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短編No.41-60

No.50 今宵貴方の為の晩餐を

作者: 藤夜 要

 今度の週末に貴方が来てくれるというから、腕を振るって豪華な夕食を自分で作ろうと思ったの。

 貴方の好きなものなら私、何でも知っている。

 魚よりも肉が好き。野菜は根菜よりも葉野菜が。デザートは甘味が少なくみずみずしいものの方が、肉の脂でしつこく残ったねとつく口当たりを替えてくれるから好きだと言っていた。

 知っているのは好きな食べ物ばかりじゃないわ。とにかく貴方は、他人のものが好き。そして新しいものが好き。新品という意味ではなくて、自分にとって真新しい感覚のものが。

 だから私のオンボロで化石のようなミニコンポなんかを欲しがったりする変わり者。

『今どきミニコンポはないでしょう?』

 そう言って笑ったら、貴方ったら本気で怒った。

『なかなか手に入らないからこそ、欲しくなるんじゃないか』

「そう、ねっ」

 同意の言葉が気合と混じる。てこずっていた関節の切断、ようやっとひとつだけクリアすることが出来た。


 結婚、なんていうのはただの契約。仕事の請負でよくするアレと変わりない。

 初めて貴方と肌を重ねた夜、そう言った私に随分と驚いた顔を見せたわよね。

『お前って、すべての面で最高の女』

 そのあとのまぐわいでの遠慮のなさは、こちらの息が絶えそうなほどの激しさだった。欲しいものが手に入らないと我慢できない癖に、いつもどこかで怯えている小心者、それが貴方。

 そんな貴方を愛しいと思った。そんな貴方が可愛かった。仕事で魅せる男の顔。奥様の前で見せる夫の顔。私の前でしか見せない子供みたいな顔。どんな顔も、好きだった。

 結婚なんてただの紙切れ。そう思っていたのは嘘じゃない。

「こんな風に、切り裂いてしまえばそれっきり」

 剥ぎ取った薄皮を私は翳す。それを包丁で真っ二つに切り裂いた。


 心は、こんな風に簡単には切れない。だって目に見えないものだから。

 だから貴方が私のほかに、つまみ食いの女がいても知らぬ振りをし続けた。私の部下にまで手を出して、彼女に私と貴方とのことがばれて凄まれた時には、流石にちょっと退いたけど。それは貴方にではなく部下のあの子にね。そんなに貴方のすべてを独占したいのならば、まずは私ではなく奥様のところへ詰め寄るべきだと思わない?

「ふぅ。疲れちゃった。今日はここまでにしておこうかな」

 あまり質のよくない肉らしい。残念だけど、労力の、無駄だった。料理に使う気にならないわ。だから黒いゴミ袋にまとめて口を硬く閉じた。




 雨の中、ずぶ濡れの貴方が佇んでいた姿を見た時、何とも言えない、居た堪れない気持ちになったの。

『どうしよう……俺……』

 こんなつもりじゃあなかったのよね。

 奥様に隠れていつものホテルで待ち合わせていた私達。貴方はひと足先にホテルの喫茶店で私を待っていた。

 私を抱きながら、貴方は泣いて語った。泣いて、奥様が貴方の上司と腕を組んでエレベーターから降りて来たのを見たと語った。

『俺の、だったのに』

 そう零す貴方のその言い草は、まるで自分の玩具を盗られた幼児のこねる駄々のようだった。

『取り返せばいいじゃない』

 上がる息を堪えて、彼にそう提案した。こんな解釈をするとは思わなくて、私は深く考えもせずそう言った。

「殺すなんて、思わなかったの」

 ゴト、という鈍い音が、私の呟きと重なった。

 昨日よりは、随分と作業が容易い。やっぱり包丁では無理なものなのね。細かい作業は包丁に限る。けれど、パーツに分けるのだったらノコギリで充分。残してしまってはダメなのだろうから、すべて煮溶かし焼き焦がし、貴方の血肉にしてあげましょう。

