「お前は妹の引き立て役だ」と父が言うので、婚活アドバイザーに相談して先に嫁ぎました
「お前は妹の引き立て役だ。夜会でも目立つな」
父の言葉に、リーゼ・エーレンベルクは静かに頭を下げた。
「……承知いたしました、お父様」
エーレンベルク伯爵家の長女、リーゼ。二十二歳。
妹のクラリッサは十八歳。
美しい金髪に、宝石のような青い瞳。社交界でも評判の令嬢だった。
一方、リーゼは地味な栗色の髪に灰色の瞳。
顔立ちが悪いわけではない。ただ、妹の隣に立つと、いつも「おとなしいお姉様」と呼ばれた。
父は、それが気に入っていた。
「クラリッサには、王都でも有数の名家から縁談が来ている。お前が余計なことをして、妹の評判を落とすな」
「はい」
「それから、お前の持参金だが」
父は机の上の書類を指で叩いた。
「クラリッサの婚礼準備に回すことにした」
リーゼは顔を上げた。
「……私の持参金を、ですか?」
「そうだ。どうせお前には大した縁談も来まい」
「ですが、あれは亡くなったお母様が……」
「口答えするな!」
父の怒声が執務室に響いた。
「家のために役立てるのだから、感謝しろ!」
リーゼは唇を噛んだ。
母が亡くなる前、娘のために残してくれた持参金。
それはリーゼにとって、単なるお金ではなかった。
いつか自分にも、家族を持つ日が来るかもしれない。
その時のためにと、母が託してくれたものだった。
「……承知いたしました」
そう答えるしかなかった。
父は満足そうに頷いた。
「クラリッサの婚約が決まったら、お前は北方の修道院へ入れ。余計な縁談が持ち込まれても面倒だからな」
リーゼの胸が冷たくなった。
「修道院……ですか?」
「お前には向いているだろう。静かで、目立たず、余計なことを言わない」
父は、もうリーゼを見ていなかった。
「下がれ」
その一言で、話は終わった。
◇◆◇
「お姉様、聞きましたわ」
廊下へ出ると、クラリッサが待っていた。
薄桃色のドレスに、真珠の髪飾り。
今日も完璧に着飾っている。
「私の婚礼衣装、お姉様の持参金で作るんですってね」
「……そうみたいね」
「ありがとうございます」
クラリッサは、にっこり笑った。
「お姉様は地味ですもの。あんな大金、使い道がありませんでしょう?」
リーゼは何も答えなかった。
「でも安心してくださいね。私が立派な侯爵夫人になったら、修道院に寄付して差し上げますわ」
「……そう」
「お姉様も、そこで静かに暮らせば幸せですわよ」
クラリッサは楽しそうに笑い、去っていった。
リーゼは、しばらく廊下に立ち尽くしていた。
――私の人生は、誰のものなのだろう。
父のもの?
妹のもの?
伯爵家のもの?
少なくとも、今までのリーゼは、自分のために何かを選んだことがなかった。
◇◆◇
数日後。
リーゼは、王都の城下町を歩いていた。
父から頼まれた買い物の帰りだった。
クラリッサの夜会用の手袋。
新しい髪飾り。
それから、刺繍入りの扇子。
どれも、リーゼ自身が身につけることのない品物ばかりだ。
「……疲れた」
思わず呟いた。
いつもの大通りではなく、静かな裏道へ入る。
すると、小さな店の前で足が止まった。
『縁結び相談所』
木の看板に、そう書かれていた。
「……縁結び?」
結婚相手を紹介する店だろうか。
リーゼは首を傾げた。
扉の横には、手書きの紙が貼られている。
『縁談でお困りの方、お話を伺います』
『初回相談は無料です』
『無理な縁談はおすすめしません』
最後の一文が、妙に気になった。
無理な縁談は、おすすめしない。
そんなことを言う人が、この世界にいるのだろうか。
リーゼは、そっと扉を開けた。
◇◆◇
「いらっしゃいませ」
中にいたのは、くたびれた上着を着た中年の男性だった。
四十代半ばくらいだろうか。
少し疲れた顔をしているが、笑顔は穏やかだった。
机の上には紙の束。
その横には、小さな緑色のスライムがいる。
『――お客さんです!』
頭の中に、明るい声が響いた。
「ひゃっ!」
リーゼは思わず後ずさった。
