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【箱】短編

××論争

作者: FRIDAY

 ――某月某日。


 議長が入室し、登壇すると議場は一気に静まり返った。議長は議場に集い席を埋める一同を見渡すと、一つ咳払いをした。

「それでは、これより、えー、第……第……第、何回目だったかな副議長」

 議長が手前に座る副議長を見ると、副議長は鼻と唇の間に鉛筆を挟んで遊んでいる。

「さあ? 私は正の字がゲシュタルト崩壊して以来数えるのを止めたのでわかりませんね。私はもう正の字は見たくもありません。あのむくつけき造形など、思い出すだけで吐き気すらします」

「そうか……まあいい。ではこれより例によって私から提案をさせてもらう」

 議長は胸一杯に息を吸い込み、腹の底から力を込める。

「――彼女へのお付き合い申し込みを!」

 間髪空けず、議長はさらに血圧を上げて机をぶっ叩いた。

「諸君! おめおめと決断に迷っている間に見たまえ! もう卒業式は明日に迫っているぞ!」

 議長のげんに対抗して議場は紛糾ふんきゅうした。

「だがしかし、だからどうすると言うのだ」

「できないものはできないのだ」

「っていうか君、青春男女の間のやりとりがどんなものだか知ってるの? きっとさぞかし繊細微妙な駆け引きが繰り広げられているに違いないのよ? 君にできるの?」

「そんなに寂しいのか。どうせ寂しさを癒したいだけなんだろ。はン、歯ァ食いしばって耐え抜けよ」

「彼女に逃げるな。迷惑だ」

「まずは外堀であろう! 外堀を埋めるのだ!さり気なく、しかし着実に、できるだけ婉曲えんきょくに!」

「気付かれるはずもなかろう。彼女にとっての存在感などはさながら猫の足音の如し」

「まして彼女と知り合ってから六年、活動を同じくして三年、彼女に惹かれ始めて一年、そして明日で今生の別れに等しいなど、外堀を埋める暇などなかろうが」

「さらにはチキンに埋められる外堀などたかが知れている。彼女の外堀は果てしなく広く底知れず深い」

「チキンには到底無理である」

「チキンなのは初めからわかっていたはずだ」

 中身のない発言が飛び交う。議長は再度机へ拳を落とした。

「確かにチキンだ! チキンはチキンだ! だが、チキンとて一度くらいは飛び立つ勇気を持つべきではないのか! あの果てしない青春の大空へ!」

「チキンはどうしたってチキンなのだ。それができるチキンはチキンではない」

「飛べないからこそただのチキンだ」

「チキンの羽ばたける大空など存在しない。あるのはひたすらにしょっぱい現実という灰色の大地だけだ」

「現実の苦さを噛みしめよ。そして悶えのたうち回れ。しかるべき後に死ね」

「勇気を持つべきだと言うのなら、勇気を持つことのできる根拠を示したまえ」

 議長は激しく首を振った。

「根拠などいらぬ! 結果はわかっているのだ。望みがないのは承知の上だ! その上でこそ行動を起こすべきなのだ!」

「では問おう。そもそも貴君きくんはなぜにそのようなことをしようとするのか。望みがないならなおのこと」

「それは……」

 議長は口ごもった。発言者は冷徹に畳み掛ける。

「行動を起こすことによって至る現実に望みはないのなら、なぜ行動を起こす必要がある。もくしてし、おのが情の薄れゆくのを待てばよいことではないか」

「合理的に考えよ。論理的に考えよ。それで誰に益がある。それで誰が救われる」

「そもそも貴君はどうしてそのような情を抱いたのか」

「彼女が非常に魅力的な女性であることは明白だ。そのことについてのみは満場が一致する。認めよう」

「だが彼女の魅力に貴君が釣り合わないこともまた明白だ」

「その上でどうして彼女との縁を望むのか」

「道行く青春男女を見たまえ。貴君は彼ら彼女らに羨望せんぼうを感じたのかね」

「貴君も所詮は俗物ぞくぶつということか」

 切れ目ない弾劾だんがいに、議長は息も絶え絶えだ。

「全く何も感じないわけではないよ! ないとも! しかし……」

「つまりこういうことか。貴君は世間周囲の風潮に当てられ、流され、青春男女の有り様を羨んだ」

「そして自らもそうありたいと思い、手近な人物として彼女を選んだと」

「違う! それは断じて違う! 私は彼女だからこそ!」

「だがどうだ。貴君は彼ら彼女らと同じように、健やかなるときも病めるときも、二人で時間を共にし、手さえもつなぎ、あまつさえアレやコレやと猥褻わいせつ行為に及ぶことを期待しているのではあるまいか」

