シンボル
語ると長くなる。月明かりに降り立つ少女は美しかった。そんなスピリチュアルな雰囲気ではないが深海でみるマリンスノーのように舞う誇りは確かに綺麗だった。彼女の目的は正直よく分からない。不意に現れるとどこかに消える。まだ会ったらダメだからというように立ち去っていく。何がしたいのかなんて考えちゃいけない。ノーモアシンキング。明日は晴れる。呑気に構えていれば何事も解決する。マーフィーの法則的なあれだ。踏まれた顔を舐め回す。涎まみれになったが彼女の踏んだ跡に残った汚れは綺麗にできた。素晴らしい味だ。俺はこの味を忘れることはないだろう。それほどまでに美味である。
「何の用だ?」
俺は戸惑いながらも尋ねる。その手に持つ刃物はなんなのか。まさか、俺を殺す気なのか。一体何をしたのかを必死になって思いだそうとしたがそこには何もなかった。知らないのだ。彼女の目的も正体も。謎めいた姿で部屋の真ん中に立ち、持った包丁を月明りに照らしながら俺を見つめている。息をする声さえ聞こえるほどの静けさの充満するこの場所でこれから爆音の悲鳴か断末魔が響き渡ることだろう。もちろん、俺のな。こんなところでは死にたくはない。説得を試みようと考えるが、次に声を発すれば何をされるか分からない。このまま俺をベッドに押し倒し、それなりの拷問をするのなら大歓迎だ。是非ともやってくれ。
「生きてる。」
彼女はニコリと笑った。その笑みは人によれば不気味なものに見えただろう。だが、俺にとっては夜の奥底からやってきた天使のように見えた。歓喜の声を上げたいがそうすれば彼女の笑みは憎悪の怒りに変え俺の心臓をえぐり捕りにくるだろう。間違いない。むしろその方がいい。
「生きてるってどういうことだ?」
首を傾げて彼女に問う。彼女は俺の言っている意味が理解できないという表情を浮かべている。なぜだ。俺はただ疑問に思ったことを聞いただけだ。彼女が言った言葉に対しその意味を問うただけだ。なぜ理解ができない。
「普通は殺されるから。」
またまた意味の分からないことを言うこの小娘は。普通は殺される?彼女は何を知っている。しれっとした顔で次々と謎を生んでいく。困った人だ。
「あの透明なやつのことを知っているのか?」
「もちろん。」
即答だった。
「なんで知らないの?」
逆に質問をされた。こいつは驚いた。まさかそうくるとは。あの透明な奴の正体を知っているというのか。それが分からないとこれまで俺たちは苦労をしていたのに、彼女はその正体を知っているという。彼女は何者なんだ。気になってきた。知る必要がある。
「知らないよ。というか、なんで知ってるの?」
質問を質問で返す。なんて愚行を犯してしまったのだろうか。悔いてる暇はない。
「私はちゃんと聞いたから。」
彼女もあの透明な奴と会ったのか。
「でも、そっちも殺されていない。それはどうして?」
「大事な人だから。」
大事な人?そうか、そういうことか。付き合ってるのか。あの透明な殺人鬼と?これまで二人以上やってることになるぞ。どうして俺の周りにはいかれた趣味のやつばかりいるんだ。奇妙で仕方がない。死体フェチな奴はいるし、殺人鬼好きはいるし。俺なんかノーマルな変態だぞ。ふざけるな全く。
「大事なひ、人っていうのはそういうことなの。」
いかん、きょどってしまった。上ずった声を聴かれた恥ずかしい。少し顔が熱くなるのが分かる。これは相手にもばれてしまったのか。
「違うよ。」
微笑みながらそう言った。
「そもそもあの人たちはそういうことをしないし、できないようになってるの。」
呆れ顔で彼女はそういう。可愛い。彼女は上を指さした。
「彼らは上にいるの。宇宙の上から私たちを調査してるってさ。」
彼女の発言に動揺した。こんなに喋るキャラだったけな。まあどうでもいいか。気にしてはいけない。
「とすると、あいつらは宇宙人ってことか?」
彼女は無言でうなずく。
「鷹崎とかはサンプルみたいなものか?」
再び彼女は頷く。
「だとしたら、なんで俺とお前は攫われなかったんだ?」
彼女は不可解な顔をした。何かを口にしようとしたが縫い付けられたように唇が丸まり、苦しそうにし始めた。様子がおかしい。まるで秘密を喋ってはいけない呪いにかけられているようだった。
「どうした、大丈夫か。」
ベッドから飛び起き、彼女に近づこうとした。すると手に持つ包丁を振りかざし追い払うようにして俺を睨んだ。
「近づかないで。」
俺は二、三歩下がるとベッドに座り込んだ。手を前に出して振る。
「分かった。分かったから、落ち着いて。」
荒い呼吸をやめて彼女は包丁を下ろした。落ち着くと話はじめた。
「私たちは切り札なんだって。それに、私たちは本来、こういう風に会ったらだめなの。」
「ダメってどういうことだよ。」
「それは、知らなくていい。」
彼女は俺の肩を踏み、窓辺に飛んだ。素晴らしい。俺の方を振り向くように見ると静かにこういった。
「ただ、身の回りには気を付けてね。」
夜の月の中に消えていく彼女の姿を眺めていた。寂し気な唇が妙に気になって胸騒ぎがした。今日はもう眠れそうにない。




