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『婚活アドバイザー成田の異世界相談録』

「お前は妹の引き立て役だ」と父が言うので、婚活アドバイザーに相談して先に嫁ぎました

掲載日:2026/11/01

「お前は妹の引き立て役だ。夜会でも目立つな」


 父の言葉に、リーゼ・エーレンベルクは静かに頭を下げた。


「……承知いたしました、お父様」


 エーレンベルク伯爵家の長女、リーゼ。二十二歳。


 妹のクラリッサは十八歳。


 美しい金髪に、宝石のような青い瞳。社交界でも評判の令嬢だった。


 一方、リーゼは地味な栗色の髪に灰色の瞳。


 顔立ちが悪いわけではない。ただ、妹の隣に立つと、いつも「おとなしいお姉様」と呼ばれた。


 父は、それが気に入っていた。


「クラリッサには、王都でも有数の名家から縁談が来ている。お前が余計なことをして、妹の評判を落とすな」


「はい」


「それから、お前の持参金だが」


 父は机の上の書類を指で叩いた。


「クラリッサの婚礼準備に回すことにした」


 リーゼは顔を上げた。


「……私の持参金を、ですか?」


「そうだ。どうせお前には大した縁談も来まい」


「ですが、あれは亡くなったお母様が……」


「口答えするな!」


 父の怒声が執務室に響いた。


「家のために役立てるのだから、感謝しろ!」


 リーゼは唇を噛んだ。


 母が亡くなる前、娘のために残してくれた持参金。


 それはリーゼにとって、単なるお金ではなかった。


 いつか自分にも、家族を持つ日が来るかもしれない。


 その時のためにと、母が託してくれたものだった。


「……承知いたしました」


 そう答えるしかなかった。


 父は満足そうに頷いた。


「クラリッサの婚約が決まったら、お前は北方の修道院へ入れ。余計な縁談が持ち込まれても面倒だからな」


 リーゼの胸が冷たくなった。


「修道院……ですか?」


「お前には向いているだろう。静かで、目立たず、余計なことを言わない」


 父は、もうリーゼを見ていなかった。


「下がれ」


 その一言で、話は終わった。


 ◇◆◇


「お姉様、聞きましたわ」


 廊下へ出ると、クラリッサが待っていた。


 薄桃色のドレスに、真珠の髪飾り。


 今日も完璧に着飾っている。


「私の婚礼衣装、お姉様の持参金で作るんですってね」


「……そうみたいね」


「ありがとうございます」


 クラリッサは、にっこり笑った。


「お姉様は地味ですもの。あんな大金、使い道がありませんでしょう?」


 リーゼは何も答えなかった。


「でも安心してくださいね。私が立派な侯爵夫人になったら、修道院に寄付して差し上げますわ」


「……そう」


「お姉様も、そこで静かに暮らせば幸せですわよ」


 クラリッサは楽しそうに笑い、去っていった。


 リーゼは、しばらく廊下に立ち尽くしていた。


 ――私の人生は、誰のものなのだろう。


 父のもの?


 妹のもの?


 伯爵家のもの?


