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【懐かしい声】

"竜彦の視点"


朝。


普段より早い目覚め。目覚ましは鳴りはしない。

当然だ、今は夏休みなのだから。俺を起こしたのは下の階での騒がしさだった。


忙しく人が動いているのが伝わる。上半身を起こし、辺りを見渡す。

俺以外、誰もいない部屋。ごく当たり前な光景が目の前に映っていた。

今になって、俺は昨日の服のまま眠りに入ったことを知った。


窮屈なジーパンが、体に疲労を伝える。

俺はそのまま、下の階へと降りる。


一階の廊下の前で、祥子さんが俺の前を通り過ぎた。

「あっ」

「竜彦さん、おはようございます。あまりよく眠れなかったみたいですね」

俺よりも少し疲労の残った顔をした祥子さんが気になった。


その手には親父の鞄が握られている。

「それは、親父のですよね」

「ええ、今朝先生からお電話があって頼まれたのよ。これから荷物を届けに行くところなの」

「これからですか?」

祥子さんはにっこりと微笑んだ。


昨日よりも少し様子が違うらしい。

「親父は、何かあったんですか?」

「今朝方ね、あの絶望的に思えた機体の残骸から、生存者が発見されたの」

「えっ!?」

「でも重態らしくて・・・可哀相に・・まだ18才の女の子という話よ・・」

その言葉から連想できたもの。

それは、今になって思い出す昨日の出来事。


何故だろう、"佐々木 香里"という彼女の名前がそこから連想された。


なんだろう、何かとても気になる。

親父には会いたくないが、そこに行けば、何も言わずに姿を消した彼女に、"佐々木 香里"に会えるような気がした。

二度と会いたくないのも事実だが、無性に気になるのも事実だった。


だから俺は、

「その荷物、俺が届けに行きますよ」

と、言った。


「本当にいいの?」

祥子さんは思う所あるのか、不安な表情を見せる。


「大丈夫ですよ、何もしませんから」

俺は祥子さんから鞄を受け取り、玄関の扉を開く。


そんな俺に祥子さんが声をかけた。

「竜彦君・・場所は東京医大。。。あと行き方は・・」

俺は、忘れる訳が無い。


「ええっ、知っていますよ。一度行ったことありますから」

俺は思い出す。あの時一人残された玄関を。

五年前、母が事故にあった朝。東京医大、その母を看取った最後の場所。


忘れるわけが無い、決して。


しかし、"佐々木 香里"はどこへ行ったのだろう?目が覚めてからその姿を見ていない。

重体といっても命に別状は無いのだろうから、元に戻ったのだろうか。彼女の体という収まるべきところへ。


家を出る前、着替えながらテレビをつけた時にワイドショーでは内容は変わらず、墜落事故を取り扱っていた。そして、彼女の名前を見た。


顔写真とともに、名前が流れる。

中学、高校の制服だろうか?在学中に撮ったらしき写真がテレビの画面を埋めていた。その横に、唯一の生存者という文字が張り付いている。

その写真は少し俯いて、影が薄いように見える。


昨日見たときには、まだ行方不明者がいたはず・・と思いながら現実を知る。原因はまだ分かっていないが、一瞬にしてこれだけの乗客の命を奪う惨事。


何の権利があって、テレビというメディアは彼女たちの姿を勝手にさらす権利あるのか?


