私の主張であり、信念をここに貫く
これに該当しない著者の方もいるのは、存じておりますが、感想を待ち遠しくされているユーザーも実際いるのです。
私は信頼の置けるユーザーより『なろう』という壁に向かって叫ばないでと頼まれました。
それまで、私は声が枯れようが、喉が潰れようが、喉が張り裂けようが、叫び続けるつもりでした。
しかし、信頼の置けるユーザーの頼みを無碍にする事は出来ません。
けれども、私にも主張があり、信念があります。
その主張とは、叫び続けた読者兼著者並びに読者専門者に『なろう』のコミュニティー機能、感想やコメント等を活用し、それを必要とする著者に書くという希望、書くという勇気を与えて頂くというモノです。
この『なろう』が《壁》だと例えるなら、(信頼するユーザーが、そう例えていました)そう例えるなら、私はその壁を拳で叩き続けようと思います。(信頼するユーザーを裏切る気は毛頭ありません)
皮が剥がれようが、骨が露出しようが、骨が砕けようが、腕がへし折れようが、私は拳で叩き続けようと思います。
何故なら『継続は力なり』という言葉があるように、もし『なろう』が《壁》ならば、ヒビの一つ位入れられるかも知れない。小さな穴を空ける事が出来るかもしれない。
私はこの『かもしれない』に希望を抱いて書いています。
《壁》はあくまで例えなのは分かっています。しかし、私自信がそうであり、ご感想を頂いた数名の方が同じまたは似たような思いを持っている事を実感したからです。
だから、時折この《壁》を叩きに来ます。短編や詩を書きながら。まだ連載の続きも書かないといけないので、連打で叩く事は不可能でしょうが、出来るだけ多くの人の目に止まり、出来るだけ多くの人に共感して頂き、著者の喜びを少しでも勝ち取る事が出来るように頑張りたい(本当は、私〔鬱〕なので、頑張ったらいけないのですが…)と思います。
これはあくまで、私個人の主張であり、信念です。
読者兼著者の皆様。読者専門の皆様。どうか、見た文章に一言だけでもコメントをお願い致します。(確かに馴れ合いな感想などいらないという方もおられるのは事実ですが)
折角備わっているコミュニティー機能を活用しましょうよ。
文才のある方のみの特権機能ではないと思うので、失礼を承知の上、主張を張らせて頂きました。
気持ちの少しでも、数名の方に伝われば幸いです。