 少なくとも、今までのリーゼは、自分のために何かを選んだことがなかった。


 ◇◆◇


 数日後。


 リーゼは、王都の城下町を歩いていた。


 父から頼まれた買い物の帰りだった。


 クラリッサの夜会用の手袋。


 新しい髪飾り。


 それから、刺繍入りの扇子。


 どれも、リーゼ自身が身につけることのない品物ばかりだ。


「……疲れた」


 思わず呟いた。


 いつもの大通りではなく、静かな裏道へ入る。


 すると、小さな店の前で足が止まった。


『縁結び相談所』


 木の看板に、そう書かれていた。


「……縁結び?」


 結婚相手を紹介する店だろうか。


 リーゼは首を傾げた。


 扉の横には、手書きの紙が貼られている。


『縁談でお困りの方、お話を伺います』


『初回相談は無料です』


『無理な縁談はおすすめしません』


 最後の一文が、妙に気になった。


 無理な縁談は、おすすめしない。


 そんなことを言う人が、この世界にいるのだろうか。


 リーゼは、そっと扉を開けた。


 ◇◆◇


「いらっしゃいませ」


 中にいたのは、くたびれた上着を着た中年の男性だった。


 四十代半ばくらいだろうか。


 少し疲れた顔をしているが、笑顔は穏やかだった。


 机の上には紙の束。


 その横には、小さな緑色のスライムがいる。


『――お客さんです!』


 頭の中に、明るい声が響いた。


「ひゃっ!」


 リーゼは思わず後ずさった。


「ああ、すみません。驚かせましたね」


 男性が苦笑した。


「この子はミドリ。ちょっとおしゃべりなスライムです」


『――ちょっとじゃありません! いっぱいおしゃべりです!』


「自慢するところじゃないよ」


 男性はそう言ってから、リーゼに椅子を勧めた。


「私は成田と申します。縁談や結婚についての相談を受けています」


「……婚姻の、相談ですか?」


「はい。お相手探しから、お見合いの準備まで」


 リーゼは迷った。


 こんな見知らぬ男性に、家の事情を話していいのだろうか。


 けれど、もうほかに相談できる相手はいなかった。


「……私でも、結婚できるでしょうか」


 成田は、すぐには答えなかった。


 ただ、穏やかに尋ねた。


「まず、お話を聞かせていただけますか?」


 その一言で。


 リーゼは、なぜか泣きそうになった。


 ◇◆◇


 父のこと。


 妹のこと。


 取り上げられた持参金。


 そして、修道院へ送られる予定であること。


 リーゼは、少しずつ話した。


 成田は途中で遮らなかった。


 驚くことも、説教することもなかった。


 ただ、時々頷きながら聞いてくれた。


「……なるほど」


 話が終わると、成田は小さく息を吐いた。


「それは、つらかったですね」


 リーゼは俯いた。


「でも、私が悪いのかもしれません」


「どうしてですか?」


「妹のように美しくありませんし、社交も得意ではありません。父が言うように、私は……」


「リーゼさん」


 成田が、静かに名前を呼んだ。


「ご自身のことを、そんなふうに決めつけなくてもいいと思いますよ」


「……え?」


「妹さんと比べる必要はありません。結婚相手を探すのは、誰かに勝つためではありませんから」


 リーゼは顔を上げた。


「……勝つためでは、ない?」


「はい。ご自身が、どんな人と、どんな暮らしをしたいのか。それを考えるところから始めましょう」


 リーゼは、しばらく黙っていた。


 そんなことを聞かれたのは、初めてだった。


 ◇◆◇


「では、まず釣書を書いてみましょうか」


 成田は一枚の紙を差し出した。


「釣書?」


「お見合いの時に、お相手にご自身のことを知ってもらうための書類です。こちらでは身上書と呼ぶ方が通じるかもしれませんね」


 リーゼは羽根ペンを手に取った。


 名前。


 年齢。


 家柄。


 趣味。


 特技。


 順番に書いていく。


 そして最後に、


『特技:特になし』


 と記した。


「……できました」


「ありがとうございます。少し拝見しますね」


 成田は紙を読み、最後の行で手を止めた。


「リーゼさん。この『特技:特になし』は、ちょっともったいないですね」


「ですが、本当に何も……」


「普段は、どんなことをされているんですか?」


「……家の帳簿をつけています」


「帳簿?」


「はい。父は数字を見るのが苦手ですし、妹は興味がありませんから」


「なるほど」


「それから、使用人の勤務表を作ったり、食料の仕入れを確認したり……」