事実を伝える手段。そう言ってしまえば簡単だ。

ただ、必要以上に脚色されてしまうことも、良くある話だ。実際悲しむのは、その肉親や友人であり、テレビの視聴者は彼らに対して作られた哀れみの顔を見せる。


自分がその事故をドラマのように感じ、その出演者のような演技を見せつけてくれるだろう。


彼女、"佐々木 香里"の両親はもちろん心配しているだろう。なのに、どうしてこんな、彼女にとって見知らぬ土地に現れたのか。

その答えはまだ出ないままだ。


テレビの内容は唯一の生存者である、彼女の話題だった。

彼女の同級生らしき映像が流れる。その中で、元気で明るい子だとか・・スポーツが得意で・・などといった発言が聞かれた。ごく当り障り無い発言だった。


でも何だろう、そこからは彼女を表したものと伝わってこない。学校の教師の映像も流れたが、同じくたいしてその子のことを知っているとは感じられない。

なのに、それをレポーターが上手く持ち上げる。


俺は、不愉快だった。


偽善だけを振りかざす、この人間たちが。

重なるように父の顔が頭をよぎる。


五年前、買い物に出かけた母は、居眠り運転の車による事故に巻き込まれ重体になった。母が東京医大へ担ぎ込まれたことを知ったのは、俺が私立中学の入学式から帰った、すぐ後だ。


幼すぎた俺は父の帰りを待つ術しかなく、明かりもつけない部屋の中で一人待っていた。一日待っても父は帰らず、俺は仕方なく地図一つを頼りに医大へ一人向かい、母の死に水をとることになった。


あのときの母の姿が忘れられない。

体は包帯とチューブで覆われ声も出すこともできない。うっすらと目をあけた母は俺の姿を見つけると、やさしく微笑を向けた。

俺はその微笑に対し涙しか出なくなっていた。


そんな俺に母は、弱々しい動きで俺の頭に手を乗せ、声にならない言葉をかけた。口の動きしか分からない。

ただ、幼い俺でもそれは・・・


"ごめんね"


それが母の最後の言葉だった。


父が母の病室を訪れたのは、翌日の昼。真っ青になった顔で病室を訪れた父は、ただ何も話さず立ちつすくむだけだった。


俺に父を責める言葉を吐く力は無く、睨み付けることしかできなかった。そんな俺に父は「すまない・・・」と一言。


何をしていたか尋ねる俺に、別の病院で母を死に追いやった運転手の手術をしていたと言う。しかもその相手は、生き延びたという話だ。


よりによって、そんな奴を!瞬間、力が湧き、父を殴りつけた。母を殺した奴が生き残り、それを助けたのが父というふざけた現実。


相手の命も大事さ、ただもっと大事なものがあるはずだろ。父にとって母はどのような存在なのか?医者である以前に一人の人間だと信じていた俺は、父に対し深い絶望感が起きた。


あれから五年。

何も変わらないようで、時間だけは過ぎた。

結果、俺の心には、消すことが出来ない深い傷が残った。


玄関を出た俺は夏の日差しを浴びた。

太陽は俺のほぼ真上にある。

この炎天下は激しく俺の体力と精神力を奪う。


夏の日差し。それは、まだ続くだろう。

秋は、いつまでも来ないように感じられた。


"香里の視点"


ここはどこだろう?