「ああ、すみません。驚かせましたね」
男性が苦笑した。
「この子はミドリ。ちょっとおしゃべりなスライムです」
『――ちょっとじゃありません! いっぱいおしゃべりです!』
「自慢するところじゃないよ」
男性はそう言ってから、リーゼに椅子を勧めた。
「私は成田と申します。縁談や結婚についての相談を受けています」
「……婚姻の、相談ですか?」
「はい。お相手探しから、お見合いの準備まで」
リーゼは迷った。
こんな見知らぬ男性に、家の事情を話していいのだろうか。
けれど、もうほかに相談できる相手はいなかった。
「……私でも、結婚できるでしょうか」
成田は、すぐには答えなかった。
ただ、穏やかに尋ねた。
「まず、お話を聞かせていただけますか?」
その一言で。
リーゼは、なぜか泣きそうになった。
◇◆◇
父のこと。
妹のこと。
取り上げられた持参金。
そして、修道院へ送られる予定であること。
リーゼは、少しずつ話した。
成田は途中で遮らなかった。
驚くことも、説教することもなかった。
ただ、時々頷きながら聞いてくれた。
「……なるほど」
話が終わると、成田は小さく息を吐いた。
「それは、つらかったですね」
リーゼは俯いた。
「でも、私が悪いのかもしれません」
「どうしてですか?」
「妹のように美しくありませんし、社交も得意ではありません。父が言うように、私は……」
「リーゼさん」
成田が、静かに名前を呼んだ。
「ご自身のことを、そんなふうに決めつけなくてもいいと思いますよ」
「……え?」
「妹さんと比べる必要はありません。結婚相手を探すのは、誰かに勝つためではありませんから」
リーゼは顔を上げた。
「……勝つためでは、ない?」
「はい。ご自身が、どんな人と、どんな暮らしをしたいのか。それを考えるところから始めましょう」
リーゼは、しばらく黙っていた。
そんなことを聞かれたのは、初めてだった。
◇◆◇
「では、まず釣書を書いてみましょうか」
成田は一枚の紙を差し出した。
「釣書?」
「お見合いの時に、お相手にご自身のことを知ってもらうための書類です。こちらでは身上書と呼ぶ方が通じるかもしれませんね」
リーゼは羽根ペンを手に取った。
名前。
年齢。
家柄。
趣味。
特技。
順番に書いていく。
そして最後に、
『特技:特になし』
と記した。
「……できました」
「ありがとうございます。少し拝見しますね」
成田は紙を読み、最後の行で手を止めた。
「リーゼさん。この『特技:特になし』は、ちょっともったいないですね」
「ですが、本当に何も……」
「普段は、どんなことをされているんですか?」
「……家の帳簿をつけています」
「帳簿?」
「はい。父は数字を見るのが苦手ですし、妹は興味がありませんから」
「なるほど」
「それから、使用人の勤務表を作ったり、食料の仕入れを確認したり……」
成田の表情が変わった。
「ちょっと待ってください」
「は、はい」
「それ、全部リーゼさんが?」
「……はい」
「どのくらい前からですか?」
「母が亡くなってからですから……七年ほどでしょうか」
成田は、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくり言った。
「リーゼさん。それは立派な能力ですよ」
「……え?」
「帳簿管理、予算の調整、使用人の配置、仕入れの確認。つまり、伯爵家の運営に関わっていたんですよね」
「で、でも、当たり前のことですから」
「当たり前にできる人ばかりではありません」
成田は紙を指さした。
「ここは、こう書きましょう」
『特技:家政管理、会計、使用人の業務調整』
リーゼは目を見開いた。
「……そんなふうに書いても、よろしいのでしょうか」
「事実ですから」
成田は笑った。
「大げさに書く必要はありません。でも、できることを隠す必要もありませんよ」
その言葉が、胸の奥に残った。
◇◆◇
それから、リーゼは何度か相談所へ通った。
成田が最初に教えてくれたのは、お見合いの席での会話だった。
