えっ、あ、うん……?」
不思議そうに首を傾げる推しキャラに萌えながら、私は闘志を燃やした。
* * *
決意したのはいいものの、一体鳩羽ルートでどうやって白緑を助ければいいのだろうか。まず、好感度を上げなくていけないのは勿論だろう。白緑ルートでも彼は、組織の命令に従おうとする。そこで、ヒロインへの好感度によって組織の命令に従うか、組織を裏切るかのどちらかの行動をとるのだ。前者はバッドエンド、後者はハッピーエンドになる。
鳩羽ルートでも出来るだけ彼の好感度を上げておけば、鳩羽と白緑が敵対した時に、白緑が組織を裏切る可能性があるのではないか、と考えた私はそれに賭けている。
しかし、大きな問題はどうやって“白緑の好感度を上げるか”である。鳩羽ルートのいま、白緑に会う事はなかなか無い。会ったとしても選択肢が少ないのだ。
私がどうしようか、と寝台で唸っているといつの間にか笑顔で寝室に入っていた鳩羽がカーテンを開けていた。
「おはよう、姫。うなされていたけど、どうかしましたか?」
「大丈夫……何でもない」
そう答えると、鳩羽はいつも浮かべている微笑を見せる。私が起き上がろうと寝台から身を起こした時だった。
「うっ……」
心臓が握られているように上手く脈打っていない。気持ちの悪い動悸に思わず胸に手を当てる。前かがみに倒れそうになっているところに、鳩羽が支えてくれた。
「姫? 大丈夫ですか?」
しばらくそうしていると、妙な感覚はおさまった。心配そうに顔を覗く鳩羽に大丈夫、と笑いかける。
「姫、我慢しないでください。苦しかったら苦しい、と言ってください。僕をもっと頼ってください」
気付いたら私は鳩羽の腕の中にすっぽりと収まっていた。彼の力強い腕の拘束に、身をよじっても出られることはなかった。
「幼い頃から姫は僕を頼ろうとはしてくれなかった……。僕は姫を守りたいのに」
鳩羽の声が震えている。ぎゅっと私を抱く力が強くなった。
その時、私の脳内に透明な窓枠のようなものが浮かぶ。
――ごめんなさい、と謝る。
――離して、と言う。
ああ、これが選択肢なのか、と1人納得する。これだけ鳩羽が心配してくれているのに、離してと言えるわけがない。私は迷わず、
「ごめんなさい」
と口にしていた。
「良いのですよ、姫。謝らないで……これからはもっと僕に頼って下さい」
そう言うと鳩羽は腕の拘束を緩めた。下から彼の顔を見上げる。
ヒロインに甘すぎる彼は、同居人の蘇芳に『親バカ』と言われるほどだ。浅葱も白緑も少なくともそう思っているらしく、ヒロインを寵愛している彼の前では近づこうとしない。
ヒロインを大事に思う気持ちは、攻略対象の中で一番強いと言ってもいいだろう。
「大丈夫そうなら、そろそろ支度しないといけませんね。蘇芳の料理が冷めてしまいます」
鳩羽の言葉に私は頷き、急いで支度した。
「今日は白緑くんの授業が終わったら2人でミルクホールに行きませんか?」
今朝早くに屋敷を出て行った蘇芳が私の為に作りおきしてくれた朝食を食べていると、目の前に座っていた鳩羽がそう口を開いた。
「うん、行きたい」
私がそう答えると、鳩羽は嬉しそうに微笑む。
「じゃあ、僕は部屋で服を選んでおくから食べ終わったら台所へ食器を持って行ってくれますか? 後は僕がやっておくから」
と、言い残しスキップしながら鳩羽は自室へと向かった。時折、音程の外れた鼻歌が聞こえてくる。2人で出掛けるのが本当に嬉しいみたいだ。
私は朝食を食べ終わると、鳩羽がやってくれるとは言っていたが、食器を洗いそのまま自室へと向かう。
私が過ごしているのは、『花籠』と呼ばれる鳩羽の屋敷だ。鳩羽はこの帝国でも有数の伯爵の爵位を持つ華族である。ヒロインである鴇羽は、花籠から1人で出たことがない。それもそのはず、保護者でもある鳩羽が許さないからである。そこまで鴇羽に執着する理由はまだ明かされてはいないが、屋敷から1人で出たことがないために人からは『花籠姫』と呼ばれているのだ。
ぼうっと白緑が来るのを自室で待っていると、控えめなノックの音の後に鈴の音色のような美しい声が聞こえてきた。
「鴇羽ちゃん、ぼく。入るね」
そう言い、今日も白緑がやって来る。
「こんにちは、さっき鳩羽さんから聞いたんだけど、授業が終わったらミルクホールに行くんだってね」
あの人……広めるのが早いな。なんて思っていると、鳩羽の時のように脳内に透明な窓枠と共に選択肢が出てきた。
――羨ましいでしょう? と言う。
――白緑先生は行ったことある? と聞く。
どっちだったっけ……。貴重な白緑の選択肢。鳩羽ルートとはいえ、一応好感度が関わってくるはずである。
「白緑先生は行ったことある?」
そう聞くと、彼はそっと目を伏せた。しまった、彼には自由に行動することが組織から禁じられているんだった。いつも見張られて、好きな事が出来ないとあれだけ白緑ルートで嘆いていたのに。
「えっと……ぼくはないんだ」
暗いその声音。失敗した、と気付いた時にはもう真っ青になっていた。
時間よ、巻き戻れ! ゲームなら出来る!
お願い、白緑を死なせたくないんだ――!!
彼の影の差す表情を見たくなくて、ぎゅっと目を瞑った。
そんなことをしても、現実逃避にしかならないと思って目を開ける。すると、目の前に白緑がいなかった。焦って辺りを捜していると、扉の向こうからくぐもった声が聞こえてくる。
「鴇羽ちゃん、ぼく。入るね」
そう言い、白緑がやって来る。
「こんにちは、さっき鳩羽さんから聞いたんだけど、授業が終わったらミルクホールに行くんだってね」
あれ……? 時間が巻き戻っている?