 成田の表情が変わった。


「ちょっと待ってください」


「は、はい」


「それ、全部リーゼさんが?」


「……はい」


「どのくらい前からですか?」


「母が亡くなってからですから……七年ほどでしょうか」


 成田は、しばらく黙っていた。


 それから、ゆっくり言った。


「リーゼさん。それは立派な能力ですよ」


「……え?」


「帳簿管理、予算の調整、使用人の配置、仕入れの確認。つまり、伯爵家の運営に関わっていたんですよね」


「で、でも、当たり前のことですから」


「当たり前にできる人ばかりではありません」


 成田は紙を指さした。


「ここは、こう書きましょう」


『特技:家政管理、会計、使用人の業務調整』


 リーゼは目を見開いた。


「……そんなふうに書いても、よろしいのでしょうか」


「事実ですから」


 成田は笑った。


「大げさに書く必要はありません。でも、できることを隠す必要もありませんよ」


 その言葉が、胸の奥に残った。


 ◇◆◇


 それから、リーゼは何度か相談所へ通った。


 成田が最初に教えてくれたのは、お見合いの席での会話だった。


「相手に気に入られようとして、無理に話を合わせる必要はありません」


「ですが、失礼になりませんか?」


「もちろん礼儀は大切です。ただ、何でも『はい』と答えていたら、お互いのことがわからないでしょう?」


「……確かに」


「まずは、相手の話を聞いてみましょう」


 成田は紙に三つの言葉を書いた。


『きっかけ』


『具体的な経験』


『その人の考え』


「例えば、相手が『馬が好きです』と言ったとします」


「はい」


「最初は『好きになったきっかけは何ですか?』と聞く」


「なるほど」


「次に『どんな馬に乗られているんですか?』と具体的な話を聞く」


「はい」


「最後に『馬に乗っている時、どんなところが好きですか?』と、その人の気持ちを聞いてみる」


 リーゼは頷いた。


「……三回、深く聞くのですね」


「そうです。ただし、質問攻めにはしないでくださいね」


 成田は苦笑した。


「相手の答えを聞いて、自分のことも少し話す。それが会話です」


 リーゼは、その言葉を何度も練習した。


 ◇◆◇


 最初のお見合いは、うまくいかなかった。


 相手は南方の男爵家の次男だった。


 リーゼが家政管理の話をすると、男性は退屈そうに笑った。


「女性が帳簿の話をするのは、あまり上品ではありませんね」


 その一言で、リーゼは何も話せなくなってしまった。


 数日後、断りの手紙が届いた。


『当家の希望する女性像とは異なるため』


 リーゼは相談所で、手紙を握りしめた。


「……やっぱり、私には無理なんです」


 成田は首を横に振った。


「そうとは限りませんよ」


「でも、断られました」


「はい。残念でしたね」


 成田は、無理に明るい言葉を並べなかった。


「ただ、リーゼさんは、その方と結婚したかったですか?」


「……え?」


「帳簿の話をした時、どんな気持ちになりました?」


 リーゼは、しばらく考えた。


「……悲しかったです」


「はい」


「私が七年間続けてきたことを、笑われたようで」


「そうですよね」


「……あの方と結婚しても、きっと帳簿をつけることは許されないと思います」


「それなら、お互いの希望が合わなかったのかもしれません」


 リーゼは、ゆっくり顔を上げた。


「……断られたのは、私に価値がないからではないのですか?」


「違います」


 成田は、はっきり答えた。


「お見合いが成立しなかったことと、人としての価値は別です」


 その日、リーゼは相談所を出る時、少しだけ背筋を伸ばしていた。


 ◇◆◇


 二度目のお見合いは、もっと穏やかだった。


 相手は地方の子爵家の三男。


 読書が好きで、礼儀正しい男性だった。


 会話も弾んだ。


 けれど、結婚後は王都で暮らし、妻には社交に専念してほしいという。


 リーゼは迷った末に、今回は自分から断った。


 手紙を書き終えた時、手が震えた。


「……私から、お断りしてしまいました」


「はい」


「こんなこと、初めてです」


 成田は微笑んだ。


「ちゃんと、ご自身の希望を考えて決めたんですね」


「……はい」


 リーゼは、少し照れくさくなった。


 父の言うことに従うだけだった自分が、誰かとの縁談を自分で断った。


 それは、小さなことのようで、彼女にとっては大きな一歩だった。


 ◇◆◇


 三度目のお見合いの相手は、北方を治める辺境伯だった。