「相手に気に入られようとして、無理に話を合わせる必要はありません」
「ですが、失礼になりませんか?」
「もちろん礼儀は大切です。ただ、何でも『はい』と答えていたら、お互いのことがわからないでしょう?」
「……確かに」
「まずは、相手の話を聞いてみましょう」
成田は紙に三つの言葉を書いた。
『きっかけ』
『具体的な経験』
『その人の考え』
「例えば、相手が『馬が好きです』と言ったとします」
「はい」
「最初は『好きになったきっかけは何ですか?』と聞く」
「なるほど」
「次に『どんな馬に乗られているんですか?』と具体的な話を聞く」
「はい」
「最後に『馬に乗っている時、どんなところが好きですか?』と、その人の気持ちを聞いてみる」
リーゼは頷いた。
「……三回、深く聞くのですね」
「そうです。ただし、質問攻めにはしないでくださいね」
成田は苦笑した。
「相手の答えを聞いて、自分のことも少し話す。それが会話です」
リーゼは、その言葉を何度も練習した。
◇◆◇
最初のお見合いは、うまくいかなかった。
相手は南方の男爵家の次男だった。
リーゼが家政管理の話をすると、男性は退屈そうに笑った。
「女性が帳簿の話をするのは、あまり上品ではありませんね」
その一言で、リーゼは何も話せなくなってしまった。
数日後、断りの手紙が届いた。
『当家の希望する女性像とは異なるため』
リーゼは相談所で、手紙を握りしめた。
「……やっぱり、私には無理なんです」
成田は首を横に振った。
「そうとは限りませんよ」
「でも、断られました」
「はい。残念でしたね」
成田は、無理に明るい言葉を並べなかった。
「ただ、リーゼさんは、その方と結婚したかったですか?」
「……え?」
「帳簿の話をした時、どんな気持ちになりました?」
リーゼは、しばらく考えた。
「……悲しかったです」
「はい」
「私が七年間続けてきたことを、笑われたようで」
「そうですよね」
「……あの方と結婚しても、きっと帳簿をつけることは許されないと思います」
「それなら、お互いの希望が合わなかったのかもしれません」
リーゼは、ゆっくり顔を上げた。
「……断られたのは、私に価値がないからではないのですか?」
「違います」
成田は、はっきり答えた。
「お見合いが成立しなかったことと、人としての価値は別です」
その日、リーゼは相談所を出る時、少しだけ背筋を伸ばしていた。
◇◆◇
二度目のお見合いは、もっと穏やかだった。
相手は地方の子爵家の三男。
読書が好きで、礼儀正しい男性だった。
会話も弾んだ。
けれど、結婚後は王都で暮らし、妻には社交に専念してほしいという。
リーゼは迷った末に、今回は自分から断った。
手紙を書き終えた時、手が震えた。
「……私から、お断りしてしまいました」
「はい」
「こんなこと、初めてです」
成田は微笑んだ。
「ちゃんと、ご自身の希望を考えて決めたんですね」
「……はい」
リーゼは、少し照れくさくなった。
父の言うことに従うだけだった自分が、誰かとの縁談を自分で断った。
それは、小さなことのようで、彼女にとっては大きな一歩だった。
◇◆◇
三度目のお見合いの相手は、北方を治める辺境伯だった。
名はアルノルト・グランフェルト。
二十九歳。
若くして家督を継ぎ、魔物の侵攻から領地を守っているという。
王都では、少し怖い噂もあった。
『氷の辺境伯』
『笑わない男』
『妻より剣を大切にする』
そんな話ばかりだった。
「……本当に、私でよろしいのでしょうか」
リーゼが尋ねると、成田は頷いた。
「先方は、リーゼさんの身上書を読んで、ぜひ会いたいとおっしゃっています」
「私の……身上書を?」
「はい。特に、家政管理の経験に興味を持たれたそうです」
リーゼは驚いた。
今まで父からも妹からも、褒められたことのない仕事だった。
それを、会いたい理由にしてくれる人がいる。
そのことが、信じられなかった。
◇◆◇
お見合い当日。
アルノルトは、噂どおり無口な男性だった。
黒髪に鋭い灰色の瞳。