困惑する私をよそに、脳内に選択肢が浮かび上がる。
――羨ましいでしょう? と言う。
――白緑先生は行ったことある? と聞く。
何が何だか分からないけど、とりあえずゲームの『巻き戻し機能』のように、時が戻ったのだろうか。まあ、何でも良い。好都合だ、白緑を死なせない可能性が増えたのだ。
落ち着いて選択肢を見る。先程の選択肢では彼の好感度を下げてしまう結果になった。だが、羨ましいでしょう? というのもどうかと思う。自由の身でないことを嘆いている白緑にそんなこと言えるだろうか。
だが、選択肢は2つしかない。どちらを選んでも好感度を下げてしまうというのなら。
世界よ、ヒロインは私だ!!
選択肢になくても答えてやる!
「白緑先生も一緒に行こう!!」
鳩羽はきっと拗ねるだろうが、なりふり構うものか。鳩羽の機嫌など後で幾らでもとれる。ヒロイン至上主義の彼はちょろい。
私の言葉に驚いて目を精一杯に見開く彼は、一瞬言われた言葉の意味が分からないようだった。
「本当に……? 本当にいいの?」
「うん。白緑先生も一緒がいいの」
そう言うと、さぞ嬉しそうに彼は笑った。花が綻ぶようなその笑みに私は悶えそうになる。
可愛い……こんな微笑み、ゲームでも見たこと無い。
白緑も早くミルクホールに行きたかったのか、その日の授業は早く終わった。後半、鳩羽の妨害で授業どころじゃなくなったというのもあるが。
鳩羽に白緑も連れて行っていいか、と聞くと顔全体で嫌だということを表現された。
分かる、気持ちは分かるつもりだ。大好きな姫と2人っきりが良いんだよね、と思いながら上目づかいでお願いする。
「鳩羽さん……お願い? 白緑先生も連れて行って?」
「し、仕方ないですね! 姫がそこまでお願いするなら白緑くんも連れて行きましょう!!」
「ありがとう! 鳩羽さん!!」
私は背の高い鳩羽に飛び跳ねて抱き着く。鳩羽はあたふたしながら、私を受け止める。
「ありがとうございます、鳩羽さん」
私の後ろで嬉しそうにお辞儀をする白緑。そんな彼に鳩羽はさぞ得意そうに鼻で笑う。
「ふん、我が愛しい姫のお願いですからね! そうじゃないと君なんて絶対に、ぜっったいに連れて行きませんから!!」
「ふふ、そうですね」
鳩羽に嫌味を言われても気にしないのか、楽しそうに白緑は笑った。
「それじゃあ、そろそろ行きますか、姫」
「うん!」
花籠、こと鳩羽邸を出て私達3人は歩いてミルクホールへと向かう。鳩羽曰く、馬車を呼ぶほどでもない距離らしい。
「姫、はぐれないように手を繋ぎましょう」
そう言い、鳩羽の大きな手が私の手を包む。温かい彼の手は何だか安心する。私は隣を歩く白緑の手を取ると、鳩羽と同じように手を繋ぐ。驚いてこちらを見る彼を見上げると、嬉しそうに笑ってくれた。
「あ、白緑くん。照れていますよね? その頬の赤みは照れからですよね? あ、姫に手を繋いでもらったのが嬉しいからですか?」
思った以上に鳩羽の嫉妬が面倒くさい。でも、それが彼の良いところでもある。何だか可愛く思えて私は思わず笑ってしまった。
「鳩羽さん、男性の嫉妬は醜いものですよ」
私は鳩羽ルートだとしても、こんな風に白緑ともお話がしたい。そう思うのは、私のエゴだろう。誰か一人に絞らずふらふら彷徨っている人に思われても仕方ない。
鳩羽と白緑に挟まれながら私はそんなことを思った。
* * *
いつものように自室で眠っていると、急にあの時に感じた動悸が襲ってきた。今度は前よりも激しかった。荒く短い呼吸を繰り返しながら、鳩羽か蘇芳の名を細く呼ぶ。動悸は激しくなっていき、心臓は自分のものじゃないと思うほどに、脈打つ。
「うっ……」
誰か、助けて。そう思った時だった。
「お嬢?」
扉の向こうで蘇芳の声がした。彼の声に安堵していると、呻く私の声に只事ではないと感じ取ったのか、ノックせずに入る。
床に倒れている私を見て、蘇芳は慌てて抱き寄せた。そして、優しく寝台に寝かせてくれると急いで鳩羽を呼びに行った。
2人を待っていると心悸も鎮まり、落ち着いてきた。慌てて鳩羽が駆けつけた頃にはいつものように、私の心臓は鼓動を打つ。
「姫、大丈夫ですか? 今、浅葱くんを呼んでいますから……」
「大丈夫だよ、鳩羽さん。蘇芳もありがとう」
「お嬢……」
心配そうに寝台に横たわる私を見つめる蘇芳。そんな彼にもう部屋に戻っていいよ、と鳩羽は言う。
その言葉に納得はしていないようだったけど、鳩羽がいるから大丈夫かと蘇芳は部屋を出て行った。
ちょうど蘇芳と入れ替わりに浅葱がやってきた。聴診をすると、薬を渡してくれる。
「心臓の音を聞く限り、不安定だ。あまり激しい運動はしない方が良いだろう」
浅葱はそう言うと、私のいる寝台に腰かけた。
「覚醒の時が……近いのか……」
鳩羽の小さな呟きに浅葱は眉を動かす。
「どういうことだ?」
「……いや、なんでもない」
鳩羽は私の手を握り、祈るようにして顔を伏せた。切り揃えられた彼の髪が、さらりと落ち表情を隠してしまう。どんなことを考えているのか、表情からは分からなかったが、私に触れる手の震えで何となく分かる。
その時だった。またも私の脳内に選択肢が浮かぶ。
――浅葱先生、ありがとう。
――鳩羽さん、ありがとう。
タイミング悪いなぁ、と思いつつ私は選択肢を選ぼうとする。
これは、浅葱か鳩羽の好感度を上げる選択肢だ。浅葱にお礼を言えば、鳩羽ルートのバッドエンドに近づく。ここは、白緑には関係ない選択肢だがどちらを選んでも納得する気がしない。
呼んでくれた蘇芳にも、診てくれた浅葱にも、駆け付けてくれた鳩羽にもお礼は言いたい。
だって彼らは真剣に、心の底から私を心配してくれているのだ。きちんと誠意を伝えないといけないぞ、鴇羽!