 名はアルノルト・グランフェルト。


 二十九歳。


 若くして家督を継ぎ、魔物の侵攻から領地を守っているという。


 王都では、少し怖い噂もあった。


『氷の辺境伯』


『笑わない男』


『妻より剣を大切にする』


 そんな話ばかりだった。


「……本当に、私でよろしいのでしょうか」


 リーゼが尋ねると、成田は頷いた。


「先方は、リーゼさんの身上書を読んで、ぜひ会いたいとおっしゃっています」


「私の……身上書を?」


「はい。特に、家政管理の経験に興味を持たれたそうです」


 リーゼは驚いた。


 今まで父からも妹からも、褒められたことのない仕事だった。


 それを、会いたい理由にしてくれる人がいる。


 そのことが、信じられなかった。


 ◇◆◇


 お見合い当日。


 アルノルトは、噂どおり無口な男性だった。


 黒髪に鋭い灰色の瞳。


 背が高く、肩幅も広い。


 騎士のような姿勢で椅子に座っている。


「グランフェルト辺境伯、アルノルトだ」


「エーレンベルク伯爵家の長女、リーゼと申します」


 リーゼは丁寧に頭を下げた。


 同席していた成田が、穏やかに口を開く。


「本日は、お二人がゆっくりお話しできればと思っています」


 アルノルトは頷いた。


「……よろしく頼む」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 沈黙。


 ……。


 さらに沈黙。


 リーゼは、思わず手を握りしめた。


 怖い。


 何を話せばいいのだろう。


 その時、成田の言葉を思い出した。


『相手の話を、三回深く聞いてみましょう』


 リーゼは、勇気を出した。


「辺境伯様は、普段どのようなお仕事をされているのですか?」


「領地の防衛と運営だ」


「……防衛、ですか」


「ああ。北方は魔物が多い」


 また沈黙。


 けれど、リーゼは諦めなかった。


「そのお仕事を、いつからなさっているのですか?」


「父が亡くなってからだ。五年前になる」


「……そうだったのですね」


 アルノルトの表情が、わずかに変わった。


「当時は、何もわからなかった」


「そうなのですか?」


「ああ。剣を振るうことはできても、領地を治めることは別だった」


 リーゼは、自然に尋ねた。


「特に、大変だったことは何でしょうか」


 アルノルトは少し考えた。


「……冬の備蓄だな」


「備蓄?」


「ああ。魔物の襲撃で街道が閉ざされることがある。食料が届かなければ、民が飢える」


 リーゼの表情が変わった。


「それは……大変ですね」


「昨年も、北部の村で不足が起きかけた」


「どのように対処されたのですか?」


「騎士団の備蓄を回した。だが、根本的な解決にはなっていない」


 リーゼは、しばらく考えた。


 そして、静かに尋ねた。


「失礼ですが、備蓄の管理は、どなたがなさっているのでしょうか」


 アルノルトが顔を上げた。


「……文官たちだが」


「村ごとの消費量と、冬の輸送可能日数は、別々に管理されていますか?」


「……どういう意味だ?」


 リーゼは、少し緊張しながら説明した。


「もし、備蓄の量だけでなく、輸送が止まる可能性のある日数も合わせて管理できれば、必要な食料を早めに移動できるかもしれません」


 アルノルトは、じっとリーゼを見た。


「……君は、そういう仕事をしていたのか?」


「はい。実家で、帳簿や食料の仕入れを管理しておりました」


「……なるほど」


 アルノルトは、初めて少しだけ笑った。


「面白い」


 リーゼは、驚いた。


「……え?」


「その考え方は、我が領地でも役に立ちそうだ」


 胸の奥が、温かくなった。


 自分の仕事を、笑わない人がいる。


 むしろ、興味を持ってくれる人がいる。


 それだけで、リーゼは泣きそうになった。


 ◇◆◇


 面談が終わったあと。


 成田は、リーゼに尋ねた。


「いかがでしたか?」


「……驚きました」


「何がですか?」


「私の話を、あんなに真剣に聞いてくださる方がいるなんて」


 成田は微笑んだ。


「それは、よかったです」


「でも……」


 リーゼは少し迷った。


「辺境伯様は、私の能力に興味を持たれたのですよね」


「そうですね」


「それは、結婚相手として見てくださっているのとは、違うのではないでしょうか」


 成田は、少し感心したように頷いた。


「大切なところに気づきましたね」


「……え?」