背が高く、肩幅も広い。
騎士のような姿勢で椅子に座っている。
「グランフェルト辺境伯、アルノルトだ」
「エーレンベルク伯爵家の長女、リーゼと申します」
リーゼは丁寧に頭を下げた。
同席していた成田が、穏やかに口を開く。
「本日は、お二人がゆっくりお話しできればと思っています」
アルノルトは頷いた。
「……よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
沈黙。
……。
さらに沈黙。
リーゼは、思わず手を握りしめた。
怖い。
何を話せばいいのだろう。
その時、成田の言葉を思い出した。
『相手の話を、三回深く聞いてみましょう』
リーゼは、勇気を出した。
「辺境伯様は、普段どのようなお仕事をされているのですか?」
「領地の防衛と運営だ」
「……防衛、ですか」
「ああ。北方は魔物が多い」
また沈黙。
けれど、リーゼは諦めなかった。
「そのお仕事を、いつからなさっているのですか?」
「父が亡くなってからだ。五年前になる」
「……そうだったのですね」
アルノルトの表情が、わずかに変わった。
「当時は、何もわからなかった」
「そうなのですか?」
「ああ。剣を振るうことはできても、領地を治めることは別だった」
リーゼは、自然に尋ねた。
「特に、大変だったことは何でしょうか」
アルノルトは少し考えた。
「……冬の備蓄だな」
「備蓄?」
「ああ。魔物の襲撃で街道が閉ざされることがある。食料が届かなければ、民が飢える」
リーゼの表情が変わった。
「それは……大変ですね」
「昨年も、北部の村で不足が起きかけた」
「どのように対処されたのですか?」
「騎士団の備蓄を回した。だが、根本的な解決にはなっていない」
リーゼは、しばらく考えた。
そして、静かに尋ねた。
「失礼ですが、備蓄の管理は、どなたがなさっているのでしょうか」
アルノルトが顔を上げた。
「……文官たちだが」
「村ごとの消費量と、冬の輸送可能日数は、別々に管理されていますか?」
「……どういう意味だ?」
リーゼは、少し緊張しながら説明した。
「もし、備蓄の量だけでなく、輸送が止まる可能性のある日数も合わせて管理できれば、必要な食料を早めに移動できるかもしれません」
アルノルトは、じっとリーゼを見た。
「……君は、そういう仕事をしていたのか?」
「はい。実家で、帳簿や食料の仕入れを管理しておりました」
「……なるほど」
アルノルトは、初めて少しだけ笑った。
「面白い」
リーゼは、驚いた。
「……え?」
「その考え方は、我が領地でも役に立ちそうだ」
胸の奥が、温かくなった。
自分の仕事を、笑わない人がいる。
むしろ、興味を持ってくれる人がいる。
それだけで、リーゼは泣きそうになった。
◇◆◇
面談が終わったあと。
成田は、リーゼに尋ねた。
「いかがでしたか?」
「……驚きました」
「何がですか?」
「私の話を、あんなに真剣に聞いてくださる方がいるなんて」
成田は微笑んだ。
「それは、よかったです」
「でも……」
リーゼは少し迷った。
「辺境伯様は、私の能力に興味を持たれたのですよね」
「そうですね」
「それは、結婚相手として見てくださっているのとは、違うのではないでしょうか」
成田は、少し感心したように頷いた。
「大切なところに気づきましたね」
「……え?」
「仕事ができる人を求めているのか、一緒に暮らしたい相手を探しているのか。そこは、次に確認した方がいいと思います」
リーゼは頷いた。
「……はい」
「それから、リーゼさん自身も考えてください」
「私が?」
「はい。辺境伯様と、もう一度会ってみたいですか?」
リーゼは、少しだけ頬を赤くした。
「……はい」
その返事は、今までで一番迷いがなかった。
◇◆◇
それから、二人は何度か顔を合わせた。
最初は、領地の話ばかりだった。
冬の備蓄。
街道の整備。
魔物の襲撃で被害を受けた村。
けれど、少しずつ、話題が変わっていった。
「リーゼ嬢は、休みの日には何を?」
「……刺繍をしています」