昨日の出来事から時間が流れ、見知らぬ白い壁が目の前にそびえていた。

私は、辺りを見渡す。


白い衣服に身を包んだ人たちの姿が目に入った。

「お医者さん・・・?」

ここは病院なんだろうか?私は白い壁に囲われた廊下を歩く。何人もの人たちが私の体を通り過ぎ、行き交う。


通路に出た私の前に、忘れることが出来ない人がいた。

白髪に和服姿で長椅子に腰をかけ、両手を合わせている。


祖母だった。私が最後に会ったのはアメリカに立つ前の3ヶ月前だったはず。その時よりも更にふけてしまったように見える。

そして、その横には父と母がいた。ニュースを聞いて急遽日本に戻った様子だった。私は彼らの前でぽつんと一人宙に立つ。


もちろん祖母と両親が気づくことは無い。父とは母は何やら言い争っているように見えた。お前が悪い、いいえあなたこそ・・・と責任をなすりつけるような会話だ。


この人たちはいつもそう。互いを信じることが出来ず、言い争うだけ。そんな両親から私は離れたくて、ここへ、祖母のいる日本へ帰ってきたのだ。

「おやめなさい、こんなところで言い争ってどうなるね!」

懐かしい祖母の声。


「お母さんは黙っていてください、これは私たち夫婦の問題です。」

母がきつく祖母に向かい言う。

「第一、母さんがあの子が日本へ帰ることに賛成したせいで・・・」

父の声。お互いを責めるのに飽き足らず、矛先が祖母へ向かった。


「もっと、あの子のことを考えてあげないと・・」

「お母さんは孫のことになると優しすぎるんです!あの子は私たちの子です、子供の将来は私たちで決めますから!」

勝手ことを言う母。私は私だというのに。


確かにまだ子供かもしれない。ただ後二年もすれば、私は成人の仲間入りをするのだ。

経験も浅く人に頼ることもあるだろう、ただ私にも自分の考えがある。ペットじゃないのだから、檻の中で飼われたくは無い。


祖母は再び口を閉じ、両親が言い争う。


「優しいおばあちゃんね」

「あっ」

私に声をかけたのは、あの女性だった。

いつの間にか私の後ろに立っていた。

今までの姿と違い、真白い服に身を包んでいる。


そんな彼女に私は笑顔で言う。

「ええ、とっても優しい祖母です。私を一個人として扱ってくれたのは祖母だけでしたから」

「そっか、なるほどね・・・」

気持ちを受け取る表情。それは祖母のそれと似ていると私は感じた。


「でも、どうしてここへ・・ここは多分私が収容されている病院なんでしょ?でもあなたがここまでどうして?」


彼女は、困ったような顔をする。

「以前、来たことがあるのよ、ここはね。もう大分前の話だけど」

その瞳はとても遠くを見つめていた。

「そうなんですか・・・」

その時、病室のドアが勢いよく開き、男性の医者が近くの看護婦に声をかけた。

「君、B型の血液が足りないんだ。すぐに用意して持ってきてくれ」

それを聞いた看護婦があわただしく走り出した。その医者に対し両親が駆け寄る。


「娘は、娘は助かるんですか!」

父の声。それに対し、医者はゆっくりと答えた。

「全力を尽くしています、ただ外傷もそうですが内臓もダメージがひどい状態です。ご両親の方は、もうしばらくお待ちいただけますか」

額に汗を浮かべ男性は言う。年は父と同じぐらいだろうか。


「全力?ふざけるなあんた医者だろ!必ず娘の命を助けろ!」

父の汚い叫びが響いた。なんでこの人達はこんなにも醜いのだろう。


「黙りなさい!」

その声に皆が振り返る。祖母は杖を片手に立ち上がり、父に対し"パチッ"平手打ちが走った。

「あんたたちはいつも自分のことばかり考えて、はずかしくないのかい?このお医者様をご覧なってみ、命がけで孫の命を助けようとなさっている。それに比べあんたたちは・・・」

