月花さん
今日は騒がしい朝だった。小鳥遊の教室の黒板が荒らされていたらしい。きっと誰かのいたずらだろう。気にする必要はない。そう自分に言い聞かせてはいるのだが、なにかひっかかるものがある。これは一体なんだ。と、考えこんでみたが時間の無駄だと気づいた。以前から何かがおかしいかったがそれは気のせいだったと思った。白い大理石の敷かれた廊下を一人で歩いていた。突然、肩を叩かれる。振り返るとそこにいたのは阪峰だった。
「月花さん?」
「何?」
彼女の顔は不安に満ちた表情をしていた。何か悩みがあるのだろうか。年頃の人なら仕方がない。
「どうかした?」
叱られた子供をあやすような優しく落ち着いたトーンで阪峰を眺めた。
「ちょっと赤月君のことで用事があるの。」
「赤月?あの男か。あいつが何か問題か?」
「同じ中学なの。」
「それがどうかしたのか。すごいことじゃないか。転校先に前にいた学校の生徒がいるなんて。こんなこと天文学的確率でしかありえないぞ。喜べ。」
「いや、そうじゃないの。」
「違うのか。それともあれか、前から言ってた片恋相手か?」
阪峰に流れる時間が止まった。そして、四方八方に視線を散らして汗を流している。当たったのか。私は当ててしまったのだな。またやってしまった。やれやれ天才というのも疲れてしまうな。
「それで、その、私はあれでございまして。赤月君とそのあれがああしたくてその。」
阪峰がここまで取り乱すのは珍しい。そこまで動揺してしまうのか。恋が病気と例えられる所以はここにあったのか。友人が恋愛しているのだ。応援してやる以外他にない。
「まあまあ、落ち着け。なんとなくわかっていたからな。」
「え、そうなの。」
「ああ。」
そんなわけないのだがな。
「だが、私はどうすればいい?相談に来てくれたのはありがたいが、生憎私はまともな恋愛経験がない。サポートの仕方もアドバイスもできない。申し訳ないな。」
阪峰は困った顔一つせずに
「ただ、言いたかっただけだから。」
と話を終わらせた。
「そういえば、二階のトイレで出たんだって。」
「幽霊かなにかか?」
少し食い気味になってしまったような気がする。だが、気にしない!相手の目を見る限り引いているようには見えない。大丈夫だ。
「いや、死体。」
「死体か。まあよくあることだよな。」
ないよ。あってたまるかよ。
「のようなマネキンだって。」
なんだ。安心した。いつの間に物騒になっていたのか心配になってしまった。
「その噂、誰から聴いたんだ?」
「うちの部員の鷹ノ崎から。」
「ああ、あの鷹ノ崎からか。最近来ないが何やってんだ?」
「さあ、何してるんだろうね。この前街でこそこそしてたのは知ってるけど、それ以外は何も知らないよ。」
「そ、そうか。本当、あいつ何やってるんだろうな。連絡も取れないし。学校にも来てないんだって?」
「そういえばそうだったね。不登校気味だって。こんな世界じゃ仕方がないって職員室で先生が嘆いてたよ。」
「そうなのか。」
今度家にでも行ってみるか。何を抱えているのか聞いてやらねばならないからな。悩みがあるなら相談しろといつも言っていたのにどうしてこうもふさぎ込んでしまうのか私には分からん。だが引きこもってしまうほどの何かがあったのは確かなことだ。私が行かねばならないのか。仕方がない。これは同級生として心配しているだけであって決して恋愛絡みの気持ちなど微塵もないはずだ。それぐらいわかっておる。分かっている。うむ。
「でも最近この街も変わっちゃったよね。最初から変な街だったけどそれにも増して何かが変わった気がする。」
阪峰の言っていることがよく分からなかった。確かにさっきのマネキンの件に関しては変な事件だなと思ったがそんなこと前から何件もあったはずじゃないか。結局はどこか頭のねじが外れたアーティスト気取りの奴が注目されたくて一般の人が目を覆いたくなるような作品を一目のつく場所に放置するなんて一週間に何度も起きるなんてことが通常だっただろう。最初こそ話題になったものの時がたてば皆次の話題に切り替えていった。それがこの街というものだ。
「そんなに変わったか。この街はいつも通り通常運転のような気がするが。」
阪峰はそうじゃないと言わんばかりに首を振った。
「違うよ、月花さん。確かに窓から見る景色は何も変わっていないよ。カラスのなくオレンジの空も街角のお花屋さんも肉屋のおじさんもあの大きいショッピングモールも何も変わってない。私もここに来たあの日のまんま。だけどね。何かが違うの。どうしようもない違和感というか、こんな感じじゃないっていうか。なんていえばいいんだろうね。違う時間を生きているのかも。」
阪峰の言っていることは理解できなかった。だが、何かを失ったのは分かっていた。
「これは私の推測だが、昔の片恋相手が突然やってきてまだ混乱しているんじゃないか。ほら、恋の病っていうじゃないか。」
「そうだといいんだけどね。」
ぎこちない笑顔の裏側が少し気になった。