「刺繍?」
「はい。母が教えてくれたので」
「そうか」
「辺境伯様は?」
「……馬の世話をする」
リーゼは、思わず笑った。
「ご自身でなさるのですか?」
「ああ。馬は、こちらが疲れていても容赦がない」
アルノルトも、小さく笑った。
それから、二人は庭を歩くようになった。
アルノルトは、リーゼの歩幅に合わせてくれた。
リーゼが寒そうにしていると、黙って上着を貸してくれた。
ある日、リーゼが礼を言うと、アルノルトは少し困ったような顔をした。
「……君は、何でも礼を言うな」
「いけませんか?」
「いや」
アルノルトは首を横に振った。
「ただ、寒い時に上着を貸すくらい、当然だと思っていた」
リーゼは、胸が詰まった。
そんな当然を、今まで自分は知らなかった。
◇◆◇
三か月目。
アルノルトは、リーゼを北方領の屋敷へ招いた。
もちろん、正式な手続きを踏んだ訪問だった。
リーゼは、そこで驚くことになる。
屋敷の使用人たちが、彼女を歓迎してくれたのだ。
「リーゼ様。ようこそお越しくださいました」
「長旅でお疲れでしょう。温かいお茶をご用意しております」
「お部屋はこちらです」
誰も、彼女を妹と比べなかった。
誰も、地味だと笑わなかった。
ただ、一人の客人として、丁寧に迎えてくれた。
その夜。
アルノルトは、庭の見える小さな応接室で、リーゼに言った。
「……君に、話したいことがある」
「はい」
「私は、領地のために結婚相手を探していた」
リーゼは、静かに頷いた。
「それは、承知しております」
「だが、今は違う」
アルノルトは、少し言葉を探した。
「君と話している時間が、好きになった」
リーゼの心臓が、大きく跳ねた。
「……辺境伯様」
「仕事の話だけではない。君が笑うところも、刺繍の話をする時の表情も」
アルノルトは、真剣な顔で続けた。
「君が、我が領地に来てくれたら嬉しい」
そして、少しだけ照れたように言った。
「……いや。違うな」
リーゼは息を止めた。
「領地のためではない。私の妻になってほしい」
その言葉に、リーゼの目から涙がこぼれた。
「……私で、よろしいのですか?」
アルノルトは、首を横に振った。
「君がいい」
リーゼは、泣きながら笑った。
「……はい」
初めて、自分の意志で選んだ答えだった。
◇◆◇
だが、話はそこで終わらなかった。
リーゼが王都へ戻ると、父が激怒していた。
「何を勝手なことをしている!」
執務室に怒声が響く。
「辺境伯との婚約だと!? そんな話、聞いておらんぞ!」
リーゼは静かに頭を下げた。
「正式なお申し込みをいただきました」
「ふざけるな! クラリッサより先に嫁ぐなど、許さん!」
「……お父様」
「お前は妹の引き立て役だと言っただろう!」
その言葉に、リーゼは顔を上げた。
以前なら、俯いていた。
謝っていた。
けれど、今は違う。
「私は、妹の引き立て役ではありません」
父が、目を見開いた。
「……何?」
「私は、私の人生を生きたいのです」
「生意気な!」
父が机を叩いた。
「父親の許可なく、婚約などできるものか!」
その時だった。
「失礼いたします」
執務室の扉が開いた。
入ってきたのは、グランフェルト辺境伯家の使者だった。
その後ろには、王都の婚姻登録官が控えている。
「エーレンベルク伯爵閣下。正式な婚姻申請について、ご説明に参りました」
父の顔色が変わった。
「……何だと?」
使者は、淡々と書類を広げた。
「リーゼ様は成年に達しておられます。ご本人の自由意思による婚姻契約は、王国法に基づき有効です」
「だ、だが、父親の許可が……!」
「成年貴族の婚姻において、家長の同意は慣例上求められることがあります。しかし、法的な必須条件ではありません」
登録官が続けた。
「また、今回の婚姻は辺境伯家からの正式な申し込みであり、リーゼ様ご本人の同意も確認済みです」
父は、言葉を失った。
「……そんな馬鹿な」
使者は、もう一枚の書類を取り出した。
「なお、リーゼ様の持参金についても確認しております」