「仕事ができる人を求めているのか、一緒に暮らしたい相手を探しているのか。そこは、次に確認した方がいいと思います」


 リーゼは頷いた。


「……はい」


「それから、リーゼさん自身も考えてください」


「私が?」


「はい。辺境伯様と、もう一度会ってみたいですか?」


 リーゼは、少しだけ頬を赤くした。


「……はい」


 その返事は、今までで一番迷いがなかった。


 ◇◆◇


 それから、二人は何度か顔を合わせた。


 最初は、領地の話ばかりだった。


 冬の備蓄。


 街道の整備。


 魔物の襲撃で被害を受けた村。


 けれど、少しずつ、話題が変わっていった。


「リーゼ嬢は、休みの日には何を?」


「……刺繍をしています」


「刺繍?」


「はい。母が教えてくれたので」


「そうか」


「辺境伯様は?」


「……馬の世話をする」


 リーゼは、思わず笑った。


「ご自身でなさるのですか?」


「ああ。馬は、こちらが疲れていても容赦がない」


 アルノルトも、小さく笑った。


 それから、二人は庭を歩くようになった。


 アルノルトは、リーゼの歩幅に合わせてくれた。


 リーゼが寒そうにしていると、黙って上着を貸してくれた。


 ある日、リーゼが礼を言うと、アルノルトは少し困ったような顔をした。


「……君は、何でも礼を言うな」


「いけませんか?」


「いや」


 アルノルトは首を横に振った。


「ただ、寒い時に上着を貸すくらい、当然だと思っていた」


 リーゼは、胸が詰まった。


 そんな当然を、今まで自分は知らなかった。


 ◇◆◇


 三か月目。


 アルノルトは、リーゼを北方領の屋敷へ招いた。


 もちろん、正式な手続きを踏んだ訪問だった。


 リーゼは、そこで驚くことになる。


 屋敷の使用人たちが、彼女を歓迎してくれたのだ。


「リーゼ様。ようこそお越しくださいました」


「長旅でお疲れでしょう。温かいお茶をご用意しております」


「お部屋はこちらです」


 誰も、彼女を妹と比べなかった。


 誰も、地味だと笑わなかった。


 ただ、一人の客人として、丁寧に迎えてくれた。


 その夜。


 アルノルトは、庭の見える小さな応接室で、リーゼに言った。


「……君に、話したいことがある」


「はい」


「私は、領地のために結婚相手を探していた」


 リーゼは、静かに頷いた。


「それは、承知しております」


「だが、今は違う」


 アルノルトは、少し言葉を探した。


「君と話している時間が、好きになった」


 リーゼの心臓が、大きく跳ねた。


「……辺境伯様」


「仕事の話だけではない。君が笑うところも、刺繍の話をする時の表情も」


 アルノルトは、真剣な顔で続けた。


「君が、我が領地に来てくれたら嬉しい」


 そして、少しだけ照れたように言った。


「……いや。違うな」


 リーゼは息を止めた。


「領地のためではない。私の妻になってほしい」


 その言葉に、リーゼの目から涙がこぼれた。


「……私で、よろしいのですか?」


 アルノルトは、首を横に振った。


「君がいい」


 リーゼは、泣きながら笑った。


「……はい」


 初めて、自分の意志で選んだ答えだった。


 ◇◆◇


 だが、話はそこで終わらなかった。


 リーゼが王都へ戻ると、父が激怒していた。


「何を勝手なことをしている!」


 執務室に怒声が響く。


「辺境伯との婚約だと!? そんな話、聞いておらんぞ!」


 リーゼは静かに頭を下げた。


「正式なお申し込みをいただきました」


「ふざけるな! クラリッサより先に嫁ぐなど、許さん!」


「……お父様」


「お前は妹の引き立て役だと言っただろう!」


 その言葉に、リーゼは顔を上げた。


 以前なら、俯いていた。


 謝っていた。


 けれど、今は違う。


「私は、妹の引き立て役ではありません」


 父が、目を見開いた。


「……何?」


「私は、私の人生を生きたいのです」


「生意気な!」


 父が机を叩いた。


「父親の許可なく、婚約などできるものか!」


 その時だった。


「失礼いたします」


 執務室の扉が開いた。


 入ってきたのは、グランフェルト辺境伯家の使者だった。


 その後ろには、王都の婚姻登録官が控えている。


「エーレンベルク伯爵閣下。正式な婚姻申請について、ご説明に参りました」


 父の顔色が変わった。


「……何だと?」


 使者は、淡々と書類を広げた。


「リーゼ様は成年に達しておられます。ご本人の自由意思による婚姻契約は、王国法に基づき有効です」


「だ、だが、父親の許可が……!」