「浅葱先生も……鳩羽さんも、蘇芳もみんな……ありがとう」
心悸は鎮まったとはいえ、まだ呼吸するのも少しだけ苦しい。途切れながら感謝の気持ちを伝えると、2人は酷く驚いた顔をする。そんな変なことを言ったのだろうか、と内心こちらがびっくりしていると、泣きそうな顔で鳩羽が私のおでこに口づけをした。柔らかな感触と温もりは一瞬だけで、気がつけばもう離れていた。
「は、鳩羽さん!?」
「姫は何て純粋なんでしょう……。僕は姫が大好きです」
そんな鳩羽の言葉に続いて、私達を遠目で見ていた浅葱も言った。
「私も……心配だったからな。礼には及ばない。それに良かったな、蘇芳」
浅葱がそう扉の向こうに声をかけると、バツの悪そうな表情をした蘇芳がやって来た。
「すまねぇ、盗み聞きするようで……。お嬢がなんともないみたいで良かったよ」
照れ臭そうに頬をかく蘇芳に、優しげな表情をする浅葱。そして、私を抱きしめる鳩羽。
みんなの思いが嬉しくて、一筋、涙がこぼれた。
* * *
「いけません! 幾ら姫のお願いであろうと、許可する訳にはいきません!!」
あの夜、みんなが部屋から出て行った後に鳩羽だけが残って私の側に居てくれた。朝起きたら彼の顔が間近にあって驚いたが、添い寝していたらしい。そのことについては凄く有難いのだが、この時ばかりは彼の過保護さに心が折れそうだった。
今日1日蘇芳と白緑と外出したいと鳩羽にお願いしているのだ。
しかし、昨日倒れたのに何を言っているんですか、と怒られ、蘇芳と白緑もいるからと言っても鳩羽は首を縦にしてくれなかった。
今日はどうしても外に出ないといけない。今日、10月6日は鳩羽の誕生日なのだ。
そして、蘇芳と話し合った結果、サプライズで誕生日パーティをしようということになっている。いつも屋敷にいる鳩羽が、どこかの貴族と会わないといけない用事があるらしく、今日1日は屋敷にいないのだ。そして、彼がいない間に料理、飾り付けを済ませ帰ってきたところで、誕生日を祝おうということになっている。こんなチャンス滅多にないのだが、どうも過保護な鳩羽はなかなかGOサインを出してくれない。
遠回りに蘇芳も良いじゃないか、とフォローしてくれるが一蹴されるだけだった。
「姫がまた倒れたらどうするんです!」
「蘇芳もいるし、白緑先生もいるから……!!」
そう言っても鳩羽は聞こうとしない。上目遣いでウルウルと瞳を潤ませても、彼は見ようともしなかった。
こうなったら最終手段だ、と私は媚売るのを止め彼をじっと見つめる。
「ここまで言っても、良いって言ってくれないなら私、鳩羽さんのこと嫌いになるからね!!」
こっちを見ようとしなかった鳩羽がようやく私を見た。そして、勢いよく私の肩を抱き寄せると、強く腕の中に包み込む。
「姫! それだけは止めてください!! 僕、姫に嫌われたらどうやってこの世界を生きていけばいいのですか。たった1人の僕の姫ぇええ」
「鳩羽さん、鼻水! 鼻水!」
鼻を啜る音が頭上から聞こえてくる。効果絶大どころじゃない。下手をすれば彼のトラウマになるかもしれないから、この手はあまり使わないでおこうと心に留めた。
「ぐす……まあ、蘇芳と白緑くんもいるなら良いでしょう……。その代わり、長時間はダメですよ」
「うん、分かってる。ありがとう、鳩羽さん」
ごめんね、を込めて私は背伸びをして彼の頭を撫でる。言い過ぎた、ごめんなさい。
蘇芳の悲鳴と共に、彼は目を見開いたままそのまま倒れてしまった。
「鳩羽さぁああん!」
* * *
「良いですか、蘇芳、白緑くん。姫に何かあったら承知しませんからね?」
「はい、俺らに任せて鳩羽さんは気兼ねなく楽しんで来いって」
「ええ、鴇羽ちゃんのことはぼく達に任せてください」
疑いの目を向ける鳩羽をさっさと行かせようと、蘇芳が背中を押す。その後ろを楽しそうに白緑がついていく。
「ひっ、姫ぇええ」
「私は大丈夫だよ。鳩羽さん、馬車が待っているよ」
なかなか私から離れようとしない鳩羽を引き離し、被っていた帽子を直してやる。
紫の瞳に大粒の涙を浮かべて彼は私を強く抱きしめた。
「何かあったらすぐに言って下さい、何処に居ても姫の元へ行きますから」
「ありがとう、鳩羽さん。ほら、今度こそ行って」
私達は泣きべそをかきながら馬車へと乗り込む――引きずられる――鳩羽を見送った。
「よし、これからが本番だな!」
悪戯っぽい笑みを浮かべて蘇芳が言うと、白緑も楽しそうに頷いた。
「まずは買い出し、だね」
私達はまず、鳩羽の好きな食べ物をたくさん作ろうということになった。
彼の好きなものといえば……。
「鳩羽さんって果物が大好きだよな……伯爵ってそんなにお金持ちなのか?」
大正時代をモチーフにしているこの世界でも、果物は高価な食べ物だ。上流階級の人が好む食べ物として扱われている。
「まあ、爵位を持つ者にも色々とありますが、鳩羽さんは名の通る華族だからね」
白緑が言う。確かに花籠と呼ばれる彼の屋敷からするに、相当なお金持ちである。それに彼は普段のらりくらりと暮らしている。養っているのは私だけでなく蘇芳も入るので、財力は中々のものだろう。
「確か鳩羽さんって甘い物も好きだったよね? ショートケーキなんてどうだろう?」
よく鳩羽はカフェーに行ったり、フルーツパーラーに行ったりしている。私を診に来た浅葱を捕まえたり、暇を持て余していそうな蘇芳を捕まえたりしているらしい。