父の肩が、びくりと動いた。
「……何の話だ」
「亡きご母堂が、リーゼ様個人に遺された財産です」
リーゼも驚いた。
「……私の、財産?」
「はい。遺言書の写しが、王都の公証記録に残っておりました」
使者は静かに続けた。
「伯爵家の共有財産ではありません。ご本人の同意なく他の用途へ転用することは認められません」
父の顔が青ざめた。
リーゼは、胸の奥が震えるのを感じた。
母が残してくれたもの。
それは、父が自由に使っていいものではなかったのだ。
「……お父様」
リーゼは、静かに言った。
「持参金を、返してください」
父は、何も答えられなかった。
◇◆◇
数日後。
エーレンベルク伯爵家に、さらに悪い知らせが届いた。
クラリッサの縁談が、また一つ破談になったのだ。
「どうしてですの!?」
クラリッサの悲鳴が屋敷に響いた。
「私ほど美しい令嬢が、なぜ断られるの!?」
実は、破談はこれで三件目だった。
最初は、侯爵家の嫡男。
次に、裕福な伯爵家の次男。
そして今回は、王都の名門子爵家。
いずれも、クラリッサの美貌に興味を示していた家だった。
だが、正式な縁談に進む直前、次々と辞退していた。
父は怒り狂った。
「誰かが、我が家の悪評を流しているに違いない!」
しかし、調べてみると、事情は違っていた。
まず、クラリッサの身上書。
そこには、こう書かれていた。
『特技:領地経営、会計管理、外国語、慈善活動』
ところが、実際には。
領地経営に関わったことはない。
帳簿を読めない。
外国語は挨拶程度。
慈善活動は、寄付金を父に出してもらい、名前だけを載せていた。
さらに、縁談先からの問い合わせに対して、伯爵家の使用人たちが答えた内容も、身上書とは食い違っていた。
それだけではない。
姉の持参金を妹の婚礼費用に流用したという話まで、取引先の間で知られるようになっていた。
誰かが悪意を持って噂を広めたわけではない。
婚姻前の身元確認で、事実が明らかになっただけだった。
◇◆◇
「どうして、こんなことに……!」
クラリッサは泣き崩れた。
父も、頭を抱えた。
だが、リーゼはもう、その場にはいなかった。
彼女は、辺境伯領へ向かう馬車の中にいた。
窓の外には、北へ続く街道。
遠くには、雪をいただいた山々が見える。
隣には、アルノルトが座っていた。
「……寒くないか?」
「大丈夫です」
「無理はするな」
「ありがとうございます」
リーゼは微笑んだ。
アルノルトは、少しだけ困った顔をした。
「……また礼を言ったな」
「だって、嬉しいんですもの」
その言葉に、アルノルトは黙った。
そして、そっとリーゼの手を握った。
「……これからは、遠慮しなくていい」
リーゼは、その手を握り返した。
「はい」
◇◆◇
辺境伯領での暮らしは、決して楽なことばかりではなかった。
冬は厳しい。
魔物の被害もある。
食料の備蓄は、常に気を配らなければならない。
けれど、リーゼは毎日が楽しかった。
アルノルトは、彼女の意見を聞いてくれた。
文官たちも、彼女の提案を真剣に検討してくれた。
もちろん、最初からすべてがうまくいったわけではない。
ある村では、備蓄量の計算が合わず、リーゼ自身が現地へ確認に向かった。
別の村では、長年の慣習を変えることに反対する人もいた。
それでも、リーゼは一つずつ話を聞いた。
自分の考えを押しつけず、相手の事情を知ろうとした。
その姿勢は、少しずつ領民たちにも伝わっていった。
そして、ある冬の日。
アルノルトが、執務室で言った。
「……リーゼ」
「はい?」
「今年は、北部の村で食料不足が起きなかった」
リーゼは、顔を上げた。
「本当ですか?」
「ああ。君が提案した備蓄管理が、役に立った」
アルノルトは、静かに微笑んだ。
「ありがとう」
リーゼは、胸がいっぱいになった。
七年間、誰にも褒められなかった仕事。
それが、誰かの暮らしを守る力になっている。
「……こちらこそ」
リーゼは、涙をこらえながら答えた。
「私を、ここへ迎えてくださってありがとうございます」