「成年貴族の婚姻において、家長の同意は慣例上求められることがあります。しかし、法的な必須条件ではありません」


 登録官が続けた。


「また、今回の婚姻は辺境伯家からの正式な申し込みであり、リーゼ様ご本人の同意も確認済みです」


 父は、言葉を失った。


「……そんな馬鹿な」


 使者は、もう一枚の書類を取り出した。


「なお、リーゼ様の持参金についても確認しております」


 父の肩が、びくりと動いた。


「……何の話だ」


「亡きご母堂が、リーゼ様個人に遺された財産です」


 リーゼも驚いた。


「……私の、財産?」


「はい。遺言書の写しが、王都の公証記録に残っておりました」


 使者は静かに続けた。


「伯爵家の共有財産ではありません。ご本人の同意なく他の用途へ転用することは認められません」


 父の顔が青ざめた。


 リーゼは、胸の奥が震えるのを感じた。


 母が残してくれたもの。


 それは、父が自由に使っていいものではなかったのだ。


「……お父様」


 リーゼは、静かに言った。


「持参金を、返してください」


 父は、何も答えられなかった。


 ◇◆◇


 数日後。


 エーレンベルク伯爵家に、さらに悪い知らせが届いた。


 クラリッサの縁談が、また一つ破談になったのだ。


「どうしてですの!?」


 クラリッサの悲鳴が屋敷に響いた。


「私ほど美しい令嬢が、なぜ断られるの!?」


 実は、破談はこれで三件目だった。


 最初は、侯爵家の嫡男。


 次に、裕福な伯爵家の次男。


 そして今回は、王都の名門子爵家。


 いずれも、クラリッサの美貌に興味を示していた家だった。


 だが、正式な縁談に進む直前、次々と辞退していた。


 父は怒り狂った。


「誰かが、我が家の悪評を流しているに違いない!」


 しかし、調べてみると、事情は違っていた。


 まず、クラリッサの身上書。


 そこには、こう書かれていた。


『特技:領地経営、会計管理、外国語、慈善活動』


 ところが、実際には。


 領地経営に関わったことはない。


 帳簿を読めない。


 外国語は挨拶程度。


 慈善活動は、寄付金を父に出してもらい、名前だけを載せていた。


 さらに、縁談先からの問い合わせに対して、伯爵家の使用人たちが答えた内容も、身上書とは食い違っていた。


 それだけではない。


 姉の持参金を妹の婚礼費用に流用したという話まで、取引先の間で知られるようになっていた。


 誰かが悪意を持って噂を広めたわけではない。


 婚姻前の身元確認で、事実が明らかになっただけだった。


 ◇◆◇


「どうして、こんなことに……!」


 クラリッサは泣き崩れた。


 父も、頭を抱えた。


 だが、リーゼはもう、その場にはいなかった。


 彼女は、辺境伯領へ向かう馬車の中にいた。


 窓の外には、北へ続く街道。


 遠くには、雪をいただいた山々が見える。


 隣には、アルノルトが座っていた。


「……寒くないか?」


「大丈夫です」


「無理はするな」


「ありがとうございます」


 リーゼは微笑んだ。


 アルノルトは、少しだけ困った顔をした。


「……また礼を言ったな」


「だって、嬉しいんですもの」


 その言葉に、アルノルトは黙った。


 そして、そっとリーゼの手を握った。


「……これからは、遠慮しなくていい」


 リーゼは、その手を握り返した。


「はい」


 ◇◆◇


 辺境伯領での暮らしは、決して楽なことばかりではなかった。


 冬は厳しい。


 魔物の被害もある。


 食料の備蓄は、常に気を配らなければならない。


 けれど、リーゼは毎日が楽しかった。


 アルノルトは、彼女の意見を聞いてくれた。


 文官たちも、彼女の提案を真剣に検討してくれた。


 もちろん、最初からすべてがうまくいったわけではない。


 ある村では、備蓄量の計算が合わず、リーゼ自身が現地へ確認に向かった。


 別の村では、長年の慣習を変えることに反対する人もいた。


 それでも、リーゼは一つずつ話を聞いた。


 自分の考えを押しつけず、相手の事情を知ろうとした。


 その姿勢は、少しずつ領民たちにも伝わっていった。


 そして、ある冬の日。


 アルノルトが、執務室で言った。


「……リーゼ」


「はい?」


「今年は、北部の村で食料不足が起きなかった」


 リーゼは、顔を上げた。


「本当ですか?」


「ああ。君が提案した備蓄管理が、役に立った」


 アルノルトは、静かに微笑んだ。


「ありがとう」