白緑の言う通り、ショートケーキなら果物も甘い物も好きな彼も喜ぶかもしれないだろう。
さすが推しキャラ。考えることが違う。
「ショートケーキ! 良いな、それ。俺、伯爵から貰ったお小遣いあるからそれで買おう」
「じゃあ私のお小遣いはプレゼントに使うわ」
「ぼくも出すよ」
「ショートケーキは作るのは難しいから、他を手料理にしてケーキは買おうぜ」
「じゃあ、先に贈り物を買いに行った方が良いね」
蘇芳と白緑の協力もあって着々と準備が進んで行ったのだった。
* * *
何を作るのか決めたところで、プレゼントと一緒に買い出しに行くことになった。途中、屋敷の近くにある浅葱の診療所へ向かい、今夜鳩羽の誕生日会をするから是非来て欲しいとお願いしに行った。
しかし、彼は渋い顔をするだけで返答しない。
「何故私が鳩羽さんの……?」
「お願い、みんなでやった方が楽しいもの。浅葱先生も来て?」
私の申し出も、蘇芳の申し出も浅葱は首を縦には振ってくれなかった。
ふと、私達の後ろで黙って立っていた白緑が浅葱をじっと見据えて口を開く。
「鴇羽ちゃんの手料理が振る舞われるそうです、浅葱先生」
「……ま、まあ今晩は仕事が入っていないから暇潰しに行ってやっても構わないぞ。い、一応鳩羽さんとは古くからの腐れ縁だからな」
いきなりどうして乗り気になったのかは不思議だが、浅葱が来てくれるなら問題ない。結果オーライ。
診療所を出ると白緑に言った。
「凄いね、白緑先生!」
「俺も思った、あの堅物センセイを一瞬で……」
私と蘇芳の賛辞に白緑はふっと微笑んだ。
「何そう難しい事ではないよ。きっとこう言えば来るだろうな、と思っただけだから。さて、彼も説得出来たしぼく達も買い出しに参ろうか」
白緑の言葉におー、と天高く拳をつくった腕を掲げる私と蘇芳を見て彼はくすりと笑った。
* * *
「やっぱり鳩羽さんといったら帽子だろうなぁ……」
ウインドウショッピングをしながら蘇芳は呟く。
「いつ見ても被っているからね」
白緑も頷きながら硝子の向こうに飾られている帽子を物色する。質の良い山高帽子が並んでいる中、見慣れないカンカン帽子も並んでいた。
「あ、この帽子なんてどうかな?」
私は白色のカンカン帽子を指差す。いつも鳩羽が被っているのは、山高帽子ばかりなのでたまには趣向を変えてみるのもいいかもしれない。
「おお、店の中に入ってみるか」
蘇芳がそう言うと、店内へと入っていく。後に続いた白緑が扉を開けて待っていてくれた。
「お嬢が言っていたのはこれだよな」
そう言い、蘇芳が手に取ったのはさきほど私が言っていた帽子だ。
「うん、どうかな?」
「良いんじゃないか? これなら鳩羽さんの服装にも合うだろうし」
蘇芳と話していると、ふとどこからか視線を感じて振り返る。
「……」
全身黒ずくめの男が私をじっと見つめていた。その鋭い視線に思わずたじろぐ。
「……鴇羽ちゃん?」
「あ、ううん。なんでもない」
視線を戻すともうそこには誰もいなかった。だけど、何故だろう。胸騒ぎがする。
「お、お嬢。値札見たらちょっとやべぇぞ」
小声で蘇芳に話しかけられて、私は彼が手に持っているカンカン帽の値札を見た。
「……私と蘇芳のお小遣いでもダメだね」
「ああ、他のものにするか」
そうしよう、と蘇芳と話し合っているといつの間にか聞いていた白緑が彼の持っている帽子を取り上げ、にっこりと笑った。
「ぼくがいることもお忘れなきよう」
* * *
鳩羽への誕生日プレゼントは、高価な帽子ということになった。はじめ、私と蘇芳の所持金では足りなかったが、その半額を白緑が払ってくれたのでどうにかなった。蘇芳も私も白緑に感謝していると、彼は誰かの誕生日を祝ったことなんてないからこれくらいはしたいと言う。
その時、彼がやはり『クロ』に縛られた存在なのだと痛感した。
「ぼくは幼い頃から厳しい所で育ったから、ミルクホールにも行ったことがないし、知り合いの誕生日をこうして祝ったこともないんだ。だから、今日がとても新鮮で……楽しいと思っているよ」
買い出しの帰り道にそう語ってくれた白緑の瞳は、確かに生き生きとしていた。無邪気な子供のようで、私は胸が痛む。『クロ』はどれだけあなたを縛っているの、と聞きたかった。
「俺もまさか白緑とお嬢とこうして鳩羽さんの誕生日を祝うなんて考えても無かった」
蘇芳も言う。
「ぼくは……本当に家庭教師として君達に出会えたら、そう願ってやまないんだ」
「白緑先生……?」
影の差す彼の横顔に胸騒ぎがする。さきほど感じたものよりもずっと。
「それは任務放棄の意思ということか? 白緑」
ふと、聞こえてきた威圧感のある低い声。声の主は私達の目の前に立った。
「あっ」
それは、さきほど私をじっと見ていた黒ずくめの男だった。
「ここまで来なくていいだろう。関係ない人を巻き込むな」
黒ずくめの視界から遮るように、私を守るようにして目の前に立つ白緑の背中。蘇芳もいつでも逃げられるように、私の手を握ってくれた。
「関係ない、だと? お前が隠しているその女は紛れもなく“時刻み”を持つ者だろう」
「邪魔をするな、クロ」
「いくらお前とて反逆行為は見過ごせんぞ」
黒ずくめの男がそう言うと、私の近くの地面に刃物を投げつける。クナイだった。