祖母は涙声になっていた。


「本当にあの子のことを考えるなら、お医者様を信頼しここでしっかりとあの子を待つべきじゃないのかえ」

祖母はそれだけ言うと、再び長椅子に腰をかけ医者に言う。


「お医者様、孫をよろしく頼みます」

「分かりました。お孫さんをお預かりします」

頭を下げそれだけをいい、再び厚いドアの向こうに消えようとする。


このような祖母を見たのは、私は生まれてはじめてだった。

「本当にとても優しいおばあちゃんね」

彼女は言う。私は祖母がこれほどまでに、私のことを思っていてくれたとは知らなかった。本当にうれしかった。


「はい、本当に・・」

言いかけ・・彼女の方を見ると、その視線が先ほどの医者に向かっていることに気づいた。

「頑張ってね・・・」

彼女の声は彼に向けて発せられている。

「知り合いの方ですか?」

えっ?という表情で私を見た。そして。


「知り合いというか。。」

彼女はとても悲しい表情だった。出会ってからとぼけた表情しか見せない彼女からは考えられないものだった。


「もしかして、あの方に以前診てみらったんですか?」

彼女は首を横に降った。

「いいえ、違うのよ。彼の診断を受けたことなんて無いわ。あの人ずっと他の病気で苦しんでいる人ばかり診ていたしね」


「えっ?」


「うちの旦那なのよ」

悲しい表情は消え、前に見せたニカッとして表情を見せる。そして、その姿は透ける様に消えてしまった。


私はまた一人になってしまった。病院は静けさに包まれ、両親も黙まっている。誰かの時計の秒針の音が、不思議に辺りに反響した。


"竜彦の視点"


いくつかの電車を乗り継ぎ、俺は今病院の目の前に来た。


辺りは、事故の報道をするための報道陣でにぎわっている。生中継もしているようだ。俺はそれを横目に自動ドアを通り過ぎる。


「竜彦君じゃない、お父さんに届け物?」

受付から声をかけたられた。知った顔の看護婦の人だった。俺は手短に要件を伝えた。

「親父の荷物持ってきたんですけど、これどうしたら?」


「それじゃ、私が預かるわ。竜彦君も疲れたでしょ」

「それじゃ、これ、よろしくお願いします。で・・・」

気になることがある。答えてくれないことを承知で聞いてみることにした。


「どうしたの?」

「あの、この病院に運ばれたあの女の子は?」

関係ないといえば無いだろう。ただ、たった一日といえど、彼女に不思議な出会いをしたという事実。その彼女がここで生死の狭間を彷徨っていると知ったせいか、聞かずはにいられなかった。


「危険な状態らしいわよ、今でも。お父さんも手術に立ち会っているけど・・でも詳しい状態までは今はちょっと分からないわね」

「そうですか・・・じゃ俺はもう・・」

「気をつけて帰ってね」


俺は頭を下げ、彼女の前からはなれた。どうせ助かるんだろと俺は思い、この場からさっさと帰るつもりだった。彼女、佐々木 香里の病状については、テレビのニュースで分かるだろう。


自動ドアの前にきて、俺は足をとめた。

そのまま右の廊下に進む。確か、トイレがあったはず・・・。変に緊張していたせいか。

参ったね、と思いながらトイレに入った。


トイレから出てきた俺の前を、看護婦が走りぬける。

振り向くとそこには、長い廊下。確かこの先には手術室があったはず・・・。

俺の足は、無意識のうちにこの廊下を歩いていた。

そして、手術中と点灯した明かりが目に入る。近くの長椅子には彼女の肉親だろうか?両親と思わしき人物はずっと下を見つめたままだ。


もう一人、杖をついた老女が俺に気づいたらしく振り向いた。

「香里のご友人ですか?」

「ええ」

その問いかけに、とっさに答えてしまった。

友人?どちらかと言うと知り合いというべきか。今までの出来事を話しても信じてもらえるはずも無い、だからこのまま話を通すことにした。


「あの、香里さんは・・・」

慣れない名前を口にする。

「まだ、よう分からんのよ。今お医者様が診てくださっているわえ」


老女は、にっこり微笑み俺を見た。その横にいる両親と思わしき人は俺にさえ気づいていない様子だ。


「そうですか、あの俺・・・」

「ほんに良かった。あの子は、ろくに友達つくりもせんかったから。あんたみたいな友達もいたんやね、ほんに・・良かった・・・」

そのままうつむき、涙声になり最後の言葉まで聞き取れない。俺に対し、そんなことを言わなくても、という後ろめたいような気持ちが襲う。


「俺は・・」

言いかけ、それ以上声が出なくなった。

体に、不思議な感覚が襲う。暖かい感覚。それが俺包み込んだ。


"もう少しここにいなさい"


頭の中に直接声が響く。


この声・・・。


忘れるわけが無い。

それは、五年という歳月が経っても、決して忘れることの無い母の声だった。

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