「貴方には、内緒だけれどね」

 これは私の、ささやかな復讐。

「ううん。ただの、ちょっとした仕返し。いたずらよ」

 骨はスープに、肉はシチューに。皮膚で包んでウィンナーも作りましょう。血液で作るゼリーは、貴方好みの薄い甘味に。飾りは髪を細かく切り刻んで、ノアールとルージュのゼリーを作りましょう。心臓はミンチにして、トーストのトッピングに。ガーリックと合えたらスパイスが利いて美味しいかも。それなら私にも食べられるかな。

「内臓って臭いのよね。どうしようかな」

 ――ひとつ残らず食べてあげる、あの人と。

 同じものを食べる。ひとつの秘密を分かち合う。あの人と、何もかも同化出来る。

「奥様には出来なかったことなのよね」

 そう思うと少しだけ、彼女の裏切りを許せる気がした。




 そう、私は貴方の奥さんを貴方以上に許せなかったの。貴方を裏切ったこと、許せなかった。

 上司に抱かれた夜、必ずあの人とも寝たそうね。もし万が一身篭った時に、あの人が不倫の疑惑を抱かないように。

 その癖、その上司と本気になって、宿ってしまった命に対して堕ろす選択もせず、あの人を騙しとおす選択もせず、

『彼の子だから別れて』

 とあの人に告げた。

 あの人は、知ってしまった。人のものが欲しいだけだということ。目新しいものが好きなだけだということ。奥様、貴女の中の女が、あの人の目には「新しいもの」に見えたのだと知っていました?

「だからあの人、手を赤く染めてしまったのよ」

 罪な人。私もその手を真っ赤に染めながら、あの人の奥様に向かって呟いた。聞こえるはずもないのに、届ける気もないのに、呟いた。


 貴方と何もかも同じでいたいの。

 貴方がその手を赤く染めたのならば、私もこの手を赤く染めましょう。

 貴方が奥様を愛しているのであれば、私も貴方の奥様を愛しましょう。

 それらすべてを含めて貴方なのだから。

 結婚なんて、ただの契約。心は契約なんかで縛れない。

「私、貴方と心がひとつだったらそれでいいの」

 カトラリーを並べながら、もうすぐ来るであろう貴方の席に座る貴方を思い浮かべ、私は微笑みながら呟いた。

 テーブルには、四日間煮込んだビーフシチュー。ビーフ、とはちょっと違うけれど。スープはとろみのある透明で薄い味付け。貴方好みのパセリだけを浮かせた、シンプルなスープ。ゼリーは綺麗に仕上がったわ。ウィンナーはちょっと失敗しちゃったの。結局腸を使って作り直した。

「皮膚って、弱いのね」

 切断していた時には、あんなにも頑丈だと思ったのに。

 ドアホンが鳴るのを楽しみに待った。穢れた手を目立たせぬ為に、ルージュのドレスに着替え直し。艶かしさを演出する深紅の口紅を塗って。普段の私と違う私を演じるの。貴方に飽きられないように。奥様が、所詮奥様でしかないと気づかせる為に。