それを見た蘇芳の手に力がこもる。前に立つ白緑が小声で私達に言う。
「今から3秒後にぼくは奴に攻撃をするから、蘇芳くんは鴇羽ちゃんを連れて逃げるんだ」
「ああ、分かった」
「白緑先生は!?」
私の悲鳴のような声に大丈夫だよ、と彼は微笑んだ。何故かその笑みが儚げで今すぐ止めないと消えてしまいそうなほど、弱々しいものだった。
「3、2……1」
白緑のカウントダウンと共に、蘇芳は私を抱き上げ反対方向へと逃げる。
「逃がさんぞ!」
黒ずくめの男が私を狙って攻撃をしようとする。彼が投げつけたクナイは、私に届く前に白緑に弾き落された。
「白緑……貴様」
「今日は大切な日なんだ。邪魔をしないでくれ」
鮮やかな体術を繰り出す白緑の背中を見て、私は彼の名前を必死に叫んでいた。
胸が痛い。やはり、彼は私を狙う『クロ』の一員だったのだと。そして、その『クロ』に彼は縛られているのだと。
* * *
「お嬢……大丈夫?」
屋敷に戻った蘇芳は震えている私をずっと抱きしめてくれていた。こうして密着していると、どれだけ筋肉がついているのか分かる。やはり彼も男性なのだな、と今更ながらに思う。
「ショートケーキ、買いそびれちゃったね」
精一杯大丈夫だと伝えたくて私は笑った。さっきの黒ずくめの男が怖いのではない、白緑がどうなったかが怖かった。負けるはずない、と思っていても心まではそうとは限らず不安から体が震えた。
「大丈夫だって……きっと白緑が買って帰ってくれるさ」
蘇芳の大きな手が私の頭を撫でる。その温かさに心が少し落ち着く。
「そうだよ、鴇羽ちゃん。そんなに心配しなくても、ぼくは大丈夫」
「白緑! 無事だったのか!!」
ショートケーキの箱を持って照れ臭そうに笑う白緑の姿に、私は嬉しくて涙が止まらなかった。まるで小さな子どものように泣きじゃくる私に、慌てふためく白緑。私はそんな彼にしがみつき、気が済むまで泣きじゃくった。
* * *
蘇芳と一緒に鳩羽のために手料理を作る。食卓や部屋を飾っているのは白緑。
そんな光景が見られることがとても幸せだった。このまま、白緑の死なないシナリオへと持って行く。楽しそうに笑っている彼を見て、私は改めて決意を胸にした。
今日、私を狙ってきたのは間違いなく国家の裏組織『クロ』だろう。そして、これから先の運命にも携わっていくはずだ。私は何としてでも白緑を救う。いや、白緑だけじゃない。蘇芳も浅葱も鳩羽も。そして、鴇羽も。全員が幸せな結末を迎えられる大団円を目指すのだ。
ヒロインは、私だから。
「おや、間に合ったようだ」
ふと、準備に忙しい部屋に入って来たのは1日の診察を終えた浅葱だった。彼がいるということは、鳩羽ももうすぐ帰ってくるだろう。
「おお、丁度いいところに。浅葱センセイ、白緑を手伝ってやってくれ」
「分かった」
浅葱はそう言うと、白緑に何を手伝えばいいか話しかけている。浅葱も加わって、部屋の飾りつけは随分と雰囲気の出るものになった。後は鳩羽が帰ってくるのを待つだけである。
事前に決めていた定位置にみんながスタンバイしたのを確認すると、蘇芳が部屋の電気を消した。暗くさせてびっくりさせてやろうという魂胆だ。
じっと息をひそめて待っていると、玄関の方で馬車の音がした。鳩羽が帰ってきたのだ。
特徴的な足音を響かせ、玄関を開ける。
「姫? 蘇芳? 戻りましたよ~?」
人の気配のない屋敷に怪しんでいるのが声音でも分かる。足音は私達のいる部屋へと近付き、扉を開ける音がした。そして、鳩羽が部屋の灯りをつける。
今だ! 心の中でそう叫ぶと、一斉に隠れていた場所から全員飛び出した。
「鳩羽さん、お誕生日おめでとう!!」
私達はそう言って驚きで突っ立っている鳩羽の元へ駆けよる。
「鳩羽さんいつもありがとう!」
そう言って彼の肩を組む蘇芳。決して触れようとはしないが、浅葱もおめでとう、と言う。白緑も蘇芳と反対側の肩を組むとおめでとうございます、と微笑んだ。
そして私は彼に抱き着いて、気持ちを込めて言う。
「鳩羽さん、いつもありがとう!」
私達の顔を交互に見ると、鳩羽はその場に崩れた。
「みんな……ありがとうございます……」
「鳩羽さん泣いている暇ないぜ! 今夜は鳩羽さんが大好きなご飯と、ショートケーキもあるんだからさ」
「そうだ、私も早く鴇羽嬢の手料理が食べたい」
「浅葱先生、本音が漏れていますよ」
その後、みんなで楽しく騒いで鳩羽の誕生日を祝った。
何度も涙ぐみながら食事をしようとしていた彼は、食べ物を詰まらせ浅葱に叱られていたけど、その顔に浮かぶ笑顔を見ると、とても楽しそうだった。
* * *
その日の夜。片付けは全部俺がやるから、と蘇芳が言ってくれたので私は自室で過ごしていた。
「姫? 入っても良いですか?」
寝台で寝転がっていると、控えめなノックと鳩羽の声がした。
「うん」
「姫、今日はもう疲れましたか?」
「ううん、大丈夫」
少しはしゃいだが、全く問題ない。
「あ、あのね……これ。蘇芳と白緑先生と一緒にプレゼントを買いに行ったの。良かったらもらってくれる?」
私は背中に隠していた誕生日プレゼントを彼に渡した。
「姫……素敵なプレゼントをありがとうございます。家宝にします」
包みをあけた鳩羽は帽子だと確認すると被ってみせた。その無邪気な笑顔が何とも愛らしい。
「鳩羽さん、今日はびっくりした?」