「つまりは世間一般の俗人と同じということであろう」

助平スケベエめ」

「謝れ。土下座して謝れ。貴君の過去に謝れ。彼女に謝れ。土下座では足りぬ、五体倒置で謝れ」

「違う! 断固として違う!」

「そうだろう。確かに違う。貴君はそのような場面を想像どころか妄想すらもできないのだから。だがそのような構えで挑み、百万が一にも縁が成立したらどうするのかね」

「貴君どころか彼女にまで迷惑ではないか」

「それはそうだが……」

「実は淡い期待をしてみたりもしているのであろう。口では『振られに行くのだ』などと言ってはいるが、もしかしたらとも思っているだろう」

「だがどうだ。貴君のどこに期待するに足る要素があるのかね。ないではないか」

「学業もふるわない」

「運動技能も今一つ」

「容姿など目も当てられない」

「性格などは中途半端にねじ曲がり、男らしくも爽やかでもない陰鬱いんうつなチキン野郎」

「変人にもなりそこなっている」

「才能もない」

「財力もない」

「運もない」

「カリスマもない」

「ないったらない」

「なんもない」

「これだけ何もない貴君に一体どれだけの可能性があるのかね?」

「彼女はそんなもので人を測るような人ではない!」

「そうであろう。だがそれならばなお一層、彼女が貴君に情を寄せる要素はどこにある?」

「貴君より素晴らしい人間など世の中には掃いて捨てるほどいるのだ」

「彼女の隣に立つ人間は彼らの方が遥かに相応ふさわしい」

「貴君は必ずや彼女を不幸にするに違いない」

「貴君ではダメなのだ」

「貴君では何もかもが足りないのだ」

「貴君は彼女には相応しくないのだ」

「彼女は貴君を選ばない」

「彼女は貴君を望まない」

「だが……だが、ここで一歩を踏み出せねば、私は一生後悔するに違いないのだ!」

「それは貴君の都合だ」

「彼女の知ったことではない」

「考えてもみたまえ。貴君のやろうとしていることは如何いかなるものであるか」

「貴君のやろうとしていることは、記念すべき卒業式の日に、彼女の思い出の中に大なり小なりの汚点を残そうとしているのだぞ」

「つまりは、彼女に迷惑をかけようとしているのだ」

「それは貴君の最も望まないことではないのかね?」

「それでも貴君は己が自己満足のために彼女に迷惑をかけようと言うのかね?」

「そもそも愛とは何かね? 恋とは? 貴君が彼女に抱いた情についての説明も満足にできず、貴君は大罪を犯そうというのかね?」

「ましてや、貴君はよもや過去の後悔を忘れたわけではあるまいな」

「貴君の今日に至るまでを決定づけたあの過ちを」

「大切な人を深く傷つけたであろうあの過ちを」

「それをたった七年程度で」

「まさか忘れたとは言うまいな?」

「それを懲りずにまた大罪を犯そうというのかね?」

 議長は固く拳を握った。

「しかし……しかし諸君!」

 今一度、議長は強く大きく机に拳を叩きつけた。

「確かに、確かにだ! 私は愛についても恋についても、私が彼女へ確かに抱くこの情についてすらも、明快に語る言葉を私は持っていない! 確かに、私は世にはびこる青春男女へ多少なりとも羨望を禁じ得ない。その場の雰囲気で性欲に流され破廉恥ハレンチ行為に及ぼうとすることもあるかもしれない。私は確かに俗人なのだろう! しかしだ! 私がこの情を伝えようと望むのは、そのような肉体的理由ではない! 彼女との間に子を成したいと思うものでもない! そんな権利は私には全くない! 私は彼女の幸せを心の底から願う! だが彼女の幸せの中に私が入りようのないこともわかっている! 私がしようとしていることは確かに彼女にとっては迷惑以外の何物でもなかろう! だがしかし! 私はあえてかえりみない! 俗人と言うなら言いたまえ。大罪人と呼ぶなら呼びたまえ! 私は一度としてかつての大罪を忘れたことなどありはしないし、これから犯そうという大罪のこともまた一生忘れないであろう! 墓まで引き連れていくとも! 私は俗人だ。私は大罪人だ。全ては正しい評価だろう。だから何とでも言うがいい。私は全てを甘んじて受け入れよう! いくらでも好きなだけののしりたまえ! だがそもそも私は彼女との男女交際など、そんな分不相応なことなど望んではいない。望むことすら恐ろしいことだ。私はここで明言しておく。これだけは決して譲らない。いいかね! 私が一歩踏み出す理由はこれだけなのだ。私はただ彼女と一緒にいたいと思い、その気持ちを彼女に伝えたいだけだ! ただそれだけなのだ! これを彼女へ告げずして明日独りで音もなく誰にも知られずひっそりと死んでいってもいいと言えるやからはいるか。貴君らはそれで本望ほんもうか。貴君らはそんな最後で死に際に幸せだったと笑えるのか! これを超える異論、これをねじ伏せる反論を持ち合わせている者はいるか。もしいるならば一歩前へ!」

 議場は水を打ったように静まり返った。

 議長は疲れた表情で議場を見渡した。

「では、本会議をもって結論とし、我々は明日決行する!」

 宣言し、議長はよろよろと足を引きずって退場した。


 某月某日の脳内会議。

 明日、卒業式。

 私は彼女に一生一度の告白をしてくる。


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