アルノルトは首を横に振った。
「迎えたのではない」
「……え?」
「君が、ここを選んでくれたんだ」
リーゼは、静かに微笑んだ。
そうだ。
自分で選んだのだ。
誰かの引き立て役ではなく。
誰かの代わりでもなく。
自分の人生を。
◇◆◇
それから、さらに数か月後。
王都の小さな相談所に、一通の手紙が届いた。
「……おや」
成田は封を開いた。
差出人は、リーゼ・グランフェルト。
中には、丁寧な文字で近況が綴られていた。
『成田さんへ。
あの時、相談所の扉を開けて、本当によかったと思っています。
私はずっと、自分には何もないと思っていました。
でも、成田さんは、私が当たり前だと思っていたことを、立派な能力だと言ってくださいました。
あの言葉がなければ、私は今も、自分の人生を諦めていたかもしれません。
夫は、私の話をよく聞いてくれます。
私も、夫の話を聞くようにしています。
まだまだ知らないことばかりですが、二人で少しずつ学んでいけたらと思います。
今度、王都へ戻る機会がありましたら、ぜひご挨拶に伺わせてください。
本当に、ありがとうございました。
リーゼ・グランフェルト』
成田は、しばらく手紙を見つめていた。
「……よかったなぁ」
その肩の上で、緑色のスライムがぷるんと揺れた。
『――おじさん!』
「ん?」
『――リーゼさん、幸せになったんですか?』
「うん。そうみたいだね」
『――よかったです!』
「本当にね」
成田は、手紙を丁寧に畳んだ。
そして、少しだけ笑った。
「……俺にできるのは、婚活相談くらいなんだけどなぁ」
『――おじさん!』
「今度は何?」
『――幸せになった人から、お礼のパンは届かないんですか!?』
「……それは、さすがに期待しすぎじゃないかなぁ」
『――残念です!』
相談所に、成田の笑い声が響いた。
誰かに決められた人生ではなく、自分で選んだ人生を歩く。
それは、時に勇気のいることだ。
けれど、その一歩を踏み出した先には、思いがけない幸せが待っていることもある。
そして今日も。
王都の路地裏にある小さな相談所には、新しい相談者が訪れるのだった。
――完――
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回は、家族から「妹の引き立て役」として扱われてきたリーゼが、自分の価値に気づき、自分自身の幸せを選び取るお話でした。
成田が教えたのは、特別な魔法でも、相手を振り向かせる裏技でもありません。
自分の長所を正しく伝えること。
相手の話をきちんと聞くこと。
そして、合わない縁談を無理に続けないこと。
そんな小さな積み重ねが、リーゼの未来を変えていきました。
本作は『婚活アドバイザー成田の異世界相談録』シリーズの独立短編です。本編未読でもお楽しみいただけます。
成田が異世界でさまざまな縁談や人間関係の相談を受けながら、妻子の待つ元の世界への帰還を目指す長編本編、『46歳、社畜のオタク婚活アドバイザーですが、異世界転生したらコミュ力だけで無双してしまいました ~妻子持ちのおじさん、帰宅を目指して魔王すら成婚させる~』
https://ncode.syosetu.com/n9705mx/
も連載中です。
本編では、成田自身の物語や、相棒のスライム・ミドリとの出会いも描いています。
気になった方は、ぜひ本編も覗いていただけると嬉しいです。
面白かった、リーゼを応援したくなったと思っていただけましたら、評価・ブックマーク・感想などで応援していただけると、とても励みになります。
また次の相談でお会いしましょう!
お知らせ
新作短編を投稿しました!
『【妹視点】姉が辺境伯に嫁いだ途端、私の縁談が三件とも消えました』
https://ncode.syosetu.com/n8095my/
本作は、以前投稿した短編
『「お前は妹の引き立て役だ」と父が言うので、婚活アドバイザーに相談して先に嫁ぎました』の妹・クラリッサ視点で描く後日談です。
こちらも是非ご覧ください。