「ええ、勿論です。屋敷に戻ったら誰もいないんですからそれはもう、泥棒に入られたと思って怒りそうになりましたけどね」
姫までいなくなっていたらどうしようと肝が冷えました、と言う鳩羽の目は笑っていない。
「でも……こんな日は初めてです。誕生日を誰かに祝ってもらったのも、こうして過ごすのも全てが初めてでした。僕にとって今日という日は、とても幸せな思い出になるでしょう」
そう言い、鳩羽は寝台に腰かける。そしてゆっくりと私に近付く。彼の吐息が近い。
「これも姫、あなたのおかげですよ。僕の世界に、箱庭に君という存在が居てくれたからです」
「……っ」
一瞬、彼の顔が近づいたかと思うとすぐに離れた。唇に残る温もりでキスをされたのだ、とようやく気付く。
「おやすみなさい、姫」
そう言うと彼は妖艶に微笑んで部屋を出た。残された私は胸に手をやる。
心臓が嫌というほど高鳴っていた。
* * *
昨日のようなみんなで過ごす幸せな日々がずっと続けばいい、と思っていた。でも幸せはそう長くは続かないということを私は思い知る。
いつものように、白緑との授業をする日。彼の到着を待っていると、どこか険しい表情の白緑がやって来た。
「白緑先生……?」
「鴇羽ちゃん。ぼくは今日で君の家庭教師を辞めることにしたんだ」
「えっ」
頭を鈍器で殴られたような衝撃が私を襲う。辞める? 何で?
嫌な予感がする。じっとりとした汗が背筋を伝う。
「まずは、ぼくの素性を明かすことにするよ」
言わないで、と伝えたくても口が動かない。耳を塞ぎたくても体が動かない。
「ぼくは……国家を主君とする裏組織『クロ』の人間だ」
聞きたくなかった言葉を彼の口から紡がれた。私はどうしようもなく、ただ視線を彷徨わせるだけ。
「クロは目的の為なら人を傷付けることも厭わない。昨日も見ただろう? 黒ずくめの男が鴇羽ちゃんや蘇芳くんを襲おうとしたところを」
あれは鳩羽の誕生日パーティの帰り道の事件だった。鳩羽には言っていないが、言わない方が良い気がした。彼に言ってしまえば、白緑との対立が早まるような気がしたからだ。
「だから……ぼくは君達の側にはもういられない」
振り絞るようなその声に白緑の葛藤が分かる。
あなたはずっと苦しんでいたんだよね。組織の命令に従うかどうか。
そう言いたいのに私の口はまるで縫われてしまったかのように、言葉を紡ぐことが出来ない。
「さようなら、鴇羽ちゃん。君との日々はとても楽しかったよ」
そっと握られた私の手は、白緑の温もりが離れていっても固まったままだった。
* * *
白緑が私から姿を消して数日。ショックで寝込んでいた私は、どんどんと体調が悪くなっていく。心配した鳩羽や蘇芳がおかゆを作ってきてくれたが、少しだけ食べては残す、の繰り返しだった。私の主治医でもある浅葱は、しんどいかもしれないが食べなければ衰弱して死ぬぞと言って少しでも多く食べるように言っていた。みんな私の事を心配しての言動だとは分かっていても、私の心は消えた白緑でいっぱいだった。
少しだけ気分も優れていたある日。鳩羽に誘われて花籠の外を散歩することになった。
手を繋いでゆっくりと私の歩調に合わせてくれながら、鳩羽は景色が良いところへと私を連れて行ってくれる。そこは、花籠から少し歩いた人気のない湖だった。澄んだ水の中には様々な生き物が泳いでいる。美しい景色にちょっとだけ、気分が軽くなった気がした。
そんな私の後ろ姿をじっと見守っていた鳩羽が口を開く。
「姫。これから僕が話すことを……信じてくれますか?」
真剣な彼の瞳に、私が映る。
そして、脳内に選択肢が浮かび上がる。
――はい。
――いいえ。
これが彼のルートの最後の選択肢。最後の分岐点である。『いいえ』を選べば鳩羽のバッドエンドになってしまう。バッドエンドの内容は、白緑がやってきて鳩羽と私を殺すのだ。『はい』を選べば白緑は死ぬ。だけど、そうならないように鳩羽ルートであっても私は私なりに好感度を上げることに努力した。彼の好感度を無理矢理にでも、シナリオになくても私は上げようとしたのだ。きっと『はい』を選んでも、白緑が死なない世界になると私は信じることにした。
「はい」
私の返事に鳩羽はゆっくりと頷きを返すと、遠くその紫の目に湖を浮かべてぽつりぽつりと語りだす。
「姫は……この世界を不思議だと思ったことはないですか?」
「いいえ、ないわ」
私がヒロインの鴇羽になってしまったこと以外、不思議なことなどない。他は特に変わったことなどないはずだ。
「それもそうでしょうね。姫はこの僕が作った存在ですから」
「……え? どういうこと?」
「姫だけじゃない。この『世界』そのものを僕が作ったんですよ。だっておかしいと思いませんか? 街の人、誰一人として『外』の話をしないのですから。僕は『箱庭』という僕の記憶だけで構成された世界を創ったのです。この世界は『箱庭』が全てなんです」
彼は話し始める。私の知らない物語の真実を。
「僕は魔法使いです。それは人とは寿命が違う。僕の大切な人達はみな、僕を置いて逝ってしまう。大切な人が目の前で消える辛さに耐えきれなくなった僕は、『箱庭』という僕の記憶を基にした虚構世界を創造することにしたのです。でも、それだけでは『箱庭』の中の時間が流れない。だけど、僕が動かし続けるにも負担が大きすぎる。僕は『箱庭』の維持に力を使い続けているのですから」