 リーゼは、胸がいっぱいになった。


 七年間、誰にも褒められなかった仕事。


 それが、誰かの暮らしを守る力になっている。


「……こちらこそ」


 リーゼは、涙をこらえながら答えた。


「私を、ここへ迎えてくださってありがとうございます」


 アルノルトは首を横に振った。


「迎えたのではない」


「……え?」


「君が、ここを選んでくれたんだ」


 リーゼは、静かに微笑んだ。


 そうだ。


 自分で選んだのだ。


 誰かの引き立て役ではなく。


 誰かの代わりでもなく。


 自分の人生を。


 ◇◆◇


 それから、さらに数か月後。


 王都の小さな相談所に、一通の手紙が届いた。


「……おや」


 成田は封を開いた。


 差出人は、リーゼ・グランフェルト。


 中には、丁寧な文字で近況が綴られていた。


『成田さんへ。


 あの時、相談所の扉を開けて、本当によかったと思っています。


 私はずっと、自分には何もないと思っていました。


 でも、成田さんは、私が当たり前だと思っていたことを、立派な能力だと言ってくださいました。


 あの言葉がなければ、私は今も、自分の人生を諦めていたかもしれません。


 夫は、私の話をよく聞いてくれます。


 私も、夫の話を聞くようにしています。


 まだまだ知らないことばかりですが、二人で少しずつ学んでいけたらと思います。


 今度、王都へ戻る機会がありましたら、ぜひご挨拶に伺わせてください。


 本当に、ありがとうございました。


 リーゼ・グランフェルト』


 成田は、しばらく手紙を見つめていた。


「……よかったなぁ」


 その肩の上で、緑色のスライムがぷるんと揺れた。


『――おじさん!』


「ん?」


『――リーゼさん、幸せになったんですか?』


「うん。そうみたいだね」


『――よかったです!』


「本当にね」


 成田は、手紙を丁寧に畳んだ。


 そして、少しだけ笑った。


「……俺にできるのは、婚活相談くらいなんだけどなぁ」


『――おじさん!』


「今度は何?」


『――幸せになった人から、お礼のパンは届かないんですか!?』


「……それは、さすがに期待しすぎじゃないかなぁ」


『――残念です!』


 相談所に、成田の笑い声が響いた。


 誰かに決められた人生ではなく、自分で選んだ人生を歩く。


 それは、時に勇気のいることだ。


 けれど、その一歩を踏み出した先には、思いがけない幸せが待っていることもある。


 そして今日も。


 王都の路地裏にある小さな相談所には、新しい相談者が訪れるのだった。


 ――完――

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

今回は、家族から「妹の引き立て役」として扱われてきたリーゼが、自分の価値に気づき、自分自身の幸せを選び取るお話でした。


成田が教えたのは、特別な魔法でも、相手を振り向かせる裏技でもありません。


自分の長所を正しく伝えること。

相手の話をきちんと聞くこと。

そして、合わない縁談を無理に続けないこと。


そんな小さな積み重ねが、リーゼの未来を変えていきました。


本作は『婚活アドバイザー成田の異世界相談録』シリーズの独立短編です。本編未読でもお楽しみいただけます。


成田が異世界でさまざまな縁談や人間関係の相談を受けながら、妻子の待つ元の世界への帰還を目指す長編本編、『46歳、社畜のオタク婚活アドバイザーですが、異世界転生したらコミュ力だけで無双してしまいました ~妻子持ちのおじさん、帰宅を目指して魔王すら成婚させる~』

https://ncode.syosetu.com/n9705mx/

も連載中です。


本編では、成田自身の物語や、相棒のスライム・ミドリとの出会いも描いています。


気になった方は、ぜひ本編も覗いていただけると嬉しいです。


面白かった、リーゼを応援したくなったと思っていただけましたら、評価・ブックマーク・感想などで応援していただけると、とても励みになります。


また次の相談でお会いしましょう!


お知らせ

新作短編を投稿しました!

『【妹視点】姉が辺境伯に嫁いだ途端、私の縁談が三件とも消えました』

https://ncode.syosetu.com/n8095my/


本作は、以前投稿した短編

『「お前は妹の引き立て役だ」と父が言うので、婚活アドバイザーに相談して先に嫁ぎました』の妹・クラリッサ視点で描く後日談です。

こちらも是非ご覧ください。


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