「私のところへ帰って来て」

  祈りを捧げるように、両手を組んだ。




「……やって来た」

 疲れ切った顔をして貴方は私のところへ帰って来た。

「お帰りなさい。お疲れ様」

 平日限定で交わされるいつものやり取り。貴方はこの一週間、会社を休んでいるけれど。ほかに貴方に掛ける言葉を知らないから、それでいい。

「会社の方、警察とか、来てた?」

「うん。でも大丈夫。総務の方に来ただけで、営業の人に事情聴取はしてなかった」

「そうか。なあ、嫁さんから電話とかは、こっちに来てない?」

「来る訳ないじゃない。こっちのはバレてないんだし」

 なぜ、と訊いたら、ずっと帰っていないとのことだった。

「そう……せっかく貴方が帰ったのに、酷いわよね」

 例え世界中の人を敵に回そうと、私だけは貴方の味方。そんな思いを込めてそう言ったのに。

「もしかして、部長との不倫が警察に知れて、あいつに嫌疑が掛かってるんじゃないか、って。それで逃げたんじゃないかって」

 やったのは俺なのに、と泣き崩れる。そんな貴方の背を撫でた。

「体力をつけなくちゃ。身体が疲れると、心も蝕まれていくわ。今日貴方が帰るって連絡をくれたから、腕によりを掛けてお料理を作ったの」

 この人がうろたえた一週間前と同じ、具体的なことをもう一度告げた。

「怖がらなくて、いいの。その日貴方は私と一緒にいた。警察に言わなかったのは、不倫関係を奥様に知られたくなかったから。貴方が疑われることは、絶対ないわ」

 だって、部長のシャツには、奥様のつけた口紅の跡があるじゃない。それが逆に貴方の怒りに触れるだなんて。

「だからどうするんだよ、って言ってるんじゃないか! あいつは、俺に戻って欲しくてあんなこと……」

 ピキ、とこめかみに何かが走った気がしたけれど、きっと気のせい。だから変わらない穏やかな声で貴方を諭したわ。

「とにかく、食べながら話しましょう。ここじゃあ、外に話し声が聞こえてしまうかも知れないし」

 腕を取れば、ずるずると立ち上がる。子供みたいに素直な、そういう貴方が、好き。

「食べたくない。食欲なんて、湧く訳ないだろう」

 部長を埋めて来たばかりなのに。

「大丈夫。きっと口に合うから。貴方の大好きなものばかりなんだもの」

 貴方の為の晩餐が始まる。私は知らず鼻歌を交えながら彼の皿にシチューを装った。


 大手レトルト食品メーカーに勤める貴方の舌は、本当に敏感。

「……これ、何の肉? 今まで食ったことのない口当たり」

「そう。ちょっとくどい感じかな、と思ったんだけれど、口に合ったみたいでよかったわ」

「なあ、これ、何の肉?」

「なーんだ。当ててみて」

 何口目かを口に運んだ貴方は、突然顔色を変えた。嗚呼、楽しい。嬉しい。貴方が目一杯見開いて私を見る。私だけを見つめてくれる。それは一体何ヶ月ぶりだろう。

「お前……本当に出勤してたのか」

 震える声で、貴方が問う。

「……ずっとシチューを煮込んでたから、私も休んでた」

「さっき警察は来てないって」

「そんなこと言ったかしら」

 ガチャン、と耳障りな音を立ててスプーンが彼の手から落ちた。

「会社の方はお前がどうにかするって……だから俺には、遠くへ死体を埋めに行って来いって……」

 男の癖に、目が潤み始めている。母性本能をくすぐる顔を私に見せつけ誘惑する。

「奥様と部長のことを知ってから、貴方、そんな風に私を見てくれなくなったわよね」

 ガタン、と乱暴に椅子を引く貴方を、私、貴方の奥様みたいに止めたりなんかしないわ。自由人でありたい貴方を、そういう部分ごと愛しているから。

「お腹の子が貴方の子だと判った途端、奥様、その子を堕ろしちゃったんだっけ」

 彼が身体を半分に折って食べたばかりのものを吐き出す。どうして判ったのかしら?

「部長も奥様と離婚したし。酷い裏切りよね。あんな女、嫌いになれたらいいのにね」

「お前……お前、まさか、これ……」

 貴方の心が私でいっぱいになる。セックスでは得られないほどの、快感。

「でも、好きなんでしょう。奥様が。私はただ目新しい“理解のある都合のいい女”だっただけ」

 彼の吐瀉物を見下ろした。

「あ、ゴメンナサイ。どこへいっちゃったのかと思ったら、指から外す前に鍋に放り込んでしまったのね」

 かがんでそれを拾い上げた。それを私の左薬指に嵌める。

「言ったでしょう。貴方の大好きなものばかりだから、って。貴方の好きなもので、貴方の為の夕食を作ってあげたかったの」

 次は私の為の晩餐だから。私の大好きなものだけで食卓を彩るの。

「う……ぁ」

「うふ。かわいい」

 悲鳴さえ上げられないほど慄くなんて。

「大好き」

 貴方のことが。

 クロスで隠しておいたテーブルの下から、私はノコギリを取り出した。

「ひとつになって。私と」

 身も心も、すべて。ねえ、貴方――。

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