彼の手が私の頬を撫でる。
「そこで僕は時間を操る『時刻み』の能力を持った人間を創りだしたんです。それが鴇羽……君だ。君も何度か経験したことがあるでしょう? 時間を巻き戻す……とかね」
鳩羽ルートの白緑の好感度の上下を決める選択肢で、確かに私は巻き戻した。あれは、私にあるゲームの『巻き戻し機能』だと思っていたが、あれも『時刻み』の能力だっただろう。
「能力を使えば使うほど、動悸は起きる。それは『覚醒』への前兆でもあるんです」
「か、覚醒? もしも……そうなったら私はどうなるの?」
「意志の持たない人間、いや人形のような存在になって『箱庭』の時間を司るのです。いわば、ぜんまいそのものになる」
鳩羽の語る真実は、震えが止まらなかった。私はずっとみんなと、白緑とも一緒に居られるのだと勘違いしていたのだ。
「君は『箱庭』から出ることが出来ない存在です。『花籠』から出るのもこうして僕がいないと出来ないんだ」
「鳩羽さん……どうして? どうして私にその話をするの……」
鳩羽の目が私を見据える。残酷なまでに美しい瞳だと思った。
「君に『覚醒』の時が近いからですよ。どのみち、君が『時刻み』の能力を使えば君は覚醒する。最期にこの話をすることで、後悔のない選択をして欲しいと僕が思ったからです」
後悔のない選択って何? そう彼を問い詰めようとしたその時だった。
ずっと聞きたかった声が鳩羽の向こうから聞こえてくる。
「鴇羽ちゃんが覚醒する前に連れてこい、と上に言われているんで。鳩羽さんが鴇羽ちゃんを覚醒させる前にぼくが連れて行きます」
「白緑くん。それは『クロ』の命令ですか?」
「ええ、そうですよ。ぼくはそれに従うだけ……」
そう言って、白緑がゆっくりと拳銃を鳩羽に突きつける。やめて、と悲鳴を上げたくても恐怖で何も出来ない。
「と思ったのですが、どうもぼくは意志が弱い人間だったみたいです」
白緑はそう言いながら、鳩羽に向けていた銃口を自身のこめかみに当てる。
「ぼくは幼い頃、孤児でした。誰も助けてくれない世界にたった一つだけ、生きる道を示してくれたのが『クロ』の組織だったんだ。そこでは、衣食住は保障してくれるけど使える駒にならないとすぐに捨てられる。ぼくは生きる為、暗殺術を磨きどんな命令もこなしてきた。生きるためだ、と自分に言い聞かせて」
白緑の目にうっすらと涙が浮かんでいた。
「今度の任務は『時刻み』の能力を持った人間を捕えること。『時刻み』は自由に時間を操ることの出来る能力だ。それが手に入れば国家は強くなると考えた上は、鴇羽ちゃんの存在を調べた。そして、家庭教師という名目で花籠に入ったぼくは、鴇羽ちゃんや周りの人間について逐一報告をしていた」
白緑の告白に鳩羽が怒りのこもった声音で語る。
「スパイだったというわけですね」
「そういうことになりますね、鳩羽さん。魔法使いのあなたは知っていただろう。でも、鴇羽ちゃんや他の人達と触れているうちに、とても楽しいと感じている自分がいることに気が付いたんだ。任務なんて無くてこんな日々がずっと続けばいいな、と思っていた矢先、鴇羽ちゃんを捕えよと上から命令が下りた。……迷ったよ、大事な人を傷付けていいのかって」
彼が引き金を引こうとする指に力を入れたのが分かった。
「その時に気付いたんだ。ぼくは、任務を無視してまで君の笑顔を守りたいと思った。それほどまでに君のことを好きになっていたんだ、って。だからぼくはこうすることにした……そうすれば、誰も傷付かずに済む。ぼくに知らない世界を教えてくれた鴇羽ちゃんを傷付かせずに済むって」
白緑の目がゆっくりと私を映し出す。瞬きで零れ落ちる彼の葛藤が、一筋の光になって頬を伝う。
「さようなら、鴇羽ちゃん。生まれ変わったら……」
「生まれ変わったら……ぼくと友達になってくれる? そう言うつもりなんでしょ、白緑」
思わずドスのきいた声で彼が言おうとした言葉を告げてしまう。それほどまでに私自身が怒っているだと、どこか客観的に見る自分がいた。
「鴇羽ちゃん……?」
「あなたはいつもそう。1人で抱え込んで、苦しんで。誰にも言わないで犠牲になろうとする。でも、そんなことをしても誰も喜ばないって何で分からないの!?」
私は拳銃をこめかみに当てたまま、驚いて近づいてくる私を見ている白緑の頬を引っぱたいた。彼には言いたい事が山ほどある。ヒロインになったことを今、感謝したいくらいだ。
「どのルートでも犠牲になろうとして……犠牲になって。あなたは何回、私達の目の前から消えようとするのよ! 私達がどれだけ悲しんだと思う? どれだけ涙を流したと思う? このルートでも私が死なないように頑張ったのに……結果こうしようとする。目を覚ましなさい、白緑! あなたを必要としている、駒としてみないで1人の『人間』として見ようとしてくれている人達が目の前にいるってことを!!」
言いながら私はボロボロと涙をこぼした。最後の方の言葉は涙声で震えて何言っているのか分からないほどだった。それでも、白緑には私の気持ちが届いたようで彼も大粒の涙を流していた。
「使い物にならなくなった駒は捨てる、ただそれだけだ」
ふと野太い声が聞こえてきたと同時に、血相を変えて私を抱き寄せる鳩羽の声と乾いた音が響く。
鳩羽に抱きしめられながら、視界に見えた鮮やかな赤色。瞬時に白緑が握っていた拳銃で鳩羽が声の主を撃つ。全てのことがスローモーションに見えた。
足元で血を流して動かない白緑と、絶叫が聞こえた。それが私のものだと気付く時には、鳩羽にぎゅっと抱きしめられていた。
「姫、大丈夫ですよ……姫……」
嗚咽をあげながら泣く私の背中を彼は優しくさすってくれた。
「白緑……白緑……」
胸元で服を掴んで泣く私の顔を、そっと顎に手を添えて上げた鳩羽が滲んで見える。
「姫……白緑を生き返らせる方法が1つだけあります」
「何? 何でもするから……教えて!」
「姫の『時刻み』を使うのです。『時刻み』は時間を操ることが出来る能力と、お話しましたね? つまりそれは、姫の望む結末を創りかえることが出来るのです。姫が望む時間に、歯車を並び替えればいい」
「どうやるの?」
「願えばいいのです。ただ、気を付けて欲しいことが1つあります。今度、『時刻み』を使えば君は『覚醒』してしまう。覚醒をすれば、姫という存在はなくなり『箱庭』の時間そのものになってしまう。それでも、良いですか?」
鳩羽の言葉に私は頷いた。白緑を助けるためなら、私はどうなっても構わない。
「では、姫……おやすみなさい」
鳩羽にそっと目隠しをされる。温かみにだんだんと意識が遠くなっていく。微睡の中でふと、鳩羽の言葉が聞こえてきた。
「愛しています、僕の姫」
* * *
目を開けると、真っ白な世界が広がっていた。世界には白しかなく、他には何もない。誰かいないか、声をあげて聞いてみるが返事が無い。一体、ここはどこだろうと思っていた時だった。
「ねえ」
とても可愛い声が聞こえた。声の方を振り返るとそこには、桃色の髪と瞳を持った少女が私を見ている。『時刻みの花籠姫』のヒロイン、鴇羽だろうか。
「あなたは?」
「私は鴇羽。あなたも私よ」
「ああ、そっか。意識は私だったもんね」
鴇羽はふっと微笑んだ。
「あなた、時刻みの能力を使ったでしょう?」
「うん。白緑を助ける為に」
「でも、そうするとあなたが箱庭のぜんまいとなって、あなたの存在……概念が消えてしまうわ」
悲しそうに彼女は目じりを下げる。
「いいの。白緑や他のみんなが助かるのなら、それで。クラスタとして本望だし」
「くらすた? よく分からないけれど……それは良くないわ」
「どうして?」
「だって、白緑先生に言ったじゃない。犠牲になっても誰も喜ばないって。あなたも同じよ?」
目を覚まされた気分だった。私は驚きで彼女をじっと見つめる。
「私が、覚醒するわ」
「鴇羽!? 何を言っているの?」
「私よりあなたの方が幸せに出来るはず」
「そんなことをしたら、あなたは……消えるでしょ」
「大丈夫、あなたが祈ってくれれば概念として消えないわ。それに、あなたは私。私が消えてもあなたがいるもの」
鴇羽はそう優しく微笑むと、私の手を握った。
「さあ、聞かせて? あなたの望む未来は?」
「……蘇芳も浅葱も、白緑も鳩羽も。そして鴇羽のみんなが幸せになる未来」
私が答えると、鴇羽はやさしく笑って、ありがとうと言った。
だんだんと光が強くなっていき、彼女は光の中に消えていく。
* * *
「お嬢? お嬢~?」
ゆっくりと重いまぶたを開けると、真っ赤な瞳をこちらに向ける蘇芳の姿が見えた。
「すおう……?」
「良かった、目が覚めたみたいだな」
すぐ隣で浅葱の声が聞こえた。ふと見てみると、安堵した表情を浮かべて私の頭を撫でている。
「鳩羽さん! 白緑先生! お嬢が目覚めましたよ!!」
蘇芳の声にどたばたと廊下が騒がしくなると、勢いよく扉が開いた。
「ちょっと、白緑先生! 僕の邪魔をしないでもらえますか!」
「邪魔をしているのは鳩羽さんの方じゃないですか」
鳩羽と白緑がお互いをつねり、蹴り合いながら部屋に入ろうとする。
「姫を見るのは僕が先です~」
「ぼくが先なんです!」
そんな二人を見て浅葱は呆れたようにため息をつく。
「どうでも良いが、鴇羽嬢が困っているぞ」
「ま、あの2人は置いておいて……お嬢、お腹空いていないか? そ、そのお嬢を想っておかゆを作ったから……た、食べてもらえると……」
恥ずかしそうに顔を赤らめてもじもじとしながら伝える蘇芳の言葉を、最後まで聞こうとせず浅葱がさらりと言ってのける。
「ああ、それなら私が全部食べたぞ」
「え!? 何で浅葱センセイが」
「そういうのは医者である私に任せておけばいい。……君の手料理よりも私の方が良い」
「お嬢に食べてもらいたいからって酷いぞ!」
「ちょっと、蘇芳くん、浅葱くん。何抜け駆けを計っているのですか」
白緑と服を引っ張り合いながら、私の寝台の周りに居る蘇芳と浅葱に近づく。
「そうだよ、鴇羽ちゃんをお世話するのは家庭教師であるぼくの役目だから、部外者はさっさと出て行ってくれないかな」
「家庭教師が一番関係ないと思いますが? こ・こ・は、幼い頃から姫を育ててきた僕でしょう」
「いや、いつも料理作っている俺だろう……」
「主治医である私しかいないだろう?」
4人の間に火花が散る。これはもしや……シナリオにはない大団円エンドか? と考えながら、私は白緑もいる、蘇芳も浅葱も鳩羽もみんながいる幸せに微笑んだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!